2007/06/29 - 2007/06/29
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akkiy363672さん
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『六華苑』でお抹茶をいただきながら、「諸戸さんのお屋敷は、この『六華苑』じゃないのですか」と不勉強振りを曝(さら)す章くんに、「ここは2代目が建てたお宅…。初代のお屋敷は一味違いますよ」と「桑名歴史案内人」のネームプレートを胸に掛けたご婦人は自信たっぷり…。
日本の山林王、日本一の大地主、初代諸戸清六が起居した『諸戸屋敷』…。8000坪の敷地に、初夏には菖蒲池に赤・白・紫・黄色の花々が咲き乱れ、秋は邸内の紅葉が見事だとか。
毎年、菖蒲と紅葉の季節には一般公開していて、初夏の今は明日の30日までだと言う。
そうと聞いては、見に行くしかない。
詳細は http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/monomiyusan/124%20moroto2.htm へも記しています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
-
六華苑の駐車場から車を出して走ること2分…、『諸戸屋敷P』の看板を見つけて車を入れた。
赤レンガの塀伝いに屋敷の中をのぞきながら塀の前を東へ歩き、左に曲がって正面に立った途端… 驚愕!
← 屋敷の正面「大門」。
車がそのまま入っていける正門の威風もさることながら、その右横に続いている本屋の豪壮なことはどうだ。間口15間、桧造りの総二階建、柱の太さは1尺5寸角もあろうかという威風堂々とした構えである。
この前の道は諸戸家の私有地で、その道の向こうに運河が流れている。 -
← 屋敷の前の運河。
道を隔ててその向い側は運河が掘られていて、伊勢湾から積荷を載せた船が家の前に着いた。 -
濃尾・伊勢平野、さらには江州(滋賀)から集められた米穀は、この赤レンガ倉庫に収められ、やがて相場の立った消費地へと船積みされていく。
「五万石でも岡崎様はお城下まで船が着く」と、岡崎ッ子は家康生誕の地にある岡崎藩の格の高さを誇ってきたが、ここ諸戸家も玄関先まで船が着いた。 -
本屋の受付で、入園券(500円)を求める。太い格子戸や欅の一枚板など、見るからに堅牢で豪壮な本屋は、明治22(1889)年、「諸戸店」開業時に店舗として使用された。清六は、玄関外の脇に三尺ほどの縁台を置き、せんべい布団に座っているのが常であったという。また解説には「自室には東海道線の時刻表を飾り、いつでも出かけられる支度がなされていた」とも書かれていて、彼の行動力がうかがわれる。
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? 本屋 ? 大門 ? 玉突部屋
? 御殿玄関、車寄せ ? 推敲亭
? レンガ蔵 ? 藤茶屋 ? 菖蒲池、八つ橋
? 神祠 ? 御殿、池 ? 環濠(堀)
【諸戸庭園パンフレットより】 -
ゆうに車が出入りできる大門をくぐって邸内に入ると、左右に新緑がまぶしいモミジの並木が続く。
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モミジの並木の向こうには、芝生が張られ庭石が配された小山が見えてくる。
「御殿」と呼ばれる客殿の玄関前の車廻しになっているのだ。 -
← 御殿の玄関
間口3間半、床は寄木張り。当時の外務大臣大隈重信の指図のもと、外務省の玄関を模している。 -
玄関前の生垣の間に設けられたくぐり戸を抜けて、庭園へと足を踏み入れると、すぐにに小さな流れがあって、水が落ちている
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流れで手を洗い、その右手の竹の門をくぐると、左手に「推敲亭?」が見える。
ここで、にわか雨に降られた。このまま進むにはちょっと大粒すぎる。推敲亭の縁側に腰掛けさせてもらい、パンフレットを読んだり、前に広がる菖蒲池の景観を眺めたりしながらパチリパチリとデジカメのシャッターを押していた。
と、管理室の女の子が、ビニール傘を持ってきてくれた。お礼を言いつつ、まだ勢いを弱めない雨足に、さらに10分ほど推敲亭に座らせてもらっていた。この屋敷の入館は午後4時まで…。4時を過ぎた今、園内に他の人の影はない。 -
推敲亭は、江戸時代、この屋敷が山田氏のものだったころから、菖蒲池を見晴らす傾斜地にあった草庵である。
名前の由来は、月を眺めながら詩歌を推敲したという伝承がある。
3畳に小さな出床を設け、3面に障子を巡らせた開放的な造りで、狭さを感じさせない。傾斜地の石組みの上に、載せかけるように建てられている。 -
← 推敲亭から眺めた ?菖蒲池の眺望、
左手に「藤茶屋」の入り口が見える。
推敲亭から池へ下がっていく地形に沢飛石が打たれ、山間の渓流のような趣をかもしている。江戸時代には花菖蒲ではなく杜若(かきつばた)が植えられていたらしい。 -
← 推敲亭の右上に位置している「伴松軒」下の石組み。
この茶亭は本屋から庭に突き出た形になっていて非公開。歩経路からも離れていて、木の間越しに仰ぎ見るしかない。
4畳半に1間床を加えた茶室で、露地は巨石を配し高低差を付けた大胆な設計である。 -
← 石が敷き詰められた歩経路
雨足も弱まったので、傘を差しながら、庭内をめぐる。 -
← 推敲亭から眺めた ?菖蒲池の眺望
左手に「藤茶屋」の入り口が見える。
今年の菖蒲はあらかた終わっていて、ちらりほらりと花が残っている程度…。
庭園の公開も明日までで、今年のシーズンももう終わりだ。 -
← ?レンガ倉庫の裏側
もと、5棟あったが戦災で2棟が焼失・瓦解、現在この3棟が残っている。 -
← 庭内の石畳
切石と玉石による延段で、新潟の大地主である伊藤家の庭園(現北方文化資料館)を参考にしたといわれている。 -
やがて行く手に、大きな藤棚に囲まれた小屋が見えてきた。
江戸時代、桑名藩主もよく藤見物に訪れたという「?藤茶屋」である。 -
藤棚の下から部屋を…。
貸してもらった傘が写っている。 -
部屋から藤棚を見たところ
前方正面が菖蒲池、その対岸に推敲亭だ。
茶屋の縁側に腰掛けて、ちょっと休憩…。あたりは
静か、雨上がりの緑がみずみずしい。 -
← 藤茶屋の前から、推敲亭をパチリ
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← 菖蒲池を渡る 八つ橋
八つ橋を渡ると蘇鉄山がある。
その向こうに鳥居が立っていて、小さな祠が見えた。諸戸家の氏神をお祭りしているのだろうと写真は遠慮したのだが、あとで解説書を見ると市指定文化財…、菅原神社、伏見稲荷、玉船稲荷、住吉神社、金比羅神社を祀っているとある。水運・海運の祭神は諸戸家が舟を利用して商いをしていたからだろう。 -
← このあたりの敷石は畳1畳ほどもあろうかという青石。
この石は、志摩の桃取島(鳥羽市)から取り寄せたという。 -
← 屋敷の西側と北側に掘られている溝渠。
その外側にレンガ塀が築かれている。
池庭へ水を引くこととと防備のため造られていた。通常は塀の外に溝を掘るものだが、清六の発想は、塀を乗り越えた賊が水路に落ちるというものであったらしい。
揖斐川と結ばれているので、入ってきた魚を1ヶ月に1度さらえて、使用人と食したとか。
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← 溝渠から池へ水を引く水路に掛けられた 青石の橋。
タタミ1畳よりも はるかにでっかいよ! -
← ? 御殿
木造平屋入母屋造で西本願寺をモデルとしている。
豪壮堅牢な建物で、庭がよく見えるように、柱は少なく、床が高い。 -
32畳敷の座敷が2間、間の唐紙を外せば 64条の広間となる。
天井は格天井、壁面は群青地に金で霞をたなびかせた絢爛豪華ないでたちである。 -
← 御殿前の池庭
推敲亭と菖蒲池が山田氏所有の江戸時代からあったのに対して、この御殿とその前の池庭は、初代諸戸清六が明治23年から手がけ、数年をかけて完成した。
明治の元勲 山県有朋や大隈重信も、何度かこの屋敷を訪れている。
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ここはもと水田であったのを埋め立てたもので、海抜0以下の低さとか。そのため流れ込む揖斐川の干満の影響を受け、池の水位が上下して、刻々と変わり行く景観を味わう「汐入りの池」であった。干潮時には池の周りに白砂を敷いた浜辺が現れるなど、満干で景観が違う工夫が凝らされていた。現在は水門が閉じられているため水の変化はないが、再開の計画があるとか聞いて楽しみにしている。
← 手前に白砂を敷いた岸辺が見える。水位が上がると、この岸辺は水没して池が広がる。 -
御殿の庭は、松と石を配して、菖蒲池の江戸期の庭園とは全く趣の異なった造りとなっている。鳥羽や志摩から運んできた見ごたえのある大石や青石などが置かれて幽玄な趣があり、中央の雪見灯籠辺りの雰囲気は、酒田の本間家別邸「鶴舞薗」を参考にしたとか。
← 池にかぶさる松の木の太さも、半端じゃない。 -
邸内のところどころに倉庫が建っていた。
日本一の大地主となった明治21年、清六は日本中の大地主10数名を選んで、造園だけでなく、思想・処世・人生観などについて教えを請うための旅に出ている。
日本一になってこその謙虚さであろうか。その謙虚さが、清六を日本一にしたのかも知れない。
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