2009/02/11 - 2009/02/15
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ちゃおさん
最初に沖縄へ来たのはまだ学生時代のころだったから、もう既に40年以上は経っている。当時沖縄はまだ米国施政下にあり、東京六本木にあった米国領事部へ行ってビザを貰ってからでないと渡航できなかった。
それから約10年、沖縄は日本に返還され、更にその2年後には、従来の米国式右側通行から日本流の左側通行の交通改正が行われ、当時日本本土から大量の警察官が動員され、交通指導、警備に当ったが、もうそれも今から三昔前の話しになってしまった。
交通法規変更前半年間の県内の騒々しさ、各交差点に配備された大量の警察官、お蔭でこの間、飲酒運転もスピード違反もパタッと止み、交通事故が激減したが、そんな大わらわな騒動を記憶している人も少なくなったに違いない。
ここ石垣ではこの時の一大イベントを記念して、「730広場・交差点」を作って、今に伝えている。1974年7月30日午前0時を期して、県内の信号、標識、交通は一斉に変更されたのだった。
そう国道390号線はここからスタートし、石垣島を走りぬけ、沖縄本島・摩文仁の丘(糸満)にて国道58号線と名を変え、更に北上して本島を突っ切り、鹿児島指宿に上陸し、その先づっと東京日本橋までの凡そ3000キロの道のりのスタート地点がここ「730交差点」でもある。
いや逆に、日本橋を基点とした国道網は北へ南へ延伸し、最果ての南の地、石垣のこの交差点で終焉するとも言えるのだった。
今から30数年前に読んだ司馬遼太郎さんの「街道を往く」の中か或いはそれ以前に読んだ柳田國男氏の「海上の道」の中だったのか、今となっては記憶も定かで無いが、日本の国道がこの地において終わりになることが象徴的に書かれていたのを今朝この「730広場」に佇み、忽然と思い出す。
「海上の道」、長い道のりでもあった。
今日までの5日間、島も見、山にも登り、最も綺麗な湾も見た。
今朝は飛行機搭乗までの僅かな時間を利用し、最後にもう一度市内を歩き、ここ「730広場」に巡り合った。
30年、40年前の出来事が走馬灯のように駆け巡った。長い道のりのようでもあったし、つい昨日のことのようにも思えた。
ホテルの窓から身を乗り出して、最後にもう一度石垣の海を眺め、空港に急ぎ、もう再び来ることもないであろうこの島に別れを告げ、機上の人となった。
「さようなら」をもう一度。
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「730広場・交差点」は沖縄本土復帰後2年後の1974年7月30日に行われた道路交通変更を記念して作られた。
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東京・日本橋をスタートした国道は、1号線から始まって、各地を走りぬけ、この地石垣に於いて終わりとなる。
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いや、逆に「海上の道」から言えば、国道はここをスタートして北上し、東京日本橋まで達するとも言えた。
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「離島ターミナル」。ここから先は「海の道」が国道にとって代わる。先日は「郵便船」も見た。
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今朝も又、大勢の観光客を集め、フェリーは各離島へ客を運んでいく。
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琉球語で「さようなら」を何と言うか知らないが、ここ石垣では「ようこそいらっしゃい」を「おーりとーり」と言っている。何の略語だろう?
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ホテルの窓から最後にもう一度石垣の海に別れを告げ、空港に向う。
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那覇行きのJAL機。石垣空港の滑走路が短いため、羽田行きの直行便が飛ぶことが出来ず、那覇にて乗り換えることになる。
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もう来ることもないであろう石垣空港に別れを告げる。
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今将に飛び立とうとする飛行機。
See You Again!
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