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継体天皇(けいたいてんのう450−531年)は第26代の天皇(在位507−531年) で大和の勢力と越前、近江など北方豪族勢力をまとめヤマト王権を強固なものにした人物と言われている。<br /> 『古事記』、『日本書紀』によると継体天皇は応神天皇(おうじんてんのう201−310年)の孫で滋賀県高島市で誕生後母の故郷・福井県坂井市丸岡町で育ち、506年武烈天皇(ぶれつてんのう489−507年)の崩御後豪族・大連(おおむらじ)・大伴金村(おおとも の かなむら)らが継体を大王に推挙、507年に58歳で河内国樟葉宮(くすばのみや)で即位。511年には筒城宮(つつきのみや・京都府京田辺市)518年に弟国宮(おとくにのみや・京都府長岡京市)526年に磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや・奈良県桜井市)に短期間で次々と遷都している。 <br />宮内庁は大阪府茨木市の太田茶臼山古墳を継体天皇稜として墓の整備をしているが近年では大阪府高槻市の今城塚古墳(いましろづかこふん)から兵馬俑のような170センチもある大型の埴輪群が発見されたことからこちらが継体天皇陵とするのが定説になっている。だが、陵墓の指定を変更することが大変なことであることはわかるが継体天皇稜の調査を自ら行わない宮内庁の対応も不可解だ。<br />今城塚古墳は宮内庁が陵墓に指定していないので一般人の発掘研究がされてきた。現在高槻市は史跡公園としての整備を進めており、内部に入ることはできない。古代の史説は信憑性が明らかでないものも多く、これからも宮内庁が陵墓としている古墳が間違っていたというケースもあり得る。宮内庁が指定した陵墓の調査はできないことになっているが、天皇を神格化してきた歴史、陵墓の管理・費用の問題などがあるとは言え、エジプトの王家の谷のように民間を含めた発掘研究を行えば日本の歴史の定説を覆す重要な発見があるかも知れないと思うのだが。<br /><br />太田茶臼山古墳の近くには茨木市立川端康成文学館(いばらきしりつかわばたやすなりぶんがくかん)がある。川端 康成(かわばた やすなり1899−1972年)は、『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『古都』など日本の美を表現し1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した作家で幼児期から高校卒業まで茨木市で過ごした。茨木市立川端康成文学館では茨木市民であった川端康成の遺品400点を展示紹介しており周辺の道は「川端通り」と名づけられ偉大な文学者を称えている。<br />(写真は大田茶臼山古墳)<br />

日本の旅 関西を歩く 大阪・二つの継体天皇陵と川端康成文学館

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2007/11/24 - 2007/11/24

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

継体天皇(けいたいてんのう450−531年)は第26代の天皇(在位507−531年) で大和の勢力と越前、近江など北方豪族勢力をまとめヤマト王権を強固なものにした人物と言われている。
『古事記』、『日本書紀』によると継体天皇は応神天皇(おうじんてんのう201−310年)の孫で滋賀県高島市で誕生後母の故郷・福井県坂井市丸岡町で育ち、506年武烈天皇(ぶれつてんのう489−507年)の崩御後豪族・大連(おおむらじ)・大伴金村(おおとも の かなむら)らが継体を大王に推挙、507年に58歳で河内国樟葉宮(くすばのみや)で即位。511年には筒城宮(つつきのみや・京都府京田辺市)518年に弟国宮(おとくにのみや・京都府長岡京市)526年に磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや・奈良県桜井市)に短期間で次々と遷都している。
宮内庁は大阪府茨木市の太田茶臼山古墳を継体天皇稜として墓の整備をしているが近年では大阪府高槻市の今城塚古墳(いましろづかこふん)から兵馬俑のような170センチもある大型の埴輪群が発見されたことからこちらが継体天皇陵とするのが定説になっている。だが、陵墓の指定を変更することが大変なことであることはわかるが継体天皇稜の調査を自ら行わない宮内庁の対応も不可解だ。
今城塚古墳は宮内庁が陵墓に指定していないので一般人の発掘研究がされてきた。現在高槻市は史跡公園としての整備を進めており、内部に入ることはできない。古代の史説は信憑性が明らかでないものも多く、これからも宮内庁が陵墓としている古墳が間違っていたというケースもあり得る。宮内庁が指定した陵墓の調査はできないことになっているが、天皇を神格化してきた歴史、陵墓の管理・費用の問題などがあるとは言え、エジプトの王家の谷のように民間を含めた発掘研究を行えば日本の歴史の定説を覆す重要な発見があるかも知れないと思うのだが。

太田茶臼山古墳の近くには茨木市立川端康成文学館(いばらきしりつかわばたやすなりぶんがくかん)がある。川端 康成(かわばた やすなり1899−1972年)は、『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『古都』など日本の美を表現し1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した作家で幼児期から高校卒業まで茨木市で過ごした。茨木市立川端康成文学館では茨木市民であった川端康成の遺品400点を展示紹介しており周辺の道は「川端通り」と名づけられ偉大な文学者を称えている。
(写真は大田茶臼山古墳)

  • 大田茶臼山古墳。<br />

    大田茶臼山古墳。

  • 宮内庁が継体天皇稜としている大阪府茨木市の太田茶臼山古墳の説明板。<br />

    宮内庁が継体天皇稜としている大阪府茨木市の太田茶臼山古墳の説明板。

  • 大田茶臼山古墳。<br />

    大田茶臼山古墳。

  • 大田茶臼山古墳。<br />

    大田茶臼山古墳。

  • 大田茶臼山古墳。<br />

    大田茶臼山古墳。

  • 大田茶臼山古墳の近くにある大田神社。<br />

    大田茶臼山古墳の近くにある大田神社。

  • 大田茶臼山古墳の近くにある大田神社。<br />

    大田茶臼山古墳の近くにある大田神社。

  • 西国街道。<br />

    西国街道。

  • 史跡公園にするための工事中の今城塚古墳。<br />

    史跡公園にするための工事中の今城塚古墳。

  • 今城塚古墳史跡公園の説明板。現在では継体天皇陵とするのが定説となっている。<br />

    今城塚古墳史跡公園の説明板。現在では継体天皇陵とするのが定説となっている。

  • 史跡公園にするための工事中の今城塚古墳。<br />

    史跡公園にするための工事中の今城塚古墳。

  • 今城塚古墳から見る夕日。<br />

    今城塚古墳から見る夕日。

  • 継体天皇樟葉宮(くすばのみや)跡の碑。<br />

    継体天皇樟葉宮(くすばのみや)跡の碑。

  • 継体天皇樟葉宮(くすばのみや)跡には貴船神社が建立されている。<br />

    継体天皇樟葉宮(くすばのみや)跡には貴船神社が建立されている。

  • 川端康成文学館の記念碑。川端 康成(かわばた やすなり1899−1972年)は、『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『古都』など日本の美を表現し1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した作家で1972年にガス自殺。1899年、大阪市北区此花町の天神橋付近で生まれた。1901年に父、1902年に母を亡くし茨木市で祖父母に育てられた。だが、1906年に祖母、1914年には祖父が亡くなり大阪府立茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)の寄宿舎で暮らした。家庭的には恵まれない人だった。<br />

    川端康成文学館の記念碑。川端 康成(かわばた やすなり1899−1972年)は、『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『古都』など日本の美を表現し1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した作家で1972年にガス自殺。1899年、大阪市北区此花町の天神橋付近で生まれた。1901年に父、1902年に母を亡くし茨木市で祖父母に育てられた。だが、1906年に祖母、1914年には祖父が亡くなり大阪府立茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)の寄宿舎で暮らした。家庭的には恵まれない人だった。

  • 川端康成文学館。茨木市立川端康成文学館(いばらきしりつかわばたやすなりぶんがくかん)は日本人初のノーベル文学賞受賞者である作家・川端康成の業績のを紹介するために、両親の死後に祖父に引き取られた3歳から、旧制茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)卒業までを過ごした茨木市に1985年に建設され、遺品など約400点を展示している。<br /><br />

    川端康成文学館。茨木市立川端康成文学館(いばらきしりつかわばたやすなりぶんがくかん)は日本人初のノーベル文学賞受賞者である作家・川端康成の業績のを紹介するために、両親の死後に祖父に引き取られた3歳から、旧制茨木中学校(現大阪府立茨木高等学校)卒業までを過ごした茨木市に1985年に建設され、遺品など約400点を展示している。

  • 川端康成文学館前の公園。<br />

    川端康成文学館前の公園。

  • 川端康成文学館前の公園。<br />

    川端康成文学館前の公園。

  • 川端康成文学館前の公園。<br />

    川端康成文学館前の公園。

  • 川端康成の名前をつけた「川端通り」。<br />

    川端康成の名前をつけた「川端通り」。

  • 川端康成の名前をつけた「川端通り」。<br />

    川端康成の名前をつけた「川端通り」。

  • 川端康成が3歳のときに祖母に抱かれて渡った大阪市住吉区、住吉大社の反橋。<br />

    川端康成が3歳のときに祖母に抱かれて渡った大阪市住吉区、住吉大社の反橋。

  • 住吉大社の反橋脇の川端康成の文学碑。小説「反橋」に描かれた3歳の記憶の一文が紹介されている。<br />

    住吉大社の反橋脇の川端康成の文学碑。小説「反橋」に描かれた3歳の記憶の一文が紹介されている。

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