2008/03/02 - 2008/03/02
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haichaoluさん
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淮海路のお洒落なショッピング・ストリートは有名ですが、その裏にはまだフランス租界時代に建設された中国伝統的石庫門住宅が残っています。
今日はその一つ淮海路のすぐ南、陜西南路と茂名南路に挟まれた一角にある「淮海房」とそこにまつわる逸話の一つをご紹介します。
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淮海路側入り口は大きなビルになっていますので、その下をくぐって住宅内に入ると、中には1917年から1926年にかけてベルギーの天主教会普愛堂が建設した赤レンガ造りの3階建て長屋が167軒あります。
当時の家賃が一般管理職の1ヶ月相当だったので、高収入の自営業者や高級公務員、文化人、大学教授、弁護士などが多く住んでいたそうです。
やっぱりその当時から高級な場所だったのですね。 -
その一角の64号には1936年10月魯迅先生がお亡くなられた後に夫人許広平母子と、魯迅先生のご実弟周建人ご夫婦が入居されました。
魯迅先生は当事の「革命思想家」ですから、国民党政権から追われていました。
明治維新前の「吉田松陰」先生と同じような存在ですね。 -
そして、世紀の文豪魯迅先生が遺した多くの貴重な原稿や資料は、散逸するのを恐れた夫人と支援者らの手によって3階に集められ、600万語に及ぶ原稿の編集作業が密かに夜を徹して行われ、4ヵ月後に「魯迅全集」を世に問うことになりました。
その簡単な記念碑が門前に掲示してあります。 -
石庫門内を通り抜けると茂名南路に出られます。
夫人や献身的な編集者たちがいなければ、魯迅先生の名声も世に知れ渡ることなく消え去ったかもしれませんね。
この石庫門に残る一つの物語です。
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