2008/10/09 - 2008/10/13
5862位(同エリア7023件中)
のん太さん
2008年の城めぐりは北部九州の福岡/佐賀/長崎/大分と中国の島根/山口。
今回の旅は、
福岡空港→佐賀県→長崎県→福岡県→大分県→福岡県→山口県→島根県→山口県→福岡県→佐賀県→福岡県
というルートです。
県ごとに分けて旅行記を作成しました。
福岡(旅行記本編) → http://4travel.jp/traveler/nonta/album/10283782/
佐賀 → http://4travel.jp/traveler/nonta/album/10283803/
長崎 → http://4travel.jp/traveler/nonta/album/10304412/
大分 → http://4travel.jp/traveler/nonta/album/10305500/
山口 → この旅行記
島根 → http://4travel.jp/traveler/nonta/album/10310420/
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー スカイマーク
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-
++3日目++
旅行1日目、福岡空港→佐賀→長崎、長崎泊
旅行2日目、長崎→福岡柳川→大分、湯布院泊
旅行3日目、大分→福岡→山口
山口県岩国市に夜到着。
岩国国際観光ホテルにあるいつつばしの里という温泉施設へ。
最初入り口が判らずちょっと迷子。
この施設かなり利用料金が高いです。
近くに温泉施設がないからかな?
ま、きれいなんですけどね。 -
こちらいつつばしの里から見る錦帯橋のライトアップ。
ライトアップってもっと光ってるのかと思いきや、ぼんやり程度でした。 -
小さいですけど・・・
岩国城もライトアップ。 -
岩国駅の方に移動して予約していたホテルへ。
シティホテル安藤。 -
++4日目++
今日もかつかつのタイムスケジュールのため8:30から観光スタート。
まずは錦帯橋へ。
▼錦帯橋
岩国市の錦川に架かる橋。
5個の反り橋からなる木造橋で、日本三奇橋の一つとして知られ、国の名勝。
橋の創建は1673年岩国藩主吉川広嘉の代で、山梨甲斐の猿橋や中国の『西湖志』の六橋にヒントを得て、創案された。
橋の長さは橋面に沿って210メートル、幅5メートル、橋台の高さ5メートル。
木材を組み合わせ、1本の釘も使わず、力学的にも優れた構造をもつ美しい橋。
武家屋敷のある横山と城下町の錦見を結ぶ城門橋であった。
1950年のキジア台風の大洪水で流失、53年に再建された。
現在の橋は53年に再建された橋を架け替えたもので、2004年完成した。 -
美しいアーチです。
高校の修学旅行でここに来たなぁ。
懐かしい。
上には岩国城が。 -
岩国城のロープウェイが動くまで城下町の散策。
-
ロープウェイ営業開始とともに上に。
-
岩国城到着。
以外とロープウェイは短かった。 -
▼岩国城(1601〜1615)
別名横山城。連郭式山城。吉川広家築城。遺構は隠居所長屋、石垣、水堀、空堀。
天守構造複合式望楼型4重6階(1608)、RC造復興(1962)
江戸期初頭の城で山口県岩国市横山城山の山上にある。
関ヶ原の戦い後、防長2国に移封された毛利氏の一族吉川広家が1601年に起工し、08年に完成した山城である。
1615年の元和一国一城令によって破却された。
城の麓、西、北、東を錦川が流れ外濠の役目をしており、領主の居館も麓にあった。
1962年南蛮造とよばれる独特な形式をもつ天守閣が復興され観光客を集めている。 -
上層が張り出す南蛮造り。
-
本当はこっちに天守がありました。
今ある天守は麓から見栄えのいい場所に移されているのです。
観光用だからしょうがない。 -
天守から見る麓。
錦帯橋も良く見えます。
この後、島根県の津和野にちょっと行ってきます。 -
津和野に足を伸ばした後、萩に到着。
一番最初に何をしたかというと、御茶処惺々庵でお抹茶をいただきました。
茶碗はもちろん萩焼き。
追加料金を支払うと人間国宝が作成した茶碗でお抹茶をいただくこともできるそうです。 -
いいお味です。
-
御茶処惺々庵外観。
年季入っててお世辞にも綺麗とはいけないけど、そこがまたいい雰囲気。 -
維新のふるさとである萩観光スタート。
高校の修学旅行のときも思い出がまったく無い(汗)
こちらもまなこ塀が美しい。 -
長州藩を討幕に報告付けたが、明治維新を最後まで見ずして27歳で無くなった高杉晋作の誕生地。
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なんか時がとまったようなこの街並み。
時間がちょっとしか取れなかったのが残念。 -
最後に萩城へ。
天守閣のないお城となると一気にモチベーションが下がる我ら2人。
チラ見をしてお昼ごはんに急ぐ。
▼萩城
江戸期の城。山口県萩市堀内にある。
城は日本海に面し、阿武川デルタの北西端に延びる地の指月山とその山麓に位置している。
指月城ともいう。1600年関ヶ原の戦いにおいて西軍の総帥であった毛利輝元が、旧領中国8か国120万石から周防、長門2か国36万石に削封され、新しく居城としたものである。
1604年に着工し、08年に完成、以来毛利氏が13代世襲して幕末に至った。
1863年に政治機関を山口に移したため、事実上廃城となっていた。
城は指月山の山頂を詰の丸とし、山麓に本丸、二の丸、三の丸を設け、本丸には五重の天守閣と藩主の殿舎、諸役所があった。
城下には武家屋敷がよく残っている。 -
萩のご当地グルメはうに!
つぼ半でうに釜飯をいただきました。 -
おいしかったんだけどね、やっぱりうには生で食べたいな。
いや、でも本当においしかったんだよ。 -
萩から秋芳洞に向う道。
秋吉台のカルスト地形。 -
遠くの山がくっきり見えてとてもきれい。
-
秋芳洞に到着。
ここは秋芳洞の入り口。
鍾乳洞が苦手な友人KZにとってこの中で過ごす1時間弱が拷問だったよう(笑)
▼秋芳洞
山口県西部、美祢市秋芳町秋吉にあり、石灰岩台地として知られる秋吉台の南麓に開口する鍾乳洞。
特別天然記念物。かつて滝穴とよばれていたが、1926年皇太子訪問のおりに、「秋芳洞」と命名された。
黒谷支洞のほかはほとんど支洞のない規模の大きい水平洞で、洞口の高さ24メートル、幅8メートル、水量の多い地下河川をもつ湧水洞で、広谷の谷底平野を流れる稲川の水源をなす。
探検されている琴ヶ淵までは約2キロメートル、その奥は水中洞となり、秋吉台北東麓の白魚洞までつながり、全長は推定10キロメートルに及ぶ。
見学コースは洞口から約1.5キロメートルの間に照明や探勝路が整備され、洞奥の人工トンネルやエレベーターで台上に出られる。
洞内は「千畳敷」付近がもっとも広く、最大幅80メートル、高さは30メートルもある。 -
鍾乳洞の中は妖しい光にライトアップされている。
-
それにしても広いなぁ。
階段でのアップダウンも多い。 -
形によっていろいろ名前が付けられていて見所がいっぱい。
-
秋芳洞を見終えて再び入り口に戻ってきたら、月がきれいに出ていました。
この後は、福岡に向かい福岡の夜を過ごします。
山口編おわり
本編(福岡)はこちら→http://4travel.jp/traveler/nonta/album/10283782/
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