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初代の城主が織田信長の清洲城です。西春日井郡清洲町に位置します。新幹線、JR、名鉄電車などを利用される場合、名古屋に近い岐阜寄りの場所に建つ天守と、赤い橋が良く目に付きます。城址は新幹線で分断されたとされますから、最寄の位置に建つ新しいお城です。

2009春、桜の季節の清洲城(1):4月5日(1):JRで名古屋駅から清須駅へ、清州駅から清州城へ、染井吉野、紅枝垂れ桜

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2009/04/05 - 2009/04/05

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旅行記グループ 2009春、桜の季節の清洲城

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

初代の城主が織田信長の清洲城です。西春日井郡清洲町に位置します。新幹線、JR、名鉄電車などを利用される場合、名古屋に近い岐阜寄りの場所に建つ天守と、赤い橋が良く目に付きます。城址は新幹線で分断されたとされますから、最寄の位置に建つ新しいお城です。

交通手段
JRローカル

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  • JRの清須駅で降りた駅前にあった、『清須市観光案内図』です。駅から清洲城までは、少し南に後戻りになります。右下の甲冑姿の像は、信長公のようです。天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れた後、天正10年6月27日(1582年7月16日)に清洲会議が開かれた城としても名を知られています。清洲会議の結果、織田家の重臣筆頭の柴田勝家の影響力が低下し、代わりに秀吉が台頭するきっかけとなりました。

    JRの清須駅で降りた駅前にあった、『清須市観光案内図』です。駅から清洲城までは、少し南に後戻りになります。右下の甲冑姿の像は、信長公のようです。天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れた後、天正10年6月27日(1582年7月16日)に清洲会議が開かれた城としても名を知られています。清洲会議の結果、織田家の重臣筆頭の柴田勝家の影響力が低下し、代わりに秀吉が台頭するきっかけとなりました。

  • 真っ赤な花を咲かせていたのは、ハーブの一種のようです。セージの仲間でしょうか、シソ科アキギリ属の多年草または常緑低木になります。和名はヤクヨウ(薬用)サルビアです。

    真っ赤な花を咲かせていたのは、ハーブの一種のようです。セージの仲間でしょうか、シソ科アキギリ属の多年草または常緑低木になります。和名はヤクヨウ(薬用)サルビアです。

  • キンセンカ(金盞花)の黄色の花です。キク科キンセンカ属の植物です。カレンデュラやポットマリーゴールドなどの別名を持ちます。

    キンセンカ(金盞花)の黄色の花です。キク科キンセンカ属の植物です。カレンデュラやポットマリーゴールドなどの別名を持ちます。

  • 清須市の街路光景です。江戸時代に清洲から名古屋へ、お城からお寺、町までも引っ越してしまいました。いわゆる『清州越し(きよすごし)』です。慶長17年(1612年)頃から元和2年(1616年)までの頃に行われました。現在は、近隣の市町村との合併で、人口6万6千人ほどの市です。『きよす』の表記は、今でも『清須』と『清洲』あるいは『清州』が混在しています。

    清須市の街路光景です。江戸時代に清洲から名古屋へ、お城からお寺、町までも引っ越してしまいました。いわゆる『清州越し(きよすごし)』です。慶長17年(1612年)頃から元和2年(1616年)までの頃に行われました。現在は、近隣の市町村との合併で、人口6万6千人ほどの市です。『きよす』の表記は、今でも『清須』と『清洲』あるいは『清州』が混在しています。

  • 桜の開花を念頭に置きながら見学日を選んだ甲斐があり、清州城に向かう途中の桜も、そろそろ見頃になって来ていました。

    桜の開花を念頭に置きながら見学日を選んだ甲斐があり、清州城に向かう途中の桜も、そろそろ見頃になって来ていました。

  • ユスラウメやウメモドキ(梅擬)などで花の画像検索をしてみましたが、中々ぴったりの画像が見つかりませんでした。八重咲ピンクの可愛らしい花です。

    ユスラウメやウメモドキ(梅擬)などで花の画像検索をしてみましたが、中々ぴったりの画像が見つかりませんでした。八重咲ピンクの可愛らしい花です。

  • 花の色は白色ですが、ピンクの花と同じ種類の植物のようでした。ハナモモ(花桃)でも画像検索してみましたが、納得できる画像が見つかりませんでした。

    花の色は白色ですが、ピンクの花と同じ種類の植物のようでした。ハナモモ(花桃)でも画像検索してみましたが、納得できる画像が見つかりませんでした。

  • 中心部分がオレンジ色の口紅のようなスイセン(水仙)の光景です。13に区分されたスイセンの第9区分のポエティクス系水仙(口紅水仙)に間違いないようです。

    中心部分がオレンジ色の口紅のようなスイセン(水仙)の光景です。13に区分されたスイセンの第9区分のポエティクス系水仙(口紅水仙)に間違いないようです。

  • 可愛らしい紫の花を咲かせていたマメ科の植物です。エンドウ(豌豆)のようです。若い果実は、サヤエンドウ(鞘豌豆)として食用にされ、実が成熟すると、エンドウ豆、グリーンピースとして利用されます。遺伝子研究のメンデルが研究に利用した植物としても有名です。

    可愛らしい紫の花を咲かせていたマメ科の植物です。エンドウ(豌豆)のようです。若い果実は、サヤエンドウ(鞘豌豆)として食用にされ、実が成熟すると、エンドウ豆、グリーンピースとして利用されます。遺伝子研究のメンデルが研究に利用した植物としても有名です。

  • 葱坊主の光景です。種子を採取するために収穫せずに花を咲かせているようでした。ネギ科の植物によく見られる聚繖花序です。小さな6弁花が数十輪から場合によっては千輪以上がほぼ球形に集まって咲きます。葱坊主が出来たネギは触感が固くなるようですから、現在は市場に出荷されなくなったようです。

    葱坊主の光景です。種子を採取するために収穫せずに花を咲かせているようでした。ネギ科の植物によく見られる聚繖花序です。小さな6弁花が数十輪から場合によっては千輪以上がほぼ球形に集まって咲きます。葱坊主が出来たネギは触感が固くなるようですから、現在は市場に出荷されなくなったようです。

  • 赤色と紫色のチューリップの光景です。和名は鬱金香(うこんこう、うっこんこう)ですが、まず使用されることはありません。ユリ科チューリップ属の植物です。

    赤色と紫色のチューリップの光景です。和名は鬱金香(うこんこう、うっこんこう)ですが、まず使用されることはありません。ユリ科チューリップ属の植物です。

  • 咲き残りのナノハナ(菜の花)です。アブラナ(油菜)が正式名称です。アブラナ科アブラナ属の二年生植物です。ナタネ(菜種)とも呼ばれます。

    咲き残りのナノハナ(菜の花)です。アブラナ(油菜)が正式名称です。アブラナ科アブラナ属の二年生植物です。ナタネ(菜種)とも呼ばれます。

  • ゼンマイによく似た芽を出していた植物です。シダ類には間違いないようです。

    ゼンマイによく似た芽を出していた植物です。シダ類には間違いないようです。

  • 清洲城近くの公園の光景です。かつての清洲(清須)城は、尾張国の中心部に位置し、一時期尾張国の守護所として栄えました。京・鎌倉往還と伊勢街道が合流し、中山道にも連絡する交通の要所でした。

    清洲城近くの公園の光景です。かつての清洲(清須)城は、尾張国の中心部に位置し、一時期尾張国の守護所として栄えました。京・鎌倉往還と伊勢街道が合流し、中山道にも連絡する交通の要所でした。

  • 七分咲以上、満開に近かった染井吉野の光景です。目論見通り、花見を兼ねての清洲城見学になりました。

    七分咲以上、満開に近かった染井吉野の光景です。目論見通り、花見を兼ねての清洲城見学になりました。

  • 藤棚の光景です。こちらが見頃になるのは、あと1カ月ほど先のことです。花芽はすでに出ていました。

    藤棚の光景です。こちらが見頃になるのは、あと1カ月ほど先のことです。花芽はすでに出ていました。

  • 見頃を迎えた染井吉野と、新緑の木々の光景です。この辺りも小公園の一部だったようです。歴史をさかのぼれば、清洲城の縄張り範囲だったかも知れません。

    見頃を迎えた染井吉野と、新緑の木々の光景です。この辺りも小公園の一部だったようです。歴史をさかのぼれば、清洲城の縄張り範囲だったかも知れません。

  • 右手に見える土手は、今回利用したJR東海道線です。線路伝いに南に移動しました。周りの人達も、清洲城を目指しているようでした。

    右手に見える土手は、今回利用したJR東海道線です。線路伝いに南に移動しました。周りの人達も、清洲城を目指しているようでした。

  • 一重咲の紅枝垂れ桜の光景です。ピンク色の花が見頃を迎えていました。

    一重咲の紅枝垂れ桜の光景です。ピンク色の花が見頃を迎えていました。

  • 一重咲の紅枝垂れ桜の花のアップ光景です。清洲城近くの小公園の中で咲いていました。

    イチオシ

    一重咲の紅枝垂れ桜の花のアップ光景です。清洲城近くの小公園の中で咲いていました。

  • 更にズームアップした、一重咲の紅枝垂れ桜の花の光景です。枝垂れ桜の品種は特定できませんでした。

    イチオシ

    更にズームアップした、一重咲の紅枝垂れ桜の花の光景です。枝垂れ桜の品種は特定できませんでした。

  • 一重咲の紅枝垂れ桜が多く植栽された小公園でしたから、周りの木々も紹介します。春爛漫といった光景でした。

    一重咲の紅枝垂れ桜が多く植栽された小公園でしたから、周りの木々も紹介します。春爛漫といった光景でした。

  • 今度はカメラアングルを横にして、最後の1枚です。清洲城のかつての主人公、織田信長公(1534〜1582年)に似合いの桜かも知れません。

    今度はカメラアングルを横にして、最後の1枚です。清洲城のかつての主人公、織田信長公(1534〜1582年)に似合いの桜かも知れません。

  • 『清須市観光案内図』の看板とその周りの染井吉野の光景です。『清須』と『清州』、『清州』は併用されていますので、特別の必要がない限り、統一せずにそれぞれ併用します。

    『清須市観光案内図』の看板とその周りの染井吉野の光景です。『清須』と『清州』、『清州』は併用されていますので、特別の必要がない限り、統一せずにそれぞれ併用します。

  • 『清須市観光案内図』の看板のピックアップ光景です。徒歩では、名鉄とJRの2箇所の駅からの順路が記してありました。

    『清須市観光案内図』の看板のピックアップ光景です。徒歩では、名鉄とJRの2箇所の駅からの順路が記してありました。

  • 『清須市観光案内図』の看板があった周りの染井吉野の光景です。満開少し前ですが、文句なしの見頃を迎えていました。

    イチオシ

    『清須市観光案内図』の看板があった周りの染井吉野の光景です。満開少し前ですが、文句なしの見頃を迎えていました。

  • 同じく、『清須市観光案内図』の看板があった周りの染井吉野の光景です。遠くに見える染井吉野の並木も満開直前でした。

    同じく、『清須市観光案内図』の看板があった周りの染井吉野の光景です。遠くに見える染井吉野の並木も満開直前でした。

  • 新緑の枝先のピックアップ光景です。大木の幹が背後に控えていますから、ケヤキ(欅)の新芽だったかも知れません。地方によっては、『ケヤキの新芽が一斉に萌えるときは新茶のいいのがとれる。逆に不揃いなら一番茶が遅霜にやられる』との言い伝えがあるようです。

    新緑の枝先のピックアップ光景です。大木の幹が背後に控えていますから、ケヤキ(欅)の新芽だったかも知れません。地方によっては、『ケヤキの新芽が一斉に萌えるときは新茶のいいのがとれる。逆に不揃いなら一番茶が遅霜にやられる』との言い伝えがあるようです。

  • 清洲城の今昔についての説明看板です。清洲城の始まりは、足利政権の尾張守護であった斯波義重が守護所の下津城(現稲沢市)の別郭として築城したのが始まりと紹介されていました。文明8年(1476年)に、下津城が戦火で焼失した後、守護所が清洲に移ったとされます。

    清洲城の今昔についての説明看板です。清洲城の始まりは、足利政権の尾張守護であった斯波義重が守護所の下津城(現稲沢市)の別郭として築城したのが始まりと紹介されていました。文明8年(1476年)に、下津城が戦火で焼失した後、守護所が清洲に移ったとされます。

  • 『清洲城墟碑』らしいタイトルがあった古い石碑です。末尾に『文久2年(1862年)』の日付がありました。齋藤拙堂撰、野田半谷書、河内孫右刻の漢文の石碑です。

    『清洲城墟碑』らしいタイトルがあった古い石碑です。末尾に『文久2年(1862年)』の日付がありました。齋藤拙堂撰、野田半谷書、河内孫右刻の漢文の石碑です。

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