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 18歳で日本軍に招集された僕の父親は陸軍上等兵としてハルピンへ<br />赴任したという。「ハルピンはいいところだ。地平線の向こうからデカイ<br />太陽がゆっくりと登り、地平線の彼方へゆっくりと沈んでいくんだ。」<br />よくそう言う話をしていた。過酷で辛いだけのオヤジの青春時代の中で<br />ハルピンの風景だけは美しく心に残っていたのかもしれない。ハルピン<br />に一度いってみたい、そう思っていた。<br /><br /> 「満州」という言葉は、日本のある時代の人には特別な響きをもってい<br />るらしい。戦後生まれの僕には具体的に想像がつかなかった。最近にな<br />って明治維新以後の日本の歩みをいくらか知るようになり、児玉源太郎、<br />甘粕正彦、石原完爾、後藤新平、彼等のことを具体的に本で読むと、<br />「満州」という夢、虚構、そんな姿がイメージ出来るようになってきた。<br />満州へ行こう!仕事の空いた4日間、突然ハルピン行きを決めた。<br /><br /> ハルピンは新潟空港から直行便で2時間、あっという間に着くって感じ<br />だ。空港からハルピン市内まで、タクシーの窓から街並みを眺める。中<br />国の他の都市とほとんど変わらない街並みが続いていた。ホテルにチェ<br />ックインをすませ市の中心部をみてまわると、ハルピンの特殊な歴史を<br />表しているような街並みが眼に飛び込んでくる。ここはロシア人が開拓<br />した街だった。ロシアのどこかの街かと思えるほどロシアンバロックの<br />建物が建ち並んでいる。この雰囲気が広告かなんかでうまく伝われば、<br />異国情緒が好きな旅行者にとっては、上海やマカオよりもずっと魅力的<br />に映るにちがいない。<br /><br /> 次の日の朝、長春行きの特急列車に乗った。ハルピンから長春まで<br />3時間ほどだ。列車の窓からは、地平線まで続くトウモロコシ畑が延々<br />と、それこそ延々と続いている。満州開拓団として多くの日本人が<br />この地に入植したという。この広大で茫洋と荒涼とした大地と日本人<br />というイメージが結びつかない。<br /><br /> 長春の駅前は恐ろしい人の群れだ。中国の大都市の駅前はどこも<br />こうだったけど、ここは恐ろしいという言葉通りの人の群れだ。人の波を<br />かき分けるようにして、やっとタクシーをひろい、かつて満州国政府の<br />庁舎があった所へ行く。そのあたり一帯に、その時代の数々の建物が<br />残っている。「帝冠様式!」一つ一つの建築の意匠はそれぞれ違って<br />いても、僕の眼には全てが「帝冠様式」そのものでしかなかった。<br />”醜いなー”素直な印象だ。この醜さは満州国という国家の裏に潜んで<br />いた”欺瞞”がそのまま表れたように思えた。<br /><br /> 夕食を中国東北地方の郷土料理の店で食べることにした。民家を<br />改装した店の中は、居心地のいいとても魅力的な空間だ。ビュッフェ<br />スタイルの料理を幾つか食べていると、<br />「東北料理は野蛮に食べるのがいいんですよ」<br />とウェートレスが教えてくれた。骨付き肉を手でつかみガブッと囓る。<br />「うまい!」<br /><br /> 夜行の寝台列車でハルピンにむかった。列車の中は旅行気分の<br />中国の人達でにぎわっていた。向かいの寝台の老人が寝支度を<br />すませたあと、僕に聞いた。<br />「どこの省から来たんだい?」<br />「私は中国人ではありません、日本人です。」<br />「えっ?日本人?、そうか、、、。」<br />そう言ったきり黙った。<br /><br /> 次の日の朝は雨が降りそうな曇り空だった。ハルピンには731記念館<br />がある。日本陸軍の731部隊が細菌事件をした建物を残している。オヤ<br />ジは731部隊のことを聞いたとき、そんな部隊があることも知らなかっ<br />たと言った。しかし、日本陸軍上等兵としてハルピンに駐屯していたん<br />だから、オヤジがいたのはそのあたりなんだろう。そう思って731記念館<br />へ行くことにした。<br /><br /> タクシーの運転手は”日本人であんな記念館へ行くのは、おかしいよ”<br />と言いながら、しきりに不思議がっていた。記念館には僕と同じように<br />一人で来ていた”おかしい”日本人がもう一人いた。眼と眼であいさつを<br />した。<br />「最近テレビの特集でここの事を知って、来てみたくなったんです。」<br />展示物を観ながら、彼が話しかけてきた。軽く相づちを打って、急いで<br />展示物を見て回り、中庭に出た。僕はオヤジがみていただろう、彼の<br />青春の原風景をみたかったんだ。<br />”このあたりだったんだろうか、オヤジがいたのは、、、”<br />曇り空から雨が落ちてきた。やけに感傷的になってしまった。<br />あしたはもう日本へ帰るんだ、ハルピンを見て回ろう、そう思い直して<br />街の中心に戻り、あちこち歩き回った。<br /><br /> 人でにぎわうデパートや市場を見て回っているうちに、僕はウェスト<br />バッグのファスナーが開けられている事に気がついた。”しまった!”<br />もっともウェストバッグにはそれほど大切な物は入っていないけれど<br />デジカメが盗られている。”しかたないか、ちょっと感傷的になった<br />おかげで、注意するのを忘れていたんだ。”あちこち撮り歩いた写真<br />は全部なくなってしまった。<br />

満州感傷旅行

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2007/10/10 - 2007/10/13

148位(同エリア161件中)

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birdland

birdlandさん

 18歳で日本軍に招集された僕の父親は陸軍上等兵としてハルピンへ
赴任したという。「ハルピンはいいところだ。地平線の向こうからデカイ
太陽がゆっくりと登り、地平線の彼方へゆっくりと沈んでいくんだ。」
よくそう言う話をしていた。過酷で辛いだけのオヤジの青春時代の中で
ハルピンの風景だけは美しく心に残っていたのかもしれない。ハルピン
に一度いってみたい、そう思っていた。

 「満州」という言葉は、日本のある時代の人には特別な響きをもってい
るらしい。戦後生まれの僕には具体的に想像がつかなかった。最近にな
って明治維新以後の日本の歩みをいくらか知るようになり、児玉源太郎、
甘粕正彦、石原完爾、後藤新平、彼等のことを具体的に本で読むと、
「満州」という夢、虚構、そんな姿がイメージ出来るようになってきた。
満州へ行こう!仕事の空いた4日間、突然ハルピン行きを決めた。

 ハルピンは新潟空港から直行便で2時間、あっという間に着くって感じ
だ。空港からハルピン市内まで、タクシーの窓から街並みを眺める。中
国の他の都市とほとんど変わらない街並みが続いていた。ホテルにチェ
ックインをすませ市の中心部をみてまわると、ハルピンの特殊な歴史を
表しているような街並みが眼に飛び込んでくる。ここはロシア人が開拓
した街だった。ロシアのどこかの街かと思えるほどロシアンバロックの
建物が建ち並んでいる。この雰囲気が広告かなんかでうまく伝われば、
異国情緒が好きな旅行者にとっては、上海やマカオよりもずっと魅力的
に映るにちがいない。

 次の日の朝、長春行きの特急列車に乗った。ハルピンから長春まで
3時間ほどだ。列車の窓からは、地平線まで続くトウモロコシ畑が延々
と、それこそ延々と続いている。満州開拓団として多くの日本人が
この地に入植したという。この広大で茫洋と荒涼とした大地と日本人
というイメージが結びつかない。

 長春の駅前は恐ろしい人の群れだ。中国の大都市の駅前はどこも
こうだったけど、ここは恐ろしいという言葉通りの人の群れだ。人の波を
かき分けるようにして、やっとタクシーをひろい、かつて満州国政府の
庁舎があった所へ行く。そのあたり一帯に、その時代の数々の建物が
残っている。「帝冠様式!」一つ一つの建築の意匠はそれぞれ違って
いても、僕の眼には全てが「帝冠様式」そのものでしかなかった。
”醜いなー”素直な印象だ。この醜さは満州国という国家の裏に潜んで
いた”欺瞞”がそのまま表れたように思えた。

 夕食を中国東北地方の郷土料理の店で食べることにした。民家を
改装した店の中は、居心地のいいとても魅力的な空間だ。ビュッフェ
スタイルの料理を幾つか食べていると、
「東北料理は野蛮に食べるのがいいんですよ」
とウェートレスが教えてくれた。骨付き肉を手でつかみガブッと囓る。
「うまい!」

 夜行の寝台列車でハルピンにむかった。列車の中は旅行気分の
中国の人達でにぎわっていた。向かいの寝台の老人が寝支度を
すませたあと、僕に聞いた。
「どこの省から来たんだい?」
「私は中国人ではありません、日本人です。」
「えっ?日本人?、そうか、、、。」
そう言ったきり黙った。

 次の日の朝は雨が降りそうな曇り空だった。ハルピンには731記念館
がある。日本陸軍の731部隊が細菌事件をした建物を残している。オヤ
ジは731部隊のことを聞いたとき、そんな部隊があることも知らなかっ
たと言った。しかし、日本陸軍上等兵としてハルピンに駐屯していたん
だから、オヤジがいたのはそのあたりなんだろう。そう思って731記念館
へ行くことにした。

 タクシーの運転手は”日本人であんな記念館へ行くのは、おかしいよ”
と言いながら、しきりに不思議がっていた。記念館には僕と同じように
一人で来ていた”おかしい”日本人がもう一人いた。眼と眼であいさつを
した。
「最近テレビの特集でここの事を知って、来てみたくなったんです。」
展示物を観ながら、彼が話しかけてきた。軽く相づちを打って、急いで
展示物を見て回り、中庭に出た。僕はオヤジがみていただろう、彼の
青春の原風景をみたかったんだ。
”このあたりだったんだろうか、オヤジがいたのは、、、”
曇り空から雨が落ちてきた。やけに感傷的になってしまった。
あしたはもう日本へ帰るんだ、ハルピンを見て回ろう、そう思い直して
街の中心に戻り、あちこち歩き回った。

 人でにぎわうデパートや市場を見て回っているうちに、僕はウェスト
バッグのファスナーが開けられている事に気がついた。”しまった!”
もっともウェストバッグにはそれほど大切な物は入っていないけれど
デジカメが盗られている。”しかたないか、ちょっと感傷的になった
おかげで、注意するのを忘れていたんだ。”あちこち撮り歩いた写真
は全部なくなってしまった。

同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
航空会社
大韓航空

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