2008/10/23 - 2008/10/23
1993位(同エリア4361件中)
一歩人さん
また、来てしまいました。浅草寺。
本日の目的は、仲見世通りを通るたびに、
幼稚園児でにぎわっていた、伝法院前。
立ち入り禁止をいつも眺めながら、
是非一度、拝観したいといつも思って
いました。
念願かなって、公開との情報で、
一目散に!歴史的、旅行記となりますやら。
はじまり、はじまり。
ホームペイジによると、
伝法院は浅草寺の院号で、住職の居住する本坊の称号に用いられている
建物の背後には、大泉池を中心とする廻遊式庭園があり、江戸時代初期の
築造といわれ、池畔には、至徳4年(1387年)在銘の梵鐘や京都表千家の
不審庵を模した茶室天祐庵がある(非公開である)。
伝法院は一般に非公開であるが、昭和32年11月13日、久保田万太郎
文化勲章受章祝賀会が伝法院で開催された。
また昭和33年5月4日には『鶴』復刊5周年記念大会が伝法院で開催されている。
と。
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- JRローカル
-
01 五重の塔を望む1
庭園入り口で、五重の塔を望む。
入って、すぐ。緊張する一瞬。
これおより、先、通行止の立て札。 -
02 五重の塔を望む2
庭園入り口で、五重の塔を望む。
携帯写真で、上を撮る来園者あり。
絶景スポットか。 -
03 経が島を望む1
経が島とは、一字一石の写経が埋められた、
清浄なる聖域の地であり、浅草寺中興第一の
忠豪上人の墓塔や板碑壁がある。と。
写真は、板碑壁の模様。 -
04 経が島を望む2
周りを池が囲んでおり、石橋の入り口です。
聖域への入り口となっております。
世俗の私には、渡れません。 -
05 経が島を望む3
やはり、五重の塔を入れ見ました。
周りの木々で池に静寂が走ります。 -
06 大書院を望む1
明治4年(1871年)再建された、浅草寺
本坊伝法院の書院の一つ。
上の間、中の間、下の間に分かれる。
江戸時代、浅草寺は法親王様のご兼寺であり、
住職法親王様ご来寺の際には、大書院上の
間にてご休憩なされた。と。 -
07 大書院を望む2
上の間、神々しい雰囲気を感じました。 -
08 大書院を望む3
中の間、庭園との階段があります。 -
09 大書院を望む4
下の間、向かい側に障子が見えます。 -
10 法坊伝法院を望む1
浅草寺の法坊。当山僧侶ならびにご信徒の回向・修行
道場である。
「大玄関」、「客殿」は、安永6年(1777年)建築。
「大書院」は、明治4年(1871年)の建築。
そして、「貫首(かんす)御居間」を総称して、
「伝法院」と呼ぶ。
はじめは、「観音院」などと称していたが、元禄3年
(1690年)に、
中興第四世宣存(せんぞん)僧正の坊号をとって、
「伝法院」となった。と。 -
11 法坊伝法院を望む2
明治初年(1868年)、神仏分離令の出た折、
本堂裏にあった熊谷稲荷社が廃社され、その塚を
崩した際に出土した石棺(せつかん)。と。
浅草の地が、ご本尊ご示現(じげん)以前の
古墳時代に、すでに豪族が住み、早くから
開かれた土地であった。と。 -
12 法坊伝法院を望む3
もう一度、今度は、右方向から。
とても、落ち着いた雰囲気でした。 -
13 大書院を望む5
やはり、五重の塔を入れました。
京に居るみたくない!?
京都に叱られるかしら? -
14 庭園に広がる池
園内で一番、小高い丘に上がりました。
素晴らしい回遊式庭園。 -
15 天祐庵を望む1
天明年間(1781〜89年)に、名古屋の
茶人牧野作兵衛(まきのさくべい)によって
表千家宗左邸内の不審庵(安土桃山時代に
千利休によって造られた)を模して建てられた
もので、その実体を伝えている点で、最古。と。 -
16 天祐庵を望む2
戦後、五島慶太翁と浅草寺婦人会の尽力により
奉納移築された。と。
おしまい。
この先、50年以上、公開されないのではと、
来園者の弁。私もそう感じました。
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