2007/05/21 - 2007/05/21
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さすらいおじさんさん
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初代淀城は、管領細川政元(ほそかわ まさもと1466−1507年)が築城、豊臣秀吉(とよとみひでよし1537−1598年)は、1588年に懐妊した茶々姫のため、淀城を改修して産所とした。茶々姫はここで鶴松(夭折)を出産し、「淀殿」(1569頃―1615年)と呼ばれるようになった。
初代淀城は、現在の淀城址から北へ500m、納所(のうそ)の妙教寺の付近にあったと考えられている。
淀城跡にある与杼神社 (よどじんじゃ)は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、高皇産霊神(たかみおすびのかみ)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)を祀り、古くは、淀姫(よどひめ)社、又は水垂(みずたれ)社とも呼ばれていた。
社伝によれば、僧千観内供(せんかんないぐ918−984年)が、肥前国(佐賀県)河上村の淀大明神を勧請したことに始まると伝えられている。境内には、本殿、拝殿、神輿庫(みこしぐら)、日大臣(ひだいじん)社、長姫(ながひめ)社、川上社、豊丸社などの境内社殿が建てられている。拝殿は、1607年建造の国の重要文化財。
現在の地に築かれた2代目淀城は、徳川秀忠(1579−1632年)が1619年に秀吉の隠居城だった伏見城を廃城にした際に1625年に建造された。
「淀」は桂川、宇治川、木津川の三川が近くで合流する水運の要衝で秀忠時代は、将軍が上洛した際の寝所として使われていたが1723年には、徳川家光(とくがわいえみつ1604−1651年)の乳母・春日局(かすがのつぼね1579−1643年)の子孫である稲葉氏十万二千石の居城となった。現在は堀の周辺の光景が美しい。
淀城跡にある与杼神社 (よどじんじゃ)は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、高皇産霊神(たかみおすびのかみ)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)を祀り、古くは、淀姫(よどひめ)社、又は水垂(みずたれ)社とも呼ばれていた。
社伝によれば、僧千観内供(せんかんないぐ918−984年)が、肥前国(佐賀県)河上村の淀大明神を勧請したことに始まると伝えられている。境内には、本殿、拝殿、神輿庫(みこしぐら)、日大臣(ひだいじん)社、長姫(ながひめ)社、川上社、豊丸社などの境内社殿が建てられている。拝殿は、1607年建造の国の重要文化財。
淀は春の天皇賞と秋の菊花賞などで知られる1925年開設の京都競馬場(きょうとけいばじょう)の街。レースが無い日は競馬場前は閑散としている。入場口前には京都競馬場の武田文吾厩舎の所属であった五冠馬(皐月賞日本ダービー菊花賞天皇賞、有馬記念)シンザン(1961−1996年)の銅像と蹄鉄が飾られている。1960年代に日本中を熱くしてくれたことを思い出す。
(写真は淀城跡南側の堀の光景)
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