2007/12/22 - 2007/12/26
2291位(同エリア2780件中)
Mark & Risbeauさん
- Mark & RisbeauさんTOP
- 旅行記51冊
- クチコミ0件
- Q&A回答77件
- 73,115アクセス
- フォロワー1人
【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10225307/からつづく】
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
-
2007年クリスマスの早朝
北カリフォルニアの旅の最後の朝。朝早くから、少しずつ一日の始まりを告げる窓の風景を眺めている男あり。りす坊は、まだどっぷり夢の中なので、一人で早朝の街を歩くことにした。 -
グレイス聖堂にかかる有明の月かな
ホテルから一歩踏み出すと、サンフランシスコらしい、ひんやりした空気で身が引きしまる。サンフランシスコのパリパリした朝には、懐かしい臭いがある。マンホウルから、昔のように白い湯気が吹き出していた。グレイス聖堂の上には、夜に置き去りにされた月。この街のたくさんの子供たちが、今朝は普段より早く起き出して、ツリーの下のプレゼントを開けるのを待ちかまえていることだろう。 -
スタンフォード・コートのクリスマス・ツリー
カリフォルニア通りをゆっくり下っていく。マーク・ホプキンズのすぐ隣には、ビッグ・フォーの一人、リーランド・スタンフォードの邸宅跡に立つスタンフォード・コート・ホテル(1972年)がある。スタンフォード邸が1906年の震災で焼け落ちた跡に、1911年に高級アパートが建設され、さらに70年代にホテルに改装された。
スタンフォードはセントラル・パシフィック鉄道の社長、カリフォルニア州知事、合衆国上院議員を歴任した大立者で、夭折した息子の忘れ形見としてスタンフォード大学を創設した男である。通りから、アパート時代のパティオを利用した車寄せの中央に立つツリーが見えた。どこか閉塞した印象のあるホテルである。 -
カリフォルニア通りを見下ろす
カリフォルニア通りを見下ろすと、ビルの谷間の彼方にベイ・ブリッジがちょっと顔を見せる。
この坂は、80年代中頃毎朝通勤で通った坂である。当時すでに街角でカプチーノが手に入る街だった。今日は祝日でこっち方面は活気がないので、昨日と同じくユニオン・スクエアの近くでコーヒーを手に入れる。 -
ユニオン・スクエア北東
熱いコーヒーをすすりながらユニオンスクエアを横切り、リーバイスとナイキの店が鼻を突き合わせる北東の角からポウスト通りを東に歩く。
リバイスはジーンズの代名詞として世界的に有名なブランドだが、その歴史はここサンフランシスコに始まった。1853年、若干24歳のLevi Straussは、ニューヨークからゴウルド・ラッシュに沸くサンフランシスコに到着する。彼は、家族が営むニューヨークの店から衣類や反物を輸入し、金を掘りに行く鉱夫たちに売って徐々に財をなした男である。
大きな転機は1872年に訪れた。常連の仕立屋から、荒野で金を掘る鉱夫たちのため強いカンバス地でつなぎのズボンを作り、力がかかる部分に金属製のリベットを打って補強するアイデアを持ちかけられる。これを大いに気に入り、共同名義で特許を申請した。翌年特許が認められ、人類の服飾史にブルー・ジーンズが加えられた。
子供時代「アメリカの臭い」が好きで、よく出入りしていた神戸元町界隈の輸入雑貨店で見かけたリバイスは、当時の僕にとってまさにアメリカそのものだった。しかし、到底小学生の小遣いで買えるものではない。後に最初の501を手に入れたときの天にも昇る気持ちは今も忘れない。当時腰回り28インチでもブカブカだった501は、大事に、大事に履き潰したのだった。
お手もとのリバイスのラベルを見ていただきたい。ぼくは試したことないが、真ん中のイラストのように両側から馬で引っ張っても破れない位丈夫らしい。その右の「XX」は、生地の重量を表わす昔の記号で、「特重デニム」(double extra heavy denim)を表す。馬の足元のパテント取得日の下に、小さい文字でMade in U.S.A.と記されていれば米国製だ。2004年に米国内最後の工場が閉鎖されてしまい、もう簡単には米国製のものは見つからないだろう。マニアを虜にするビンテイジの501には本が書けるほど細かいディテイルの違いがあるそうだが、僕の歴史的関心とはちょっと系統が違うようだ。ものによっては1本10,000ドル以上するものもあると聞いてびっくり。 -
1906年震災後の火災で焼け落ちたシュリーブ宝石店
ポウスト通りをそのまま東に進んで、グラント通りとの交差点に立つのはシュリーブ宝石店のビルだ。リバイ・ストラウス同様ニューヨークから越してきたシュリーブ兄弟は、1852年にこの近所で小さな宝石店を始めた。徐々に成功を収め、1906年3月にはこの11階建てビルの一階に移転してきた。そして、4月に大地震に見舞われる。揺れが収まったあと従業員たちが駆けつけ、宝石を防火金庫に収めたおかげで3日間で街を焦土に変えた炎から店の財産を守ることができたそうだ。 -
角を左折してグラント通りをチャイナタウンに向けて北向きに歩く。2ブロック先のブッシュ通りと交差するところにチャイナタウンの入口の門がある。
-
真ん中が懐かしのボールドウイン・ホテル
振り返ったところにあるホテル(Baldwin Hotel)は僕がサンフランシスコに始めて赴任した80年代半ばに、最初の2ヶ月を過ごした懐かしいホテルだ。当時居住型の草臥れたホテルで、なんと400ドルで1ヶ月住むことができた。とにかく、情緒豊かな大都会の生活は毎日毎晩が新鮮で、楽しくて仕方なかった。おまけに、当時向かいのホテルは日本人キャビン・アテンダント(当時はスチュワーデス)さんの定宿という特典つきだったのである。 -
チャイナタウンのパゴダ
中華街の門をくぐった先の、カリフォルニア通りとの交差点は昨晩夕食後ケイブル・カーを捕まえたところだ。その角には、1908年からビルの上に擬似中華風のパゴダが立つビルがある。このビルには中華街という立地にそぐわないヤマト・レストランという日本食が入っていたことがあった。値段が高い割に印象が薄いレストランだったが、四半世紀後、案の定なくなっていた。 -
Old St. Mary's
通りの向かいには、Old St. Mary'sと呼ばれるカソリック教会がある。1853年からここに立つ教会で、「古い」というのは、1894年に市内の別の場所に同じSt. Mary'sという名の教会が建てられたせいだ。時計台には「息子よ、時間を守り、悪から逃れよ」という銘が貼ってあるが、当時通りの向かいにあった娼婦街を当てこすったものだそうだ。世界一古い職業に対して、大人げない教会だな~。 -
旧バンク・オブ・アメリカ ビル
昨晩の赤いツリーが広場に立つバンク・オブ・アメリカ・ビル(今日では同銀行とは縁がきれているので正しくは555カリフォルニア・ビル)は、1969年に完成したサンフランシスコを代表するオフィスビルだ。
古い映画ファンなら、「ダーティ・ハリー」(1971)の冒頭のシーンや「タワーリング・インフェルノ」(1974年)で見覚えがあるに違いない。ダーティー・ハリー撮影当時まだ出来たてほやほやで、話題の高層建築だったのでは。タワーリング・インフェルノでは、このビルは138階建て高さ500メートルを超える架空の摩天楼として描かれている。映画の中の服装や車が随分時代を感じさせるのに対して、このビルのデザインにはいまでも十分通用する洗練された個性がある。 -
サンフランシスコのウエルズファーゴ銀行第一号店(1852年)
この辺から、ファイナンシャル・ディストリクトすなわち金融街が始まる。19世紀末には既に立派なビルが並ぶ立派な都会だった。
全米第4位の預金残高を誇るウエルズ・ファーゴ銀行は、1852年ニューヨークで設立された。銀行業とともに、ゴウルド・ラッシュで掘られた金や郵便物の運輸業で米国では大変有名な名前である。自動車も航空機も鉄道もない時代にもっとも確実で早い輸送手段だったウエルズ・ファーゴの赤い駅馬車は、西部劇にとっても不可欠の存在である。
最初の店舗所在地のすぐの隣に、立派な歴史博物館が設けてある。そこには、本物の駅馬車を始め西部の歴史好きにはたまらない19世紀の文物がところ狭しと並べられている。西部劇に目がない僕とりす坊の共同口座は、ウエルズ・ファーゴ銀行に委ねている。 -
そういえば、りす坊がまだアメリカに着いて間もない頃、彼女を車に残したままこの銀行で用を片づけているあいだに、駐車切符を切られたことがあった。りす坊は必死に僕がすぐ戻ることを説明しようとしたらしい。車ごと引っ張られなかったのは不幸中の幸いだった。
-
通りをもう少し下がったところにあるのが、1864年設立の旧カリフォルニア銀行本店。創立者はパレスホテルを建てたウイリアム・ラルストンだ。この銀行は、ネバダで銀鉱脈が発見されてから銀鉱への投資を糧に大きく成長し、一頃は西部一の銀行、全米でも第二位の銀行に成長した。
-
カリフォルニア銀行宛大久保利通・伊藤博文の書簡
1996年に日本の東京三菱銀行(当時)の全面子会社のユニオン銀行と合併し、現在はUnion Bank of Californiaの一部に含まれている。ところで、この建物の地下で西部貨幣博物館が一般に公開されていることはあまり知られていない。ほんの小部屋程度のサイズの博物館だが、同行の歴史=サンフランシスコの金融史にかかわる歴史的書類や過去流通した珍しい貨幣の展示に加えて、日本政府代表大久保利通と伊藤博文の署名のある同行宛ての書状が無造作に壁にかけてある。日本だったら、もっと立派な額縁に入れて厳重に守られるんだろうな~。 -
この辺で、ようやく追いついたりす坊と合流。カリフォルニア通りとマーケット通りの交差点近くのビル前の広場で朝食にした。また、スコウンの登場である。
-
ガラスに映っているビルで働いてました
ちょっとぬるくなったコーヒーを飲みながら、80年代に僕が働いていたビルを見上げる。事務所の窓からは、隣の鏡のようなビルと真っ青なサンフランシスコ湾が見えていたことを昨日のことのように思い出す。 -
歩いてきたカリフォルニア通りを下から見上げる。
小さなケイブルカーが星に向かって途中まで登る坂だ。この風景は昔から変わらない。
【つづく】
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Mark & Risbeauさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
18