2006/11/03 - 2006/11/11
129位(同エリア182件中)
ケン・ハンレーさん
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今回は「イサーンの玄関口」といわれる高原の町ナコン・ラチャシーマー(通称コラート)で初めてのイサーンの町と周辺のクメール遺跡を観光し、その後は一気に南下して海浜リゾートのパタヤと離れ小島サメット島を訪れる旅でした。今回もイロイロありました!
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- タイ国際航空
PR
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初めて早朝の定期バスを使い中部国際空港セントレアに定刻どおり7:15に到着。観光シーズンだけあって国際線・国内線を利用する旅客は多い。まだ新しく気持ちのよい空港エントランスへ一歩踏み入れると私は唖然とした。早朝というのにすでにコンコースは人で溢れ返り、さながら戦場のような喧騒に満ちている。やれやれ、出国前の混雑はいつもながらうんざりだ。
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今回のフライトは10:30発のタイ国際航空TG0645便、日本航空とのコードシェア(共同運航)便で機材はタイ航空のものとなる。カウンターが開くと同時にチェックイン、身軽になってセントレアを観光する。なかなかに立派な空港だ。スカイデッキと称する屋上は広く、ずらりと並んだ各国航空会社飛行機の眺めは圧巻だった。ボーディングタイムが近づき出発ゲートに行くとまた唖然、セキュリティチェックの列が幾重にも折り重なってコンコースにまで達している。(「カリブの海賊」か、ここは?)
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今回は混雑する11月3日出発なのであえて割高の?正規割引航空券「前割り21」を選んだ。あまり知られていないがこの航空券の利点はあらかじめ座席を予約出来ることだ。で、今回はエコノミーゾーンの2列目窓際の席をゲット。
旅客機は定刻10:30、この時点で私はすでにヘトヘトになっていた。お楽しみの昼食は魚料理をチョイス。タイ風かと思ったらなんと「うなぎ」だった。スモークサーモンと茶そば、それにカスタードムースのデザート付き。でも柔らかく肉厚でタレの味もいいこんな鰻は普段けして口には出来そうも無いから、ま、いっか。 -
今回は2つの初体験がある。ひとつは年に一度の全国的な祭り「ローイ・カトーン(灯篭流し)」のスケジュールに合ったこと、そしてもうひとつは、今回の旅から新空港「スワンナブーム」への到着となったことだ。さらにもうひとつ、不安なのがクーデターだ。9月20日のクーデター勃発からまた2ヶ月も経っていない。ニュースやインターネットの情報をかき集め、旅行ブログでも多くの方から情報やアドバイスを頂き、「大丈夫だろう」と判断して出かけてきたが、いざ渦中に飛び込むとなるとやはり一人旅は心細い。
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やがて旅客機は高度を下げ始めた。いよいよ到着の時、やがて豆粒のようにスワンナブーム空港が見えてきた。だんだんとそれが近づくにつれて大きくなり、また大きくなり、さらに大きくなって…。「わ、でか!」私はため息を漏らした。スワンナブームは予想以上に巨大な空港だった。14:25分、予定より5分早く着陸した旅客機はなぜか旅客ターミナルへは接続されず、かなり離れた飛行機溜りまで動き続け、そして止まった。案の定ここからバスで移動することになる。ハッチが開き外に出た途端、強烈な日差しとむっとする熱気に包まれた。ああ、また、この「熱い国」にやってきたのだ、と実感する一瞬。
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新空港の建物内部はコンクリート打ちっぱなしの壁と、ガラスを組み合わせたなかなかモダンな造りだ。真新しい建物の匂いがするが、好きな蘭の花とココナツの匂いが無いのは寂しい。そして、とにかく広い、ホントに広い。広すぎて入国審査、荷物の受け取りまで移動するのもひと苦労だ。ああ、タバコが吸いたい、トイレも行きたい。どこに行けばいいんだ、なんて不自由な空港だ、早くここから出してくれ。タイ政府が威信をかけて建築した自慢の新空港に毒づきながら、やっとの思いで空港玄関口まで這い出てきた。
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出口直前の両替窓口で3万円をタイバーツに両替。キツいレートだ、1万円で3,068Bt、1バーツ3.26円換算ということになる。2年前は1万円で3,500Btほどあったから「物価」は15%近く上昇したことになる。わずかの事と思うかもしれないが、経済面でのプレッシャーは意外と大きい。
満員の無料シャトルバスに乗ってトラフィック・センターへ移動する。現在時刻は15:25、ここまで1時間もかかった。やはり大空港、思うようにはいかない。 -
トラフィック・センターに着いて、なんとか北バスターミナルへ行く直行バスがないか幾つかの窓口や案内書を聞いて回ったたが、どうにもわからない。案内係りのおネエさんは一生懸命説明してくれるのだが、まだ「耳」が彼らの話す英語について行けていないのと、どうも情報自体が少ないようだ。わかったのは、北バスターミナルへは通常の市内バスとBTSを3回乗り継げば行けることと、空港からコラートへの直行バスもあるが夜中になってしまうことくらいだった。諦めてタクシーを使うことにする。
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料金を負担して高速道路を使ったが、思ったとおり夕方の渋滞にハマり、北バスターミナルには予定より1時間近く遅れて17時過ぎに到着。「400Btネ、ダンナ。」「運転手が言う。メーターを見ると238Btを示している。「これはタキシー・メーターだろ?」とやり返すと運ちゃん、バツが悪そうに「OK、238Btヨ。」と笑った。400Btはチャーター・タクシーの値段。さっそくボラれるところだ。ま、いいか。「ご祝儀」ということで50Btチップを弾む。タクシーを降りると、北バスターミナル、うわ、ここも相当デカい。
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バスは本来タイ人向けオンリーの交通手段だから英語がほとんど通じない。看板もすべてタイ語標記でアルファベットなぞ一片も無い。コラート行きのバスへはどこで切符を買い、どこから乗ったらいいのかまるで解らない。もとより覚悟のうえでどうせ解らないから日本語で係員に「コラート行き、どこ、チケット、どこ?」と尋ねる。初めは怪訝そうな顔をした係員、「コラート」という言葉を聴いて途端ににっこりした。「コラートへ行きたいのか、よし、あそこだ、あそこの窓口だ。」と言って(言ったと思う)53番の窓口を指差した。
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出発まであと15分ほど。腹は空いているが、待合室の食堂で軽く、なんてしていると乗り遅れるのが怖い。我慢して乗り場77番線に急ぐ。それにしても大きなターミナルだ。バンコクにはここの他に2つのバスターミナルがある。鉄道網が十分でないこの国では、バスは移動時間も早くて、頼りになる庶民の足だ。東北への玄関口となるここ北バスターミナルはまさにバス版「上野駅」なのかもしれない。ローイ・カトーンを故郷で過ごすためか、実に多くの人々が乗り場に溢れている。
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本格的なバスの旅は初めてだから、これから旅が始まるかと思うと、否応無く気分は高まる。車掌に手招きされスーツケースを貨物室に預けて乗車、17:30の定刻どおり、バスはコラートに向け発車した。
コラート到着は9時すぎ。なかなか豪華なハイデッカーのバスで、紙コップのコーラとスナックパン、それに毛布のサービスが付いていた。だが快適かといえばけしてそうではない。車内は大音量のタイ・ポップスが流れ、たちまち頭痛が始まった。 -
おまけにエアコンは最大設定なのか、冷気が容赦なく車内を満たして、Tシャツのうえにもう一枚シャツを羽織ってもまだ寒いくらいだ。乗客はみな、配られた毛布を体にかけ始める。ねえ皆さん、これって凄い「矛盾」じゃありませんか?
バンコク市内をぬけると、たちまち田園風景が広がり、やがて陽が沈むと灯かりさえまばらな、寂しいタイの田舎といった風景が車窓に映る。うつらうつらして、しばらく寝入る。
電気がつき、おしぼりとミント・キャンディーが配られた。時刻はやがて9時、いよいよ到着ということか。窓の外を見ると大きな市場やロードサイドのショッピングセンターが立ち並び、休日まえの夜を楽しむ人たちが大勢行き来している。コラートは意外と都会だ。 -
人影まばらな第一バスターミナル(旧市内に近い)に9時過ぎに到着、早速トゥクトゥクを拾って(50Bt)ホテルへと向かう。
今回のホテルは旧市街に近い「チャオパヤー・イン」をFAXで予約した。ネットでも予約できないいわゆる「安ホテル」で、FAX番号だけ「地球の歩き方」に載っていたから、だめもとで「行くから、予約お願い!」と英語で書いて送っておいた。フロントの可愛いお嬢さんに、大丈夫かな、と思いつつ、「あー、FAX送ったけど着いてる?」と尋ねると、私の顔をみて驚いたように手元のFAXを広げ、「これ、あなた?やだ、ホントに来たんだ!」みたいな事を言って笑って大喜び。何だよそのリアクションは? -
宿代は一泊490B、1,600円ほど。普段は最低でも1000Bほどのホテルを選ぶから、このテの安ホテルは今回が初めてだ。309号室、朝食なし、バスタブなし、でも部屋は思ったより広く、キングサイズベッドも快適でエアコンとトイレットペーパーはついているから、まあまあか。荷物を解き、一休みして電熱式の湯沸しからちびちびと出るシャワーを浴び、早速街へ繰り出す。時刻は9時半過ぎ。
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ホテルを出て少し歩くと、堀を巡らした旧市街の入り口に着く。カンボジアやビルマといった外敵から守るため、チェンマイと同じく旧市外は堀と城壁に囲まれた城砦都市だ。その入り口に立つ像がある。ビルマの侵攻から街を救ったという伝説の女傑「タイのジャンヌ・ダルク」とも呼ばれるタオ・スラナリ(通称ヤー・モー)像だ。ライトアップされ、夜だというのに参拝者が後を立たない。その彼女の背後に旧市街への入り口、西門がある。ここをくぐってコラート名物のナイトバザールへと向かう。
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「なんだ、この街は?」街を東西に伸びる道を歩きながら、私は思わず呟いた。道幅も広く、主要道路のはずなのに、人っ子一人歩いていない。黒っぽい町並みをオレンジの街灯が寒々しく照らしている。実際、夜になると高原の町コラートはこの時期、かなり気温が下がる。シャツをもう一枚着てくればよかったと思い始めたころ、遠くに灯かりが見え、音楽が聞こえてきた。ナイトバザールだ、よかった!?
金曜の夜、ナイトバザールは行き交う人も多く、さながら縁日のようだ。チェンライと同じくらいの規模か。 -
売っているものは観光客相手の土産物など一切なく、洋服や靴、日用雑貨、コピーもののCDとDVD、タイ人好みにけばけばしいアクセサリー、下着。「地元商店街の夜店市」といった趣だ。「あ、ファランだ。」「なにー、イープンかな」と遠慮なく好奇の視線を浴びせかける人々をすり抜け、一通りバザールを見て歩く。しかし、なぜ一目でタイ人じゃないと分かってしまうのだろう?(カメラとビデオをぶら下げてキョロキョロしていれば当然か)
腹はもうペコペコで、何か屋台でもないかと探すがこの時間、食べ物屋台はどこも終わってしまっている。仕方なく先に済ますべき用事を済ますべく、近隣のチョムスランホテルへと向かう。 -
フロントの女性にそっと近づき耳打ち。「僕は今回ゲストじゃないんだけど、タンさんに連絡したいんだ、電話番号わかる?」すると彼女、怪訝そうな顔をしながらもリストから番号を拾い、メモしてくれた。ロビーの電話ボックスから早速電話すると、威勢のいい声が聞こえてくる。「おおー、俺がミスター・タンだ。何よ、ゆみの紹介だって?よしきた、パノム・ルンだな。高くねーよ、ガス込みで1800でどうだ?」「頼むよ、タンさん、ありがとう。」「オーケー、じゃ7時半に。チャオパヤー・インだな、オーケー、オーケー。迎えに行くよォ!」ガチャ。交渉は成立、よかった、ゆみさん、ありがとう!フロントの女性にはお礼に100Btのチップを渡し、彼女も大いに喜んでくれた。オーケー・オーケー。
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さて、安心したらますます腹が減ってきた。「ナイト2」と名づけられた屋台街があったので、やっとここで遅い夕食を始める。一品目はふと目に入った「オースワン(カキ入りお好み焼き)」の屋台。何もここでカキを食べなくともと思ったが、あまりに旨そうなのでつい注文してしまった。小ぶりだがふっくらとしたカキとニラが沢山入って、卵と生地のコンビネーションも抜群、辛いチリソースで食べるお好み焼きがこんなに旨いとは思わなかった。(実はあとでA型肝炎の恐怖に襲われることになるのだが)もう一品はタイ・ラーメン。今回の旅もそばで始まった。麺は細めんのセン・ミー、具はチャーシューと揚げた湯葉(またはワンタン?)とルクチン(魚団子)。久しぶりの味に舌鼓を打つ。計55Bt(182円)安い。
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10:30、男性天国ギンザエンターテイメント(カフェーもあるしソープもある?らしい。)を横目で見てホテルへの道すがら、セブン・イレブン発見。どこの町でも必ずコンビニがあるのはタイくらいのものだ。だから安心して旅ができる。
明治のチョコドリンクは小瓶しかない。うーん、残念。替わりにイサーン名物の「ネーム」(発酵ソーセージ)を見つけて購入。水と菓子パン、お気に入りのポテトスナックとあわせ全部で38Bt。 -
部屋へ戻り、早速ネームを試食。うわ、凄い味!生かと思うような豚肉をベースに、香辛料とパクチーの匂いがすごい。辛くて酸っぱくて、知らずに食べたら絶対腐っていると思うだろう。タイ人の味覚には慣れてきていると思ったのだがなんの、まだまだ修行が足りない。時刻はやがて11時、日本時間では午前1時だ。バス、飛行機、タクシー、またバスと、かなりの距離と時間を移動し、さすがに疲れた。シャワーも浴びずベッドに横になったかと思うとたちまち目の前が真っ暗になった。爆睡。
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朝、5:30起床。眠いのに体内時計は日本時間7:30で起きてしまった。外はまだ真っ暗。シャワーを浴び、陽が上り始めたのを見計らってホテルを出る。朝食のついていないホテルは初めてだから、食料の調達に、近隣の市場へ行ってみることにする。
ホテルのロビーへ出るとどこからかカラオケで歌う声が響いてくる。夜通しやっていたのだろうか、まあ、驚きゃしないか。フロントの彼女たちは机に突っ伏したまま眠っている。起こさないようにそっとカギを置こうとしたが起こしてしまい、不機嫌そうだ。ごめんよ。
改めてホテル外観を見ると、おや、なかなか立派なホテルに見えるじゃないか。「チャオパヤー・イン」は。 -
ホテルから北へ向かって歩き出す。早朝のコラートは昨夜よりもさらに気温が下がり、11月とはいえタイとは思えないほど肌寒い。でも散歩の途中、朝の托鉢に歩く少年僧とすれ違うたび、やはりこの国にいるのだという実感が湧いてくる。しばらく歩いて、やがて人と車、バイクが増えてきた。賑やかさを感じると、思ったとおり市場に着いた。
地図では小さく書いてあったがこの市場、意外と大きい。 -
入り口にはパートンコー(朝食の定番揚げパン)、続いて野菜や果物、魚、肉の店、花の店もある、タイらしく蘭の花が中心で、ジャスミンの輪飾りなども売られている。黄色と青の蘭があった。珍しそうに見ていると、「着色してあるのよ。」と店の可愛いお嬢さんが教えてくれた。
そして香辛料、トウガラシ専門店、乾物、衣類や雑貨などの店がさらに続く。本当に大きな市場でどこまで行っても見飽きない。やがて買い物客相手のめし屋の一角に出た。中華薬膳スープやお粥、麺の店、ぶっかけ飯、パン屋の屋台…。さまざまな食べ物の匂いが入り混じった、独特の匂いが一面にたちこめている。懐かしい「タイの匂い」だ。 -
さて、ここら辺の屋台で何か食べようかな、とも思ったが、タイの朝食の定番、入り口にあったパートンコーをまだちゃんと食べたことが無い。ホテルの朝食バイキングで「らしいもの」をひとつ食べたことがあるくらいだ。今朝はパートンコーを食べてみることにして、入り口に戻る。
すごい繁盛振りだ、作り手は油の大なべに生地を切っては入れ切っては入れで、どんどん出来上がるのだが、そのそばからじゃんじゃん売れていってしまう。 -
「あのー、お幾らですか、これ?」などと、とても聞ける雰囲気ではない。ええい、意を決して叫ぶ「アオ、パートンコー(パートンコー頂戴)!」揚げ手のオバちゃんがびっくりしてこちらを見る。他のお客の注目も集まる。あれ、マズかったかな、と思った瞬間、オバちゃんが笑顔で何か言ってくれた。「いくつだい?」という感じか。
「タオライ(いくら)?」と聞くと指を一本だして「ワン・バーツ」「じゃ5つ頂戴」「カー(はいよ)」親切なオバちゃんのおかげで無事パートンコーをゲットできた。それから果物やで小ぶりのりんごを一つ買う。セブン・イレブンで、ネスカフェ2杯分袋入り10Btを購入、一杯はカップとお湯をもらってその場で作り、部屋に戻る。 -
タイ風に砂糖をたっぷり入れたコーヒーにパートンコーを浸して一口。「旨いじゃん。」食べすぎて胃にもたれるのも心配だが、ドーナツのような食感と生地の旨味が気に入った。5Btで5個のはずだがオバちゃん、3個もおまけしてくれて先につまみ食いしたのと合わせ8個のパートンコーをペロリと完食してしまった。さらに昨日のネームの残りと、甘ったるいイチゴクリームの菓子パン、それにりんご1個。なかなか豪華な朝食になった。食後の一休みのあと、そろそろミスター・タンが迎えに来てくれる時間になった。ロビーにでる。
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「ぐっどもーにんぐう!おれだ、ミスター・タンだ!」思わず吹き出しそうになるのをこらえる。電話で想像したのとまったく同じ人物がにっこり笑って、ホテルの出口に立っていた。「はじめまして、タンさん。突然の電話でごめんね。よろしくお願いします。」と、挨拶。彼の車で早速「幻のクメール遺跡」パノム・ルンへと出発する。
車はハイウエーを猛烈な勢いで西にむかってすっ飛ばす。いったい何キロ出ているかなどわからない。スピードメーターが壊れている。ちょっと、怖い。途中、ガス・スタンドでトイレ休憩。紙のないタイ・トイレだった。 -
あらためてタンさんの車を見る。フロントグリルにはクラウンのマークが入っているものの、車種はわからない。「タンさん、この車、なんていうの?」ギブアップして聞いてみる。「おー、これか?わかんねーだろうな。ベースは80年型のいすゞだよ。オペルとコラボしたやつ。」あっそうか “ジェミニ”だ。
「そんでよ、フロントグリルはクラウンのやつ、リアはコロナのを着けてあるんだ。はっはっは。」「ホイールもタイヤも凄いね、タンさんカーマニアなんだ。」「でもねーけどよ。この車はもう30年もたってるから新しいの欲しいんだけど、新車は百万Btもするんだ。高くて買えねーよ。」確かにタイでは車はえらく高い。 -
それにしてもタンさんの英語は上手だ。タイ人独特の訛りもなく、とてもスムースに会話できる。どうしてなのだろう、と聞いてみた。「勉強したんだよ、昔オレはよ、ホテルのエンジニアだったんだ。エアコンなんかのメンテをしてたから、ファランと話すことも多くてよ。」それに「カミさんが英語の先生なんだ。」あれ、タンさんたしかバツイチって聞いてたけど…、そうかー、再婚したんだ、良かったね。クーデターのことも聞いてみた。「来るのどうしようかって思ったんだけど。」と言うと、「あー、あんなものすぐ終わっちゃったよ。もう、オレらには何の関係も無いね。」とまた笑った。
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タンさんとの会話を楽しみながら2時間ほどハイウエイを走り、車はやがて脇街道に入った。小高い丘へ向かって上り始める。目指す「幻のクメール遺跡」パノム・ルンはもう間近だ。「今日は土曜日か、結構混んでるぜ。」タンさんがつぶやく。
外国人観光客は少ないと聞いていたが、遺跡といってもタイ人にとっては今も大切な信仰の場なのだから、全国から多くの人が訪れる。思ったとおりパノム・ルンはお祭りのような混雑だった。 -
入り口で40Btの入場券を買い、丘を登ってゆく。カンボジアのアンコール・ワット、ジャワのボロブドゥールのときのように、とまでとは言えないが、憧れのクメール遺跡に近づいて、胸は高鳴る。やがて回廊が見えてきた、パノム・ルンだ。
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ナーガ(蛇神)に守られた第一竜王橋を抜け、回廊をくぐるとすぐに神殿がある。ピンクと白の砂岩でできた神殿はなるほど、アンコール・ワットを思わせる荘厳なクメール様式のものだ。
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入り口からまっすぐ見通せる中央祠堂(しどう)、本殿内部にはヒンドゥー教の神シヴァの乗り物とされるナンディン(牛像)が置かれ、その奥にシヴァのシンボルであるリンガ(男性器の象徴)が、それに対をなすヨニ(女性器の象徴)の上に祭られている。クメール王国最盛期の7―13世紀にカンボジアに展開したヒンドゥー教の影響が色濃く残る、クメール美術の様式でできた美しい神殿だ。
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建物の表面にはレリーフが施され、連子状窓と呼ばれる窓開口部を3〜9本の格子で支えた窓も見られる。1971年から88年にかけ、タイ政府による大規模な修復作業が行われて、かなり不自然で人工的な部分も見えなくはないが、それでも私はしばし時を忘れ、クメールの時代へのタイムスリップを楽しんだ。
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マグサ石と呼ばれる、建物等の出入り口、窓などの開口部に水平に渡した石に施された、二つの有名なレリーフがここにある。ひとつは「踊るシヴァ神」このポーズはよく見かけるものだが、ここのそれは躍動感に溢れ、やはり美しい。
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もうひとつは「海の上で横になるヴィシュヌ神」。これはかつて修復作業前に盗まれ、アメリカのシカゴ博物館で発見された。その後のタイの国民的な運動によって返還されたといういわくのあるレリーフなのだそうだ。
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そのほかのレリーフや周辺の建造物、回廊の置くまでを丹念に見て回りながら、時の経つのを忘れ、気がついたら1時間経っていた。
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再びタンさんの車に乗り、丘を下る。この近くにはあと3つの遺跡が残っているという。まずはもうひとつの有名な遺跡、ムアン・タムへと向かう。
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ムアン・タムはパノム・ルンから8kmほど南、パノム・ルン山の裾野に建つクメール遺跡で、建立は9〜10世紀頃といわれる。パノム・ルン同様、砂岩とラテライト(赤レンガ)でできたタイで最も美しい遺跡の一つだ。アンコール・ワットのように五つの仏塔を持つヒンドゥー教寺院で、五つの仏塔は中心に中央祠堂を配し、その回りにやや低い四つの仏塔を配した五点型祠堂と呼ばれる構造になっている。ただ中央祠堂は崩壊し、その基台だけが残っている。
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寺院の特徴は、4隅に作られたナーガの守る池であり、寺院の中に池がある造りは珍しく、なかなかに趣がある。お祭り騒ぎのパノム・ルンに比べ、静かで落ち着いていた。
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マグサ石にはカーラのレリーフが多く用いられている。カーラは「時間」を象徴する神で、インド神話には食欲旺盛な怪物として登場し、自分の手足、体を食い尽くしてしまい、顔面だけの、何かユーモラスな怪物として描かれている。仏教では死者の王である「閻魔大王」に相当する。
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かなり暑くなってきた。朝は気温20℃を切る高原コラートでも北部地方と同様、日中は軽く30℃を越える。水を補給し、このあと車で残り二つの遺跡を巡るが、小さな寺院跡で訪れる観光客も少ないのか、かなり荒れていた。遺跡の前でタンさんとおしゃべり。
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「明日はピマーイか、オレはよ、明日ほかの客を乗せてカオ・プラ・ビハーン(カンボジア国境のクメール遺跡)まで行くんだ。」「ビハーンか、行って見たいけど遠いな。ずいぶん遠くまで行くんだね。」「ああ、この後はどこへ行く?パタヤ?パタヤだって行くぜ、3000でどうだ?」「ありがとう、でも今回はバスの旅なんだ。でも困ったな、明日ピマーイへ行くのが…。」「なーに、心配すんなよ、代わりのドライバーに行かせるから。1200でいいか?」「OK、助かるよ。」タンさんのおかげで明日の心配も無くなった。彼はなかなかのカオで商売人だ。
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ダーン・クィアンという村に立ち寄った。観光ルートの一つで、「焼き物の村」なのだそうだ。目抜き通りの両側にはびっしりと陶器を売る店が立ち並ぶ、成程、まさに焼き物の村といった風情だ。
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全国から陶器を買い求めに観光客が来るそうで、日本では常滑、信楽といったところか。素焼きの壷、彩色された花瓶や甕などが至る所で売られている。店の裏側には工房があって、職人が様々な陶器を作っていた。
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なかなか派手な色合いで、家に飾るにはちょっと、と思ってしまうがもとより持ち帰ることなどできないから、アクセサリーショップで陶器でできたネックレス(1本20Bt)と、可愛い動物のマスコット(一つ5Bt)をいくつか、お土産用に購入。
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2時近くになってコラートに帰ってきた。パタヤへ行くバスの予約がしたいというと、タンさんはよしきた、と引き受けてくれ、第2バスターミナルへ直行。いくつか窓口で掛け合ってくれたが、どうも予約は受付けないらしい。「パタヤ行きファースト・エアコンバスは10:40発だ、出発までにここへ来てくれってさ。」との事だった。
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このあと、聖女タオ・スラナリを祀るワット・サーラ・ロイを回ってもらい、買い物をするためデパート近くに降ろしてもらう事にする。
と、突然エンジンが怪しい音を立ててストップ。「いけね、ガス欠だ。」苦笑いのタンさん、なんと道路の真ん中で立ち往生した車から降りると、トランクをあけて、予備の缶からガソリンを入れ始めた。たちまち後ろには車の長い列ができ、私は後部座席でヒヤヒヤしていたが、しかし一台として怒鳴ったり、クラクションを鳴らしたりする車は無い。ふーん、“マイ・ペンライ”か、と私は妙に納得し、またこの国にいることを実感した。ガソリンを入れ終え、何回かのイグニッションののち無事にエンジンが回りだすと、タンさんは何事も無かったかのように、「ガソリンが高けえからな、満タンなんて入れられねーんだ。」と笑った。 -
旧市街の中央にある「クラング・プラザ?」デパート前で降ろしてもらい、明日の約束をして、タンさんと別れる。サンダルが欲しかったのでデパートを見てみたがあまり好みのものが無い。ホテル近くまでぶらぶら散歩しながら帰ってくると、途中の、もう一軒の「クラング・プラザ?」デパートのクーポン食堂で遅い昼食。朝飯を食い過ぎたのと暑いのとで食欲が無い。あっさりとカオ・マンカイ(蒸し鳥めし)にする。25Bt、コーラ20Bt。
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食後、デパート内を物色、「ローイ・カトーン・セール」とやらで、館内には繰り返し“ローイ・ローイ・カトーン、ローイ・ローイ・カトーン”と子供の歌う歌が流れている。ああ、これがローイ・カトーンの歌か、と思っているうちは良かったのだが、あまりに何回も流れるので、終いには頭が痛くなってきた。このあと部屋に戻り1時間ほどシエスタ(タイでの昼寝は最高に幸せ)する。
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夕刻、町外れにある「パイリン・スクゥエア」へ出かけた。夜の冒険の始まり。流しのトゥクトゥクを拾って行き先を告げると、運転手はニヤッと笑った。「パイリン・スクゥエア」はマッサージやカフェがまとまった“男の歓楽複合施設”なのだそうだ。トゥクトゥク80Bt。
建物の前に来ると、おおっと、いかにも、という感じの建物に少々引けたが、とにかくマッサージだけと思い、中に入る。ロビーの奥、「タイ・マッサージ〜古式按摩」の看板のとなりには色っぽいオネエさんの写真、タイ語でなにやら書いてある。階上に向かって矢印が向いているので、興味津々で上がってみると、ヤバ、思ったとおりマッサージ・パーラー(ソープ)だ。 -
コノショアとよばれる案内人が近づいてきたが退散、階下のタイ・マッサージへと駆け込んだ。
「お客さん、上へ行ったんじゃなかったの?」担当の、ちょっと昔のお姉さんといった感じのコに開口一発チェックを入れられた。
「ニホンジン、スキヨ。」(へー、日本語できるんだ。)ここコラートは日本企業の工場も多い。ここ「パイリン・スクゥエア」も駐在員の格好の遊び場になっているのだろう。それはそうと、おい、カノジョ、なんか、必要以上に凄くキクんですけど。
ド迫力のマッサージ嬢に2時間、久しぶりにテッテー的に揉みぬかれ、心身ともにぐったりしてしまった。280Bt(チップ100Bt)。安いが、上手といえるかどうか悩む。「写真撮って!」とカメラを見た彼女にせがまれ記念に全員集合写真を一枚。ここのマッサージ嬢は全員マッチョだ、あー疲れた。 -
このまま帰って晩飯というのも勿体無い。ロビーでしばらく休んでいると、反対の階段の上から可愛い娘が笑いかけてきた。結構なボリュームの音楽が聞こえてくる。
「そこは何だい?」と尋ねると、綺麗な英語で「カフェーよ、あなたイープン?」と返答があった。「ああ。モーラム(この地方の民謡)は聞ける?」と聞くと「モーラムも演るわよ。」と笑った。その笑顔に惹かれて入ってみることにする。 -
カフェーは酒を飲んで食事し、ホステスに鼻の下を延ばす場所。料理はガイ・トート(鳥唐揚げ)とパッタイ(焼きそば)、それにコーラを頼んだ。味は並よりちょっと下。パイリン・カフェーという名のここは、チェンマイで行ったそれよりも大きく、なかなか派手なステージだ。
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ダンスチームも登場し、歌手の露出度はかなりのものだが、肝心のモーラムが少ない。チャカチャカしたタイ・ポップやビョーク、ブリトニーといったアメリカの歌が多くすこしがっかり。客数もそこそこ多いせいか、遠慮がちなイープンは終始放っておかれっぱなしだった(オーイ、さっきのカノジョ呼んでくれよ)。
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そこそこ楽しんで、まあ、こんなものかと、1時間ほどで勘定を済ませる。しめて275Bt、1,000円ほどだから安い。出口には彼女がまだ座っていた。「なんだ、僕の席に来てくれるんじゃなかったのかい?」と聞くと、「あっ、私レセプション専門なの。でも、明日もきてくれる?そしたら一緒にいるから。」と笑う。「どうかな、じゃ、またね。」と答えて店を後にした。明日はローイ・カトーン、悪いが約束はできない。
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シマタニ・ホテルで帰りのトゥクトゥクを拾う。町まで100Btだと言う。「来た時は80だったぜ。」ボラれるのかと思ったら、ドライバーは済まなそうに「街中は渋滞があるんで、100いただいてるんでさあ、ダンナ。」と答えた。ホントかな、でも悪い奴じゃなさそうだし、ま、いっか。ホテルまで戻ってきて時刻は10時半、周辺は人と車が行き交い、祭り前日の土曜の夜を楽しむ人々で溢れている。が、体内時計午前0時半のこのイープンは疲労困パイ、さっきのマッサージが相当こたえている。(疲れが増すマッサージなんて変だよ。)セブン・イレブンで買い物をし、部屋に戻ってシャワーを浴びると、たちまち睡魔に降参、爆睡となった。
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この旅行記へのコメント (3)
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- ゆみナーラさん 2008/06/23 20:35:22
- ラーチャシマーとタンさん(;_;)
- ケンハンレーさんお久しぶりです!
とにかく驚きました^^! そういえば、タンさんに会って来たとおっしゃってましたよね。人のいい人でしょう?
あのゴツイくて古いけど乗り心地のいい車も懐かしくて、一気に私も2年前を思い出しました。
クメール遺跡も堪能されたようですね。パノムルンはまだ行っていないので、次回行く機会があったら私もタンさんを指名しよう^^
この続きも楽しみです。
- ケン・ハンレーさん からの返信 2008/06/23 23:03:28
- あちゃー、見つかっちゃいました!?
- サムイからお帰りなさい!ちゃんと私はウオッチしてました!
ちゃんと書き終えたらご挨拶するつもりだったのですが、遅くなってほんとにごめんなさいm(_ _)m。
後半部分は結構キツイ旅で、あまり書く気にならなかったのです。サメットでは目黒警部さんに笑われそうな事も…。
でも今年は二年に一度の旅行の年なので、その前に前回の分を書いておきたかったから。このあとはパタヤです。バスのサイクロークもしっかりチェックしましたよ。
で、今年の旅はなんと、ノンカーイです。あー、ゆみさんの後を追っかけてるみたいで恥ずかしい!またイロイロ教えてくださいね。
- ゆみナーラさん からの返信 2008/06/24 22:28:09
- RE: ラーチャシマーとタンさん(;_;)
- おお、、、、ノーンカイとは如何に・・・・
2年に一度のタイ旅行なんてとても素敵ですね!
何だか自分が行くみたいに楽しみです。
コラート→パタヤーも楽しみです。
警部に笑われそうなことって一体なんなのか気になります^^
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