2009/01/10 - 2009/01/10
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belleduneさん
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妙心寺から大徳寺へやって来ました。
臨済宗大徳寺派の本山。豊臣秀吉がここで信長の葬儀を行ない、伽藍の充実に寄与したそうです。
境内西外れに小堀遠州ゆかりの非公開の狐篷庵がある。伊東にある大徳寺聚光院別院へ行ったことがあるので、ここの聚光院も見たいのですが、2,3年前に公開拝観したそうなので、当分見られそうにありません。
興臨院と高桐院を拝観してきました。
妙心寺が「算盤づら」に対して、大徳寺は、「茶づら」と言われています。
茶の湯隆盛の舞台となった大徳寺では、常に茶会が催されたので、こう呼ばれる由縁である。
現在もすべての塔頭に茶室があります。
侘びを重んじる千利休が、秀吉と立場や理念が異なり、確執が生じたため、利休は、自分の木造を大徳寺山門楼上に置いたため、怒った秀吉は、切腹を命じた。塔頭の聚光院に利休や表千家、裏千家の墓がある。
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大徳寺の興臨院へ初めて拝観しました。
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足利時代後柏原天皇の太永年中(1520)畠山左衛門佐義総によって建立された。
以後、武将の名門である畠山家の菩提寺となっている。 -
方丈庭園は、昔中国の寒山・拾得が生活していた天台山の国清寺の石橋を模倣し、大石、松をあしらって、理想的な蓬莱の世界を表現してます。
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蘇東坡の詩から名付けられた涵虚亭。
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高桐院。
細川幽斎公の長子忠興三斎公によって慶長6年(1601)に建立された。
三斎公は、智将でありながら、利休七哲の一人で茶道の奥義を究め、また歌道も嗜むなど文武両道に秀でた哲理の人であったそうです。 -
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表門から鍵の手に唐門を望む自然石の敷石道が続く。
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名茶席 松向軒
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庭園も趣深いものでした。
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墓所へ行く門
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三斎公、ガラシャ夫人の墓石は、生前愛好した石灯籠が使われています。鎌倉時代の灯籠墓石は、もと利休の秘蔵のものだったが、秀吉と三斎公の両方から請われたため、わざと裏面を欠いて秀吉の請けを退けたという。
利休が割腹した後、改めて三斎公に遺贈されたもので、無双という銘を持ち、別名「欠灯籠」とも言われています。
更に、蕨手、灯口、横が欠けているのは、完全を忌む三斎公自身が欠いたとも言われているそうです。 -
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茶室鳳来か?
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客殿南のお庭は、楓樹がを主とした野趣に富んだものとなっています。
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お部屋内部から見た南庭。
四季によって、異なる風情が楽しめるお庭だと思いました。 -
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