2000/10/10 - 2008/11/23
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バイクの松尾さん
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2000年10月、57歳で早期退職。ヨーロッパ・中東・東欧・北欧・北、中、南アメリカ・そしてシベリア横断・中央アジア・東南アジア・オーストラリア・さらにアフリカを一年かけて走り昨年2008年6月に帰国しました。サハラ砂漠の砂嵐は道を消してしまうのでここで死ぬのかと蛍の光を唄った。恐ろしかった。
サハラ砂漠の砂嵐で両目をやられたので帰国後すぐ両目を手術し、11月には韓国をぐるっと周ってきました。これまで世界五大陸5年10ヶ月、102ヶ国(訪問111カ国)、1500ccのオートバイで28万km走りました。気づいたら65歳(1943/10/15生まれ)になっていた。
笑われるかもしれませんが自分でもよく走ってきたなーと思っています。(途中帰国しているので年数は合いません)
一番高い所=エベレストベースキャンプ標高5200m(中国)
世界最北端ノルウェイ(ノルカップ)。アラスカ(ブルトベイ)
世界最南端アルゼンチン(ウスアイア)。アフリカ(アグラス岬)
一番低い所=死海標高マイナス410m(イスラエル)
オランダでビスケット強盗。ニューヨーク、9,11に遭遇、歩いて現場へ。アラスカで交通事故ヘリコプターで入院。ヒマラヤ山脈を越えるとき何回も転倒薬指を骨折。何が起こるかわからない毎日、道に迷って戻ることが出来るだろうかと眠れない夜は続く。
食べ物は現地のものはなんでも食べました。ただネズミは喰うことは出来ませんでした。コウモリは鳥と同じの味でした。たまねぎとジャガイモはどこの国にもありました。お酒はイスラムのイランでもどこでも手に入りましたがモロッコで一晩だけ呑めなかった。
大使館での次に進む国のビザ申請、国境越えの申請や道を聞いたり、お店を聞いたりは日本語、佐賀、嬉野弁ですべて済ませました。その国のみなさんにはほんとにお世話になりました。ひとり旅と言っても一人では出来ない一人旅でした。
今、旅の写真、記録日記を整理しています。これから少しづつ
ここのブログにも追加していきますのでよろしくお願いします。よかったらわたしのHPです。
http://www.baikunomatsuo.sakura.ne.jp/
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「旅の始まりはベッドの上」
空港からアムステルダム中央駅に朝8時頃ついた。少しヒヤッとした空気だった。仕事に向かう通勤者はせわしく歩いていくその通勤者に混じってユースホステルに向かう。インフォーメーションはまだ閉まっている。橋の欄干でユースの住所をメモ用紙に移す。
水路に囲まれた、すっきりとした街並みに「きれいな街だな」と感激しながら歩く。トラベル会社似たいなところでホテルを聴くと「この方向でOK」と言ってくれる。信号で止まった。後ろから来た中年男にアドレスを見せてホテルの方向を聞いた。
男は「同じ方向だからついて来い」言葉はわからないがそんな感じだった。男はビスケットを食べていた。私に一枚くれた。「どうもありがとう」日本語でお礼を言う。2,3分歩いて道路脇公園のベンチに座った。「なぜ座るのか」もわからなくなっていた。
「ここはどこだー」「病院だった」
目の前に小川が流れていたのは覚えている。ベッドの上に寝てる。天井と周りの壁は白い壁「ここはどこだー」白い服を着た人が通った。「アっ病院か」目が覚めて始めて気がついた。ベッドの脇のいすの上にウェストバッグからはみ出している赤いパスポートが見える
起き上がろうとするが起き上がれない「両手両足」を縛られているのだ。暴れたのだろうか?。お医者さんとは話をしなかったが看護婦さんに「もう大丈夫だから」出してくれるように頼んだ。お礼は言って病院を出たとは思うが覚えてない。治療代も払った覚えがない?。
サイフの中を確かめた。残っていた日本円1万5千円なくなっている、盗られたのだ。しかしカード類。パスポートは大丈夫だった。くやしいが、、よしとするしかない。
どこをさまよい歩いたのか深夜になっていた。起こされたのは呑み屋のバーカウンターだった。肩をたたかれ店の終わりを告げるような言葉だった。店を出た。街のネオンの中からホテルを探した。ノックした下が三軒とも応答なし。
(写真は病院から出て来た次の日ユースホステルで日本人旅行者に撮ってもらった) -
腹が減っていた。お好み焼きみたいな店は閉店間際だった。ただでもらったような感じもする。夜中の二時を過ぎていた。歩きながら食べた「あーそうだユースホステルに行かなければ」と気づいた。通りすがりの人にユースを聞くと近いらしいことがわかる。
24時間オープンのユースホステルに着いた。泊まりの受付けは朝7時からである。そのまま長いすに横になり寝てしまった。日本人旅行者に起こされ受付を終えた。
「松尾さん目がうつろでクスリ(マリファナ)やってんじゃないかとスタッフが言ってますよ」とその旅行者が教えてくれた。アムステルダム中央駅からユースホステルまで丸一日かかってしまう。
こんなことになったこと話したくないな、頭の中をかけめぐる。、「拍手して」「大笑いされる」こと間違いなし。予想もしなかった旅の始まりになった。あしたは10月15日57歳の誕生日。
(アムステルダム中央駅) -
オランダ、アムステルダムのユースホステルは24時間オープン。そばにはでっかい公園が広がっていた。
「アムステルダム、ユースホステル」 -
ユースホステル、ドミトリー(相部屋)
慣れてしまえばドミトリーのほうが安全かも知れないと思う。 -
「アンネのの日記」アンネが住んでいた博物館に見学のため入場を待つ人たち。
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