2007/06/03 - 2007/06/03
806位(同エリア1149件中)
ぬいぬいさん
最近ジョサイア・コンドルの墓が護国寺にあることを知って出かけてきました。ここ護国寺は5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681年)に創建された由緒あるお寺で、明治・大正・昭和にかけて活躍した偉人たちが数多く眠る菩提寺でもあり、また茶道の総本山としてその道の人には有名なお寺です。若い人には何年か前にあの尾崎豊の告別式をやったお寺といったほうがわかりやすいかもしれませんね。
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地下鉄の護国寺の出口の階段を上がるとすぐそこに仁王門があります。この門は観音堂(本堂)よりもやや後に作られた門で、1700年代の初めの頃のものとされています。
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表側の向かって左には金剛力士像の阿
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右側には、吽が出迎えてくれます。
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裏側には仏法を守る仏像である二天像があり、左が広目天
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右側が増長天
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今日もお茶会があるようで着物姿の女性の姿が目立っていました。
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不老門
この門は昭和13年4月建立された比較的新しいもので、
鞍馬山の山門を模したものです。 -
大師堂
元禄14年(1701)再建された旧薬師堂を、大正15年(1926)の火災以降に、移築して大師堂としたものです。 -
外観は、一重の寄棟造り、棧瓦葺で装飾が少なく、素朴で荘重な中世的な特徴を残しています。
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多宝塔も不老門同様に昭和13年4月に建立されました。
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月光殿(国重要文化財)
大津三井寺の塔頭、日光院客殿を移築したもので、桃山時代に建立されたものです。今日はお茶会で使用されていて中を見る事はできませんでした。
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観音堂(本堂)
元禄10年(1697)に徳川5代将軍綱吉公の命により建てられたもので、綱吉公の生母である桂昌院の願いによるもので自身の信仰する念持仏の奉納・祈願を目的として建立されたものです。 -
内部は無料で見学できますが撮影禁止になっているため、お賽銭のところから中を撮影しました。
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額に観世音とありますが、如意輪観世音菩薩という観音様を本尊として奉っています。
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薬師堂
大正15年の火災でもともとの薬師堂を焼失してしまい一切 経堂を、移築して現在の薬師堂としています。建造は元禄4年(1691年) -
外観は元禄時代の建築工芸の粋を結集した単層・入母屋造りの屋根をもつ大建造物です。
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鐘楼
鐘楼形式の中では、格式の高い袴腰付重層入母屋造りの形式で、江戸時代中期に建立されたものです。
吊り下げられた梵鐘は、天和2年(1682年)に寄進されたもので、銘文には将軍徳川綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられ、護国寺が、将軍家の祈願寺として、幕府の厚い庇護を得たことを示す貴重な歴史的資料にもなっています。 -
これは大倉財閥の創始者大倉喜八郎の墓。彼が創設した企業は数多くあり、その代表的なものではホテルオークラ、帝国ホテル、大成建設、日本製靴(リーガルコーポレーション)、サッポロビール、日清製油、千代田火災(現あいおい損保)等数えきれないほどあります。
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これが墓域の一番北側にあったジョサイア・コンドルの墓。私の一番好きな建築家です。
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ジョサイア・コンドルは明治10年1月(1877年)工部省の招聘により来日、工部大学校造家学科教授(現東京大学工学部建築学科の前身)となり、第1期生のその後日本の近代建築の礎を築いた片山東熊、辰野金吾、曾禰達蔵らに建築学を教えました。明治26年7月、日本人の前波くめと結婚し大正9年死去するまで43年間日本に滞在し数多くの建物を設計しました。代表的作品には鹿鳴館、現存する建物は御茶ノ水のニコライ堂、岩崎邸、古河邸、島津邸、三井綱町倶楽部、三菱開東閣等があります。
日本の近代建築の祖と言える人物です。
自然石の墓石には奥様のくめさんの名前も刻んでありました。命日を見るとくめさんの亡くなったわずか11日後にコンドルも脳溢血でなくなっています。よほど愛妻の死がショックだったんですね。 -
チラッと見えているのは第3代、第9代の内閣総理大臣を務めた山縣有朋の墓。住んでいたのは反対側の目白台の山の上にあった椿山荘。
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空手バカ一代 極新会館総長 大山倍達の墓
仕事の関係で面識があり、大山総長のなくなる数日前に入院先の聖路加国際病院にお見舞いに行きましたが、意外にお元気な姿を見せ、風邪をこじらせて入院しちゃったと言っていましたが、わずか数日後に訃報の知らせを聞いてびっくりしたのを覚えています。
大山さんにご本人の座右の銘「石の上にも10年」と達筆な力強い字で書いていただいた写真集、空手をやっていた息子が今も大事に持っています。 -
石の鳥居の向こうにあるのは幕末から明治の公卿、政治家である三条実美の墓
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私の母校である日本大学の創始者で初代司法大臣である山田顕義の墓 本堂の真裏にありました。
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薬師堂の裏にあった庚申塚 台座を4匹の猿が支えています。
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早稲田大学の創設者 大隈重信の墓 本堂の東側にありました。周りを柵に囲まれていて中に入れません。
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今日のお茶会に出ていたのか大正時代の書生やその頃はやった柄の着物を着た若者の集団が出てきました。男性は皆腰に手ぬぐいをぶら下げていました。あたかも大正時代からタイムスリップしてきたような集団でした。
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