2007/08/10 - 2007/08/18
750位(同エリア1014件中)
ぽんぽこさん
ブライトインホテルのチェックアウトを済ませて
荷物をフロントへ預け、またまた30℃を超す
猛暑の中、紺屋町・内丸周辺を散策。
一旦ホテルに戻って、預けた荷物を持って
今度は駅前のホテルルイズへ移動。
夕方からは『舟っこ流し』を観にいきました。
舟っこ流しは明治橋付近で行われるのですが
駅前から歩いたら遠い…しかも途中で迷ってしまった
ものですから、気を失いそうになりました。
ほぼ一日中歩き続け、当然「日に焼けて」ました…
なぜ、毎回旅行へ行く度に焼けるのか!!
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 新幹線
-
盛岡信用金庫本店
盛岡市中ノ橋通1−4−6
盛岡市出身の工学博士、東京駅の設計者である
葛西萬司の主宰した葛西事務所により設計および
監理された建物で1927(昭和2)年竣工。
1階から2階まで立ち上がる6本の太い円柱、花崗岩に
施した石彫りのパターン、内部のステンドグラスなどが重厚感を与えている。 -
『釜定』
盛岡市紺屋町2−5
明治時代から3代続く盛岡の鋳物屋さん。
この時はお店に入らなかったのですが、ネットで見た「組なべ」のシンプルなデザインがお気に入り。 -
『ござ九』
盛岡市紺屋町1−31
文化13年(1816)創業
ござと畳、わら細工、竹細工などの手工芸品や荒物を扱っているお店です。
保存建造物指定の建物です。 -
『ござ九』のお店前に並んでいた涼しげな履物。
-
『白沢せんべい店』
盛岡市紺屋町2−16
岩手の銘菓「南部せんべい」の老舗。
ガラス越しにせんべいを焼く姿が見え、店内には30種類以上の様々なせんべいが並んでいる。 -
紺屋町、鍛冶町、紙町の名前の由来。
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旧井弥商店(盛岡正食普及会)
盛岡市上ノ橋町1−48
盛岡市の保存建造物指定
明治時代に呉服問屋として建造された。
2階建て土蔵造りで黒漆喰の壁が重厚さを醸し出している。1938年と70年に2度の火災にあったが、修復され店舗に使われている。 -
『一茶寮』
盛岡市上ノ橋町1−48
「正食普及教会」の隣(裏?)にあります。
喫茶の1階はアートギャラリー彩園子(さいえんす)です。(アートは週で入れ替わり)
この日はあいにくお休みでした。 -
旧井弥商店の向かいに、店舗が軒を並べる土蔵造り風の「コーポ長岡」。
コーポ長岡は、建てられたのは1984年。同年、市都市景観賞建築賞を受賞。この辺りの雰囲気に、とても良くなじんでいます。 -
『肉の米内』
盛岡市紺屋町5−16
創業は明治32年の老舗の精肉店。
焼肉店を併設しており、自家製冷麺のスープへのこだわりが凄い。なんと前沢牛の骨と肉を大鍋に詰めて煮込み、冷まして脂を取り除き、漉して3日がかりで作る。何かのテレビ番組でも紹介されましたね。 -
『丸竹茶屋』
盛岡市上ノ橋町1-54
明治5年創業の老舗。
元祖あべ川餅、赤飯定食、ぜんざいなどを店内でいただけます。お持ち帰りもできるので、散策に疲れたらぜひこちらへ。甘いものが苦手な方は「お茶餅」をどうぞ。 -
ささき千代紙店
盛岡市上之橋町1−56
千代紙専門店なんてめずらしいなぁ、と気になりました。 -
上の橋は、慶長14年(1609)に第27代藩主南部利直が、 盛岡城を築く時に中津川に架けた橋。
欄干を飾る青銅製の擬宝珠は軍の金属供出になるところを、危うく難を免れました。1945年(昭和20)に国の重要美術品に指定された。 -
中津川で遊ぶ子供たち。
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たい焼き『たい夢』
盛岡市本町通1−17−24
看板に【東京赤羽】と書いてあるのが気になった。
チェーン店なのかな?
そういえば、たい焼きってしばらく食べてないです。 -
向かって左側が岩手医大付属病院歯科医療センター。
右側が岩手医大。 -
宮沢賢治が岩手医科大学病院へ入院した時に、病院で勤務する看護婦に恋をしたという内容です。
この恋は実ったのでしょうか。 -
宮沢賢治の詩が刻まれています。
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水産会館前にあったグッときたコピー。
「オイ海(シー)、ヘル海(シー)、ウレ海(シー)。岩手の海」 -
岩手県民会館
盛岡市内丸13−1
よくコンサートなどイベントで使われます。
成人式もここでした。
私の出身高校は、ここのホールを借り切って校内合唱コンクールを行っていました。 -
新渡戸稲造胸像
私の思っていた新渡戸さんと違う気が。
ビクトリアロード(市役所裏手)始まりの所にあります。 -
盛岡市役所
ここにも「どんど晴れ」の幕が…皆さん毎回ちゃんと見てますか〜?
私の母は見ていなかった。 -
盛岡城跡公園内の旧県立図書館。
新しい県立図書館は、再開発地区の西口方面のビル内へ移転したらしい。この建物はどうするのでしょう。
かなり傷んできていると思うのですが。 -
桜山神社は、寛延2年(1749)八代藩主・南部利視が創建。最初は淡路丸大明神と呼ばれていました。
そして文化9年(1812)淡路丸に桜の木があったことにちなんで桜山神社と改称したといわれています。 -
神社境内の右側に巨大な岩があります。この巨石を「烏帽子岩」と呼ぶそうです。
烏帽子岩(兜岩)のいわれ
盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかり突出した大石が出てきました。 この場所が、城内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆ののシンボルとして広く信仰され、災害や疫病があった時など、この岩の前で平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として、今日まで崇拝されています。
と説明書きがありました。 -
もりおか啄木・賢治青春館
盛岡市中ノ橋通1丁目1−25
明治43年(1910)に竣工した旧第九十銀行を保存活用したもの。1階は啄木・賢治の常設展示室と喫茶コーナーがあります。2階は展示ホールです。 -
本日のお昼はこちらの『ザ・耕作』
盛岡市中ノ橋通1−5−4
中は結構広く、お酒の種類も豊富。
ちょうど12時頃に入店したのですが、割と空いていました。 -
【舟っこ流し】を観るために、汗だくで明治橋へたどり着きました。警察・消防・救急がスタンバイしております。
4時開始と聞いたのですが、開会の儀、その後30分ほど空白の時間などあって、実際に舟が流れたのは5時過ぎてました。暗くなるのを待っていたのか、それとも段取りが悪かったのか? -
北上川に架かる明治橋。
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皆さん、背中に何か文字が…よくよく見てみると、青い文字は「東仙北流舟会」、赤い文字は「南無阿弥陀仏」でした。
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【舟っこ流し】は、北上川に架かる明治橋付近で行われ、祖先の霊を送り、無病息災を祈る送り盆の行事です。提灯や盆の供物で飾った舟に火を放ち、川に流します。
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すごい煙です。
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こちらは火をつけてすぐに、激しく燃え出しました。
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お付きの人たちが、舟が燃え尽きるまで見守ります。
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爆竹を大量に積んだもの、花火が仕掛けられたものと舟によってそれぞれに違います。
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火が全体に回ってきました。
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本日いちばんグッときたのは、やはりコレでしょう!
褌って素晴らしい!!男性を一番輝かせます!
「男は尻で語る」ってね。 -
龍の目が光って美しい。
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これは燃えすぎなのでは…
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陽が沈みました。
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帰る人と、これから行く人とでごった返す明治橋。
お巡りさんが交通整理をしています。
舟っこ流しのあとは、花火大会です。 -
鈴木盛久工房
盛岡市南大通1−6−7
明治橋からの帰る途中で見つけたお店。
前回、八幡宮から帰る時にも見かけたのですが、その時もお休みでした。盆と正月に来る私が悪いのですが、なかなか開店時に出会えません。
15代にわたり、鉄器の伝統を受け継ぐ工房です。 -
こんなところに韓流ショップが!
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帰りは疲れたので、循環バス『でんでんむし号』で駅へ。このバスは1回100円、1日乗車券なら300円で乗り放題とお得♪
新しいタイプのバスなら、乗降の際にドア側の車高が下がるという素晴らしい機能付き。 -
駅前のショッピングビル。
本館地下には色んなお食事処があります。
疲れ果ててあまり歩きたくないので、今夜はここで食事。
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