2007/05/06 - 2007/05/15
855位(同エリア986件中)
明石DSさん
雲華賓館の前から東風東路を望む
3日目:昆明〜保山へ:5月8日(火)晴れ、暑い日
2007.平成19年5月8日(火)
■昆明二日目の朝
7時に起床、昨日は歩き回り足が棒になった。
これこそがいつもの私の旅であるのだが、9時の退房の時に服務員の小姐に馬孝忠へのメモを渡し頼んでおいた。結局彼はフロントまで来なかったようだが13日の朝9時にこの雲華賓館の前に私を約束どおり迎えに来ていたと思う。
ホテル前でタクシーを停め、まず中国銀行へ行くように頼んだ。邪魔くさい換銭をこの昆明でしてしまおうと思っていたが、タクシーの運転手が案内してくれた中国銀行は、昨日とは違う場所の中国銀行で朝から人が並び、整理券を渡された。
日本と同じように案内の男性行員が、先に客の要件を聞き各窓口に手配してくれるのだが、何せ、遅々として進まず途中で諦めてタクシーに戻った。空港にあるだろう・・・と、思って。
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この角の店で、いつも水やお茶を買っていた
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空港へ向かうタクシーから昆明の朝を写す。
■昆明空港〜保山空港へ
空港まで21元だった。国内線のロビーに換銭の出来る銀行はなかった。
国内便なのか手続きも簡単で、荷物のチェックもやはり液体は駄目なようだが、ワンカップ大関も申告せずバックの中でそのまま無事に通過。
バスで飛行機の傍まで行くのだが、搭乗口からバスに乗ったまでは良かったけど中々バスは動かず。痺れが切れた50歳前後のおばちゃん三人がえらい剣幕でバスから降り、搭乗口にいる職員に食って掛かっていた。おもろい、中国女は強い、うるさい。
11時18分、機内に座る。定刻の11:30分、起飛。
お茶のペットボトル一本が出ただけで、飛び立って25分後の11時55分には、もう着陸体制に入ったとのこと・・・。両側に迫る山麓に沿って高度を下げるのでちょっと迫力があった。
霧で見にくかったが、次の瞬間には盆地が開け、山の上のほうまで畑がある景色が見えた。
保山に着いた。 -
昆明空港国内線乗り場
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搭乗手続きは簡単でスムーズだった。窓側の席を頼む。 -
ここまで来るまでにバスで延々待たされた
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昆明を今まさに離陸す
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この荒れ果てた景色は一体なんなのか?
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保山まで、これ一本のサービス
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山と山に囲まれた渓谷を飛行機は下降し保山へ・・・
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保山空港へ到着
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さあ保山で何が待っているのか?
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出口をくぐれば未知の世界が
■段従虹との出会い
12時半ごろ片田舎風の保山空港を出てタクシー乗り場に向かったら、ちょうど目の前に女性ドライバーのタクシーがいた。今思えば、これが運命の出会いというのだろう。旅の醍醐味の大きな要素である。
一瞬運転手の彼女は、私ではなく横に居る中国人の家族連れを乗せようとしたが、その家族連れが後続の車に行きかけたので、諦めて私を選んだように感じた。
後で彼女から聞いたのだが、その時、彼女は私が「デジカメを持っていたので旅行者だと思ったから・・・」と、私を進んで選択したようなことを言っていたが、それは嘘だと思う。
何故ならリュックを担いだ一人の旅行者が空港を降りて行くのは市内のホテルくらいだろう。でも荷物を沢山持った家族連れなら家まで遠いかも知れない・・・から。私は、その一瞬の表情や動作を見逃さないぞ(笑)
段従虹(DUAN CONG HONE)は
保山近郊の農村出身で1960年生まれ、私とちょうど10歳違う。ご主人の「朱明理」も同郷の同い年で幼馴染の二人が結婚したそうだ。
段従虹は貧しい農村を通過しながら、よく言っていた。
「私たちも農民のままなら今もあのような暮らしをしている」・・・と。
それが嫌で町に出て、最初はどんな暮らしをしていたのか知らないけど、1989年、子供が5歳と2歳の時に二人ともタクシーの運転手になり、今は車を二台所有して、休みなく働いているようだ。ご主人は包車(貸切)専門で遠くまで泊りがけの仕事も多いそうだ。
そして包車の仕事がない時は、段従虹の車で市内のタクシー運転手として仕事をし、段従虹は休みになる。二台と言っても一台はタクシー仕様だが、主人の車はメーターもなく見た目も普通のやや高級車である。
娘が二人、長女が24歳、次女が21歳。ともに雲南大学で学び、長女はすでに卒業し、両親と一緒に保山で暮らし地元の中国電子公司で働いている。次女は現在2年生で昆明の宿舎で暮らしている。村に残る同級生の子供は、ただの一人たりとも大学には行っていないと自慢していた。
段従虹本人も、小学校まで成績抜群だったようだが、文化大革命で勉強はなくなり、労働ばかりだったそうである。「もし大学に行っていたら自分の人生も違ったものになっていたと思う」と言っていた。
空港からホテルまでをまずは頼んだが、その途中、今日の昼からの包車を交渉し、明日の拉孟・龍陵・騰越行きの相談をした・・・ところが、これがこの旅の私の好運の始まりとなった。 -
一泊だけの明和大酒店
■明和大酒店
空港からホテルに行くまでに保山の中国銀行に寄ってもらった。レートは昆明とほぼ変わらず、日本円1万円=625.88元だった。昆明の中国銀行はわずらわしかったが、ここは簡単に換えてくれた。
保山でのホテルは雲南旅行で頼み、初日の日に雲華賓館で支払いも全部済ませたのだが・・・。明和酒店のフロントには、その連絡が来ていなかったようで携帯に連絡してもらって確認した。
日本人担当?の日本語の話せる雲南旅行の「毛錦海」の携帯電話 139-876-95539に電話を掛けて、私も代わって毛錦海から説明を聞いた。
すでに連絡済とのこと・・・何が?連絡できていなかったのに・・・・。
その辺があいまいだが、まあこれも中国の旅の一部である。とり合えず一泊の料金¥200元と押金=計300元を支払い、私の部屋が決まった。
部屋に行く前に、ロビーの大きな椅子に座って、今日のこれからのこと、そして明日の拉孟・龍陵・騰越のことを相談したら、彼女は行けるという。私は地図で見る限り直線ならともかく、その三ヶ所を繋ぐと二等辺三角形になる。
凄い距離も有りそうだし、ただ通過するのではなく、その道中、怒江・拉孟・龍陵などで戦跡めぐりをしながら、一時間づつ位の時間を要すれば、騰越に到着するのは夜になるだろう。その後、彼女は夜道を保山まで戻れるのだろうか?
・・・と、思っていたら、な、な、なんと今ちょうど主人の朱明理が騰越に北京の二人連れの観光客を乗せて仕事で行っているとのことだった。明日の晩も騰越に主人は宿泊するらしい。そんな偶然もあって段従虹は、明日は勿論のこと、あさっての騰越での包車と、そのあくる日には騰越から保山まで利用してくれと言って来た。8,9、10,11の四日間連続の包車である。
騰越から大理までは、長距離バスで行くつもりだったが、保山からも大理まで頻繁にバスが出てるらしく、保山のバスの乗り場に送るからということで、後は料金の相談となった。
私は値段を聞く前に「貧乏旅行者だから安くして、高いと頼めないから・・」と何度か念を押すように言っておいた・・・が。段従虹はちょっと考えた振りをしながら、しきりに走行キロ数を私に訴え、遠いことをアピールした後「1,100元」という値段を言って来た。
私の予想では四日間と言っても、正味、前後は半日づつで正味三日間だけど1???元くらいならOKしようと思っていたが、一応値切って「很貴、再便宜。1,000元就行」というと、彼女もOKした。
そして、その場で先に半分の500元を彼女に渡したら彼女は一瞬目が点になっていたが黙って受け取った。
この旅の最重要な目的地、怒江・拉孟・龍陵・そして騰越を巡ることだと気合を入れてここまで来たが、その出発点でこんなにも簡単に適うことになったのは、この地に眠る英霊の方々のお陰かも知れない。
思いがけずの好運な出会いと明日からの予定が決まり、段従虹には20分後にこのホテルの一階ロビーで待ち合わせ、まずは今日の保山観光の始まりである。 -
明和大酒店の部屋の窓から景色を撮る
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保山市内を走る
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保山で段従虹が案内してくれた店
■太保公園へ行く(一応、地球の歩き方に紹介されている)
部屋に戻り荷を解き、一服したらすぐに20分が経過しロビーに行くとすぐに段従虹も来た。何せ、さっき500元の前金を渡したのだから・・・。
まだ私は昼飯を食っていなかったから、先に飯屋を紹介してもらって二人で入った。普通の焼き飯と辛い焼き飯だったが、まあそれなりに食えた。 -
辛かったが食った
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太保公園へ向かう
保山市の標高が1,653メートルの高地だそうだ。だから保山市の西郊外にある森林公園の頂上は2,300メートル。その頂上に児童公園などがあり、そこは市民の憩いの広場のようだった。
一気に頂上まで車で上がり、後は下で待ち合わせをすることにした。段従虹の持っている二台の携帯の内の一台を私に貸してくれ、降りてきて電話をしてくれたら直ぐに迎えに来る・・・とのこと。ふ〜ん、成るほど。私もその方が気兼ねなくて良い。
頂上だから見晴らしが素晴らしいのか?と、期待したが木が茂って中々見難かった。この保山は、龍陵・騰越の戦いなどで生き残り、捕虜になった兵士が一時期この地の郊外で収容されていた。段従虹に聞いてもらったが、その場所は分からなかった。
小説「断作戦」に出てくる“浜崎さん”小説だから名前は本名ではないだろうが、実存していた人物だと思う。せっかく騰越で生き残り、9月14日に芒市の師団司令部まで向かって脱出した5,60名の中の一人だったが途中捕虜となり、ここ保山に収容された時はすでに虫の息となっており、この地で亡くなった・・・と、ある。
それに、騰越にも慰安所があり、騰越最後の9月13日夜にも2、30名ほどの慰安婦が残っており、脱出の際にばらばらになったが、保山の収容所で兵隊たちと再会し無事を喜びあったそうだ。そんな保山である。
頂上で往時を偲び「誰か故郷を想わざる」を一人何度も口ずさみながら歩いた。
階段を下りてゆくと展望の開けた場所もあり、そこでは保山が一望できた。遠くにも山並みがあり、周囲を山に囲まれた盆地だということが実感できる。 -
標高2300米と言っても高さは感じない。
空気の薄さも全く分からない -
公園になっているようだが、木が茂って下界の眺めはすこぶる悪い
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下りは階段を下りて行くが、その所々に戦争に関する石碑があった。
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やっと見通しの良い場所に出る。
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太保山玉皇閣
どこともながら度派手な彩色
■太保山玉皇閣
途中ガイドブックにも載っている玉皇閣があった。一応見て写真も撮る。14世紀中期に創建されたらしいが、古さは感じない。再建されたものだろう。いつもの度派手な彩色の楼閣である。
麓には人民解放軍の駐屯地があり、掛け声を掛けながら訓練している様子が伺えた。そして下に到着したので携帯で段従虹を呼んだ。しばらくしたら迎えに来た。 -
山麓には人民解放軍の駐屯地があった
地図にも空白だったが、写真も無論ダメなのだろう。
これは駐屯地を撮影しているのではなく、景色を写しています -
降りてきて、段従虹に電話をした。
迎え頼む -
階段の下から保山市を撮影す
段従虹が来るのは、ちょっと遅かった。 -
易羅池公園の文筆塔
修理中のようである
■易羅池公園、Dianxi抗日戦争記念碑。
Dianと言う字は、さんずいへんに真と書く、雲南省の別称。xiは西。すなわち雲南省の西で起こった抗日戦争ということ。
次に易羅池公園内にある抗日記念碑を見に行った。
この記念碑を太保山公園に行く途中見かけた。是非とも行かねば・・・と、思って段従虹に頼んだ。又携帯を渡され「見終わったら連絡して、直ぐに迎えに来るから」・・・と、公園の前で別れた。
抗日記念碑の傍に一人の若い男の子が居たので、写真を撮ってもらう。贅肉のない、がっちりした体格だったので、近くに解放軍の駐屯地もあるので兵隊かと思い聞いたら、農村の青年だった。
腕に刺青をして精悍な顔をしていたが、話すと無邪気な笑顔で答えてくれた。純朴な青年の印象を受けた、デジカメのシャッターを押すのに慣れていないのか?手間取りながら、そしてどう写して良いのか?分からないようであっちに向けたりこっちに行ったり・・と、中々シャッターを押すまでが長かった。
そして記念に写してもいですか?と聞くと、満面に笑みを浮かべてOKだった。その後も彼はその場で誰かを待っているのか、長い間佇んでいた。
抗日記念碑は1995年1月27日建立と書いていた。
江沢民時代から中国全土に抗日記念館、記念碑がやたらに建てられ始めたのだろう。日本からのODAには礼も言わず・・・。ホンマ日本人のお人よしさ加減には笑うしかないのか。
この碑にも、どこに記念館にもあるように日本から受けた被害というのを、ただ出鱈目に羅列していた。
平民惨死:9万人余
房屋:2万8千多間
損失財産:七千三百九十四億多元
・・・と、いうことのようだ。例え中国人であろうが誰もこの数字を信じる者はいないだろう。ようするに多くの被害を受けたと言いたいのだろうが。
気の済むまでぶらぶら歩き、座って休み、段従虹に連絡したら直ぐに迎えに来てくれた。今日は昆明から保山に着き、観光もした。何時頃か忘れたが明和大酒店まで送ってもらい、明日は8時出発と言うことで別れた。 -
抗日戦争紀念碑・・・紀念と書いてある。
日本語の記念=紀念(中国語) -
このお兄ちゃんにシャッターを押してもらった・・・が
デジカメを触るのが初めてのようで
中々手間取った。彼は農民だそうだ。 -
易羅池公園
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何と言う花なのか、知らないけれど
綺麗なあ、美しいなあ・・・というのは感じる -
保山の中心部に戻る
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明和大酒店の部屋から外を写す
■保山の散歩
その後、又部屋で一服し、ぶらぶらと出かける。
途中で网ロ巴(ワンバ=インターネットカフェ)の場所を聞き向かう。三日目にして家族にHotmailで連絡した。
その後、すでに暗くなった街を歩き、露店でウィンナーの串刺しのような物を買って食ったが美味くなく、半分も食わずに捨てる。次に、餃子の店を見つけて入った。
水餃子を一人前と、包子を食べた。どっちも美味かった。白族の小姐が一人でやってる店のようだった。包子は最初二個頼み、美味かったので追加で二個食べて腹も一杯になり保山の夜道を散歩しながらホテルに向かって歩いた。
途中、超市に入ったが客もほとんどいなく閑散としていた。市の中心部から少し離れているせいなのかも知れない。
さあ、夜も更けた。
明日はいよいよ怒江・恵通橋・拉孟・龍陵・そして騰越に行けるのかなあ・・・。 -
保山の九龍路を歩く
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保山市公安局:交通警察・・・です。
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この店で、この漢族のおばちゃんから買って食ったけど
口に合わず、半分食って捨てる -
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中国の信号は、時間表示があるのが多い、便利だ。
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白族の若い女性がやってる、この店で食べました
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水餃子も美味かった。
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包子も美味かったので追加で又二個を頼んだ。
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夜の超市(スーパー)は誰も居ない
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人通りも少なく暗い
中心部ではないけれど・・・。
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