2009/02/27 - 2009/03/01
240位(同エリア248件中)
熱帯魚さん
金城の食堂で朝食をすませた後、レンタルしたスクーターに乗って、風獅爺探しに向かいました。雨が降り出して、かなり寒くなってきましたが、風獅爺に会えると思うと、るんるん気分です。
まずは、金城から環島北路を通り、瓊林村に向かいました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
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環島北路二段と環島北路三段のちょうど中間あたりで、ひとつめの風獅爺を発見しました。風を受けながら、遠くを見つめている風獅爺を間近に見て大感激です。早速お参りしました。
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瓊林村の旅行案内図です。この村には風獅爺が2体います。
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瓊林村に入ってすぐに発見した、「保護宮」です。まずここで、旅の無事を祈願しました。
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保護宮の左側に、とても古そうな四合院を見つけました。今は人が住んでいないように見えました。
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精神標語です。主義とはもちろん、三民主義。領導は蒋介石、国家は中華民国、責任は中国本土を取り戻すこと、栄誉は軍人の誇りのこと。蒋介石親子の時代には、この精神標語を学生でも軍人でも毎日のように唱えさせられていたそうです。
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これも蒋介石時代のスローガンです。一番右側の字は、「毛」です。誰のことかわかりますよね?
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こちらも瓊林村の風獅爺です。前には川が流れていました。近くにあった説明によると、雨季には、この川が氾濫し、住民を悩ませていたそうで、この風獅爺は、住民を水害から守るために建てられたそうです。
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中国本土から一番近い金門島は、国民党と共産党の戦いの際、最前線となった島です。今でも、当時使用されていた防空壕やトーチカが残っています。これは、瓊林村にあった防空壕です。
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瓊林村の道で見つけた、「一門三節坊」というアーチです。これは、清の時代に建てられたもので、瓊林に住んでいた蔡仲環氏の妻である陳氏、蔡仲環の次男の妻である陳氏、3男の妻である黄氏、3名の女性の貞節をたたえるために建てられたものです。
当時の女性にとって美徳とされたのは、「実家では父に仕え、お嫁に行ってからは夫に仕え、夫が亡くなってからは息子に仕える」というものでした。 -
「吾愛吾村」と書かれたアーチです。梅の花が描かれているのを見れば分かると思いますが、ここは眷村、国民党の老兵が住んでいるところです。比較的新しい建物が多いように感じました。
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再びスクーターに乗り、瓊林村から金剛寺へ向かいました。その道のりで、花畑を発見。最初菜の花だと思ったのですが、よく見たら菜の花ではありませんでした。花には疎いので名前が分かりませんでしたが、一面黄色が広がっていて、とても綺麗でした。
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これも瓊林一門三節坊と同じく、女性の功績をたたえて建てられたものです。孝節と書いてありますから、親孝行な女性だったのでしょう。
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