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ウィーン経由でイスタンブールへ出張することになった。久しぶりのヨーロッパ経由、わずかな時間だがウィーンを楽しもうとIXY900ISを最大限活用してみた。荷物はスルーで流しているので、手荷物だけ、空港から鉄道でウィーン市内へ、そして、ケルトナー(Kerntner)通りへ足を向けた。到着日は天気が良かったが、翌日のウィーンは小雨、キャリーオンとPCケースをガラガラと引っ張りながら移動した。<br /><br />ウィーンでの宿泊先<br />Holiday Inn Vienna City<br /><br />利用した航空会社<br />オーストリア航空<br /><br />

成田−ウィーン−イスタンブール点描(2)

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2007/10/17 - 2007/10/17

6120位(同エリア6451件中)

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8

LeJardin2006

LeJardin2006さん

ウィーン経由でイスタンブールへ出張することになった。久しぶりのヨーロッパ経由、わずかな時間だがウィーンを楽しもうとIXY900ISを最大限活用してみた。荷物はスルーで流しているので、手荷物だけ、空港から鉄道でウィーン市内へ、そして、ケルトナー(Kerntner)通りへ足を向けた。到着日は天気が良かったが、翌日のウィーンは小雨、キャリーオンとPCケースをガラガラと引っ張りながら移動した。

ウィーンでの宿泊先
Holiday Inn Vienna City

利用した航空会社
オーストリア航空

  • 先ほどホテルまで来た道のりを戻る形でKetten Brucken Gasse駅からU4に乗り、一つ目のカールスプラッツでU1に乗り換え、一つ目のステファンプラッツで降りる。ケルトナー通りの出口を出るとおなじみの町並みが待っていた。7時までオープンしているSTEFFLへ足を向ける。以前、皮の手袋をここで買ったことがあるが、まだそういう季節ではない。

    先ほどホテルまで来た道のりを戻る形でKetten Brucken Gasse駅からU4に乗り、一つ目のカールスプラッツでU1に乗り換え、一つ目のステファンプラッツで降りる。ケルトナー通りの出口を出るとおなじみの町並みが待っていた。7時までオープンしているSTEFFLへ足を向ける。以前、皮の手袋をここで買ったことがあるが、まだそういう季節ではない。

  • STEFFLが閉まったので通りを歩きながらウィンドウショッピングと散歩を楽しむ。通りにピアノを持ち出して演奏している人がいたが、STEFFLから出てきたら「月光」を演奏しているので思わず聞き入った。

    STEFFLが閉まったので通りを歩きながらウィンドウショッピングと散歩を楽しむ。通りにピアノを持ち出して演奏している人がいたが、STEFFLから出てきたら「月光」を演奏しているので思わず聞き入った。

  • 通りを見上げたら3年前と同じディスプレイがあった。ケルトナー通りの地下鉄出口から直ぐのところにJALのサインが見えた。ANAはウィーンの事務所を閉鎖したという記事を機内で読んだがJALはまだ健在だ。

    通りを見上げたら3年前と同じディスプレイがあった。ケルトナー通りの地下鉄出口から直ぐのところにJALのサインが見えた。ANAはウィーンの事務所を閉鎖したという記事を機内で読んだがJALはまだ健在だ。

  • ステファン大聖堂は塔が修復中で覆いがかかっていた。大聖堂はミサの途中、荘厳なパイプオルガンがゴシック様式の大聖堂に響き渡る。入り口を入って右側にある燭台に燈る無数の揺れる蝋燭の灯はいつ見ても心に響く。<br /><br />その後、春江一也の上海の・・・に出てくるKaiserin Elisabeth Hotelが直ぐ近くにあるなと思い足を向けるが、一本筋を間違えていたようだ。Royal  Hotelの通りだと思っていたがもう一本先だ。<br /><br />この写真はアストリアホテル、90年代初頭にここからソフィアまでブダペスト、ベオグラードを経由して鉄道で行ったときに泊まったホテル、当時よりかなり質が上がっている概観だ。ランドマークだったドームが見えないけど角度のせいだったのだろうか。

    ステファン大聖堂は塔が修復中で覆いがかかっていた。大聖堂はミサの途中、荘厳なパイプオルガンがゴシック様式の大聖堂に響き渡る。入り口を入って右側にある燭台に燈る無数の揺れる蝋燭の灯はいつ見ても心に響く。

    その後、春江一也の上海の・・・に出てくるKaiserin Elisabeth Hotelが直ぐ近くにあるなと思い足を向けるが、一本筋を間違えていたようだ。Royal Hotelの通りだと思っていたがもう一本先だ。

    この写真はアストリアホテル、90年代初頭にここからソフィアまでブダペスト、ベオグラードを経由して鉄道で行ったときに泊まったホテル、当時よりかなり質が上がっている概観だ。ランドマークだったドームが見えないけど角度のせいだったのだろうか。

  • 地図をみるとケルトナー通りからホテルまではそう遠くはない。Secessionを観がてら徒歩で帰ることにした。カールスプラッツからSecessionというサインを頼りに地下道を歩いた。午後8時ごろだったが地下道は人が少ない。Secessionという階段を上ったところがFriedrichstrasse 12、Secession館 (Josef Maria Olbrich, 1897)だ。今度は明るいときに来よう。

    地図をみるとケルトナー通りからホテルまではそう遠くはない。Secessionを観がてら徒歩で帰ることにした。カールスプラッツからSecessionというサインを頼りに地下道を歩いた。午後8時ごろだったが地下道は人が少ない。Secessionという階段を上ったところがFriedrichstrasse 12、Secession館 (Josef Maria Olbrich, 1897)だ。今度は明るいときに来よう。

  • セセッション館、ウィーン分離展示場として1897年に竣工し現在も展示場として利用されている。ウィーン分離は、この建物を設計したオルブリッヒの他、クリムト、ワーグナー、ホフマン、モーザの名が挙がる。正面から見ると月桂樹の葉でデザインされた金色の球がある(写真を撮っていない)。当時の新芸術表現であるが現在でもすばらしい芸術作品だ。

    セセッション館、ウィーン分離展示場として1897年に竣工し現在も展示場として利用されている。ウィーン分離は、この建物を設計したオルブリッヒの他、クリムト、ワーグナー、ホフマン、モーザの名が挙がる。正面から見ると月桂樹の葉でデザインされた金色の球がある(写真を撮っていない)。当時の新芸術表現であるが現在でもすばらしい芸術作品だ。

  • ウィーンの夜は人影が少ない。FriedrichstrasseのSecession館から通りを渡り、ホテルのある通りに向かう。ヨーロッパの地図は通りの名前以外判断しにくくいのでバス停の地図を頼りに現在位置を確認し、歩き始めた。ウィーン工科大の横を通りそのまま真っ直ぐ行けばホテルだ。ホテルはこじんまりとした小奇麗な機能的な部屋、7階だったので屋根組みが部屋の中に出ていた。

    ウィーンの夜は人影が少ない。FriedrichstrasseのSecession館から通りを渡り、ホテルのある通りに向かう。ヨーロッパの地図は通りの名前以外判断しにくくいのでバス停の地図を頼りに現在位置を確認し、歩き始めた。ウィーン工科大の横を通りそのまま真っ直ぐ行けばホテルだ。ホテルはこじんまりとした小奇麗な機能的な部屋、7階だったので屋根組みが部屋の中に出ていた。

  • ウィーンのホテルは高級と名がつくところ意外このようなシンプルな作り、小さいかと思ったが十分だった。この部屋はシングルなので特に狭いのかもしれない。窓からウィーンの町並みが望めた。

    ウィーンのホテルは高級と名がつくところ意外このようなシンプルな作り、小さいかと思ったが十分だった。この部屋はシングルなので特に狭いのかもしれない。窓からウィーンの町並みが望めた。

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