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12月24日(水)<br />今日の午前はアンコール・トムへ。 アンコール・ワットの真北2kmのところにあるバイヨン寺院を中心とする都。 アンコール・トムとは「大きな都又は大きな町」の意。 その名前どおり一辺3km、周囲12km、巾130mの環濠に囲まれた都市。 トムはジャヤ・ヴァルマン7世が12世紀末に作った仏教信仰のクメール王朝最後の繁栄を極めた王国の都。 ジャヤ・ヴァルマン7世の時代がクメール朝の全盛期で武力によりタイ、ラオス、ベトナムを切り従えインドシナ半島の80〜90%を支配した。 そしてこのことがクメール王国の財政を破綻させ、国の衰退を引き起こした。 周壁には5つの門がしつらえられて、都の中心にバイヨン寺院、王宮があり、さらに王宮は周壁やテラスで囲まれ内外に寺院が配されている。 われわれは南大門から入る。 像に乗った観光客も結構いる。 環濠を渡る南大門までの参道には左側にナーガを引っ張る神々の像、右側には同じくアシュラ達の像が立ち並んでいる、乳海撹拌を模している。 高さ8mの周壁と繋がって南大門は高さ15mくらいの塔になっていて東西南北に仏の顔(高さ3m以上、幅はもう少し狭い)が刻まれている。 仏顔は観世音菩薩。 門をくぐると内側には3頭の象(3つの頭を持った象)の彫刻があった。 バイヨン寺院の前に日本のアンコール・トム修復支援の看板が立っていた。 寺院は東向き、東門から入ると第1回廊、この回廊にもレリーフがびっしり刻まれている。 アンコール・ワットと異なるのはここには庶民の生活の様子が刻まれていること。 市場、闘鶏、豚の丸焼き、出産、ビール造り等などの様子が生き生きと刻み込まれている。 もちろん戦いのレリーフもあるが、やはり市民の生活のレリーフは当時の現実を表しているだけに面白い。 レリーフの中に戦いに行くときに火を乗せた輿を運んでいる図があったが、拝火教の影響が少し入っているのでは… 第1回廊を抜けて階段を登り第2回廊へ、ここの壁にもレリーフ。 ただし、第1、2回廊ともレリーフはヒンドゥー教の神話やチャンバ軍(現在のベトナム)との戦いの様子を彫刻してある。 第2回廊を抜けるとテラスになっていて仏顔を4面に刻んだ塔が建っている。 さらに上にあがると上部テラスへ、上部テラスの真ん中に中央祠堂、テラスの周囲に四面仏顔の塔が立ち並んでいる。 どこを見ても観世音菩薩の顔だらけ。 このバイヨン寺院もワットの寺院ほどではないがピラミッド型になっていて中央祠堂を中心にした建物は須弥山を、城壁はヒマラヤ連峰を、環濠は大洋を現している。 <br /><br />バイヨン寺院を出て王宮へ。 王宮の南の城壁の外にバプー・オン寺院がある。 「バプー・オン」には「隠し子」という意味があるそうだが… 11世紀後半ウダヤディティー・ヴァルマン2世によって建てられた仏教寺院。 5層になったピラミッド寺院は5層目がワットの寺院同様急峻な階段になっている。 崩壊を防ぐための修復がなされていた。 そのため5層目から上には立入禁止。 この寺院の珍しいのはそれ以外にも円柱で支えられた2階建てになった参道、空中参道を持っていること。 <br /><br />高さ5mの城壁に囲まれた王宮の中に入る。 王宮は10世紀頃建設されたらしい、が、木造建物だったらしく現在は残っていない。 ピミアナカス寺院は小さな寺院、王家の礼拝堂として建てられたらしいが、詳しいことは分かっていない。 この寺院もピラミッド状で中央祠堂には急峻な階段を登らねばならない。 ピミアナカスには逸話があって、それによれば、蛇精が女に姿を変え棲んでいて、王は毎夜蛇精と枕を交わさねばならなかった、一度でも怠ると王はたちまち死を迎え、国に災難が降りかかる、と伝えられている。 <br /><br />王宮の前面には300m以上にわたる象のテラスとその北端にライ王のテラス。 ライ王のテラスは王家の火葬場だったのではないかという説もあるが、その用途はわかっていない。 このテラスにかつて閻魔大王の彫像が上座していた。 この像が苔癬に覆われていたため原住民に逸話が生まれた。 王が僧侶を殺し、返り血を浴びてライ病(ハンセン病)になり、治療に駆けつけた若い修行僧に死を命じた後、病に苦しんで亡くなり、これ以後この病は不治の病になったというもの。 もうひとつは、王が大蛇と戦って大蛇を剣で断ち切ったところ返り血を浴び、このためハンセン病になったというもの。 いずれも王はアンコールに都を定めたヤショ・ヴァルマン1世といわれている。 三島由紀夫の戯曲「癩王のテラス」の元になった逸話。 象のテラスは3つの頭を持った象の彫像やさまざまな神の彫像で支えられている。 古くからあったテラスにジャヤ・ヴァルマン7世が新しいテラスを重ねた。 このテラスから王は軍隊の閲兵をしたり祭礼の様子を眺めたりしたらしい。<br /><br />例によって休憩の後、午後の観光へ。 まずはアンコール・トムの東1kmのところにあるタ・プロム寺院へ。 <br />ジャヤ・ヴァルマン7世により1186年に創建された東西1km、南北600mの敷地を持った仏教寺院、が、後のヒンドゥー教の寺院に改修されたらしい。 創建当時は僧侶5000人と踊り子600余人が住んでいたと伝えられている。 またこの寺院は王により創設された102の病院の管理センターでもあったらしい。 寺院が放棄されて以降寺院を巡る三重の回廊にはガジュマルの根が絡みつき、19世紀に西洋人が発見したときと同じような光景を残している。 遺跡は樹木の根によって崩壊が見られるが、あえて最小限の修復にとどめ現状を残している。 <br /><br />プリア・カン寺院もジャヤ・ヴァルマン7世によりアンコール・トムの北に建てられた寺院。 王がこの地でチャンバ軍を破ったことを記念して1191年に建てた。 「聖なる剣」あるいは「勝利した王家の紋章」の意があるらしい。 この寺院にもガジュマルの根が絡んでいる。 <br /><br />このツアーの最後はニャック・ポアン寺院。 バイヨン寺院の北東3kmくらいのところにあるこの寺院もジャヤ・ヴァルマン7世が12世紀後半に建てた仏教寺院。 王が貧富を問わず病人に観音菩薩の慈悲を与える目的で、ヒマラヤですべての病気を癒すといわれる聖湖アナヴァタプタを象ったといわれている。 貯水池の真ん中の人工の島に基壇を2匹のナーガが取り巻いて尾を絡み合わせ、池の周りに4つの樋嘴(仏教感における4つの偉大な川を現し、それぞれの出口は獅子の顔、馬の顔、象の顔、人間(本来は牛の頭)の顔)が置かれ、その口から聖水が出てくるというもの。 「ニャック・ポアン」とは「絡み合う蛇」の意。 <br /><br />これで観光は終わり。 お土産屋に寄った後、夕食(最後のクメール料理)、そしてシェム・リアップ空港へ。 空港のトイレで半袖シャツ、半ズボンから長袖シャツ、長ズボンに着替え(何しろ気温30度のところから10度のところへ戻る)、飛行機に搭乗。 ホー・チ・ミンのタン・ソン・ニェット空港でまたまた4時間待ち。 <br /><br />12月25日(木)<br />夜1時半にタン・ソン・ニェットを発って4時間半のフライトで福岡着朝8時。 <br /><br />お疲れ様。 <br /><br /><旅の雑感><br />?	以前からの念願であった「アンコール遺跡」を訪れることができた。 クメールの寺院はやはりすばらしいものだった。 9世紀から12〜3世紀にかけての絢爛たるクメール文化はヒンドゥー教と大乗仏教を具現するため見事な寺院建築とすばらしい彫刻も生み出した。 特に彫刻は、母体が砂岩ということもあって削りやすかったのだろうが、花や植物、動物、踊る神々(ヴィシュヌ神やアプサラなど)、庶民の人々など驚くほどの精緻さ。 今のも飛び出してきそう。 <br />?	寺院については所期のものを除いておおむねピラミッド型。 敷地周囲に環濠を配し、2重ないし3重の回廊を持ち、中の基壇の上に中央祠堂とその周囲に複数の祠堂を配してある。 寺院の環濠や周壁内の池は王のみが使うことのできる沐浴場もあるが灌漑用水や生活用水としての役割もあったようだ。 いずれにしろクメールは治水についてもかなり高度な技術があったといわれている。 寺院そのものがひとつの町を形成していたと考えてよさそうだ。 <br />?	アンコール寺院群についての謎は、これらの建造物が突然放棄され、クメールの民たちが忽然と消えてしまったこと。 700年もの栄華を誇った都から人々がいなくなる。 この地は古来からシャムやチャンバと争いを繰り返してきた地、他国の侵略によるとの説、民衆の反乱によるとの説、治水の失敗によるとの説などいろいろあるがまだ分かっていない。<br />そして1858年、フランスのアンリ・ムオーがアンコール遺跡を発見した。 正しくは西洋人が森の中でアンコール遺跡を始めて目にした。 現地人は遺跡のあることは知ってはいたが、その価値には気づかなかった。 そして保護・修復の手が差し伸べられたが、相次ぐ内戦やベトナムによる侵略により荒廃は一段と進んだ。 アンコールは戦場にすらなった。<br />?	アンコールの修復は日本、ドイツ、インドなどの協力により進められているが、砂岩で建てられた建物は風化が激しい。 ワットやトムでもなかなか修復が進んでいない。 タ・プロムのように樹木に絡まれた姿をそのまま残しているところもあるが樹木に絡まれ崩壊している遺跡もある。 樹木の根を切ったり、支柱を立てたりメインテナンスに努めているようだが急がないと、この貴重な遺産が失われることになる。 UNESCOのみならず我が国ももっと協力の手を差し伸べてはどうだろう。<br />?	この国は貧しい。 シェム・リアップは比較的良いほうらしいが、それでも平均年収は20〜30万円くらいだそうだ。 この町は建築ラッシュでスーパ・マーケットやマンションがあちこちで建設されている。 朝からバイクや自転車で建設現場に向かう人たち、内戦やたびたびの戦争で教育を受けていない人たちが多いとのこと。 それ以上に深刻なのは子供たち。 どの遺跡に行っても子供が絵葉書や本を買ってくれと付いてくる。 断っても断ってもしつこく付いてくる。 汚れたシャツに裸足、そして薄汚れた悲しそうな顔、学校にも行かず、行けず、年齢は5〜6歳から14〜5歳くらいまでの子。 相次ぐクーデターやポル・ポトによる虐殺、ベトナムの侵略などにより孤児になった子あるいは親の代わりに働かねばならない子。 運の良い子は学校に行ける。 学校は2部制、午前の組は7時から11時まで、午後の組は1時から5時まで、一応制服らしきシャツとスカートははいているが裸足。 裕福な子供たちの学校もあって、そこでは清潔な服を着て自転車に乗った子供たちが通っている。 この格差の大きさ。 いまだ絶えない地雷の被害も深刻だ。 遺跡の参道では5〜8人くらいのグループが楽器を演奏している。 ほとんどの人が足がない(地雷の被害者といっているが)、CDを売って生業としているとのこと。 われわれはもとより世界がもっと彼らを救うことに尽力すべきだろう。 最近の争いのほとんどは貧困に起因しているといっていい。 世界はもっと真剣に貧困との戦いに取り組むべきでは。 アジアに立する日本の役割はもっと大きい。 つまらない海上給油などに金を使うよりNGO、NPOを活用しアジアの国々にもっと手を差し伸べては。 <br />?	クメール料理は初めて食した。 前菜が出てスープ、次にご飯と本菜が3〜4種くらい、最後にデザートとお茶かコーヒー。 前菜は生野菜あるいはサラダ類(これを前菜とはいわないだろうが…)。 スープは野菜がたっぷり入っている、味はセロリのようなあるいはハーブ(何のハーブか分からないが)が入っているような少し変わった味、が、結構美味しい。 本菜には豚肉と野菜の炒め物、白身魚(パーチ(スズキ)か?)と野菜の炒めたものだったり餡かけだったり、時には牛肉だったりする。 味は薄味、やはりハーブの味が強い。 カンボジア料理は中華料理の影響が大きいそうだ。 もっと辛い料理かと思っていたが、薄味で比較的食べやすい。 <br /><br />完   了<br />

アンコール遺跡訪問 (3)

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2008/12/21 - 2008/12/25

7649位(同エリア8645件中)

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12

tetsu60さん

12月24日(水)
今日の午前はアンコール・トムへ。 アンコール・ワットの真北2kmのところにあるバイヨン寺院を中心とする都。 アンコール・トムとは「大きな都又は大きな町」の意。 その名前どおり一辺3km、周囲12km、巾130mの環濠に囲まれた都市。 トムはジャヤ・ヴァルマン7世が12世紀末に作った仏教信仰のクメール王朝最後の繁栄を極めた王国の都。 ジャヤ・ヴァルマン7世の時代がクメール朝の全盛期で武力によりタイ、ラオス、ベトナムを切り従えインドシナ半島の80〜90%を支配した。 そしてこのことがクメール王国の財政を破綻させ、国の衰退を引き起こした。 周壁には5つの門がしつらえられて、都の中心にバイヨン寺院、王宮があり、さらに王宮は周壁やテラスで囲まれ内外に寺院が配されている。 われわれは南大門から入る。 像に乗った観光客も結構いる。 環濠を渡る南大門までの参道には左側にナーガを引っ張る神々の像、右側には同じくアシュラ達の像が立ち並んでいる、乳海撹拌を模している。 高さ8mの周壁と繋がって南大門は高さ15mくらいの塔になっていて東西南北に仏の顔(高さ3m以上、幅はもう少し狭い)が刻まれている。 仏顔は観世音菩薩。 門をくぐると内側には3頭の象(3つの頭を持った象)の彫刻があった。 バイヨン寺院の前に日本のアンコール・トム修復支援の看板が立っていた。 寺院は東向き、東門から入ると第1回廊、この回廊にもレリーフがびっしり刻まれている。 アンコール・ワットと異なるのはここには庶民の生活の様子が刻まれていること。 市場、闘鶏、豚の丸焼き、出産、ビール造り等などの様子が生き生きと刻み込まれている。 もちろん戦いのレリーフもあるが、やはり市民の生活のレリーフは当時の現実を表しているだけに面白い。 レリーフの中に戦いに行くときに火を乗せた輿を運んでいる図があったが、拝火教の影響が少し入っているのでは… 第1回廊を抜けて階段を登り第2回廊へ、ここの壁にもレリーフ。 ただし、第1、2回廊ともレリーフはヒンドゥー教の神話やチャンバ軍(現在のベトナム)との戦いの様子を彫刻してある。 第2回廊を抜けるとテラスになっていて仏顔を4面に刻んだ塔が建っている。 さらに上にあがると上部テラスへ、上部テラスの真ん中に中央祠堂、テラスの周囲に四面仏顔の塔が立ち並んでいる。 どこを見ても観世音菩薩の顔だらけ。 このバイヨン寺院もワットの寺院ほどではないがピラミッド型になっていて中央祠堂を中心にした建物は須弥山を、城壁はヒマラヤ連峰を、環濠は大洋を現している。 

バイヨン寺院を出て王宮へ。 王宮の南の城壁の外にバプー・オン寺院がある。 「バプー・オン」には「隠し子」という意味があるそうだが… 11世紀後半ウダヤディティー・ヴァルマン2世によって建てられた仏教寺院。 5層になったピラミッド寺院は5層目がワットの寺院同様急峻な階段になっている。 崩壊を防ぐための修復がなされていた。 そのため5層目から上には立入禁止。 この寺院の珍しいのはそれ以外にも円柱で支えられた2階建てになった参道、空中参道を持っていること。 

高さ5mの城壁に囲まれた王宮の中に入る。 王宮は10世紀頃建設されたらしい、が、木造建物だったらしく現在は残っていない。 ピミアナカス寺院は小さな寺院、王家の礼拝堂として建てられたらしいが、詳しいことは分かっていない。 この寺院もピラミッド状で中央祠堂には急峻な階段を登らねばならない。 ピミアナカスには逸話があって、それによれば、蛇精が女に姿を変え棲んでいて、王は毎夜蛇精と枕を交わさねばならなかった、一度でも怠ると王はたちまち死を迎え、国に災難が降りかかる、と伝えられている。 

王宮の前面には300m以上にわたる象のテラスとその北端にライ王のテラス。 ライ王のテラスは王家の火葬場だったのではないかという説もあるが、その用途はわかっていない。 このテラスにかつて閻魔大王の彫像が上座していた。 この像が苔癬に覆われていたため原住民に逸話が生まれた。 王が僧侶を殺し、返り血を浴びてライ病(ハンセン病)になり、治療に駆けつけた若い修行僧に死を命じた後、病に苦しんで亡くなり、これ以後この病は不治の病になったというもの。 もうひとつは、王が大蛇と戦って大蛇を剣で断ち切ったところ返り血を浴び、このためハンセン病になったというもの。 いずれも王はアンコールに都を定めたヤショ・ヴァルマン1世といわれている。 三島由紀夫の戯曲「癩王のテラス」の元になった逸話。 象のテラスは3つの頭を持った象の彫像やさまざまな神の彫像で支えられている。 古くからあったテラスにジャヤ・ヴァルマン7世が新しいテラスを重ねた。 このテラスから王は軍隊の閲兵をしたり祭礼の様子を眺めたりしたらしい。

例によって休憩の後、午後の観光へ。 まずはアンコール・トムの東1kmのところにあるタ・プロム寺院へ。 
ジャヤ・ヴァルマン7世により1186年に創建された東西1km、南北600mの敷地を持った仏教寺院、が、後のヒンドゥー教の寺院に改修されたらしい。 創建当時は僧侶5000人と踊り子600余人が住んでいたと伝えられている。 またこの寺院は王により創設された102の病院の管理センターでもあったらしい。 寺院が放棄されて以降寺院を巡る三重の回廊にはガジュマルの根が絡みつき、19世紀に西洋人が発見したときと同じような光景を残している。 遺跡は樹木の根によって崩壊が見られるが、あえて最小限の修復にとどめ現状を残している。 

プリア・カン寺院もジャヤ・ヴァルマン7世によりアンコール・トムの北に建てられた寺院。 王がこの地でチャンバ軍を破ったことを記念して1191年に建てた。 「聖なる剣」あるいは「勝利した王家の紋章」の意があるらしい。 この寺院にもガジュマルの根が絡んでいる。 

このツアーの最後はニャック・ポアン寺院。 バイヨン寺院の北東3kmくらいのところにあるこの寺院もジャヤ・ヴァルマン7世が12世紀後半に建てた仏教寺院。 王が貧富を問わず病人に観音菩薩の慈悲を与える目的で、ヒマラヤですべての病気を癒すといわれる聖湖アナヴァタプタを象ったといわれている。 貯水池の真ん中の人工の島に基壇を2匹のナーガが取り巻いて尾を絡み合わせ、池の周りに4つの樋嘴(仏教感における4つの偉大な川を現し、それぞれの出口は獅子の顔、馬の顔、象の顔、人間(本来は牛の頭)の顔)が置かれ、その口から聖水が出てくるというもの。 「ニャック・ポアン」とは「絡み合う蛇」の意。 

これで観光は終わり。 お土産屋に寄った後、夕食(最後のクメール料理)、そしてシェム・リアップ空港へ。 空港のトイレで半袖シャツ、半ズボンから長袖シャツ、長ズボンに着替え(何しろ気温30度のところから10度のところへ戻る)、飛行機に搭乗。 ホー・チ・ミンのタン・ソン・ニェット空港でまたまた4時間待ち。 

12月25日(木)
夜1時半にタン・ソン・ニェットを発って4時間半のフライトで福岡着朝8時。 

お疲れ様。 

<旅の雑感>
? 以前からの念願であった「アンコール遺跡」を訪れることができた。 クメールの寺院はやはりすばらしいものだった。 9世紀から12〜3世紀にかけての絢爛たるクメール文化はヒンドゥー教と大乗仏教を具現するため見事な寺院建築とすばらしい彫刻も生み出した。 特に彫刻は、母体が砂岩ということもあって削りやすかったのだろうが、花や植物、動物、踊る神々(ヴィシュヌ神やアプサラなど)、庶民の人々など驚くほどの精緻さ。 今のも飛び出してきそう。 
? 寺院については所期のものを除いておおむねピラミッド型。 敷地周囲に環濠を配し、2重ないし3重の回廊を持ち、中の基壇の上に中央祠堂とその周囲に複数の祠堂を配してある。 寺院の環濠や周壁内の池は王のみが使うことのできる沐浴場もあるが灌漑用水や生活用水としての役割もあったようだ。 いずれにしろクメールは治水についてもかなり高度な技術があったといわれている。 寺院そのものがひとつの町を形成していたと考えてよさそうだ。 
? アンコール寺院群についての謎は、これらの建造物が突然放棄され、クメールの民たちが忽然と消えてしまったこと。 700年もの栄華を誇った都から人々がいなくなる。 この地は古来からシャムやチャンバと争いを繰り返してきた地、他国の侵略によるとの説、民衆の反乱によるとの説、治水の失敗によるとの説などいろいろあるがまだ分かっていない。
そして1858年、フランスのアンリ・ムオーがアンコール遺跡を発見した。 正しくは西洋人が森の中でアンコール遺跡を始めて目にした。 現地人は遺跡のあることは知ってはいたが、その価値には気づかなかった。 そして保護・修復の手が差し伸べられたが、相次ぐ内戦やベトナムによる侵略により荒廃は一段と進んだ。 アンコールは戦場にすらなった。
? アンコールの修復は日本、ドイツ、インドなどの協力により進められているが、砂岩で建てられた建物は風化が激しい。 ワットやトムでもなかなか修復が進んでいない。 タ・プロムのように樹木に絡まれた姿をそのまま残しているところもあるが樹木に絡まれ崩壊している遺跡もある。 樹木の根を切ったり、支柱を立てたりメインテナンスに努めているようだが急がないと、この貴重な遺産が失われることになる。 UNESCOのみならず我が国ももっと協力の手を差し伸べてはどうだろう。
? この国は貧しい。 シェム・リアップは比較的良いほうらしいが、それでも平均年収は20〜30万円くらいだそうだ。 この町は建築ラッシュでスーパ・マーケットやマンションがあちこちで建設されている。 朝からバイクや自転車で建設現場に向かう人たち、内戦やたびたびの戦争で教育を受けていない人たちが多いとのこと。 それ以上に深刻なのは子供たち。 どの遺跡に行っても子供が絵葉書や本を買ってくれと付いてくる。 断っても断ってもしつこく付いてくる。 汚れたシャツに裸足、そして薄汚れた悲しそうな顔、学校にも行かず、行けず、年齢は5〜6歳から14〜5歳くらいまでの子。 相次ぐクーデターやポル・ポトによる虐殺、ベトナムの侵略などにより孤児になった子あるいは親の代わりに働かねばならない子。 運の良い子は学校に行ける。 学校は2部制、午前の組は7時から11時まで、午後の組は1時から5時まで、一応制服らしきシャツとスカートははいているが裸足。 裕福な子供たちの学校もあって、そこでは清潔な服を着て自転車に乗った子供たちが通っている。 この格差の大きさ。 いまだ絶えない地雷の被害も深刻だ。 遺跡の参道では5〜8人くらいのグループが楽器を演奏している。 ほとんどの人が足がない(地雷の被害者といっているが)、CDを売って生業としているとのこと。 われわれはもとより世界がもっと彼らを救うことに尽力すべきだろう。 最近の争いのほとんどは貧困に起因しているといっていい。 世界はもっと真剣に貧困との戦いに取り組むべきでは。 アジアに立する日本の役割はもっと大きい。 つまらない海上給油などに金を使うよりNGO、NPOを活用しアジアの国々にもっと手を差し伸べては。 
? クメール料理は初めて食した。 前菜が出てスープ、次にご飯と本菜が3〜4種くらい、最後にデザートとお茶かコーヒー。 前菜は生野菜あるいはサラダ類(これを前菜とはいわないだろうが…)。 スープは野菜がたっぷり入っている、味はセロリのようなあるいはハーブ(何のハーブか分からないが)が入っているような少し変わった味、が、結構美味しい。 本菜には豚肉と野菜の炒め物、白身魚(パーチ(スズキ)か?)と野菜の炒めたものだったり餡かけだったり、時には牛肉だったりする。 味は薄味、やはりハーブの味が強い。 カンボジア料理は中華料理の影響が大きいそうだ。 もっと辛い料理かと思っていたが、薄味で比較的食べやすい。 

完   了

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
観光バス
航空会社
ベトナム航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • アンコール・トム、南大門

    アンコール・トム、南大門

  • アンコール・トム、バイヨン寺院

    アンコール・トム、バイヨン寺院

  • アンコール・トム、寺院の壁のレリーフ

    アンコール・トム、寺院の壁のレリーフ

  • アンコール・トム、寺院の壁のレリーフ

    アンコール・トム、寺院の壁のレリーフ

  • アンコール・トム、バイヨン寺院の四面仏塔

    アンコール・トム、バイヨン寺院の四面仏塔

  • アンコール・トム、バプー・オン寺院

    アンコール・トム、バプー・オン寺院

  • アンコール・トム、ピミアナカス寺院

    アンコール・トム、ピミアナカス寺院

  • アンコール・トム、王のテラスの像

    アンコール・トム、王のテラスの像

  • アンコール・トム、像のテラス

    アンコール・トム、像のテラス

  • タ・プロム寺院、ガジュマルの根に覆われた回廊

    タ・プロム寺院、ガジュマルの根に覆われた回廊

  • プリア・カン寺院

    プリア・カン寺院

  • ニャック・ポアン寺院

    ニャック・ポアン寺院

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