2007/12/22 - 2007/12/26
2067位(同エリア2787件中)
Mark & Risbeauさん
- Mark & RisbeauさんTOP
- 旅行記51冊
- クチコミ0件
- Q&A回答77件
- 73,424アクセス
- フォロワー1人
【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10222814/からつづく】
明けてクリスマス・イブは早くから目が覚め、早速窓から外を覗く。窓から見える風景を独り占めできることが嬉しくて仕方がない。今日もいい天気だ。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
-
ケイブルカーもクリスマス仕様
ノブ・ヒルのケイブル・カー交差点からユニオンスクエア方面向けの車に乗る。クリスマス期には、ケイブル・カーは1台1台、思い思いの装飾で飾られるが、僕らが乗った車は、車内に入って見上げると広告スペースがギフトラップしてあった。
今日の予定は、サンフランシスコの歴史的建物のツアーだ。とりあえず、コーヒーを買って、まだひと気の少ないユニオン・スクエアのテイブルで例のスコウンを食べながら作戦会議。 -
デューイー記念碑を見上げる
ショッピングの中心ユニオン・スクエアの名は、南北戦争(1861-1865)勃発直前に北軍(ユニオン)側支援の大会が繰り返し開かれたことにちなむ。僕はここに来るといつも、スクエアの中心に立つ90フィート(27メートル)のデューイー・モニュメントを見上げてみる。1906年の大地震にも耐えた花崗岩製の頑丈な塔である。
この塔は、キューバでの紛争から勃発した1898年の米西戦争で、スペイン艦隊を撃破しマニラ湾を奪取した米海軍のデューイー提督の快挙を記念して建てられた碑である。デューイー提督の活躍の結果、キューバ、フィリピン、プエルト・リコがスペインから独立し、アメリカの保護下に置かれることになる。グアムもこのときスペインの統治から外れた。 -
伝統のセントフランシスホテル
ユニオンスクエアの西側に聳えるのが、1904年築のセント・フランシス・ホテルだ。ビッグ・フォーの一人、チャールズ・クロッカーの遺産で建てられた伝統あるホテルである。サンフランシスコを西部のパリとするべく、当時の欧州の主要なホテルを参考に設計された。しかし、不幸にも開業のわずか2年後大地震後の火災で建物内部は焼け落ちてしまう。 -
1905年震災前のセントフランシスホテル
翌1907年に不死鳥のごとく営業再開、1908年に、向かって右側に第三のウイングを、1971年に背後に32階建ての高層の新館を追加し、サンフランシスコを代表する伝統あるホテルとして君臨してきた。 -
メイシーのクリスマスツリー
例年ホリデイシーズンには、ユニオン・スクエアに巨大なクリスマスツリーが出現する。このツリーは、スクエアの向かいにあるMacy's百貨店からサンフランシスコ市民へのプレゼントである。 -
メイシー・ユニオン・スクエア
ここのメイシーの歴史は、1866年創業のO'Connor, Moffat & Kean Co.に遡る。中上流階級を相手に保守的なファッションを専門にしていた同社は、1928年にユニオンスクエアに進出、45年には後継者難に見舞われたところを西海岸進出を狙っていたニューヨークの百貨店R. H. Macy'sに買収された。よそ者には冷ややかなサンフランシスコだが、このメイシーは夙に市民権を得ている。 -
白亜の宮殿こと旧アイ・マグニン百貨店
1876年創業の高級衣料専門店、I. Magninは、1948年にユニオンスクエアのMacy'sの隣に旗艦店をオウプンした。当時全米でもっともエレガントなデパートとして名を知られた店である。 -
このデパートも最終的には1988年にMacy'sに買収され、ユニオンスクエアの東側にはメイシーが並ぶことになった。その凹凸のないあっさりした表面は鳩害を防ぐためだそうだが、長年「白い大理石の宮殿」の愛称で市民に親しまれてきた。骨組みは1905年築のオフィスビルのものが使われている。
-
ニーマン・マーカス百貨店(旧シティ・オブ・パリス百貨店)
ユニオン・スクエアの南東の角にはテキサスの高級デパート、ニーマン・マーカスがある。この場所には、1896年から1970年代までCity of Parisというパリの最新ファッションを専門とする高級デパートがあった。このデパートを所有したフランス人は、19世紀半ばにゴウルド・ラッシュで世界中から訪れる人々に肌着を売るために移民してきたが、ここに店を持つまでは湾に停泊した船上が商いの場だった。 -
City of Parisの中央にあった有名な円形の吹き抜け(rotunda)は、1981年に再建された現在のビルの入口にそのまま移設された。毎年クリスマス時には、天井まで届く見事なクリスマス・ツリーが展示される。しかしながら、この伝統的建物を取り壊した現所有者のテキサスのデパート・チェーンに対しては、サンフランシスコの人々の感情は必ずしも好意的ではない。
-
パレスホテル
この建物の前を東西に走るギアリー通りを東に進み、街を斜交いに走るマーケット通りとぶつかる対面に、パレス・ホテルがある。パレスこそ、サンフランシスコの誕生以来、世界に通用する最初のホテルだった。
カリフォルニア銀行を設立した実業家ウイリアム・ラルストンは、サンフランシスコを世界に誇れる街に育てたいと考えた。ネバダ州で始まったシルバーラッシュが産む利益をつぎ込んで多くの公共事業に投資したラルストンは、1871年に総工費7百万ドル(今の120百万ドル)、工期5年の生涯最大のプロジェクト、パレス・ホテルの建設に着手した。
しかし、銀市況の暴落と行きすぎた投資のため、彼の銀行は倒産の危機を迎える。取り付け騒ぎの報せを受けたあと、ラルストンは日課の湾での水泳に出掛けたまま戻らぬ人となった。儚くも1ヶ月後のパレスホテルの開業を目にすることはなかった。 -
1891年の旧パレスホテル
最高級の建材で建てられ一流の調度を揃えたパレスは、当時としては桁外れの7,000の張り出し窓と全800室を数える豪華かつ壮大な建物だった。さらに、4基の油圧式エレベイタ(「登る部屋」)や近代的消火設備の最新技術のほか、各部屋には業界初の呼び出しボタンが設置されたハイテクホテルでもあった。当時ここを訪れたブラジルの皇帝は、パレスほど自分の国をみすぼらしく見せるものはない、と嘆いたという。 -
パレスホテルのガーデン・コート
そんな豪華なホテルも、1906年の震災の餌食として無惨に焼け落ちてしまう。しかし、当年の優雅は現在同じ場所に立つ1909年築の新生パレスに垣間見ることができる。とりわけ、かつて吹き抜けの馬車寄せがあった場所に設けられたガーデン・コートは一見の価値がある。 -
旧パレスホテルの馬車寄せ
-
セントラル・タワー(旧コール・ビルディング)
パレス・ホテルが建つマーケット通りは、まだ街の中心が他の地域に移る前、19世紀末には、大きな商店やビジネスが軒を並べる目抜き通りだった。当時通りに面する建物の長さと高さは、ベル・エポックのパリに倣って3対2の比率で設計されたという。そんな往年の写真でひときわ目を引くのが、コール・ビルディングである。 -
印象的なドウムを天辺に頂き、19世紀末のサンフランシスコのスカイラインを飾ったコール・ビルディングは、一時マーク・トゥエインが記者として勤めたこともある新聞社の本社ビルだった。1898年の完成当時、この鉄骨造りの18階建てビルはシカゴ以西で一番の高さだったそうだ。コール新聞社のオウナーだった負けず嫌いの砂糖長者は、ライバルのクロニクル紙とイグザミナー紙の本社の隣に、遙かに目立つ立派なビルを建てて他二社を牽制したのである。このビルの写真や絵葉書が特に多く残っていることを見ても、このビルが如何に当時の人々を魅了したかを窺い知ることができる。
しかし、コール・ビルディングも、他のビル同様1906年4月にサンフランシスコを襲った大地震とそれに続く火災のため全焼した。鉄骨が幸いし外部構造はそのまま残ったので、震災後2年で無事復元された。しかし、真の不幸は1938年に訪れる。当時盛んだった近代化の波に呑まれ、見事なバロック風ドウムは撤去され、追加のフロアで置き換えられてしまう。逆境を生き抜いた貴婦人が、無惨にも紋切り型の現代娘の姿に化粧替えさせられたようで、残念でならない。 -
ハースト・ビルディング
創業1856年のコール紙は1965年にウイリアム・ランドルフ・ハーストのイグザミナー紙に吸収されたが、当時イグザミナー紙は北のサード・ストリートを夾んで向かい合うハースト・ビル(築1890年、現在のビルは震災後の1910年築)に本社があった。イグザミナー紙は、次々と所有が変わり2003年に無料のタブロイド紙に姿を変えている。 -
旧クロニクル・ビルディング
一方、今日サンフランシスコのみならず西部を代表する有力紙クロニクルは、1865年若きデヤング兄弟が手元資金20ドルで市内の演劇ガイドとして始めたタブロイド紙だった。ある日ネタ集めで電報局に立ち寄った弟チャールズは、そこでたまたまリンカン大統領暗殺の特ダネを耳にした。彼は、モールス信号が解読できたのである。大急ぎで家に戻り、記憶を頼りに記事を印刷して号外を配ったところ、一躍サンフランシスコ中の注目を浴ることになった。こうしてクロニクル紙は有力新聞の第一歩を踏み出したのだった。
1890年築の旧クロニクル本社はイグザミナー紙とコール紙と鼻をつき合わせる場所に本社があった。屋上の大きな時計がビルの目印だった。
1965年からかつての競合相手のイグザミナー紙と協力し、朝刊はクロニクル、夕刊はイグザミナーが発行する態勢を35年続けた。2000年にクロニクルを所有していたデヤング家がその権益をイグザミナー紙のハースト出版に譲渡し、独禁法抵触を恐れたハースト出版は逆にイグザミナーを売りに出した。結果的にはハースト出版がクロニクルを発行するという、ウイリアム・ハーストやデヤング兄弟が聞いたら仰天するような組み合わせになったのだった。
1962年から「近代的」なカーテン・ウォールで覆い隠されていた旧クロニクル本社ビルは2005年から2年を費やして往年の表装に復元され、去年の11月より長期滞在型の高級レジデンスとして再利用されている。歴史的偉業を成し遂げたリッツ・カールトンに大拍手。 -
フィーラン・ビルディング
さて、マーケット通りを南に下ったオファレル通りとの鋭角の交差点に立つウエディング・ケーキのスライスのような建物は、1908年築のフィーラン・ビルである。昔のアイロンに形が似ていることから、建築の世界ではフラットアイロン(火のし)型というらしい。不利な地形を決定的な勝利に変換した見事な例だ。 -
1904年のフィーラン・ビル
ビルの名の由来のジェイムズ・フィーラン(1861-1930)はサンフランシスコ市長とカリフォルニア州選出の上院議員を務めた銀行家である。 -
ハンボルト・バンク・ビルディング
マーケット通りを渡った反対側には、1906年築のハンボルト・バンク・ビルが立っている。上のコール・ビルディングの影響が明かで、かつてのコール・ビルのものより遙かに小振りではあるが、バロック風のドウムが今日まで保存されている。スチールとガラスで作られた四角いビルが並ぶ中、優雅だった時代の雰囲気を今に伝える生き証人として貴重な存在だ。 -
ケイブルカーのターンテイブル
こうして、午前の部、ベル・エポック遺産ツアーは終了。ケイブルカーに乗って、ホテル近辺に路駐していた車を拾いに戻った。
【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10224626/につづく】
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Mark & Risbeauさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
22