2007/05/11 - 2007/05/11
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京都の三条木屋町、鴨川河畔には豊臣秀次一族を祀る瑞泉寺がある。豊臣 秀次(とよとみ ひでつぐ1568−1595年)は豊臣秀吉(1537−1598年)の姉・日秀(にっしゅう1534−1625年)の子で、子の無い秀吉の養子となり1591年には秀吉の後継者として関白になった。だが1593年、秀吉に豊臣 秀頼(とよとみのひでより1593−1615年)が生まれると関係が悪化し、1595年には謀反の疑いをかけられ高野山に追放され7月15日に切腹させられた。8月2日には三条河原で秀次の遺児(4男=1歳,、3歳、4歳、6歳 1女=9歳)継室菊亭晴季(きくてい はるすえ1539−1617年・公卿)の娘・一の台31歳、10台前半を含む側室32名併せて39名(正室池田恒興(いけだ つねおき1536-1584年・豊臣秀吉の家臣)の娘・若御前は助命された)が牛車で市中を引き回されたうえ三条河原にさらされた秀次の首と対面した後に身分が上のものから順番に処刑された。秀次の遺児は6歳の男児を筆頭に4歳男児、3歳男児、1歳男児、9歳の女児の順に槍で刺し殺されたそうだ。鴨川は鮮血で赤く染まり、惨劇を見ていた京の人達の多くはあまりのむごさに身を凍らせ慟哭したと言われる。司馬遼太郎は『功名が辻』でこの場面を「地獄とはこうか、と京のものは戦慄した」と描いている。遺骸はその場に掘られた大穴に次々と放り込まれ、穴の上に四角推の大きな塚が築かれ、頂上には秀次の首を納めた石櫃が据えられ、秀吉はこの塚を「畜生塚」と名付け、見せしめにしたという。
その後、「畜生塚」は鴨川の氾濫などで原形を失い人々から忘れられていたが、処刑から16年後の1611年、角倉了以(すみのくら・りょうい)が高瀬川の開削中に秀次の墓石を掘り出した。「畜生塚」と見下され、荒れ放題の塚を見て哀れを感じたのだろう。「畜生塚」の場所に塚を再建し、堂宇を建立した。その後秀次の戒名、「瑞泉寺殿高巌一峰道意」から瑞泉寺と名付けられ、本堂には阿弥陀如来を安置し、現在は秀次、妻妾らの辞世の和歌などを寺宝として参拝者に紹介している。寺には秀次の首を納めた石櫃と秀次の墓を囲むように秀次の遺児(4男=1,4,6歳1女=9歳)、継室菊亭晴季の娘・一の台、側室32名併せて39名の墓と殉死した秀次の家臣10名の墓がある。墓の前には処刑された全員の石塔の位置と処刑の順番が記されている。
秀吉は秀次に対してなぜここまで残酷なことをしたのだろう。秀次には、「殺生関白」という汚名が着せられている。鉄砲の稽古と称して農民を撃ち殺した、不義の噂がある側室が妊娠するとその腹を割って胎児の顔を確かめた、「千人斬り」と称される辻斬りを行った、などと伝えられている。
だがルイス・フロイス(1532−1597年ポルトガル人カトリック教の宣教師)は執筆した『日本史』に「若年ながら深く道理と分別をわきまえており、謙虚かつ思慮深かい人物であった」と秀次の印象を述べており、「殺生関白」の残虐さは微塵も感じられない。秀次謀反説も「殺生関白」説も秀頼を後継にしようとする秀吉側のでっちあげだったのではないだろうか。秀次は後継争いに敗れた戦国時代の敗者なのだろうが、本当にあわれなのは、大衆の面前で槍で串刺しにされたという10歳にも満たない罪の無い幼い子供たちだ。さぞ恐ろしかったことだろう。処刑された場所に建てられた墓の前に立つと400年以上経過した現在でも幼い子供たちの哀れさに心が痛み、冥福を祈って手を合わさずにはいられない。
(写真は瑞泉寺の石碑)
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瑞泉寺の石碑。
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瑞泉寺の境内。
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瑞泉寺の由来の説明板。
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引導地蔵尊を祀った地蔵堂。
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瑞泉寺の由来の説明板。
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引導地蔵尊。地蔵堂の中央に安置されている地蔵菩薩像は、秀次公一族の処刑の際、四条・大雲院の僧・貞安上人が刑場の一隅にその木像を運び込み、次々と打たれる子女達に引導を授け続けた、と伝わえられている「引導地蔵尊」。「引導地蔵尊」の左に安置されている人形は、寺宝「秀次公並びに御一族・三幅」に描かれた女性と子供、殉死した主な家臣の像を写したもの。
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瑞泉寺を訪問する外国人向けの秀次一族の悲劇の説明。
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秀次の墓石。
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処刑の場所を描いた絵。中央の「塚」と書かれた部分が見せしめにされた「畜生塚」。遺骸はその場に掘られた大穴に次々と放り込まれ、穴の上に四角推の大きな塚が築かれ、頂上には秀次の首を納めた石櫃が据えられていた。
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秀次の首を納めた中空の石櫃(いしびつ)。切腹した7月15日の日付けが彫られている。
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処刑された秀次一族の墓。
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「畜生塚」の拡大図。頂上には秀次の首を納めた石櫃が据えられている。
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処刑された秀次一族の墓。
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妻妾の中で最初に処刑された継室、菊亭晴季の娘・一の台の辞世の和歌。
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処刑された秀次一族の墓。
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墓の位置と処刑された順序を記載した表。
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供養の石塔。
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処刑の様子を描いた瑞泉寺絵縁起。
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瑞泉寺前の高瀬川。1611年、角倉了以(すみのくら・りょうい)は高瀬川のこの周辺の開削中に秀次の墓を発見し、瑞泉寺を建立した。
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処刑の様子を描いた瑞泉寺絵縁起。
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瑞泉寺前の鴨川支流「みそそぎ川」。処刑の際はこのあたりも血に染まったのだろうが、現在は市民の憩いの場所になっている。
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処刑の様子を描いた瑞泉寺絵縁起。
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