2006/05/02 - 2006/05/05
10601位(同エリア11778件中)
kamomailさん
- kamomailさんTOP
- 旅行記33冊
- クチコミ11件
- Q&A回答0件
- 59,647アクセス
- フォロワー0人
日本ではじめてのまち歩き博覧会として開催された「長崎さるく博」を見に行ってきました。“さるく”とは、まちをぶらぶら歩くという意味の長崎弁。
見どころの多い長崎ならではのスタイルだと思いませんか?いわゆる観光地を訪れるのではなく、車では感じられない徒歩ならではの視点で街をじっくり味わえる、忙しい現代人に求められる新しい旅行のあり方ではないでしょうか。
参考URL
http://www.nagasaki-tabinet.com/
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
-
今回の旅行ではコチラにお世話になりました。
ホテルJALシティ長崎
http://nagasaki.jalcity.co.jp/ -
時間が早くチェックインが出来ないため、荷物をホテルに預け、早速“さるく”
出島を川側から望む。 -
眼鏡橋方面へぷらぷら。
長崎といえば路面電車。カラーリングが落ち着いた趣きで和みます。 -
眼鏡橋
17世紀、長崎の町並みは拡大され護岸が構築され、ほぼ現在の中島川が形づくられました。このころは、キリスト教禁教の時代であり、唐文化の導入により興福寺などの仏寺が次々と建立されました。
寛永11年(1634)、興福寺の黙子如定禅師が架設したこの眼鏡橋は、長さ22m、幅3.65m、川面までの高さ5.46mで日本初のアーチ式石橋として有名であります。
川面に映った影が双円を描くためこの名前がついたと言われ、『日本橋』『錦帯橋』と並び日本3名橋に数えられました。
昭和57年(1982)の長崎大水害で一部崩壊しましたが翌年復元されました。 -
-
坂の町 長崎。さすがに坂が多いです^^
でもまだまだ序の口だったと思い知るのはこの後・・・ -
興福寺
当時、日本に来る中国人の中にはキリスト教徒がいたため、長崎奉行は唐人の宗教についても厳重に調査をしていましたが、在留唐人等は自ら進んでその証明を行い、かつ、海上の安全祈願と故人の冥福を祈るため寺を建てようということになりました。
第2代住職の黙子如定は眼鏡橋を架設したことで有名であり、第3代の逸然は長崎漢画の祖として有名です。
また、逸然は当時中国でも高僧の評判が高かった隠元を招くことに成功し、全国から多くの僧がここへ教えを受けに来ました。
境内には国指定重要文化財の唐人屋敷住宅門や県指定有形文化財の三江会所の門(江南・浙江・江西)、日本三聖堂の一つといわれた長崎聖堂の大成殿と杏檀門(大学門)があります。 -
『興福寺』についてのホームページはこちら
http://www.at-nagasaki.jp/archives/000/43.html?css=area.css -
-
魚板
僧侶たちの飯時を告げるためにたたく魚形の板です。魚板はどの禅寺にもありますが、興福寺の魚板は日本一美しい魚いたとして定評があります。 -
崇福寺
興福寺が南京地方出身者の建立によるもので南京寺と呼ばれるのに対し、崇福寺は福州寺と呼ばれます。
市内鍛冶屋町にあり、竜宮門を思わせる三門や珍異奇巧を極めている第一峰門があります。殿堂内の仏像仏具類は、いづれも中国人名匠の手によるもので、明朝末期文化の縮図といえるものです。
第一峰門と大雄宝殿は国宝に指定され、その他にも国指定重要文化財5、県指定有形文化財4、市指定有形文化財10をもつ文化財の宝庫です。長崎の唐寺の特色は媽祖堂をもつことです。媽祖は海の神様であり、当時、唐船主たちが航海安全を祈願してまつったものです。 -
-
-
-
お昼に佐世保バーガーを食べようと、崇福寺付近をうろうろしていたら、ハンバーガー屋を発見。
ちゃんぽんバーガー、美味しいのかな・・・?
http://www4.cncm.ne.jp/~miraizu/ -
正覚寺下から路面電車に乗りました。
運転席からの眺めは童心に帰り、ちょっと嬉しい^^ -
路面電車を乗り継ぎ、終点「大浦天主堂下」駅で下車。
有名観光地+GWで大勢の観光客で大賑わい。 -
結局、佐世保バーガーは発見できず、大浦天主堂前の食堂で中華料理をいただくことに。
角煮まん、美味^^ -
-
グラバー園内の旧三菱第2ドックハウス2階から長崎港を望む。
-
旧グラバー住宅は「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」ゆかりの地。当時を彷彿させるオペラが演じられていました。
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/glover/m_cont/butterfly.html -
-
長崎伝統芸能館の展示品
-
-
孔子廟
元来、孔子廟とは、孔子の遺品を納め祀ったのが始まりで、明治26年(1893)中国清朝政府と華僑によって建造されました。
琉璃瓦・青白石製欄干・龍紋様の御道石・孔子像、72賢人石像などはすべて中国から取り寄せられたものです。 -
-
-
-
カワイイ^^
-
原爆落下中心碑
昭和20年(1945)8月9日11時2分。アメリカのB29爆撃機から投下された原子爆弾は松山町171番地の上空約500mで炸裂。現在、その地には落下中心地標柱として昭和43年(1968)に建立された黒御影石の碑が立てられています。園内には被爆当時の地層が残されているが、そこには原爆によって壊された家の瓦やレンガ、約3000度の熱で焼けたガラスなどが今も大量に埋没しています。 -
-
平和公園
公園内には原爆落下中心地や、丘の上には高さ9.7メートルの平和祈念像、水を求めてさまよった少女の手記がきざまれた平和の泉などがあり、世界各国から贈られた平和のモニュメントも建ちならび、世界恒久平和を願う長崎市のシンボルゾーンとなっています。 -
-
浦上天主堂
キリシタン大名、大村純忠は、1571年に長崎港を開港し、長崎は貿易とキリスト教の町として急速に発展しますが、その後、厳しいキリシタン弾圧の長い歴史のなかで、キリシタンたちはその深い信仰を守り、伝え続けました。
約200年に渡る鎖国の時代が終わり、渡来した外国人達は1864年、居留地に大浦天主堂(国宝)を建てました。浦上村(当時)のキリシタン達はそこにマリア像があると伝え聞いて訪れ、フランス人神父プチジャンとの歴史的対面が実現しますが、信仰が表面化し「浦上4番崩れ」といわれる厳しい迫害を受け、この事件が外交問題に発展し、キリシタン禁制の廃止の要因ともなりました。
村に帰ったキリシタン達は長い年月をかけ、1925年(大正14年)に双塔レンガ造りの東洋一の大教会を完成させたましたが、1945年(昭和20年)原爆によって破壊され、1959年(昭和34年)現在の浦上天主堂が再建されました。 -
-
味処 海山
tel095-824-6317
長崎市篭町9-26
思案橋電停から徒歩5分
http://www.ktn.co.jp/buratto/6umiyama.html
鯛の白子鍋^^ -
-
イソギンチャク
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
長崎 の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
39