2007/11/16 - 2007/11/16
192位(同エリア652件中)
晴れ男。さん
奈良見物2日目は法隆寺、中宮寺、法輪寺、法起寺にいきました。
○【法隆寺】
創建の志半ばで崩御した用明天皇の意志を継ぎ、推古15年(607)に、聖徳太子と推古天皇が寺と本尊を完成させた。五重塔や金堂などは世界最古の木造建築とされ、平成5(1993)年には日本で初めてユネスコの世界遺産に登録された。無数の文化財を所蔵し、国宝・重要文化財だけでおよそ190件、仏像だけでも約650体があるという。参考図書として、「法隆寺の謎を解く」(武澤秀一著、ちくま新書)を利用した。
(画像1〜11)
○【中宮寺】
もとは今の寺地の東500mのところにあり、斑鳩尼寺と呼ばれていた。聖徳太子の母穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために、その宮を寺としたものと伝えられている。2度にわたる昭和の発掘調査で当初は塔と金堂が縦に並ぶ「四天王寺伽藍配置」の大寺であったことがわかった。平安時代以降衰退して鎌倉時代に復興するが再び衰え、現在地に移ったという。室町時代に尊智女王が入寺し、その後宮家の女性が入寺する門跡寺院(尼門跡)となり、斑鳩御所とも呼ばれた。
(画像12)
○【法輪寺】
聖徳太子の子、山背大兄王や由義王が推古天皇30年(622年)に太子の病気快復を祈って建立したと伝えられるが、法隆寺が炎上したと『日本書紀』が書く天智天皇9年(670年)に百済の開法師らが建立したしたという説もある。中世には衰微し、昭和19年の落雷によって三重塔を焼失する。現在の塔は、昭和59年に再建された。
(画像13〜15)
○【法起寺】
所在地にちなんで岡本寺、また池後寺(池尻寺)と呼ばれた寺。推古天皇30年(622年)に聖徳太子の遺命により、山背大兄王が太子の岡本宮跡に造営。創立は露盤銘により舒明天皇10年(638年)に福亮が弥勒像を造立し、金堂を建てたとされている。わが国最古最大の三重塔は白鳳時代に建立されたものだが、金堂と塔の位置が法隆寺とは逆で、「法起寺式伽藍配置」と呼ばれる。元禄7年(1694年)再建の本堂など、ほかの建物は後世のもの。
(画像16〜17)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自転車 ANAグループ 私鉄 徒歩
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「南大門」です。永亭10年(1438年)に再建されたものです。
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朝早いせいか、このとおり人があまりいませんでした。写真撮影や静かな時間を過ごすにはとてもよかったです。
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西院伽藍にある、これが有名な、わが国最古の「五重塔」です。高さは約31.5m(基壇上より)です。写真におさめるのが大変でした。
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西院伽藍にある「金堂」です。法隆寺のご本尊を安置する聖なる殿堂です。
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「中門」です。西院伽藍の正門。正面4間で入口が2間なのが珍しい。勾欄の卍崩しの意匠をはじめ、雲斗・雲肘木など細部にまで飛鳥建築の粋を見ることができます。左右の「金剛力士像」は高さ約380?、和銅4年(711年)作とされています。
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東院伽藍にある「夢殿」です。わが国最古の「八角円堂」。601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都(ぎょうしんそうず)という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739年)に建てた伽藍を上宮王院(じょうぐうおういん)といいます。その中心となる建物がこの「夢殿」です。
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東院伽藍にある「舎利殿・絵殿」です。「舎利殿」は聖徳太子が2才の春に、合掌された掌中から出現したという舎利を安置する建物で、絵殿には聖徳太子一代の事蹟を描いた障子絵が納められています。
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東院伽藍にある「礼堂」です。
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中宮寺の「本堂」です。「本堂」に上がると正面に本尊の木造菩薩半跏像が腰掛けています。寺伝によると如意輪観音というが、通常弥勒菩薩と呼ばれている像です。
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法輪寺の「三重塔」です。作家の幸田文や信徒らの尽力もあって昭和の名工、西岡常一の手により「飛鳥様式」で再建されました。総高、24mです。
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法輪寺の「本堂」です。宝暦11年(1761年)に再建されました。
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法起寺の「三重塔」です。高さ24mです。『聖徳太子伝私記』に伝えられる塔露盤銘に慶雲3年(706年)に露盤を上げたとあり、わが国最古最大の「三重塔」です。
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