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学校の歴史の授業には興味が持てなかったけど、大人になってから<br />歴史の本を読むのが好きになった。だから西安や北京に行くのは、<br />ある意味、夢だった。紫禁城や万里の長城をこの眼で観てみたい。<br />さて、いざ実際にそこに立ってみると、感動はなぜか薄い。既視感<br />がそうさせたのかもしれない。北京で感動した事は、もっと別なこ<br />とだった。<br /><br />中国の他の都市と同じく、北京の第一印象も貧富の差の激しさだった。<br />黒光りするベンツの脇を、錆び付いて壊れそうなリヤカーに家族を乗<br />せて、オヤジが走る。その脇を僕はレンタル自転車で走った。<br /><br />ホテルで借りたレンタル自転車はチェーンが錆び付いていた。借りる<br />ときに気がついたけど、何も言わなかったのがマズかった。1時間く<br />らい走るとチェーンが切れた。&quot;マイッタなぁー&quot;途方にくれていると、<br />路上にたむろしているオッサン達がデカイ声しながら寄ってくる。<br />&quot;モンダイナイ、スグナオル、スグソコニ、自転車修理屋ガアル&quot;という<br />ような事を言っている。彼等が指さす方向へ自転車を引いていくと、<br />路上の靴磨きのような自転車修理のオッサンが座っている。<br />&quot;こんなの2元(30円)で直るけど、このチェーンは替えないとダメだ、<br />替えると30元(700円)かかる。&quot;と言っているようだ。<br />&quot;OK&quot;と言うと、またたく間にチェーンを替え、他の所を入念に直した。<br />その職人技に感動しちまった。<br /><br />北京に来てから、薄汚れた服着て路上にたむろしているオッサン達に<br />違和感を覚えていたけど、この事があってから、急に親近感を持つよう<br />になった。あのオッサン達は僕が小さい頃のステテコ姿が板についた<br />日本のオッサン達とおんなじだ。身なりはきたなくて無礼だけど、<br />ヤサシサはあふれている。こんな事で北京は僕にとってすごく近い<br />魅力いっぱいの街になったのだ。<br /><br />ホテルに帰った時、自転車のクレームをつけた。返答は予期していた<br />とおりのものだった。<br />&quot;借りる時にこの紙に書いてある事だ。責任はそっちにある&quot; <br />フロントマネージャーの女は英語を流暢に話すイジワルそうな顔した<br />女だった。路上のオッサン達とはぜんぜん違う。どこへ行ってもこう<br />なんだ、ハイソなヤツには鼻持ちならんヤツが多い。デカイ声で英語<br />で叫んでやった<br />&quot;I am not asking for the money. I am asking for your honesty<br /> and kindness&quot;<br />まわりの欧米人達の視線をいっせいにあびたためか、ハイソ女は恥ずか<br />しそうに笑っただけだった。<br /><br />次の日からはホテルじゃない路上のレンタル自転車を使った。人民服<br />を着た店のオバンは、きびしい顔をしているけど、いざ接してみると、<br />路上のオッサン達と同じ対応だ。ヤサシイ。カゴに鞄を入れるのは<br />これじゃ危ない、と入れ直してくれたりする。自転車はレンタル料が<br />安い上に、ショックアブソーバーが付いた新車だ。<br /><br />新車の自転車で、姿を消しつつある北京の胡同地区を走り回った。ここ<br />は僕が育った街と同じだ。狭い路地に個人の食堂や商店があり、床屋が<br />あり、ジイサン、バアサン達は路地のあちこちで立ち話をしていたり<br />孫を抱いて自慢していたり、けんかをしているような事もあった。<br />つまり生きた街だ。そこここに僕が観たかった四合院が残っている。<br />感動した。人が都市に住む住み方の、理想のような気がした。<br /><br />胡同とは日本語にすれば路地って事だろうと思う。紫禁城のまわりは<br />かつては胡同に囲まれ、オッサンやオバサン達が、互いに助け合って<br />住んでいたんだろう。いま中国政府は胡同を壊し、ここのオッサン、<br />オバサン達を郊外のアパートへ強制移動させているという。<br />ここのオッサン、オバサン達が高層アパートへ行ったらどうなるんだ?<br />悲しくなった。<br /><br />胡同地区の中に、内装だけ綺麗に改装した小さなcafeがあった。<br />マスターは垢抜けているが、ハイソ女みたいじゃなくていい感じだっ<br />た。美式珈琲(アメリカン)を飲みながら話した。カナダのヴァンクー<br />ヴァーの大学に留学していたという。どうりで笑顔が現代っぽい。<br />胡同に感動した話しをして、現在の北京の味気なく、ナンデモアリの<br />再開発について話した。一部の残された胡同の保存を中国政府は決め<br />たらしい。でも、保存の仕方にもいろいろ問題があると言っていた。<br />&quot;あなたみたいな人にがんばってほしい&quot;<br />と言うと、静かに笑った。僕を台湾人か香港人だと思ったらしい。<br />&quot;日本人だ&quot;と言うとびっくりしていた。<br /><br />胡同地区の中には、前海と后海と呼ばれる小さな湖が二つある。その<br />まわりは散歩路になっていて、オッサン達は昼からそこで将棋をしたり<br />オバサン交えて麻雀をしたりしている。<br />&quot;のどかだなぁー、&quot;<br />そんな湖の対岸は古い建物を改装したパブ-レストランが立ち並んでい<br />て、ウォーターフロントが全てオープンテラスになっている魅力的な<br />場所があった。<br /><br />夜はそこでいろんな料理を食べ、pubでしこたま飲んだ。ある晩、雲南<br />料理とワインで酔っぱらって、隣のメキシカンpubで南米人達の完璧な<br />ライブ演奏を聴きながら、酩酊しちまった。タクシーに乗って帰る時、<br />貴重品が全て入っているポーチを忘れている事に気がついた。<br />&quot;ヤバイ!そうはいってもここは中国だ。現金、日本円、パスポートが入<br />ったポーチが、安全に保管される事はないだろう&quot;<br />そう思って引き返してみると、雲南料理の店の、少数民族の衣装をた、<br />マジにチョーかわいらしい少女が笑顔でポーチを預かっておいてくれた。<br />人を信用できない自分が恥ずかしくなった。<br />&quot;謝々&quot;をくり返すと<br />&quot;ダイジョウブ、マタキテネ、ハンサムさん&quot;と言うような事を言って<br />いた、と思う。<br /><br />いま北京では欧米や日本の有名建築家が設計した奇抜な建物であふれ、<br />街は世界中から、また中国国内からの旅行者がいっぱいで、ゴッタニ<br />状態だった。しかし考えてみれば、はるかの昔から、北京や西安のよう<br />な都市はこういう国際都市だったのだ。世界中から人や物が集まって<br />くる街だった。だから北京の人々の中には、無意識にしろそういった<br />国際感覚みたいなものが脈々と受け継がれてきているのだろう。<br />新しいものや見知らぬ人を受け入れる受け入れ方が、ごく自然だ。<br />そういえば&quot;外国人&quot;って言う言葉を北京で聞いたことがなかった。<br />日本人は日本からきた人。香港人は香港から来た人。美国人はアメリカ<br />からきた人。そういう形で呼ばれていた。<br />日本の文化がどんなに国際的に発展したとしても、&quot;外国人&quot;って言う<br />言葉が飛び交っているうちは、北京の人々のような国際感覚からは、<br />遠いのかもしれない。<br /><br /><br /><br />

北京で考えた事

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2006/10/08 - 2006/10/12

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birdland

birdlandさん

学校の歴史の授業には興味が持てなかったけど、大人になってから
歴史の本を読むのが好きになった。だから西安や北京に行くのは、
ある意味、夢だった。紫禁城や万里の長城をこの眼で観てみたい。
さて、いざ実際にそこに立ってみると、感動はなぜか薄い。既視感
がそうさせたのかもしれない。北京で感動した事は、もっと別なこ
とだった。

中国の他の都市と同じく、北京の第一印象も貧富の差の激しさだった。
黒光りするベンツの脇を、錆び付いて壊れそうなリヤカーに家族を乗
せて、オヤジが走る。その脇を僕はレンタル自転車で走った。

ホテルで借りたレンタル自転車はチェーンが錆び付いていた。借りる
ときに気がついたけど、何も言わなかったのがマズかった。1時間く
らい走るとチェーンが切れた。"マイッタなぁー"途方にくれていると、
路上にたむろしているオッサン達がデカイ声しながら寄ってくる。
"モンダイナイ、スグナオル、スグソコニ、自転車修理屋ガアル"という
ような事を言っている。彼等が指さす方向へ自転車を引いていくと、
路上の靴磨きのような自転車修理のオッサンが座っている。
"こんなの2元(30円)で直るけど、このチェーンは替えないとダメだ、
替えると30元(700円)かかる。"と言っているようだ。
"OK"と言うと、またたく間にチェーンを替え、他の所を入念に直した。
その職人技に感動しちまった。

北京に来てから、薄汚れた服着て路上にたむろしているオッサン達に
違和感を覚えていたけど、この事があってから、急に親近感を持つよう
になった。あのオッサン達は僕が小さい頃のステテコ姿が板についた
日本のオッサン達とおんなじだ。身なりはきたなくて無礼だけど、
ヤサシサはあふれている。こんな事で北京は僕にとってすごく近い
魅力いっぱいの街になったのだ。

ホテルに帰った時、自転車のクレームをつけた。返答は予期していた
とおりのものだった。
"借りる時にこの紙に書いてある事だ。責任はそっちにある"
フロントマネージャーの女は英語を流暢に話すイジワルそうな顔した
女だった。路上のオッサン達とはぜんぜん違う。どこへ行ってもこう
なんだ、ハイソなヤツには鼻持ちならんヤツが多い。デカイ声で英語
で叫んでやった
"I am not asking for the money. I am asking for your honesty
and kindness"
まわりの欧米人達の視線をいっせいにあびたためか、ハイソ女は恥ずか
しそうに笑っただけだった。

次の日からはホテルじゃない路上のレンタル自転車を使った。人民服
を着た店のオバンは、きびしい顔をしているけど、いざ接してみると、
路上のオッサン達と同じ対応だ。ヤサシイ。カゴに鞄を入れるのは
これじゃ危ない、と入れ直してくれたりする。自転車はレンタル料が
安い上に、ショックアブソーバーが付いた新車だ。

新車の自転車で、姿を消しつつある北京の胡同地区を走り回った。ここ
は僕が育った街と同じだ。狭い路地に個人の食堂や商店があり、床屋が
あり、ジイサン、バアサン達は路地のあちこちで立ち話をしていたり
孫を抱いて自慢していたり、けんかをしているような事もあった。
つまり生きた街だ。そこここに僕が観たかった四合院が残っている。
感動した。人が都市に住む住み方の、理想のような気がした。

胡同とは日本語にすれば路地って事だろうと思う。紫禁城のまわりは
かつては胡同に囲まれ、オッサンやオバサン達が、互いに助け合って
住んでいたんだろう。いま中国政府は胡同を壊し、ここのオッサン、
オバサン達を郊外のアパートへ強制移動させているという。
ここのオッサン、オバサン達が高層アパートへ行ったらどうなるんだ?
悲しくなった。

胡同地区の中に、内装だけ綺麗に改装した小さなcafeがあった。
マスターは垢抜けているが、ハイソ女みたいじゃなくていい感じだっ
た。美式珈琲(アメリカン)を飲みながら話した。カナダのヴァンクー
ヴァーの大学に留学していたという。どうりで笑顔が現代っぽい。
胡同に感動した話しをして、現在の北京の味気なく、ナンデモアリの
再開発について話した。一部の残された胡同の保存を中国政府は決め
たらしい。でも、保存の仕方にもいろいろ問題があると言っていた。
"あなたみたいな人にがんばってほしい"
と言うと、静かに笑った。僕を台湾人か香港人だと思ったらしい。
"日本人だ"と言うとびっくりしていた。

胡同地区の中には、前海と后海と呼ばれる小さな湖が二つある。その
まわりは散歩路になっていて、オッサン達は昼からそこで将棋をしたり
オバサン交えて麻雀をしたりしている。
"のどかだなぁー、"
そんな湖の対岸は古い建物を改装したパブ-レストランが立ち並んでい
て、ウォーターフロントが全てオープンテラスになっている魅力的な
場所があった。

夜はそこでいろんな料理を食べ、pubでしこたま飲んだ。ある晩、雲南
料理とワインで酔っぱらって、隣のメキシカンpubで南米人達の完璧な
ライブ演奏を聴きながら、酩酊しちまった。タクシーに乗って帰る時、
貴重品が全て入っているポーチを忘れている事に気がついた。
"ヤバイ!そうはいってもここは中国だ。現金、日本円、パスポートが入
ったポーチが、安全に保管される事はないだろう"
そう思って引き返してみると、雲南料理の店の、少数民族の衣装をた、
マジにチョーかわいらしい少女が笑顔でポーチを預かっておいてくれた。
人を信用できない自分が恥ずかしくなった。
"謝々"をくり返すと
"ダイジョウブ、マタキテネ、ハンサムさん"と言うような事を言って
いた、と思う。

いま北京では欧米や日本の有名建築家が設計した奇抜な建物であふれ、
街は世界中から、また中国国内からの旅行者がいっぱいで、ゴッタニ
状態だった。しかし考えてみれば、はるかの昔から、北京や西安のよう
な都市はこういう国際都市だったのだ。世界中から人や物が集まって
くる街だった。だから北京の人々の中には、無意識にしろそういった
国際感覚みたいなものが脈々と受け継がれてきているのだろう。
新しいものや見知らぬ人を受け入れる受け入れ方が、ごく自然だ。
そういえば"外国人"って言う言葉を北京で聞いたことがなかった。
日本人は日本からきた人。香港人は香港から来た人。美国人はアメリカ
からきた人。そういう形で呼ばれていた。
日本の文化がどんなに国際的に発展したとしても、"外国人"って言う
言葉が飛び交っているうちは、北京の人々のような国際感覚からは、
遠いのかもしれない。



同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
自転車
航空会社

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この旅行記へのコメント (9)

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  • まゆままさん 2007/01/05 22:27:09
    konnbannha
    birdlandさん、お邪魔します〜!
    中国の旅行記読ませていただきました。
    小説を読んでいるかのような詩的な文章に引き込まれてしまいました。
    北京は15年位前に初めての海外旅行で行った町なのですが
    その頃とはまたずいぶん変わっているのでしょうね。
    といっても私はツアーで現地添乗員がずっとつききりだったので
    (当時はツアーでも自分にとっては十分刺激的で満足できた旅だったのですが。)
    観光客向けの北京、上海しか見せてもらえなかったので、
    birdlandさんのように自由自在に自転車で走り回って庶民の方々の生活が垣間見れるような旅
    がうらやましいです。

    まゆまま

    まゆままさん からの返信 2007/01/05 22:30:38
    RE: konnbannha
    ああ〜!すみません、字を変換しようとしたら送信してしまいました・・
    タイトルは「こんばんは」です;
    しかも読み直してない・・

    birdland

    birdlandさん からの返信 2007/01/06 15:55:05
    RE: konnbannha
    >まゆままさん

    私のブログにも訪ねて頂いて、ありがとう!。
    若い頃からヨーロッパやアメリカの建築観歩き旅行ばかり続けていて
    ふと気がつくと、アジアのこと全然知っていない、そう思って、最近は
    アジア周辺ばかりを旅しています。

    バックパッカーではじめての海外旅行をしたときには、写真ばかり撮っ
    て帰ってきてどっさりと写真が出てくるんですが、フト、自分の眼で
    あまり見ていない!と気づいてから、スケッチブックを持ち歩き、なる
    べく写真は撮らずにスケッチをしています。スケッチのウマイ、ヘタは
    関係なく、スケッチをして歩いた方が、自分にとっては、しっかりと眼
    で見て、記憶に残っている、そんな気がします。んで、私のブログには
    ほとんど写真がない、って結果になっています。(涙)

    birdland

    birdlandさん からの返信 2007/01/06 16:00:35
    RE: konnbannha
    まゆままさん、訪ねてくれてどうも!感激です。

    若い頃はヨーロッパやアメリカの建築見歩き旅行ばかりを
    続けていました。フト気がつくとアジアのことなぁーんにも
    知らない!。そんなこともあって、最近はアジア方面ばかり
    旅行に行っています。

    今、計画中の旅行はベトナム、それと資金が貯まったらロシア
    あと、もう一度北欧へ行ったみたい、そう思っています。

    また情報の交換など、よろしく!

    まゆまま

    まゆままさん からの返信 2007/01/07 12:40:15
    RE: konnbannha
    スケッチする旅!いいですよね〜。
    自分の心に余裕がないとできませんよね。
    なんだかいつも切羽詰ってる私にはとてもできません〜
    birdlandさんのスケッチ見てみたいですね〜
    ブログには写真の代わりにスケッチを載せるというのはいかがですか?
    でもこういうような「読ませる旅行記」もいいですよね〜
    写真がなくとも伝わってくるものありますよね。

    私は自分の中でヨーロッパの建築巡礼が最後まで行きついてないので
    ヨーロッパにはまだ行きたいところありますが
    同時にアジアにも自分が惹かれるものがたくさんあります。
    町歩きは楽しそうです〜
    ロシア、北欧も行ったことありませんのでどんな町なのか興味がありますねー
    ぜひ実現させてください!
    又いろいろなお話お聞かせ下さい。
    今後ともよろしくお願いします。
  • pangziさん 2006/10/18 20:40:24
    お疲れ様でした。
    大体どこの国も国家に近づく程悪くなるような気がします。私も鄭州のホテルでいやな思いをした事があります。
    でも一般の人はとても親切で、これが反日暴動起きた国?と思う程。
    夜、毛筆を買いに瀋陽の中山広場に行った事があります。売っている人は既に帰宅していたのですが、他の方が携帯で呼び出してくれ無事に買えました。しかも一般は25元、会員は15元というのを、会員の方が口をきいてくれ、準会員の20元となりました。わざわざ戻ってくれたので2本買って
    50元出して、釣はいりません、というと変芯をサービスしてくれました。
    私は下手でしたが、書道をやる母親に旅行をプレゼントしたら、中山広場に来て、日中書道大会と化して延々5時間も30人以上と書いていたそうです。
    日本でもおかしな人はいます。これに懲りず、中国を旅行して、又興味ある
    旅行記をUP下さい。

    ps個人的には北京は大都市しすぎてあまり好きではないです。洛陽くらいの都市が風情があって良いですね。

    birdland

    birdlandさん からの返信 2006/10/19 08:44:20
    RE: お疲れ様でした。
    pangziさん、どうも。

    僕はまだ中国では香港、上海、成都、西安、北京と大きな都市にしか行った事が
    ありません。洛陽とか開封とかの街にはぜひ行きたいと思っています。

    上海へ行ったときに、バスで1時間ほどのところにある周荘へ行ったことがあり
    ますが、そこの街並みはすごく美しかったですね。蘇州なんかは、名前ばっかり
    で魅力はあまり感じませんでした。

    これから旅の情報など、いろいろ交換出来るといいですね。
    よろしくお願い致します。
  • nao0880さん 2006/10/18 08:22:46
    たいへんでしたね
    birdlandさん、はじめまして。
    たいへんでしたね。でも大きな実害がなくてよかったですね。
    わたしも、山東省のお店で航空券を落としたことがありました。
    電話で問い合わせてもない。諦めて航空券を買いに行ったカウンターで携帯に連絡があり、助かったのでした。
    竹園賓館、先月前を通りました。表から見るといい雰囲気でした。
    私が後海を訪れたのが、9月8日から9日ですからbirdlandさんの1ヶ月前ですね。
    胡同散策もよかったです。
    ではまた。

    birdland

    birdlandさん からの返信 2006/10/19 08:38:30
    RE: たいへんでしたね
    naoさん、どうもカキコありがとう。

    一人旅にトラブルは付き物で、トラブルを通していろんなことを知るって
    事もありますよね。今回の旅ではトラブルと言うほどのものじゃなかった
    けれど、まあ、このような事で中国のある一面を知ることが出来たような
    気がしています。

    naoさんも前海、后海周辺のテラスにいたんですね。またどこかの旅先で
    偶然お会いできれば、楽しいですね!、と言っても、お互いにわからない
    かぁー(笑)

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