2007/09/09 - 2007/09/09
4143位(同エリア4228件中)
のださん
東京国立博物館という超メジャーミュージアムには今まで入ったことがありませんでした。
しかし、今年僭越ながら少しずつミュージアム経験を重ねてきた私はもう臆することはありません。
満を持して初入館!
まあ満を持してなんてえらそーなことを言える立場ではありませんがそれは良いとして。
ただ形だけ行ったことがあるなんていうよりも、ある程度いろいろ回って経験を積んでから行ったほうが良いのかもしれません。
あのころは息を止めて走っていたが、今なら呼吸をして風を感じながら走ることができるから、などと段々とわけがわからなくなってきたのでこの辺で。
さて、今日は、「京都五山 禅の文化」という特別展の最終日ですので、それを観に行きます。
当然平常展も回りますので、一日がかりです。
平常展とは言ってもしょっちゅう展示替えが行われているので、たとえば月に1度来るとしても、常に新しいものが見られそうです。
一日で全部鑑賞することは到底不可能ですので、ターゲットを絞り、何回かに分けて来るようにします。
ところで、最寄りの駅としては上野駅または鶯谷駅ですが、地図を見ていると若干鶯谷のほうが近そうな気がしますので、鶯谷駅から行くことにします。
調べてみると周辺に面白そうなところもいくつかあるようなので、ちょっと早めに行って回ってみます。
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まずは鶯谷駅北口から出て、オリジン弁当横の路地を入っていきます。
まあこの辺はホテル密集地帯ですが、気にせずに進みましょう。
下谷七福神のうち寿老人を祀っている元三島神社。
下谷というのは地名ですが、この神社がある場所は根岸というそうです。
円融天皇の御代、日本総鎮守の称号を賜って名高い愛媛県大三島の元國弊大社大山祇神社を本社とする、という説明があります。
弘安の役の勇将河野通有が大山祇神社で必勝祈願し、神のお告げを得て武蔵国豊島郡に勧請したのが始まりだそうです。 -
参道を上っていくと、小さな社殿。
煩悩が渦巻くこの街に鎮座する神社は、何ともシュールな画です。 -
道なりに進み、比較的大きな通りに出ます。
言問通と呼ぶそうです。
隅田川に言問橋という橋が架かっていますが、何かしらの関係があるのでしょう、多分。
その道路を東に向かって結構な距離を進むと、真源寺。
「おそれ入谷の鬼子母神」で有名ですが、他に鬼子母神で有名なところというと、雑司が谷の法明寺ですね。
ここは日比谷線の入谷駅が最寄りだと思われます。
インド出身の女神カーリーが、訶梨帝母、鬼子母神と呼ばれるようになりました。
特に日蓮宗、法華宗などで祀られることが多いようです。 -
入り口付近右側。
下谷七福神のうち福禄寿です。 -
「日蓮」の文字が見えますね。
その傍らには「畳針供養」とありますが、この寺と畳の関連に関してはわかりません。 -
3歌詠まれていますが、真ん中は、上野をよく歩いたという正岡子規。
「入谷から出る朝顔の車哉」
そう、ここは朝顔市で有名です。
七夕の時期には境内が賑わうそうです。 -
朝顔とそれを描いた絵が何枚か。
朝顔市が有名になったのは明治に入ってからだそうで、一番右の絵には「大蘇芳年」(月岡芳年)と書かれています。 -
駅方面に戻って、鶯谷駅南口に着きました。
鶯谷駅から国立博物館に行く場合は、南口から出れば良いということですね。
目の前の坂を新坂といいます。
明治に入って新しく造られたから新坂、だそうです。
鶯谷を通るから鶯坂、坂下に根岸があるから根岸坂、という別名もあります。
ちなみに、鶯谷の地名の由来は、ウグイスの名所、という話を聞いたことがあります。
この界隈のウグイスの鳴き声がひどかったことから、京都から多数のウグイスを取り寄せてここで放った、みたいな話だったかな。 -
この界隈も見どころ満載ですが、当然絞って見て回ります。
寛永寺の子院がずらーっと並んでいますが、その中で本覚院。
元々は寛永寺の本坊で、現在天海僧正毛髪塔が建っている場所にあったそうです。
こちらに有馬直純とその部下の墓があると聞いていましたが、不勉強でどれなのかよくわからない。
もっと調べて再度来ようと思います。 -
現龍院墓地の入り口。
「殉死之墓」。
徳川家光は1651年に亡くなりましたが、その殉死者の墓です。
当時はまだ殉死が美徳とされていたようで、側近も3、4人腹を切ります。
側近中の側近である松平信綱は殉死しなかったことで、世間の非難を浴びました。
信綱は4代家綱にも仕えますが、家綱は殉死を良く思っていなかったようです。
そりゃそうですよね、幕府が開かれて半世紀も平和が続いたころには、殉死など時代錯誤も甚だしいから。
その12年後、幕府は正式に殉死を禁止し、この風習はほぼ途絶えた、ということです。 -
殉死者の墓の隣に、哀しみの東京大空襲慰霊碑。
終戦60周年を記念して建てられたようです。
傍らには、建立者の一人である海老名香葉子さんの「哀しみの心をいつまでも」という慰霊文があります。
上野の山への空襲は5月24日、25日で、それは凄まじいものだったそうです。 -
やっとのことで国立博物館に着きましたが、すでに開館時間の9時半を回っています。
続々と人が入っていきます。
やはり人気ですね。
正面の建物は本館ですね。
結局、鶯谷駅と上野駅のどちらが近いのかなんてわかりもしませんが、まあほとんど変わらないでしょう。 -
例によって、昨日よりも涼しく感じる、という予報は全く的中せず、Tシャツはぐっしょぐしょ。
まあいいや。
これがパスポートですね。
パスポート、なんて言うくらいだからもっと立派なものを想像していたが、まあ良いです。
機能が充実していれば。
これは入手日から1年間、平常展は入場し放題、特別展は各展1回ずつ計6回まで入ることができるという、非常にお得な代物です。
特別展に数回行くだけでお釣が出ます。
また、4つある国立博物館に共通というのもお得感を増しています。
ただし、パスポートを入手する場所が東京以外だと、使用に若干の制限が出てくるので注意が必要です。
上野に来て、時間があるのでちょっと入っていこう、などということも可能なので、持っておくと非常に便利だと思われます。 -
人々の塊が向かう先は、特別展が開催されている平成館です。
やはりどうしても特別展に人気が集中してしまうようです。
皇太子殿下のご成婚を記念して、1999年に開館したという、この敷地内では一番新しい建物だそうです。 -
いつも通りだらだらと2時間半ほど特別展を見学し、昼食を摂りたいですが、東洋館に隣接しているラコールというレストランには行列ができているので、時間をずらしてみます。
今は本館を見学します。
この吹き抜けはいい感じです。
1938年に開館した、帝冠様式の代表例だそうです。
GHQの本部が置かれた第一生命相互館も手がけた、渡辺仁という建築家によるものということです。
平成13年(2001年)には重要文化財にも指定されました。 -
「銹絵観鴎図角皿(さびえかんおうずかくざら)」
最初「尾形光琳の弟深省」と聞いて、乾山ではない別の弟かと思いましたが、深省の号が乾山ということらしいです。
知らなかった。
尾形光琳・深省合作です。 -
親と子のギャラリー、と称して、「博物館のおもちゃ箱」という展示が行われています。
いくつかは、表慶館で実際に触ってみることができるようです。
聖徳太子が遊んだという水晶のお手玉、だそうです。 -
「ばけ物大せり合いすご六」という江戸時代の双六。
できれば後で遊んでみます。 -
特集陳列として、「江戸の災害」コーナー。
9月1日は防災の日だそうです。
関東大震災を忘れないようにしようということらしいです。
全然知らなかった。
ここは興味あるので見学していきます。
ちなみに、このコーナーの目録はここには置いておらず、わざわざ入り口にあるインフォメーションまで取りに行く必要があります。
めちゃくちゃ広い館内を戻って。
なぜこのようなわけのわからんシステムなのか、次回来たときに訊いてみようと思います。 -
特に天明3年(1783年)の浅間山大噴火にスポットを当てているようです。
こちらは「天明三年信濃浅間燃出之図」。
この噴火が凶作へつながり、この年上州から信州にかけて一揆が起こったそうです。 -
もう一つの大きなテーマである安政2年(1855年)の安政の大地震。
「上方震下り瓢磐鯰の化物」。
安政の大地震後、大量の鯰絵が描かれましたが、地震封じの意味合いが、次第に復興景気を風刺する「世直し鯰」へと変わっていった、とのことです。 -
安政二年江戸大地震火災之図。
当時の情報媒体であった瓦版が、災害の様子を詳細に伝えています。 -
吉原地震焼亡之図。
新吉原界隈は壊滅的な被害だった、とはよく聞く話です。
閉じ込められた多くの客や遊女が犠牲になりました。 -
13時半ですが、まだレストランは混んでいるので、表慶館に行ってみることにします。
ドーム状の屋根が威厳を醸し出しています。
後の大正天皇のご成婚を記念して建設されたとのことです。 -
俗に「みどりのライオン」と呼ばれますが、2頭のライオンが迎えてくれます。
向かって右側は口が開いていますね。
左は閉じている。
いわゆる阿吽、の様式のようです。 -
ここの吹き抜けもまた素晴らしい。
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銅鐸は、鳴らしてみることができます。
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先ほど本館で見た、ばけ物大せり合いすご六で遊んでみます。
ルールは、さいころを振って、出た目の怪物のマスを探して、そこに駒を進める。
それを繰り返して、ゴールを目指します。
私はすんなりゴールしましたが、ゴールできないこともある、という説明を受けました。 -
投扇興というお遊びで、江戸時代に流行したそうです。
箱の上に蝶が置かれていて、座布団に座って扇子を投げて当てる、というものですが、扇子を投げるというのはことのほか難しいです。
また、箱を倒してしまうと減点です。
私は10回投げて当たったのは2回だけ。 -
聖徳太子が遊んだと言われる水晶のお手玉。
「石名取玉」と呼ぶそうです。
私はお手玉の類はど下手ですね〜。
全然できない。 -
興福寺の仏頭を復元するまでの様子を示しています。
興福寺東金堂は1411年に火災に遭い、如来像の頭部を残して他は消失してしまったそうです。 -
金銅製の仏頭が完成しました。
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再び本館を見学し、15時半ごろラコールまで来てみると、さすがに席は空いているので、入ることにします。
もう一つレストランがありますが、そこへはまた別の機会に。 -
「地養鶏のクリーム煮」とかいうものを注文。
この時期にクリーム煮なんて失敗だったかなとも思ったが、おいしいから問題なかった。 -
再び本館を見学。
2階の特集陳列で「キリシタン−信仰とその証−」なるものが開催されています。
これが踏絵か。
信仰云々に関係なく、このようなものを踏むというのは気分が悪い。 -
「菊桐紋蒔絵角赤手箱」。
化粧道具や身の回りの品々を納めているそうです。
16C〜17Cにかけての作品。 -
19Cの作品である「定家文庫」と「筥迫(はこせこ)」。
定家文庫とは、江戸時代の女性が化粧道具やさまざまな小物を入れて持ち歩いた箱型の巾着袋、筥迫とは、武家方の女性が懐紙を挟む入れ物、だそうです。
知らなかったが、今日は18時まで開館しているとのことで、目いっぱい見学して終了。
パスポートもあることだし、今後も気軽に来たいです。
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