![郡山に用事があって出かけた日に松明あかしがあると知って<br />友人宅に泊めてもらって、居酒屋で食事をしてから出かけました<br /><br /> 戦国時代、須賀川は二階堂氏の城下町として栄えていた。天正17年(1589年)6月、伊達政宗は会津黒川城主、芦名氏を滅ぼし、その余勢をかって須賀川城を攻撃。この時、須賀川城主は二階堂盛義の後室大乗院(伊達政宗の伯母)であった。政宗の計略を知った二階堂家の家臣や領民は、10月10日の夜、手に手に松明を灯して町の東の丘(十日山)に集まり徹底抗戦を決意。しかし政宗の激しい攻撃と家臣の内通によって落城し、ほとんどの兵は戦死することになる。この戦いで命を落とした人々の霊を弔うために行われるようになったのが、須賀川市を代表する伝統行事「松明あかし」です。<br /> <br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/19/98/650x_10199802.jpg?updated_at=1195991794)
2007/11/10 - 2007/11/10
154位(同エリア173件中)
おだんごさん
郡山に用事があって出かけた日に松明あかしがあると知って
友人宅に泊めてもらって、居酒屋で食事をしてから出かけました
戦国時代、須賀川は二階堂氏の城下町として栄えていた。天正17年(1589年)6月、伊達政宗は会津黒川城主、芦名氏を滅ぼし、その余勢をかって須賀川城を攻撃。この時、須賀川城主は二階堂盛義の後室大乗院(伊達政宗の伯母)であった。政宗の計略を知った二階堂家の家臣や領民は、10月10日の夜、手に手に松明を灯して町の東の丘(十日山)に集まり徹底抗戦を決意。しかし政宗の激しい攻撃と家臣の内通によって落城し、ほとんどの兵は戦死することになる。この戦いで命を落とした人々の霊を弔うために行われるようになったのが、須賀川市を代表する伝統行事「松明あかし」です。
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この旅行記へのコメント (1)
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- JOECOOLさん 2007/11/25 21:28:33
- ホントに火事のよう!
- こんばんは。
火祭りの旅行記、拝見しました。
おっしゃっていたとおり、ホントに火事のようですね。
でもなかなか迫力があって素晴らしい!
おだんごさんのコスチューム、ゴルフのキャディさんかと思ってしまいました(笑)。
by JOECOOL
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