2007/09/24 - 2007/09/24
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のださん
上野公園で鑑賞会。
本日のターゲットは、国立科学博物館の「失われた文明「インカ・マヤ・アステカ」展」と東京都美術館の「トプカプ宮殿の至宝展」。
気がつけばどちらも本日が最終日です。
ものすごい人出が予想されます。
どちらにも初めて入りますが、うわさによるといつも人が多いようです。
国立科学博物館、東京都美術館の順に入ります。
開館は9時ですが、ちょっと早めに行って、国立博物館隣にある両大師へ参拝することにします。
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まずはこちら、その名も両大師橋。
上野駅の北側に架かっていて、下にJRの線路が走っています。
この橋は、両大師の名がついているので一応見ておきましたが、特にどうということもありません。 -
殉死之墓に向かう道を進んでいると、右側に見えてくるのが「日本鳩レース協会」。
・・・まあだからどうしたという感じでしょうが、こういうものがこちらにあるということを知っておかなくてもよいです。 -
引き返して、両大師門。
両大師とは、慈恵大師良源と慈眼大師天海のことで、2人を祀っているから両大師、だそうです。
良源は第18代天台座主、正月の三日に没したので、「元三大師」という通称で名高いですね。
祀っている有名な寺院は佐野厄除け大師です。
天海が、徳川家光の世継ぎ(後の4代家綱)安産祈願のため、尊敬する慈恵大師の像を迎えたのだそうで、後に天海も祀られたということでしょう。 -
本堂。
一般の方も集まって、堂内で祈祷しているみたいです。
この隣にある輪王寺宮歴代墓所は、現在は宮内庁の管轄だそうで、一般の参拝客は入れないそうです。
輪王寺と寛永寺の関係についてはよく知りませんが、寛永寺門主が「輪王寺宮」と呼ばれていたそうです。 -
横に抜けて、輪王殿の南側。
寛永寺旧本坊表門。
説明板によると、寛永寺本坊は上野戦争でことごとく消失し、表門のみ残ったそうです。
帝国博物館(現東京国立博物館)が明治11年に開館するとその正門として使われたが、関東大震災後、現在の本館を改築するに伴い現在地に移された、とのことです。
美しい漆黒ですが、いわゆる寛永寺の黒門というのは、現在円通寺にあり、これとは違う・・・と思ったが、もしかしてこれも黒門と呼ぶの?
これと同型の門が、東大の赤門だと言われています。 -
両大師を後にし、信号を渡り、国立科学博物館前。
立派な建物です。
今年4月にリニューアルオープンしたとのことですが、以前の姿を知らないのでどこが変わったかもわかりません。
外観は変わっていないのかもしれません。
リニューアル前は本館・新館と呼ばれていたのを、現在はそれぞれ日本館・地球館と呼ぶそうです。 -
国立科学博物館前の茂みに立っている、現千円札肖像の野口英世博士。
なぜここに野口英世なのかは知りませんが、まあいろいろあってこちらに建ったようです。
「科学博物館」の前ですので、悪くはありませんね。
しかし、あまり目立たないところにあるので、ちょっとかわいそうです。 -
開館は9時ですが、ただ今8:45。
うぉ、すげー並んでいる!
今日は最終日ですしね、それでも予想より上です。
私の後ろにも続々と行列ができています。
こりゃ入ってもかなりの混雑だろうな。 -
案の定めちゃくちゃな人混み。
江戸東京博物館の特別展なんて目じゃないくらい、今までで一番です。
展示よりも人混みのほうが気になってしょうがなかった。
特別展を出ると10時半くらいで、ちょうど常設展のガイドツアーが始まりました。
ガイドツアーがあるとは知らなかったが、とてもわかりやすくて、参加して良かった。
ただし、膨大な展示数ですので、当然後でじっくり自分で回る必要があります。
11:50ごろレストランに行こうと外へ出ると、何だこの行列は!!
私はまだ断然マシなほうだったのか。
今日は比較的涼しいですが、もしかして今まで炎天下でもこの状況だったのでしょうか? -
科学博物館のレストランは混んでいるようなので、先に東京都美術館に向かうことにします。
シロナガスクジラ。
体長30m、体重150トンの実物大の模型だそうです。
こんなにでかいのか。 -
科学博物館から真っ直ぐ西へ向かい、左に曲がります。
美術館脇の谷文晁碑。
谷文晁は根岸の生まれだそうです。
根岸というのは鶯谷駅の周辺の地域ですね。 -
こちらの東門から入っていけるようです。
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ここが入り口ですか。
ロビーでトプカプ宮殿のビデオが流れているので、観ておきます。 -
12時半ごろ、2階のレストラン「La Muse」に上がってみます。
"Muse"というのはギリシャ神話に登場する女神で、「ミューズの館」のことを"museum"と言います。
多分"music"などもミューズが語源なんじゃないかな。
"la"っていうのはフランス語で女性名詞につく定冠詞だそうです。
ここで食べるのも運命なのかもしれません。 -
入り口では結構並んでいたけど、進みが速くて、あまり待たずに座れました。
実は科学博物館でもそうだったのかもしれません。
並んでみると意外と早い、とかね。
せっかくですので、1,800円とちょっと高いが記念メニューを注文。
一日50食限定なので売り切れているかと思いましたが、残っていました。
「タス・ケバブ」というアナトリアの牛肉の煮込みはうまいが、「ジャジュク」というスープはかなり微妙。 -
デザートのアーモンドプディングとアイスティー。
これはいけます。
支払うときに「現金のみ」と言われて、思わず「マジですか?」と口走ってしまいました。
1,800円でカードが使えないとはね。 -
トプカプ展は、入場の際行列に並ぶことはなかったものの、中に入るとインカ・マヤ・アステカ展をしのぐと思われる人の数。
疲れに疲れ切って、14時半ごろ出ると雨が降っているので、しばらく座って休憩。
居眠りをして、15時半ごろ雨が上がっているので東京都美術館を後にします。
仕切り直しで科学博物館に入ります。 -
D51形蒸気機関車が展示されています。
なぜここに置いてあるかの説明もあればいいなあ。 -
時間がないので、駆け足で回って、ピンポイントで見ていきます。
中に入り、まずはフーコーの振り子。 -
石英。
これは実際に触ってみることができます。
ひんやりしています。 -
フタバスズキリュウという首長竜の骨格。
この下に、その化石が置かれています。
1968年、当時高校生だった鈴木直氏によって、福島県いわき市で化石が発見されました。
双葉層群の地層だったことから、地層と発見者にちなんで命名されたそうです。
首長竜は、実は恐竜とは別に分類されるそうです。 -
館内は、大理石が多く使用されています。
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一瞬ドキッとしますが、琉球人・本土人・アイヌの頭骨を比較しています。
琉球人やアイヌは、本土人とは異なる独自の発展を遂げた、ということを言いたいのかな?
北海道にはほとんど渡来系は見られず、逆に琉球人は渡来系との混血が多い、とのことです。 -
伴りょ動物としての犬、というコーナー。
ハチ公とジロの剥製が並んでいます。
ハチ公は秋田犬、ジロはカラフト犬。
ちなみに、タロは北海道にいるそうです(北大?)。 -
「もっとも完全な旧石器人の化石」。
港川1号。
東大の博物館に所蔵されているもののレプリカだそうです。 -
江戸時代後期の顕微鏡です。
上から覗いてみることができます。
かなり精巧な造りのようです。
江戸時代の科学が昨今注目されているようで、こちらの博物館でも面白い品が数多く展示されています。 -
日本の暦の変遷を示しています。
江戸時代の天文学は、主に暦の作成のため研究されていたそうです。
幕府天文方などの手で幾度も改暦が行われてきた、とのことです。 -
日本館から地球館に移動します。
医学のコーナー、かな。
6C末〜7C末、隋・唐から医学が伝来し、日本の医学がスタートしたそうです。
基本は「気」。
身体の構造を「五臓六腑」と「経絡」で表し、蘭学が興隆するまで、これが中心的な医学思想だった、とのことです。
江戸時代末期の「銅人」。
経絡やツボなど、鍼灸医療学習のために使用されたそうです。 -
江戸中期には、西洋と東洋の医学の違いがはっきりわかるようになりました。
いわゆる「鎖国」の状態に陥ったのは、西洋諸国がキリスト教を普及させることによって日本を植民地化しようとしている、と幕府が判断してこれを恐れたためで、江戸以前からキリシタン弾圧というのは行われていましたが、江戸に入ってから一層強化されました。
決定的なきっかけというのが1637年に起こった島原の乱ですね。
これにより、1639年にはポルトガル船の入港も禁止されてしまいます。
オランダは西洋諸国で唯一貿易を許可されていたので、蘭学が普及した、ということなのでしょう。
ちなみに、長崎以外にも貿易窓口は3港あり、特に朝鮮との交易は盛んでした。
だから、「鎖国」という言葉自体がおかしい、という声も少なくありません。
閑話休題。
ターヘルアナトミアと解体新書が並べてあります。 -
フロア変わって、ミンククジラとシャチ。
こちらは顎関節が動きます。 -
クジラと象の骨格があります。
象の鼻には骨がないので、当然こちらにも鼻の部分の骨はありません。 -
左端にライオンの消化管。
腸の長さは7m程度だそうです。
残りが牛の消化管。
腸の長さは40mにも及ぶそうです。
これは、肉食動物と草食動物で違う、ということを示したいのでしょうか? -
バンビラプトルという、飛ぶことはできないが鳥に近い恐竜の骨格を人間のそれと並べて比較しています。
骨の名前が共通しているので、祖先も共通すると考えられる、とのことです。 -
右がティロサウルス・プロリゲル、左がバシロサウルス・ケトイデス。
詳しくは知りませんが、どちらも魚竜なのでしょうか?
この辺の分類も勉強しないとね。 -
地下3階を見ようとしたら、閉館時間がもうすぐだ!
残念ながら、次回に持ち越しです。
地下3階は、宇宙に関するフロアのようです。
宇宙の展示なのに地下深くなのはおかしな話ですが、実は上野公園は建物の高さの制限があり、あまり高いフロアは造れないそうです。 -
博物館を出まして、少し公園を見て回ります。
上野公園の生みの親とも言うべき、オランダ人医師のボードワン博士。
そういう人の銅像はもっと目立つ場所に建てるべきだ。
1870年、明治政府は上野山内に、現在の東大医学部の付属病院を建てることを決定したが、その計画を博士が知ると、東京という大都市には大公園が必要だ、それには上野の山が最適だ、と政府に進言し、病院建設計画が覆った、ということです。
こうして、1873年、上野公園が誕生しました。
まさにボードワン博士のおかげと言ってよいでしょう。
こちらの像は、実は2代目です。
初代は、1973年、上野公園制定100周年を記念して建てられましたが、何と博士の弟がモデルだったことが発覚してしまい、本人をモデルにした2代目が昨年誕生した、とのことです。 -
ちょこんと石が置いてあるという感じだから、全く目立たないが、書写名号塔。
経文を書写して土中に埋め、その上に建てる名号塔のことです。
この土中に埋めるという風習は、江戸時代を最後に姿を消したそうです。
ハトの糞がべっとり・・・ -
動物園入り口近くにある、グラント将軍植樹碑。
南北戦争で北軍を指揮し、第18代アメリカ合衆国大統領に就任。
2期目を終えて、夫人とともに世界一周旅行に出かけ、その途中で来日(1879年)。
こちらで檜を植えたとのことです。
この碑が建ったのが昭和4年(1929年)ということで、大戦中はどうだったのか興味があるが、あまり深く考えてはいけないのかもしれません。 -
グラント将軍植樹碑からすぐ見えるのが、小松宮彰仁親王像。
上野駅から歩いてきても、この像が目立ちますね。
戊辰戦争で官軍を指揮したそうです。
上野"恩賜"公園ですので、皇室の方の像があるのは全然不思議ではない。 -
俗に言う「お化け燈籠」。
日本三大燈籠に数えられる、高さが6mもある巨大な燈籠です。
織田信長の武将・佐久間盛次の四男である佐久間勝之による寄進です。
勝之は、織田信長・北条氏政・豊臣秀吉・徳川家康らに仕えました。
三大燈籠は、他に南禅寺・熱田神宮にありますが、いずれも佐久間勝之が奉納したそうです。
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