2007/01/06 - 2007/01/07
1633位(同エリア2997件中)
ごんぶとさん
誰も引き受けようとしない年始からの大阪出張に自ら志願し、このチャンスをゲット!…え?なぜこの時期に志願したかって?そりゃあ3連休を有効利用できるからにきまっているでしょ。青春18きっぷを使い、大阪から広島まで鈍行列車の旅へ。目指すは「原爆ドーム」!!
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JRローカル
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遠い。さすがに遠い。もういい歳なんだから新幹線を使うんだった…。鈍行電車で6時間。やっと広島駅に到着。
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さて、広島といってまず頭に浮かべるのは、やっぱり原爆ドーム。路面電車で平和記念公園方面へ向かおう。
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日本が味わった第2次世界大戦の惨劇。それを自らの目で見ることが、この国に生まれた人間としての使命。
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なぜ戦争をしなければならなかったのか。なぜ核兵器が使われたのか。そして、核兵器が使われるとどういうことが起こるのか。
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百聞は一見にしかず。とにかくこの目に焼き付けたいと思う。
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●Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)
登録区分 文化遺産
登録基準 文化遺産 (vi)
登録年 1996年 -
これまで教科書や雑誌でしか見たことがなかったこの建物。
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こうして間近で見ると、生々しく、痛々しく、心の奥に突き刺さるものがある。
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現在「原爆ドーム」と呼ばれているこの建物は、もともとは1915年に広島県物産陳列館として開館されたもの。
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1933年には広島県産業奨励館と改称され、広島の美術の発展に大きく貢献してきたという。
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それがあの瞬間に…。
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1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍により原子爆弾「リトルボーイ」が投下され、今の姿になったというわけだ。
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爆発地点がドームのほぼ真上であったため、横からの衝撃波を受けず、垂直部分の外壁が残存。奇跡的に倒壊を免れたそうな。
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窓が多いつくりであったため、爆風がうまく逃げたことも要因の一つと言われている。
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一瞬でこんな無残な姿になるとは…。核の恐ろしさを思い知らされるな。
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当時建物内で働いていた職員約30人は当然ながら即死。しかし被害はそんなレベルではなく、広島一帯を焼け野原にしてしまうほどのものだったというから、その状況たるや想像すらできない。
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そんな当時の状況は、広島平和記念資料館にて知ることが可能だ。
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この資料館には目を覆いたくなるほどの悲惨な実態が展示されていた。
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「胸が痛む」というのはこういう感情のことなんだろうな。本当に見ているのが辛かった。
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世界遺産登録に際しては、中国やアメリカが猛反対したらしいが。とりあえずここに来て自分らの目で見てみろよ、と。
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二度と同じ過ちは繰り返さないという「反省」と平和への「誓い」を未来永劫に渡って示し続けているのがこの原爆ドーム。世界遺産になるべくしてなったと言っても過言ではないのだ。
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人類が起こした悲惨な出来事の象徴としての遺産。アウシュヴィッツ強制収容所やゴレ島などとともに「負の遺産」なんて呼ばれているが、こういった視点での世界遺産こそ、人類にとって必要なのかもしれない。
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