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「橋本」は行基(ぎょうき668−749年)が725年に架けたと言われる「山崎の橋」のたもとにあるのが地名の由来で紀貫之(866−945年)の「土佐日記」にも登場する。「橋本」は京街道の宿場町であり、宿泊客の多くは男山・石清水八幡宮に参拝する人達だった。「山崎の橋」は何度も流され、文禄年間(1592−1595年)の架橋後は1930年に八幡の桂川・宇治川・木津川の三川合流点に、御幸橋(木津川御幸橋352m、淀川御幸橋262m)が架設されるまでは、対岸の山崎とは「山崎の渡し」と呼ばれる渡し船で往来していた。「山崎の渡し」は1962年まで運行しており、谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう1886−1965年)は『蘆刈』(1932年)で「男山はあたかもその絵にあるやうにまんまるな月を背中にして全山の木々の繁みがびろうどのやうな津やをふくみ---」と山崎の渡し舟からみる男山の光景を描いている。<br />「橋本遊郭」は男山・石清水八幡宮とともに栄えた。源義朝(みなもとのよしとも1123−1160年)の妾の一人は橋本から出たと言われるので、1000年も昔から遊里があったのだろう。井原西鶴(いはらさいかく1642−1693年)の『好色一代男』に描かれ、淀川三十石舟舟歌にも歌われており、江戸時代中期以降は全国的に有名な遊里だったようだ。1872年に京都府から正式に遊郭と認定され、最盛期には、京街道沿いに石原楼、京華楼、いろはなど75の妓楼が並び娼妓は400名以上だったとのこと。最盛期の「橋本遊郭」は宮尾 登美子(みやお とみこ1926年−)原作の1982年の映画『鬼龍院花子の生涯』にも登場している。1958年の公娼制度廃止後、遊郭の灯は消え現在は閑静な街になっているが民家の屋根、玄関、格子の造りには遊郭の華やかな面影が残っている。<br />(写真は橋本遊郭の華やかさを残す民家)<br />

日本の旅 関西を歩く 京街道沿いの枚方の「橋本遊郭跡」

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2007/05/21 - 2007/05/21

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

「橋本」は行基(ぎょうき668−749年)が725年に架けたと言われる「山崎の橋」のたもとにあるのが地名の由来で紀貫之(866−945年)の「土佐日記」にも登場する。「橋本」は京街道の宿場町であり、宿泊客の多くは男山・石清水八幡宮に参拝する人達だった。「山崎の橋」は何度も流され、文禄年間(1592−1595年)の架橋後は1930年に八幡の桂川・宇治川・木津川の三川合流点に、御幸橋(木津川御幸橋352m、淀川御幸橋262m)が架設されるまでは、対岸の山崎とは「山崎の渡し」と呼ばれる渡し船で往来していた。「山崎の渡し」は1962年まで運行しており、谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう1886−1965年)は『蘆刈』(1932年)で「男山はあたかもその絵にあるやうにまんまるな月を背中にして全山の木々の繁みがびろうどのやうな津やをふくみ---」と山崎の渡し舟からみる男山の光景を描いている。
「橋本遊郭」は男山・石清水八幡宮とともに栄えた。源義朝(みなもとのよしとも1123−1160年)の妾の一人は橋本から出たと言われるので、1000年も昔から遊里があったのだろう。井原西鶴(いはらさいかく1642−1693年)の『好色一代男』に描かれ、淀川三十石舟舟歌にも歌われており、江戸時代中期以降は全国的に有名な遊里だったようだ。1872年に京都府から正式に遊郭と認定され、最盛期には、京街道沿いに石原楼、京華楼、いろはなど75の妓楼が並び娼妓は400名以上だったとのこと。最盛期の「橋本遊郭」は宮尾 登美子(みやお とみこ1926年−)原作の1982年の映画『鬼龍院花子の生涯』にも登場している。1958年の公娼制度廃止後、遊郭の灯は消え現在は閑静な街になっているが民家の屋根、玄関、格子の造りには遊郭の華やかな面影が残っている。
(写真は橋本遊郭の華やかさを残す民家)

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  • 橋本遊郭の華やかさを残している民家。

    橋本遊郭の華やかさを残している民家。

  •  橋本遊郭跡の街並み。

     橋本遊郭跡の街並み。

  • 橋本遊郭の華やかさを残している民家。

    橋本遊郭の華やかさを残している民家。

  •  橋本遊郭跡の街並み。

     橋本遊郭跡の街並み。

  • 橋本遊郭の華やかさを残している民家。

    橋本遊郭の華やかさを残している民家。

  • 橋本遊郭跡の街並み。

    橋本遊郭跡の街並み。

  •  橋本遊郭跡の街並み。

     橋本遊郭跡の街並み。

  • 橋本遊郭の華やかさを残している民家。

    橋本遊郭の華やかさを残している民家。

  •  橋本遊郭跡の街並み。

     橋本遊郭跡の街並み。

  • 橋本遊郭跡の街並み。<br />

    橋本遊郭跡の街並み。

  • 橋本遊郭の華やかさを残している民家。

    橋本遊郭の華やかさを残している民家。

  • 橋本遊郭前の道標。左八幡、いせ京伏見と読める。<br />

    橋本遊郭前の道標。左八幡、いせ京伏見と読める。

  • 1960年代まで渡し舟があった淀川。<br />

    1960年代まで渡し舟があった淀川。

  • 多くの人が橋本に宿泊し、参拝した男山・石清水八幡宮の鳥居。<br />

    多くの人が橋本に宿泊し、参拝した男山・石清水八幡宮の鳥居。

  • 「山崎の橋」に替わって1930年に八幡の桂川・宇治川・木津川の三川合流点に架橋された御幸橋。<br />

    「山崎の橋」に替わって1930年に八幡の桂川・宇治川・木津川の三川合流点に架橋された御幸橋。

  • 男山の谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう1886−1965年)の『蘆刈』(1932年)の碑。「男山はあたかもその絵にあるやうにまんまるな月を背中にして全山の木々の繁みがびろうどのやうな津やをふくみ---」と山崎の渡し舟からみる男山の光景を描いている。<br />

    男山の谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう1886−1965年)の『蘆刈』(1932年)の碑。「男山はあたかもその絵にあるやうにまんまるな月を背中にして全山の木々の繁みがびろうどのやうな津やをふくみ---」と山崎の渡し舟からみる男山の光景を描いている。

  • 1960年代まで渡し舟があった淀川。<br />

    1960年代まで渡し舟があった淀川。

  • 男山にある桂川・宇治川・木津川の三川合流点の説明板。<br />

    男山にある桂川・宇治川・木津川の三川合流点の説明板。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • トモとアックさん 2007/10/10 20:23:55
    橋本遊郭
    さすらいおじさん

    はじめまして、トモとアックと言います。

    橋本遊郭の旅行記、久しぶりにまた
    拝見させていただきました。

    時々ですが、車で樟葉のショッピングモールに行く際、
    淀方面から御幸橋を渡り、大坂街道(県道13号)を
    淀川沿いに走っている途中で見えてくる建物群を、
    「何だろう、ただの建物ではない」と思っておりました。

    偶然、さすらいおじさんのこちらの旅行記を読んだ時、
    その疑問が氷解し、大変満足いたした次第です。
    とても勉強になりました。ありがとうございます。

    また時々、他の旅行記も拝見しに伺いますので、
    今後ともよろしくお願いします。

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2007/10/14 09:19:44
    RE: 橋本遊郭
    トモとアックさん

    橋本遊郭の旅行記をごらんいただきありがとうございます。
    今年は京都、大阪を見直していますが、あまり知られていないけれども、歴史がある文化遺産が多いですね。橋本遊郭も石清水八幡宮参りが盛んだったころはずいぶん栄えたようです。
    京街道沿いにはたくさん歴史文化が残っています。
    これからもよろしくお願いします。



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