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武田信玄公の懐刀といわれた真田家の祖真田幸隆公、豊臣秀吉公に表裏比興の者と評された真田昌幸公、徳川家康公に死を覚悟させた日本一の兵真田幸村公、信州上田にて真田氏三代ゆかりの地を巡りました。<br />

2007年9月 上田市(真田氏ゆかりの地)

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2007/09/19 - 2007/09/19

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めるくん

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武田信玄公の懐刀といわれた真田家の祖真田幸隆公、豊臣秀吉公に表裏比興の者と評された真田昌幸公、徳川家康公に死を覚悟させた日本一の兵真田幸村公、信州上田にて真田氏三代ゆかりの地を巡りました。

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  • 上田駅前、真田幸村公の像です。幸村公は二代目昌幸公の次男で関が原の戦いでは父と共に西軍に参戦しましたが、敗戦により紀州九度山に配流となりました。その後豊臣秀頼公に招かれ大坂冬の陣に参戦、真田丸(大阪城出城)を築き徳川家康公を大いに苦しめました。大坂夏の陣では家康公本陣まで肉迫しましたが遂に力尽きます。敵軍であった徳川方から日本一の兵と評されました。

    上田駅前、真田幸村公の像です。幸村公は二代目昌幸公の次男で関が原の戦いでは父と共に西軍に参戦しましたが、敗戦により紀州九度山に配流となりました。その後豊臣秀頼公に招かれ大坂冬の陣に参戦、真田丸(大阪城出城)を築き徳川家康公を大いに苦しめました。大坂夏の陣では家康公本陣まで肉迫しましたが遂に力尽きます。敵軍であった徳川方から日本一の兵と評されました。

  • 上田城です。主家であった武田家が滅亡した後、二代目昌幸公は上田の地に平城を築きます。真田家は真田領であった上州を廻って徳川家康公との間で確執がありました。徳川軍は二度にわたり大軍をもって上田城を攻撃しますが、いずれもこれを撃退しております。

    上田城です。主家であった武田家が滅亡した後、二代目昌幸公は上田の地に平城を築きます。真田家は真田領であった上州を廻って徳川家康公との間で確執がありました。徳川軍は二度にわたり大軍をもって上田城を攻撃しますが、いずれもこれを撃退しております。

  • 上田城西櫓です。石垣の下は尼が淵と呼ばれており、築城当時は千曲川に接してたそうです。

    上田城西櫓です。石垣の下は尼が淵と呼ばれており、築城当時は千曲川に接してたそうです。

  • 上田城案内図です。本丸を囲む深い堀と尼が淵は、まさに敵を寄せ付けない城であったと実感させられます。

    上田城案内図です。本丸を囲む深い堀と尼が淵は、まさに敵を寄せ付けない城であったと実感させられます。

  • 東虎口櫓門です。虎口とは通路の出口という意味です。

    東虎口櫓門です。虎口とは通路の出口という意味です。

  • 真田石です。真田信之公(昌幸公長男)が松代移封のときにこの石を松代に持ち去ろうとしましたが、ビクともしなかったそうです。(関が原の戦いから信之公は父昌幸公、弟幸村公とは別に家康公に服従します。徳川・豊臣の争いに巻き込まれた真田家は、どちらが勝っても真田家が存続できるよう苦肉の策をとりました)

    真田石です。真田信之公(昌幸公長男)が松代移封のときにこの石を松代に持ち去ろうとしましたが、ビクともしなかったそうです。(関が原の戦いから信之公は父昌幸公、弟幸村公とは別に家康公に服従します。徳川・豊臣の争いに巻き込まれた真田家は、どちらが勝っても真田家が存続できるよう苦肉の策をとりました)

  • 上田城本丸にある真田神社です。六つ並んだ銭の絵柄は真田家家紋六文銭です。

    上田城本丸にある真田神社です。六つ並んだ銭の絵柄は真田家家紋六文銭です。

  • 真田神社裏にある真田井戸です。この井戸には城外への抜け穴があったとの伝説があります。覗いてみましたが暗くてよく分かりませんでした。

    真田神社裏にある真田井戸です。この井戸には城外への抜け穴があったとの伝説があります。覗いてみましたが暗くてよく分かりませんでした。

  • 西櫓から見た上田駅周辺です。

    西櫓から見た上田駅周辺です。

  • 真田氏記念公園を訪れました。真田氏発祥の郷と掘られた碑です。

    真田氏記念公園を訪れました。真田氏発祥の郷と掘られた碑です。

  • 幸隆公、昌幸公、幸村公のモニュメントです。

    幸隆公、昌幸公、幸村公のモニュメントです。

  • 真田氏館跡を訪れました。初代隆幸公・長男信綱公の代の居館だったそうです。

    真田氏館跡を訪れました。初代隆幸公・長男信綱公の代の居館だったそうです。

  • 真田氏館跡にある皇太神社です。

    真田氏館跡にある皇太神社です。

  • 続いて真田氏本城を訪れました。頂上近くまで車で行くことが可能です。

    続いて真田氏本城を訪れました。頂上近くまで車で行くことが可能です。

  • 頂上の本城主郭部分です。

    頂上の本城主郭部分です。

  • 本城主郭から見下ろす真田の郷です。画像正面の尾根は宿敵村上義清公の最前線砥石城です。敵方の城がこんなに近くにあったとは・・・

    本城主郭から見下ろす真田の郷です。画像正面の尾根は宿敵村上義清公の最前線砥石城です。敵方の城がこんなに近くにあったとは・・・

  • 続いて長谷寺を訪れました。

    続いて長谷寺を訪れました。

  • このお寺には幸隆公夫妻と昌幸公のお墓があります。

    このお寺には幸隆公夫妻と昌幸公のお墓があります。

  • お寺の裏山の一番奥に立派な墓所がありました。

    お寺の裏山の一番奥に立派な墓所がありました。

  • そして最後に訪れたのは信綱寺です。

    そして最後に訪れたのは信綱寺です。

  • このお寺には幸隆公の長男・次男の信綱公・昌輝公(昌幸公の兄)のお墓があります。二人は長篠の合戦(愛知県新城市)で大敗を喫した武田軍に従軍し戦死してしまいます。家臣が長篠から首級を上田まで持ち帰り埋葬したそうです。<br /><br />

    このお寺には幸隆公の長男・次男の信綱公・昌輝公(昌幸公の兄)のお墓があります。二人は長篠の合戦(愛知県新城市)で大敗を喫した武田軍に従軍し戦死してしまいます。家臣が長篠から首級を上田まで持ち帰り埋葬したそうです。

  • 信綱公夫妻・昌輝公のお墓です。<br /><br />川中島⇒坂城⇒上田と大変内容の濃い一日歴史散策でした。次回の歴史散策は長篠設楽原古戦場を予定しております。

    信綱公夫妻・昌輝公のお墓です。

    川中島⇒坂城⇒上田と大変内容の濃い一日歴史散策でした。次回の歴史散策は長篠設楽原古戦場を予定しております。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • もにかさん 2007/10/17 00:36:33
    風林火山
    真田の郷に何気に 風林火山+真田家家紋の旗が靡いているのですね。

    それにしても、真田一族はかっこいい。
    かっこいいよ〜

    O元部長も真田が一番好きだそうです。
    まあ、その割には・・・ですが・・・

    めるくん

    めるくんさん からの返信 2007/10/21 19:40:58
    RE: 風林火山
    織田・徳川に攻められた武田勝頼公、居城の新府城(韮崎)を捨てて
    郡内(大月)の小山田氏を頼って裏切りにあうのだが、
    真田氏を頼っていたら歴史は変わっていただろうか・・・・
    戦国時代で最も関心・興味があるターニングポイントです。


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