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●新春の古都 京都(★世界文化遺産:東寺)<br /><br />●京都市交通局<br />http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/index.html<br /><br />●東寺<br />拝観料  <br />金堂:講堂 <br /> 大人 高校生 小・中学生 <br />個人 500円 400円 300円 <br />団体 350円 280円 200円 <br />金堂:講堂:宝物館 <br />個人 800円 700円 500円 <br />団体 700円 560円 400円 <br /> <br />拝観時間 <br />午前8時30分〜午後4時30分 (秋は5時30分)<br /><br />真言宗総本山東寺<br />TEL: 075-691-3325 FAX: 075-662-0250<br />TEL: 075-671-9612<br />

新春の古都 京都(★世界文化遺産:東寺)

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2008/01/04 - 2008/01/04

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comeva

comevaさん

●新春の古都 京都(★世界文化遺産:東寺)

●京都市交通局
http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/index.html

●東寺
拝観料
金堂:講堂
大人 高校生 小・中学生
個人 500円 400円 300円
団体 350円 280円 200円
金堂:講堂:宝物館
個人 800円 700円 500円
団体 700円 560円 400円

拝観時間
午前8時30分〜午後4時30分 (秋は5時30分)

真言宗総本山東寺
TEL: 075-691-3325 FAX: 075-662-0250
TEL: 075-671-9612

  • 東寺慶賀門から境内へ、入ってしばらく西の方向に歩きますと食堂と言うお堂が見えてきます。<br /><br />●食堂(じきどう)<br /><br />もともと僧侶たちが食事をした場所でしたが、同時に修行の場でもあったということです。<br /><br />足利尊氏が兵を起こした際、このお堂を宿舎として使用したことがあるそうです。<br /><br />現在宝物館に安置されている巨大な本尊、千手観音立像がもとはここにあったことから、食堂は千手堂とも呼ばれました。<br />空海没後、9世紀末から10世紀初めにかけて完成。<br />1930年に失火により焼失しましたが、1934年に再建されました。

    東寺慶賀門から境内へ、入ってしばらく西の方向に歩きますと食堂と言うお堂が見えてきます。

    ●食堂(じきどう)

    もともと僧侶たちが食事をした場所でしたが、同時に修行の場でもあったということです。

    足利尊氏が兵を起こした際、このお堂を宿舎として使用したことがあるそうです。

    現在宝物館に安置されている巨大な本尊、千手観音立像がもとはここにあったことから、食堂は千手堂とも呼ばれました。
    空海没後、9世紀末から10世紀初めにかけて完成。
    1930年に失火により焼失しましたが、1934年に再建されました。

  • 拝観受付<br />

    拝観受付

  • 不二桜<br /><br />入ってすぐ左手に見えてきます。春の頃が良いかも知れません。

    不二桜

    入ってすぐ左手に見えてきます。春の頃が良いかも知れません。

  • 逆光ですが、瓢箪池からの五重塔

    逆光ですが、瓢箪池からの五重塔

  • 瓢箪池

    瓢箪池

  • 瓢箪池から金堂(左)と講堂

    瓢箪池から金堂(左)と講堂

  • 五重塔(国宝)<br /><br />東寺のというよりは京都のシンボルとなっている塔である。高さ54.8メートルで木造塔としては日本一の高さを誇る。現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられた。創建は空海没後の9世紀末であった。 <br />

    五重塔(国宝)

    東寺のというよりは京都のシンボルとなっている塔である。高さ54.8メートルで木造塔としては日本一の高さを誇る。現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられた。創建は空海没後の9世紀末であった。

  • 五重塔(国宝)

    五重塔(国宝)

  • 金堂(国宝)

    金堂(国宝)

  • 金堂(国宝) <br /><br />現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもの。内部には広大な空間の中に本尊の薬師三尊像が安置されている。中尊の像高2.9メートルに達する巨像で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作である。

    金堂(国宝)

    現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもの。内部には広大な空間の中に本尊の薬師三尊像が安置されている。中尊の像高2.9メートルに達する巨像で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作である。

  • 講堂(重要文化財)<br /><br />室町時代の延徳3年(1491年)の再建。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来をはじめとする21体の密教彫像が所狭しと安置されている。これらは、日本最古の本格的な密教彫像である。

    講堂(重要文化財)

    室町時代の延徳3年(1491年)の再建。金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来をはじめとする21体の密教彫像が所狭しと安置されている。これらは、日本最古の本格的な密教彫像である。

  • 食堂西側にあった観音さん

    食堂西側にあった観音さん

  • 毘沙門天(都七福神)<br /><br />

    毘沙門天(都七福神)

  • 毘沙門堂(都七福神)<br /><br />弘法大師が入唐の際感得されたもので、無量の知恵で学業成就や安産の信仰を集めています。

    毘沙門堂(都七福神)

    弘法大師が入唐の際感得されたもので、無量の知恵で学業成就や安産の信仰を集めています。

  • 毘沙門堂(都七福神)

    毘沙門堂(都七福神)

  • 向こう側から2番目の所に亀の石がありますが、その亀の頭を撫でた後、自分の頭を撫でると本当かどうかわかりませんが、ご利益があるそうです。

    向こう側から2番目の所に亀の石がありますが、その亀の頭を撫でた後、自分の頭を撫でると本当かどうかわかりませんが、ご利益があるそうです。

  • 三面大黒天<br /><br />大黒天・毘沙門天・弁財天と三尊のご利益が一度に授かれます

    三面大黒天

    大黒天・毘沙門天・弁財天と三尊のご利益が一度に授かれます

  • 大師堂:西院御影堂(国宝:室町時代)<br /><br /><br />弘法大師の住房で、大師の念持仏不動明王像(秘仏)が安置され不動堂ともよばれていました。康暦元年(1379)焼失しましたが、その翌年には再建され、さらに十年後の明徳元年(1390)には北側に、国宝・大師像を拝するための礼堂と廊を加え現在の姿となりました。<br />堂内には不動明王と大師像が祀られ、弘法大師信仰の中心となっている御堂です。入母屋造りの礼堂、切妻の中門、ゆるやかな勾配の総檜皮茸の屋根がその優美さを際立たせています。

    大師堂:西院御影堂(国宝:室町時代)


    弘法大師の住房で、大師の念持仏不動明王像(秘仏)が安置され不動堂ともよばれていました。康暦元年(1379)焼失しましたが、その翌年には再建され、さらに十年後の明徳元年(1390)には北側に、国宝・大師像を拝するための礼堂と廊を加え現在の姿となりました。
    堂内には不動明王と大師像が祀られ、弘法大師信仰の中心となっている御堂です。入母屋造りの礼堂、切妻の中門、ゆるやかな勾配の総檜皮茸の屋根がその優美さを際立たせています。

  • 大日堂<br /><br />大師堂の反対側(真北)にあります。

    大日堂

    大師堂の反対側(真北)にあります。

  • 大師堂へはここからも入れるようです。

    大師堂へはここからも入れるようです。

  • 北大門<br /><br />

    北大門

  • 観智院<br /><br />北大門を出てすぐ右手前方に見えます(◎-◎)

    観智院

    北大門を出てすぐ右手前方に見えます(◎-◎)

  • 観智院客殿−慶長11年(1606年)の建立。<br /><br />書院は国宝で慶長10(1605)年建造。桃山様式の書院造の最後の建物とされている。玄関から入るとまず宮本武蔵作の水墨画がある。宮本武蔵が東山の一乗寺下り松で吉岡兄弟との対決後、しばらくここに住まい、ほとぼりを覚ましていたようで、「鷲の図」「竹林の図」が見られる。吉岡兄弟との対決は慶長9(1604)年と伝わっているので、史実であれば武蔵はこの書院の建築中に居候していたことになる。<br /><br />その横、東寺に面して「五大の庭」がある。弘法大師(空海)が唐から帰国する折、乗っていた船が嵐で難破しそうになるが、海神に護られて無事帰還する様子及び五大虚空蔵菩薩像をイメージして構成されているらしい。<br />

    観智院客殿−慶長11年(1606年)の建立。

    書院は国宝で慶長10(1605)年建造。桃山様式の書院造の最後の建物とされている。玄関から入るとまず宮本武蔵作の水墨画がある。宮本武蔵が東山の一乗寺下り松で吉岡兄弟との対決後、しばらくここに住まい、ほとぼりを覚ましていたようで、「鷲の図」「竹林の図」が見られる。吉岡兄弟との対決は慶長9(1604)年と伝わっているので、史実であれば武蔵はこの書院の建築中に居候していたことになる。

    その横、東寺に面して「五大の庭」がある。弘法大師(空海)が唐から帰国する折、乗っていた船が嵐で難破しそうになるが、海神に護られて無事帰還する様子及び五大虚空蔵菩薩像をイメージして構成されているらしい。

  • 観智院

    観智院

  • 観智院

    観智院

  • 観智院の五大の庭<br /><br />五つの石は五大虚空蔵菩薩像を表している

    観智院の五大の庭

    五つの石は五大虚空蔵菩薩像を表している

  • 観智院の五大の庭<br /><br />五つの石は五大虚空蔵菩薩像を表している<br />石組みは、遣唐船と守護する竜神・神亀・鯱(しゃち)を表す<br /><br />右手の築山と奥には左築山が見えます。

    観智院の五大の庭

    五つの石は五大虚空蔵菩薩像を表している
    石組みは、遣唐船と守護する竜神・神亀・鯱(しゃち)を表す

    右手の築山と奥には左築山が見えます。

  • お疲れ様でした。

    お疲れ様でした。

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