北カリフォルニアのクリスマス その4:Mark & Risbeauさんの旅行ブログ
【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10222577/からつづく】
今回泊まったマーク・ホプキンズ・ホテルにはサンフランシスコの歴史そのものの歴史がある。
1849年のゴウルド・ラッシュで世界中の人々がカリフォルニアを目指して大移動を始めると、兼ねてから国を一つにまとめる手段として検討されてきた大陸横断鉄道建設の議論に弾みがついた。この時流に乗ったのが、当時まだ川沿いの村落だった今日の州都サクラメントで小さな商店を営んでいた4人の男達である。彼らはセントラル・パシフィック鉄道を組織し、合衆国政府が提供した助成金を手にして、西から線路の敷設を開始する。1861年のことだ。
険しい冬のシエラネバダ越えも何とか克服し、東のネブラスカ州オマハから敷設を進めてきた別のグループ、ユニオン・パシフィック鉄道とユタ州プロモントリで一つにつながり大陸鉄道が完成したのはその8年後のことである。当時最先端の輸送技術を独占した4人の手元には、以降莫大な富が蓄えられる。人々は、この4人をビッグ・フォーと呼んだ。
ビッグ・フォーは、市街を見下ろす険しいノブヒルに豪奢な屋敷を建て我が世の春を誇った。現在のスタンフォード・コート・ホテル、グレイス大聖堂、その目の前にあるハンティントン公園、そして今回僕らが泊まったホテルはいずれも彼らの広大な邸宅跡である。1952年に市営交通に組み込まれたケイブル・カーのカリフォルニア線は、傾斜が急なノブヒルへのアクセスを容易にするため、ビッグ・フォーが1878年に自費で敷設した私設交通機関だった。
ビッグ・フォーの一人、マーク・ホプキンズ(1813-1878)はセントラル・パシフィック鉄道の財務担当として手腕を発揮した男だ。財力が蓄えられるにつれ、次第に派手で横柄になっていった他の3人とは異なり、彼は生涯つましい倹約家だったと伝えられている。彼はノブヒルの麓に木造の小さな家を建て、自家菜園を営むような男で、夫人は他の3人の生活が羨ましくて仕方がない。
そこで、旦那にせがんで現在のマーク・ホプキンズ・ホテルの敷地に建てさせたのが、当時の派手な趣味の基準でも悪趣味とされるほどあらゆる様式てんこ盛りの奇怪な屋敷だった。
この屋敷は1875年に着工し、当主マークさんは1877年の完成を見ることなく出張先のアリゾナで客死した。夫の死後、結局夫人がこの家に住んだのはほんの数年にすぎない。1891年にこの屋敷は芸術学校に寄贈されキャンパス兼美術館として利用されたが、1906年の震災時の火災で焼失した。皮肉なことに、焼け跡の地下から大きな防火水槽が発見されたそうである。
1925年、同じ土地にフレンチ・シャトー様式の19階建てのホテルが建設され、相応しくマーク・ホプキンズという名前が付けられた。最上階19階にあったスイートは1939年に「トップ・オブ・ザ・マーク」というカクテル・ラウンジに改装された。高台に聳えるホテルの最上階から望む360度の夜景は息を呑む絶景だ。宿泊客でなくても入れるので、この街に来る機会があればぜひ登ってみること奨める。なお、ドレスコウドはないが、洗練されたラウンジであることはお忘れなく。
ホテルのロビーに入ると、まず目を引いたのが立派なクリスマスツリー。
部屋の鍵をもらうと、期待に胸を膨らませエレベイタのボタンを押す。ところで、このホテルにも13階はなかった。
部屋はこんな感じ。まあ、内装はこんなもんだろう。
しかし!窓から見える風景がすごい。これは翌朝撮影の街の風景だが、これまで泊まったホテルのなかでトップ・クラスの眺めである。とても感激。
窓からの絶景に興奮覚めやらぬまま、とりあえず夕食にでかけた。行き先は、ホテル横の険しい坂道をちょっと下ったところにあるフランス料理「Rue Lepic」。内装があっさりとした30席ほどの小さなレストランなのですぐ満席になってしまう。日本人オウナー・シェフ・ミチコさんの作り出す繊細なフランス料理は、グルメの多いサンフランシスコでもなかなかの評判だ。
いつものようにデザートも入らないほど満腹で、各種ベリー盛りクレーム・アングレーズとクレーム・ブリュレイは持ち帰りになった。臨月の妊婦さんさながらの体で店をでたが、腹ごなしのためちょっと遠回りでホテルに戻ることにした。
ホテルに戻ったものの、まだまだ寝るには早い。それではクリスマスの街並みを見に行きましょうと話がまとまり、フィッシャーマンズ・ウォーフ方面に散歩することに。
「世界一曲がった道」ロンバード通りの坂の上からは、コイト・タワー(左)とベイ・ブリッジがきれいに見えた。ここまで歩いて30分くらい。
ケイブルカーのハイド線の最後の急な坂を下りて、もう1ブロックで海にドボンと落ちるところに、バー「ブエナ・ビスタ」(地元では「BV」)がある。この店はアメリカにおけるアイリッシュ・コーヒーのメッカとして有名である。世界中から訪れた左党で、一年中冷え込む夜遅くまで混み合う人気店だ。僕も若い頃はお世話になった。
BVの並びには、数軒のアート・ギャラリーがある。1957年からプレイボーイ誌掲載のFemlinのイラストで有名なリロイ・ニーマンの展示会の広告を発見。
最終目的地のギラデリ・スクエアに到着。ギラデリ・スクエアは1893年にイタリアから移民してきたDomingo Ghirardelliが建設した煉瓦造りのチョコレート工場跡を、ショッピングモールに再開発した観光地。このモールは昔からテナントの回転が激しく、訪れる観光客が多い割には商業地としてあまりうまくいっていない。そのなかで、ギラデリ・ブランドのチョコレート店とアイスクリーム・サンデイで有名なカフェが孤軍奮闘している。最近遂にモール経営を諦めたらしく、高級アパートに改装中の様子だ。
ここのスクエアには、毎年ホリデーシーズンに大きなツリーが飾られる。この大きなツリーを見て、今晩の散歩は完結。
【つづく】
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