2008/12/16 - 2008/12/16
157位(同エリア187件中)
早島 潮さん
種子島の最南端門倉岬を見学した。鉄砲伝来の地として有名な所である。鉄砲伝来の記念碑が幾つか建っている。
日本への鉄砲伝来にはついてガイドは次のように説明した。
1543年にこの地へ漂着したポルトガル船に乗っていた牟良叔舎(ムラシュクシャ)が鉄砲を所持しており、鉄砲の実演を見学した島の領主の種子島恵時・時尭親子が2丁を買い受けた。
帰宅後調べてみると鉄砲伝来については諸説あることを知った。
鉄砲伝来について参考になるもののURLは以下の通り。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/yasuaki/misc/cult/cult23.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E7%A0%B2%E4%BC%9D%E6%9D%A5
http://www.city.nishinoomote.kagoshima.jp/kanko_org/denrai/denrai.htm
また鉄砲にまつわる若狭姫の物語をガイドがしてくれたが、入手した Japan Air Commuterのパンフレットに要領よく纏められていたので以下に引用しておく。
以下全て引用である。
・日も月も大和の方ぞなつかしき 我が二親のあると思えば
ポルトガル人に嫁いだ若狭姫が異郷の地で詠んだ望郷の歌とされている。
1543年、種子島にポルトガル船が漂着した。持っていた鉄砲の威力を見せつけられた16歳の若き14代島主の種子島時尭は刀鍛冶の八板金兵衛たちに国産銃の製作を厳命する。しかし、銃創のネジの部分がうまくいかず、その技術の譲渡を受けるために金兵衛の娘若狭姫はポルトガル人と結婚する。鉄砲開発のための政略結婚であった。
父、そして島主のために身を捨てた若狭姫。願いの成就は別にしてもこうした捨て身の行為が新しい時代を切り開き、歴史を動かして行く導火線になるのだ。
九州ライターズクラブ香月俊一郎
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- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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