2006/04/29 - 2006/05/07
228位(同エリア340件中)
瑞樹さん
この後はノルブリンカへ!
写真は、ノルブリンカにいた子ども。
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
セラ寺で沢山のお坊様を観た後は、ノルブリンカへ移動。
その途中、チベットの女性ばかりの集団を見かけました。皆揃いの帽子を被っています(なぜだろう)。 -
ノルブリンカの正門。私たちが行ったときは丁度お祭が開催されていたので、賑やか。
-
ノルブリンカ(ノルブ=宝、リンカ=庭)は、ラサの西部にある離宮とその庭園。
-
ダライ・ラマ7世によって1755年より建設され、1950年代に中華人民共和国に接収されるまで夏期の離宮として機能しました。
-
ダライ・ラマ7世によって1755年より建設され、1950年代に中華人民共和国に接収されるまで夏期の離宮として機能しました。
現在は敷地全体が公園になっていて、ピクニック大好きなチベットの人々の憩いの場になっています。 -
総面積は約36万平米、歴代のダライ・ラマが建てたいくつもの離宮があります。
2001年にはラサのポタラ宮の歴史的遺跡群の一部としてユネスコ世界遺産に追加されました。
全土から集められた45種の木々が集まる緑豊かなノルブリンカは、広々と開放感に溢れ離宮にふさわしいところ。
考えてみたら富士山と同じくらいの標高でしかも乾燥が激しいこの地で、この緑って凄い。 -
チベット暦6月末から7月中旬に開催されるチベット仏教最大の祭典・ショトン祭には、各地から集まった劇団によるチベットオペラ(アチュ・ラモ)が繰り広げられるそうです。
因みにショトン祭の「ショ」はヨーグルト、「トゥン」は宴の意。2006年度のショトゥン祭は8月23日の予定だそう。 -
ここにはチベット唯一の動物園があり、サルや熊やウサギ、鷹、ライオン、虎などがいるそうですが、動物保護の姿勢を貫くダライ・ラマ法王のこともあり、きっと繁盛していないんじゃ?
今はどうか分からないけれど、動物の数も少なく余り整備もされていない(放し飼いに近かったらしい)動物園、ノルブリンカの入場料とは別に入園料を(チベット人にとってはとっても高い。あ、チベット人からは料金徴収しないのかな?)取っていたらしい。 -
以前は、動物に自由に?餌をやっても良かったようですが…今はどうだろう。もしかして閉鎖されているかも。
でも広くて、のんびりと出来そうな場所でいいなぁ。
綺麗な花も咲いていました。 -
-
お祭のイベントのひとつなのか、天幕を張ったところで劇をやっていて、三重四重に人々が集まり見入っていました。
後ろの方の少しの隙間から覗いていると、前に居た車椅子のおじさんが「こっちこっち」と手招きをして自らの脇を勧めてくれました。
ありがとう、おじさん。 -
おじさんに勧められるまま、子どもに混じって(笑)暫く劇を観てしまいました。
細かい内容は余り解かりませんでしたが、色んな衣装を身に着けた役者さんが出てきて興味深い。
多分、この辺りの伝説か、歴史的な物語が演じられているのだと思います。 -
観客は皆、静かに見守っている感じで、声を上げるでもなく、笑うでもなく淡々と劇は進んで行きます。
こんな着ぐるみも登場。これさえも袖が長いのが面白い。 -
これから出番らしい烏?
でも脚はヤクの毛皮っぽいつくり。
映画「静かなるマニ石」に出てきた劇中劇の役者さんたちは皆村人(素人)でしたが、この人たちもそうなのかなぁ。 -
結構長い劇のようでしたが、役者さんたちは慣れているのか、皆平然としていました。
ヘンな欲が無いからかな。 -
少し離れたところにあった楽屋。木に掛かっているのは……足?
布で囲ってあるだけなので、みんな覗いていました。
出番を終えた人たちはバター茶で一息ついていました。 -
チベット族の民族衣装は基本的に色彩が鮮やかで、とても綺麗です。
貴族や王族、農民、遊牧民など、着る人によって様々な様式や素材がありますが、原則その構成は似通っていて、帽子・靴・チベット式の裾長の着物からなっているようです。
しかし一般の人々が普段履くものは、見る限り西洋式になっていますね。貴族の衣装などでは、上むきに尖った靴を履いたようです。
この劇の登場人物、多分、三品官服と呼ばれるもの。
貴族が登用されたという地方政府の三品官吏(ガレン)が着ていたものに良く似ています。
後方の女性の衣装も、頭に被ったものが面白い。 -
因みにチベット人の僧侶の衣の起源は、釈尊の決めたものだとか。
中にはモンゴルに起源を持つものもあるらしいのですが、そこはやはり気候に合わせて変化を伴ったようです。
お坊さん達の僧衣に夏服・冬服ってあるのかな?冬は絶対寒い筈。
マイナス15℃にまで下がるんだし。
遊牧民たちは羊の毛を裏地に使ったりして冬の冷たい風を凌ぐようですが、お坊さんたちは…?修行の身なれば、やはり僧衣は同じか。 -
遊牧民(だけじゃないかも)の中には毛皮をそのまま身に付ける人たちもいるようですが、少し前にこんなことがあったらしいです。
2006年2月に、アムド地方(中国青海省同仁県)で、チベット人が動物愛護の決意を見せようと、あるお寺で毛皮を持ち寄り燃やそうというイベント(?)が行われようとしていました。 -
というのも、かのダライ・ラマ法王が説法で「毛やら皮やらで着飾った人々の写真を見るにつけ、恥ずかしくて生きた心地がしないよまったく」と発言したそうで、野生動物や稀少動物との共生を改めて訴えたことが発端。
もともとチベットの人たちは輪廻転生を信じているから(つまり、「この毛皮は前世自分だったかも」とかね)、それに法王の説法が加わっちゃぁそういうイベントも広がるというもの。 -
でも、この時のイベントは中国当局に禁止されてしまい、実現には至らず。当局は、未だに法王の影響力を恐れてこんな子どもじみたことしている訳です。
稀少動物を使うのはともかく、毛皮でも文化だし(特に遊牧民の毛皮の使い方は無駄が無く理に適っているし)そこまでするのはどうかと思いますが。 -
ノルブリンカの最大の見所は、このタクテン・ミギュル・ポタン。
ここは実際にダライ・ラマ14世が暮らしていたところで、チベット語で”永劫普遍の宮殿”を意味するそうです。 -
こちらも写真撮影は禁止(或いは高額な撮影料)なので内部の写真はないのですが、中にはトイレ付きのシャワールームがあったり、当時のインド・ネール首相から贈られたレコード・プレーヤーやロシアから贈られたラジオなどがそのまま飾られています。
-
思ったよりも寝室は広くなく、ベッドも大きくなく、外観の印象とは違ったコンパクトなつくり。
謁見室には301枚もの壁画が描かれ、隙間を見つけるのが難しいほど。
現在は亡命政府に逃れたダライ・ラマ14世が、1959年3月に中華人民共和国の人民解放軍がラサに入った際、密かに脱出したところです。 -
現在は亡命政府に逃れたダライ・ラマ14世が、1959年3月に中華人民共和国の人民解放軍がラサに入った際、密かに脱出したところです。
法王は衣装を変え、午後9時にこの門からインドへと脱出しました。彼は亡命までの三年間、ここに住んでいたそうです。 -
この狛犬、後ろに転がっているサッカーボールのカラー版玉を抱えています。
頭がいやに真っ平ら。 -
ノルブリンカには全部で300以上の部屋があるそうですが、現在は主の居ない宮殿。
チベタンの憩いの場となっていることがせめてもの救いですが、ここを後にしなければならなかった時、ダライ・ラマの胸中はどんなものだったのでしょう。
2歳の頃、13世トゥプテン・ギャツォの転生者であるとの認定を受け、6歳から僧院での学習を始め、15歳でチベットの全政治的権限を担った現ダライ・ラマ法王。 -
23歳で、ジョカン僧院で行われた試験に合格、ラランパとの学位 (最高位のゲシェーの学位で仏教哲学の博士号) を持つ法王。
自らの意に反し故郷を、暮らすべき場所を離れなければならなかった気持ちは想像するに余りあります。
一日も早く、法王が平和的にチベットに戻る日が来ると良いです。 -
19:00、レストランに寄って夕食。
-
カレーやタンドリーチキンの夕食。美味しくいただきました。
コップが可愛い。 -
レストランには、又しても可愛い黒猫が!抱かせてもらいました〜。
-
食べ終わって、もう20:30近く。でもまだまだこの明るさ。
美味しそうな果物がどっさり並んでいました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
瑞樹さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
32