2006/04/29 - 2006/05/07
68位(同エリア110件中)
瑞樹さん
次はジョカンへ行きます!
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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さて、只今13:53。レストランで昼食です。
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どういう訳か、普段は全く飲まないのに乾燥した海外へ来ると炭酸が飲みたくなります。
ってことで、スプライト。 -
む、なんだかまるまるしたものが…
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なかなかの大きさの猫でした!抱かせてもらいました…不服そうです。
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ブッフェの昼食。
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中庭の素敵なところでした。
欧米人がパラソルの下で談笑していました。
ホテルへ一度戻り、今度は歩いてジョカン(大昭寺)へ。
ホテルからジョカンまでは600mくらいなので、直ぐそこ。 -
おっと、途中にはインターネットカフェが。
ラサの旧市街中心にあるジョカンは、7世紀中頃・吐蕃時代に建てられた、仏教信徒が憧れる巡礼の聖地で、チベット人なら一生に一度は訪れたいと願う寺。
このジョカン、正確には、本殿であるジョカン寺とそれを取り囲むトゥルナン寺から構成されています。
千年以上の歴史を持つジョカンは、ポタラ宮と共にチベット仏教の重要な宗教活動の場で、中国国家級の文物として保護されると共に、2000年に世界文化遺産に追加登録されています。 -
ジョカン建立には、こんな言い伝えが残っています。
吐蕃王国のソンツェン・ガムポ王はラサに遷都した後チベットを統一。
唐の皇族・文成公主を迎え入れ、彼女が長安から持ってきた釈迦牟尼仏金像を祀るための寺院建立を思い立ちました。
天地の相を占った結果、龍の頭にあたる場所にラモチェ(小昭寺=この地で一番大きな建物の意)を建てました。 -
これを聞きつけたネパールから嫁いで来たティツン王女も、負けじと寺院の建設に乗り出したそうですが、どういう訳か夜の内にその寺院が破壊されてしまったそうです。
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このことを文成公主に相談すると、ラサに凶相を見出し、それを変える為に湖を埋め立てその地に作られたのが、このジョカンだとか。
更にその埋め立てに活躍したのが山羊であり、チベット語で「山羊の地」即ちラサと呼ばれるようになった、という話もあります。 -
でも実際はソンツェン・ガムポ王の死後にその菩提寺として建てられた寺院だそうです。
異国の女性を妻に迎えたことで、それぞれインド仏教と中国仏教がもたらされましたが、ジョカンはティツン妃によって建立されので、寺の門はネパールの方向=西を向いています。
文成公主の持参した釈迦牟尼像は本尊として祀られ、またティツン王女の持参した十一面観音像はチベットの人たちにとても人気があるんだとか。 -
ジョカンを入ると中庭があり、左手にはダライ・ラマの王座が見えます。
黄色の布で覆われ、白いカターも沢山掛けられています。
本殿への入口には、数多くのバター灯明が燃やされています。
本殿に入りすぐ左手にあるのが歓喜堂、ゲルク派の開祖ツォンカパと弟子の像を祀られています。
コルラで見学して行くと次にあるのが、阿弥陀菩薩を祀る無量光堂、薬師如来を祀る薬師堂、十一面観音像を祀る観音堂。 -
更に進むとネパール妃・ティツゥンがネパールより招来したと言われる弥勒像が祀られている弥勒堂。そして釈迦牟尼像を置く釈迦堂となっています。
外に出ると、ジョカン主殿を取り囲む沢山のマニ車。 -
マニ車の下のほうに木で出来た取っ手のようなものがあるので、そこを右手で触り回しながら歩きましたが、回っていないマニ車を最初から自分で回すと、結構手にきます。このマニ車、結構重いんです。
前の人が回した後だと、その余力で楽に回せます(笑)。
軍手があると更に楽ですが、それはルール違反です。 -
ぐるりと一階を観て、二階へ上がってきました。青い空が美しい。
二階にはソンツェン堂があり、ソンツェン・ガムポとその一族の塑像が置かれています(やはり写真はありません。悪しからず)。
チベットの建築で良く見られるように、重要な堂には金瓦の屋根をつけてあることが多いです。 -
このジョカンも観音堂、弥勒堂、釈迦堂、ソンツェン堂の四つの堂は金瓦の屋根で、それらは丁度本殿の東西南北の四辺に置かれています。
屋上に上ると、その四つの金瓦の屋根を間近で目にすることが出来ます。絢爛豪華にして荘厳。
因みにチベット人のジョカン寺への入場は無料(他の仏教施設も同様)ですが、中国人(漢人)を含む旅行者は入場料70元が必要。 -
チベット人かそうじゃないかって、何で見極めるんでしょう。
日本人旅行者がチベットの仏教施設に入場料を払わず入った、と聞いたことがありますが。
ジョカンの屋上の装飾、金色の法輪と臥鹿はチベット仏教のシンボル。
法輪は金銅打ち出しです。
ここから西へ目を向けると、ポタラ宮が望めます。 -
熱心に五体投地をする人たち。この時間は少ないです。
ここには土産物屋もあり、私はポストカード大の写真集のようなものを買いました。
チベットでは、お寺の入場券販売や土産物売りも、僧侶の役目。
私が買おうとしたその写真集は、陳列されていた最後の一冊だったようで既に背側が剥がれていました。
そのことと、もう一冊無いか売り場のお坊さんに云うと(英語)、棚を見てもう無いと首を振り、その最後の一冊12元のものを、5元にしてくれました。
うーん、やるな西蔵僧。 -
僧侶の生活は規則正しく、厳しく毎日が過ぎて行きます。
朝7時前に起床、経文を読んだり勉強をし、朝食を摂る。
7時半になると、主殿に行って開門の下準備。
8時にジョカン寺の門を開け、僧侶たちはそれぞれの位置に就いて僧院内の自分の仕事を担当するのです。 -
午後1時に昼食を食べ、3時まで昼休み。3時からは仕事。
4時半にジョカン寺の門が閉じられた後は、また経文などの勉強。
その後、読経があり夜間授業、8時半頃夕食を摂り、また勉強。
その勉強の内容は、新入の僧は基礎チベット語・文法・文学・スートラの詠唱・祈祷から始めます。
次に、アビダルマ(形而上学)、プラジナパラミタ(智慧の完成)、プラマナ(論理学)、マディヤミカ(中間思想)といった仏教教理を学びます。 -
この学習期間は普通18年若しくはそれ以上かかるとされています。
スートラ(顕教)とタントラ(密教)の仏教経典、その他、占星学、医学、絵画工芸も必須科目だそうです。更に、仏教哲学の意味と暗示について分析思考し、何時間も黙想します。
仕事や勉強のほかに、勿論あらゆる宗教的儀礼も行います。
年輩の僧は、規律を維持し集団を導く大きな責任を持ちます。若い僧は、当番制で厨房の仕事や食糧などの買出し、食事や茶の給仕などを担当します。
朝から晩まで勉強熱心ですね、チベット僧。 -
ジョカンに限らずチベットの僧院には、素晴らしい仏教美術が残されています。
が、それはあくまでもごく一部の僧院の話。
現在のチベットは正統な政府が崩壊し、中国によって占領支配されています。
表向きは平和に見えるものの、これはれっきとしたテロです。テロは、未だ続いています。 -
文革後、改革開放路線に転じた中国はそれまでの弾圧を文革4人組の責任とし、現在のチベットでは信教の自由が認められているかの如く振舞っています。
去る7月1日、西蔵鉄道が開通しましたが、それもチベットの独立を押さえ込む狙いがあります(勿論それ以外もありますが)。
人民解放軍が尽く破壊した僧院は、観光資源として有効な寺院の一部だけが修復され、私たちの来訪に応えてくれています。 -
実際は(観光客のため、外国に対するアピールのため)細々と宗教活動を許されているに過ぎず、僧侶や尼僧に対する思想的な締めつけは現在も横行し、仏教の学習や修行をまともに行える状況ではないのです。
その為本格的に仏教を勉強しようとする人は、現在も亡命の道を辿る人が少なくありません。 -
僧侶・尼僧に限らず、彼らは常に監視下に置かれ、ダライ・ラマ法王を支持したり、その肖像を拝むことでさえ、禁止されているのです。それどころか、ここ数年その弾圧は厳しさを増し、僧院ではダライラマ法王を批判するよう強制されています。
その批判を拒否した人、法王の写真を持っていただけの人も監獄に送られているのです。
チベットの独立や宗教活動の自由などを求めてデモを行えば、広場でただ「チベットに自由を!」と声にするだけでも、すぐさま公安が飛んできて必ず投獄されます。 -
そのチベットでの監獄の現状は全く酷いもので、出される食事は貧しく、常に栄養失調状態。朝から晩まで劣悪な環境で労働を強いられ、仕事が無いときには長時間に及ぶマラソンや、軍隊訓練のような過酷なものもさせられます。
取調べに暴力は当たり前、拷問の道具は常に用意され、いつもではなくても勿論それは使用され、それは死にも至ることがあります。釈放されても、拷問の後遺症で身体が不自由になったり、直後に亡くなることもあります。 -
そして出所しても、僧侶・尼僧は寺に戻ることが許されない為、生活の基盤を失い、生きていくのも大変なのです。
現在も、千人近くの”良心の囚人”がチベットの監獄に捕らわれています。
拷問の跡をはっきりと残す遺体は、親族に引き渡されず、逆に危篤状態の”囚人”を家族に返すし、例え亡くなったとしても、刑務所が原因だと云われないようにしているのです。
投獄されている間は、面会も1ヶ月に1度、しかも2人までしか許されていません。親族以外の人は会うことができないため、友達は面会に行くことができません。 -
投獄は2,3年で終わることもあれば、20年以上に亘ることもあります。
こんな美しく輝く空の下、穏やかな表情のチベット僧からは想像もつかない現実。
中国の蛮行はどこまで続くのでしょう。
彼らは、静かに穏やかに自らの心と歴史を尊重して暮らしたいだけなのに、余りにも酷い現実です。 -
ジョカンの見学を終わり、下へ降りてきました。
ジョカン正面に居た子供たち。
こんな隅に隠れて何をやっているの〜? -
目を瞑り、右手を突き出し歩いている子供。
何かと思ったら、壁にある穴?に向かっていました。
穴にぴったり指が合うと、願い事が叶うとか? -
こちらの女の子も、同じく。
かわい〜。 -
赤ちゃんの、黒く濁りの無い瞳って、一旦目が合うとなかなか逸らせない。
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さて、もう17時は廻っていますがこの明るさ。
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とある土産物屋へ入りました。
私はネックレスを購入。
こんな犬が出迎えてくれました。
私たちが見ていると、飼い主らしきおじさんが -
こんな芸を見せてくれました!
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ジョカンを見学し終わって、再びバルコルを廻り夕食。
もう19時ですが、幾分陽射しは弱まっているけれどまだ外は昼間と同じくらい明るい。 -
チベットではバイキング形式の食事が殆どでした。
今日も並んでいるもの殆どを、少しずつ頂きました(欲張りな皿)。
で、今回の初めて飲むものがありました。コーラとスープの間の器の、バター茶。
バター茶は、チベット族をはじめモンゴルや他の遊牧民族が好む飲み物。 -
昔からバター茶には、輸送に便利なように茶葉を固めた磚茶が使われています。これを削って煮出し、ギ(メスのヤク)のミルクにやはりギから作ったバターと岩塩を加えるそうですが、地方によって作り方も異なるようです。
チベットの人々はこのバター茶を一日に何杯も飲みます。それは高地生活で不足しがちなビタミンや脂肪分、蛋白質などを補うため。 -
最初は身分の高い貴族の間で飲まれるようになり、”茶道”のように礼法があったそうですが、現在はインスタントのバター茶なども売られています。
さて肝心の味ですが、日本人のイメージする「茶」とは完全にかけ離れ、ガイドさんの言葉の通り「バタースープ」と思って飲むと美味しいです。
駄目な人は駄目な味だとは思いますが、私は3杯ほど頂きました。 -
レストランには既に各国からの観光客が一杯で、私たちは後方の席しか座れず。
途中、少年の活躍するストーリー性のあるものも。
ヤクが暴れてお客さんを脅かしたりしました。
ちょっと獅子舞チックでした。 -
生演奏で、8つくらいの踊りを見ました。
歓迎の踊り、天女の踊り、シガチェ地方の男女で踊る踊り、遊牧民族の踊りなど。
衣装が鮮やかで綺麗です。 -
レストランに居た子。
余程もの欲しそうに見えたのか、食べていたお菓子を私にくれました。 -
夕食後、再び散歩に出て見つけた絵。
こ、こういうのもあるんだ〜。
20:30、そろそろホテルへ戻ろうかな。
あ〜今日も楽しかった。
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