2007/09/01 - 2007/09/01
240位(同エリア257件中)
のださん
蒲田には、かつて職場があったので1年くらい通勤していました。
その職場は今はなくなりましたが、それからいろいろありまして、私も転職などを経験し、2年半ほど前に引っ越してきました。
私の地元ではありますが、そこにある寺社には、今まで参拝することなく過ごしてきました。
神仏祈願するのであれば、遠くの寺社よりも、自分が住んでいるところを優先させるべきなのに、情けない限りです。
昨日までに比べて大分涼しく感じる今日、病院に出かけるので、その後少し回ってみます。
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まずは椿神社。
小さな祠があるのみです。
御利益としては、百日咳の治癒、などがあるみたいです。
祭神の猿田彦神が道祖神(道や旅人を守護する神)と習合している、との説明があります。 -
椿神社の前の道をJR蒲田駅方向に進みます。
日蓮宗の円頓寺が見えます。
後北条氏の家臣・行方弾正直清が、この地に居を構えていました。
その直清は、豊臣秀吉の小田原征伐の際に討ち死にしたと伝えられています。
直清の弟とされる日芸上人が、旧宅を寺院にしたそうです。 -
日芸が直清の弟だというのは確定していないそうですが、おそらくはそうだということです。
その日芸が、直清や行方一族の菩提を弔うために建てたのが「行方弾正直清供養塔」。
隣の小さいのが直清の墓だと思われます。 -
円頓寺からさらに進んで、稗田神社。
創祀は709年(和銅2年)というから随分古いですが、開いたのが行基というのは信じてよいものでしょうか?
いわゆる延喜式内社だそうです。
平安時代中期に編纂された格式を延喜式といい、その内神祇官関係の式の巻9・10「延喜式神名帳」に記されている神社を延喜式内社と呼びます。 -
現在の社殿は平成12年に竣工したようです。
椿神社、円頓寺、稗田神社は、同じ道路沿いにあり、私もしょっちゅう通ります。
今頃初めて入ってどうするよ? -
南下して、蒲田のランドマークであるアロマスクエア。
ここには、特に何があるというわけでもありません。
本屋があって、食べる場所がちょこっとあって・・・それくらいかな。
蒲田に通勤していた時代は、よくここには来ていました。
ああ、そうそう、ここの大田区民ホールで一度歌舞伎を観ましたが、なかなか席が広くて快適だと思いました。 -
その庭と言うか何と言うか。
「松竹橋」が復元されています。
かつて松竹キネマ蒲田撮影所なるものがあり、撮影所正面の逆川(さかさがわ)に架かっていたものを模したもの。
「キネマの天地」という映画の撮影に使用されたそうです。
そう言えば、私は「蒲田行進曲」を観よう観ようと思いつつ未だ観たことがありません。
ちなみに、JR蒲田駅のホームで、電車の扉が閉まるときに蒲田行進曲のメロディが流れます。 -
京急蒲田駅に近づきます。
「蒲田八幡神社」。
源頼義・義家の奥州征伐の際、六郷渡しを渡り、この辺で戦勝祈願をしたそうです。
開創に関しては詳しくはわかりません。
稗田神社より分霊され、元々は新宿八幡神社という名前だったが、昭和24年に蒲田八幡神社に改名された、とのことです。
分祀されたのは、神体三座のうち春日の像だそうです。 -
「明治維新百年
御社殿復興十周年」
とありますが、明治維新の神仏分離によって、春日の像は別当の妙安寺に移された、とのことです。
明治維新に特別な意味があるのではなく、ただ単に、たまたま数字が合ったから明治維新の名前を出したように思えてなりません。 -
社殿。
今日はやたらと蚊が多いな。
2、3ヶ所喰われてしまって、かなりかゆいです。 -
裏門から出てみます。
かつての職場というのは、実はこの近くにあり、よくここの境内を通り抜けていました。
お祈りするでもなく。
何と罰当たりな! -
京急本線の線路に近づくと、蒲田八幡神社の別当・妙安寺。
日蓮宗です。
稗田神社の別当を栄林寺といって、そちらも日蓮宗ですが、八幡神と日蓮宗は関係が深いのでしょうか?
今後調べてみようと思います。 -
本堂。
池上本門寺の旧末寺です。
妙安尼を開基とし、その庵室を寺院にしています。
こちらも行方弾正直清ゆかりの寺院だそうです。
記録としては、妙安尼はこの地の地頭・行方修理亮義安の室、というのが残っています。
日蓮聖人坐像が安置されていますが、非公開です。 -
京急本線の踏切を渡って、東側に行きます。
こちらは京急蒲田駅の川崎寄りの踏切です。
ここもまた待ち時間が長い。
ここを渡ってさらに北上するには、京急空港線の踏切も渡る必要があります。 -
いつもに比べてスムーズに踏切を渡って、北野神社を目指しますが、大体見当がついているんだけど、この辺はよくわからず、ぐるぐる回ってしまい、やっとのことで見つけました。
呑川という川の南側ですが、元々は北側にあったそうです。 -
境内にはほとんど何もない、といった感じです。
狛犬が金網に覆われて痛々しい。
よほど劣化が激しいのでしょう。 -
目の前の天神橋を渡ります。
下を流れている呑川の名前の由来には、のめるくらいきれいな水、という説があるようですが、現在はその面影は全く感じられないくらい汚染・悪臭が激しい。 -
適当に走って、キネマ通りに着きます。
蒲田撮影所は、先ほどのアロマスクエア付近にあったのであって、この辺にあったわけではありません。
多分。
そうですよね?
このキネマ通りも、私はほとんど来たこともないし、目ぼしいものがあるとも思えません。
商店街としては完全に寂れています。 -
第一京浜(国道15号)という道路を北上し、聖跡蒲田梅屋敷公園に到着。
梅屋敷の名前が残っているのは、京急の駅名とこちらの公園名くらいしか思いつきません。
地名としては今は使用されていないはずです。
山本忠左衛門という人がこちらに屋敷を構えており、その子・久三郎が文政の頃に数百本の梅の木を植え、東海道の休み茶屋を開いたことが始まりと伝えられています。
後の徳川12代将軍家慶が鷹狩りの途中に休憩したりしたそうです。
聖跡というのは、明治天皇がここを好んだからのようで、自ら梅を植えたりしたそうです。
また、木戸孝允、伊藤博文らが宴会を開いて国の行く末を論じたという話もあります。 -
広重の浮世絵などにも描かれているように、梅の名所だということですが、梅の季節にここを通ったことももちろんありますが、大して印象に残っていません。
今後機会があればよく見てみようと思います。
こちらの公園もかつては広かったが、第一京浜と京急線が造られたことで狭められてしまったそうです。
しかも今は京急で高架工事が行われているから、風情も何もありません。 -
昔数多くあった碑石も、姿を消していきました。
それらの一つを資料を基に復元したのが「狂歌堂真顔の歌碑」。
「 狂歌堂真顔
旅人の神に手向けの幣代や
白絹咲きし庭中の梅」 -
里程標の復元があります。
戦後姿を消してしまったものを、資料を基に復元したそうです。
「距日本橋三里十八丁 蒲田村山本屋」
1丁(町)は約109m、1里は36丁ですので、日本橋まで3里半。
1里=4kmとすると、ここから日本橋まで約14kmということですね。
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