2007/06/29 - 2007/06/29
813位(同エリア934件中)
akkiy363672さん
- akkiy363672さんTOP
- 旅行記220冊
- クチコミ8件
- Q&A回答6件
- 585,281アクセス
- フォロワー6人
桑名での用件がお昼過ぎに終わったので、午後、桑名が生んだ豪商「諸戸清六」が残した邸宅「六華苑」を訪ねてみました。
「六華苑」の名前は以前から知っていたのですが、大正期の洋館と言った認識だったところ、建物・庭園・調度品の数々は興味の尽きない見事さでした。
ここ「六華苑」を造営した諸戸清六は、実は2代目清六です。明治39年、穀物取引で成功した初代清六の死去にともない、早稲田大学在学中であった四男清吾が呼び戻され、18歳で二代目清六を襲名して家業引き継ぐこととなりました。
家業をますますの隆盛に導いた二代目清六は、明治44年、結婚して23歳になっていたこの年、鹿鳴館などを担当して当時の建築界の重鎮であったコンドルに設計を依頼し、この新居を完成させたのです。
諸戸家の歴史を紐解くには、初代清六を語らずして一歩を踏み出すことはできないのですが、初代についてはその?に紹介することにして、まずは「六華苑」を訪れることにしましょう。
詳細は http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/monomiyusan/124%20moroto.htm へも記しています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
六華苑」の入り口(長屋門)。
徒歩2分の隣接地に、駐車場があります。 -
? 駐車場 45台駐可
? 入り口(長屋門)
? レストラン
? 洋館
? 日本家屋
? 一番蔵
? 内玄関(受付・抹茶)
? 番蔵棟
? 高須御殿
? 離れ屋 -
門をくぐって石畳の道を行くと正面に洋館が見えてくきます。
右側の生垣の奥にはレストランがあります。 -
道ばたの街灯もレトロです。
-
洋館の全容が見えてきました。
圧倒的な存在感を持つ、4階建ての塔屋が印象的です。 -
明治44年着工、大正2年に竣工した建物は、平成9年12月、国の重要文化財(建造物)に指定されています。
-
前庭の芝生と飛び石。
-
前庭の水路
-
洋館の向こうに、和風の家屋が続いている。
当時の洋館建てには、和館を結合させるのが普通であったとか。 -
洋館のベランダから、西へ続いている、和館の縁側をパチリ…。
-
池のほとりには、見事な五葉松が…。
-
庭園の鑑賞はのち程ということにして、建物の中に入ってみることにしましょう。
← 建物への出入り口 「内玄関」
入ってすぐ左が受付・事務室、正面に抹茶をいただく休憩所がある。 -
右手には陳列棚があって、諸戸家所蔵の美術品が展示してある。
-
まずは右手(西側)の和館を拝観しました。
庭に面して、板廊下があり、その内に畳廊下、さらに内側に部屋が連なっています。 -
← 広間
この和館には、2間つづきの広間と、3間つづきの広間との、合計5つの座敷がありました。 -
廊下の突き当たり、西の端に土蔵(一番蔵)しつらえられていました。
この一番蔵には、接客用調度品が収納されていたということです。 -
奥から、東のほうを振り返ったところ。
廊下の向こうに、洋館の赤絨毯が見える。 -
取って返して 洋館へ…。
← 玄関
入り口のステンドグラスを通った光がやわらかい。 -
玄関を入ってすぐ左の部屋が この応接間です。
-
この応接間が、各部屋の中でも一番凝った造りとなっています。
明治の元勲、山県有朋や大隈重信もこの屋敷を訪れていますから、このソファーへ腰掛けたことでしょう。 -
応接間から続いている食堂
-
← 食堂の窓から見える、前庭。
-
階段を登って、2階へ…
-
2階は、プライベートな空間で、書斎や寝室などがある。
← 書斎
正面のドアからサンルームへ -
← サンルーム
1階ベランダの上に同じ大きさで造られているこのサンルームは、いっぱいの陽光を浴びながら庭を眺める、絶好の設計となっています。
奥の右手は、寝室…。 -
この寝室の電燈は、当時のものとか。
-
サンルームの西端から、和館と西奥の庭を望む
-
サンルームから眺めた 前庭の池
-
サンルームから眺めた 前庭の南東部。
-
洋館の北東に戻り、塔屋の2階窓から 表門からのエントランスを望む。
左手に レストランが見える。 -
← 館内のトイレは、創建当時から全て水洗でした。
水道設備もなかった当時、洋館の全てで水洗トイレを使用していたというのは驚きですが、ここには初代諸戸清六の偉業がありました。
桑名はもともと地下水に海水が混じり、井戸水には塩分が含まれていました。良水を得ることは桑名の人々の悲願であったのですが、初代諸戸清六は独力で上水道の敷設を計画し、東方(ひがしがた)丘陵に地下水を集めた貯水池を造り、桑名の町内に上水道を給付したのです。 -
この水道は明治37(1904)年に竣工し、町中に55箇所の共用水栓を設け、町民に無料で開放…。近代的な水道施設としては、全国で7番目のものだとか。
← 桑名市東方に残る貯水池遺構
(桑名市パンフレットより) -
表へ出て、庭園を散策してみました。
← 池の対岸から -
← 池の南西からのショットがないので、パンフの写真を拝借…。
-
前庭を横切って、建物の西側に回ってみました。
← 和洋館を、和館のほうから(西から)、パチリ -
西南部には山水の日本庭園があります。
-
和館の西の端、一番蔵の前に 巨大な石の手水鉢が置かれていました。
-
日本庭園の中を通り、和館の西側を北へ回って、内庭へ…。
-
内庭、 和館の裏手…一番蔵の屋根が見えます。
-
内庭は、南を和洋館、東を内玄関棟、北を四〜七番蔵と続く棟で囲まれた坪ノ内といった趣です。
-
内庭は、茶匠松尾宗吾の意匠による、茶庭の趣が色濃い。
← 離れ屋
この離れ屋は囲炉裏が切られ、水周りはステンレスの設備が整えられていたから、今も茶会などに活用されているのでしょう。 -
二番蔵と母屋の間の渡り廊下を横切って、建物の表へ出ました。
← レストランの前に植えられたバラが、
思い思いの花を咲かせていました。
内玄関に入って、再度、受付へ行って申し込み、抹茶をいただきました。
その席に座っておられた、「桑名歴史案内人」のカードを付けたご婦人に、諸戸家のさまざまな事柄を伺いました。 -
「『諸戸屋敷と庭園』へは、もういかれましたか?」と尋ねられ、本日はここ六華苑と九華公園ぐらいを訪ねてみようかと思っていた僕は、「諸戸屋敷…?」と何の予備知識もありません。
「ここ六華苑は二代目が建てられたお家ですが、初代の清六さんが建てられた『諸戸屋敷』がこの裏にあります。今、6月中は庭園も一般公開していますから、ぜひご覧になっていってください。一見の価値は十分にありますよ」と教えていただきました。
予定していたわけでなく、ひょんなきっかけで訪れた「諸戸屋敷」…。しかし、その旧宅で、僕は、初代の並外れた見識と規格外れの豪放さを目の当たりにすることになるのですが、その報告はまた近日ということで…。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
桑名・長島(三重) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
43