2016/09/09 - 2016/09/09
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ペコちゃんさん
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毎年、○○会の仲間と楽しむ国立演芸場の落語鑑賞。
今年は、最初に池袋から雑司ヶ谷霊園に行って、有名人のお墓巡り。
それから護国寺を散策して、地下鉄有楽町線で永田町に向かい、昼食。
午後から、国立演芸場で落語鑑賞というコースで初秋の一日を楽しみました。
写真は、雑司ヶ谷霊園にある著名人の墓の中でも、ひときわ目を引く「夏目漱石」のお墓。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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今回の参加者は16名。
雑司ヶ谷霊園は、池袋・東口から徒歩で15分の至近距離です。
ケヤキ並木が快適なグリーン大通りを10分ほど歩き・・・ -
首都高5号線にぶつかったら、右側の道を進みます。
すぐそばに、豊島区役所の庁舎やマンションが入る複合ビルが見えます。
2015年に竣工した豊島区役所の建物(地上49階、地下3階)は、東京都の「区役所を含めた建築物」の中では最も高く、その規模には驚かされます。
しかし、総事業費の約435億円は、住戸販売の収入などで賄い、区の一般財源からの支出はゼロ!・・・税金を使わないでこんな建物が造れるなんて、他の自治体も見習ってほしいですね。 -
都電・雑司ヶ谷駅の踏切を渡ると・・・
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すぐ雑司ヶ谷霊園の入り口があります。
ここは豊島区南池袋。 -
雑司ヶ谷霊園は、8カ所にある都立霊園の中で6番目の規模の広さで、8,300余りのお墓があります。
8カ所のうち、4カ所が東京23区内にあり、いずれも明治7年に開園され、利便性が高いので、どの霊園にも著名人のお墓があります。
案内板にも夏目漱石をはじめ、10名の著名人の墓位置が分かるようになっています。 -
他の4カ所は大正から昭和にかけて郊外に造られ、大規模場霊園になっています。(雑司ヶ谷霊園の10万haに対し、最大の多磨霊園は128ha)
お目当ての墓は、案内図を片手に 「 ○種○号○側○番 」 で探していきます。
管理事務所正面通りの左手が1種1号の区画で、この区画には・・・ -
『永井荷風』(明治12年~昭和34年)の墓があります。
『あめりか物語』・『ふらんす物語』・『ぼく東綺譚』などが代表作で、昭和27年には文化勲章も受賞した小説家です。 -
荷風の少し先にある『東條英機』(明治17年~昭和23年)の墓。
巣鴨拘置所で東條を含む7名のA級戦犯に絞首刑が執行された後、遺骨は粉砕され太平洋に投棄されます。
火葬場の残灰置場に捨てられた7人分の遺灰と遺骨は、愛知県西尾市の殉国七士廟に祀られており、この墓に東條英機の遺骨はありません。 -
いろんな石碑や記念碑が見られますが、これは布袋様。
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『怪談』(「雪女」・「耳無芳一の話」など)で有名な『小泉八雲』(1850~1904)の墓。
アイルランド人のラフカディオ・ハーンは、明治23年に来日して英語教師となり、翌年、松江の士族の小泉湊の娘・小泉セツと結婚し、明治29年に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗りました。
松江・熊本・神戸・東京と移り住みながら日本の英語教育に尽力し、欧米に日本文化を紹介する著書を数多く遺ししています。 -
『高野聖』・『婦系図』・『歌行燈』などの作家・泉鏡花(明治6年~昭和14年)の墓。
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歌舞伎役者で、後に時代劇の俳優になった『大川橋蔵』(昭和4年~昭和59年)の墓・・・『若様侍捕物帖』・『新吾十番勝負』・『銭形平次』など、颯爽とした凛々しい姿が目に浮かんできます。
これらの墓は、1種1号の区画の中にあります。 -
現在の埼玉県熊谷市で生まれた『荻野吟子』(1851~1913)の墓・・・1種1号に隣接する1種5号の区画にあります。
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荻野吟子は、近代日本における最初の女性の医師であり、女性の地位向上に努めた人物です。
自分のつらい経験から ” 女医が必要である ” と考え、自ら女医を志し、35歳で念願の医術開業試験に合格。
クリスチャンだった吟子は、医院を続けるかたわら婦人会を結成したり、日曜学校 の創設をしたりと、医学以外の面でも活躍しました。 -
1種14号にある『夏目漱石』(1867~1916)の墓・・・立派な造りです。
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漱石は、東京帝国大学・英米文科を卒業後、教職を続けながら『吾輩は猫である』『坊っちゃん』等を発表します。
40歳の時に朝日新聞社に入社し、職業作家として『草枕』『三四郎』『こゝろ』など数々の名作を世に送り出しました。
墓石には「文献院古道漱石居士」の戒名が彫られています。 -
墓石の裏には「大正五年十二月九日没 俗名夏目金之助」と彫られています。
今年は漱石の没後百年にあたり、いくつかのイベントも予定されています。 -
墓地の先には、サンシャイン60など池袋の高層ビルが見えます。
雑司ヶ谷霊園には、この他にもジョン万次郎や竹久夢二など多くの有名人が眠っているので、また訪れたいと思いました。 -
雑司ヶ谷霊園の周囲には、墓参りに訪れる人のための花屋が数軒あります。
これは、昔の旅館を思わせる佇まいの「此花亭」・・・築80年を越える木造2階建ての建物で、店先には井戸ポンプがあり、現役で活躍中。 -
地下鉄・有楽町線の護国寺駅まで歩いて来ました。
ここは文京区大塚。 -
「護国寺」は天和元年(1681年)に五代将軍・徳川綱吉(三代将軍・家光の三男)が、生母・桂昌院の願いにより創建した真言宗豊山派の寺院で、敷地内には、本堂や月光殿など、数多くの重要文化財があります。
併設する墓所には、三条実美・山県有朋・大隈重信など多くの著名人が眠っています。 -
「仁王門」は丹塗りの八脚門で、元禄時代に建てられました。
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正面両脇にある金剛力士像・・・向かって右が阿形像。
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左は吽形像。
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門の裏側を見ると、両脇に仏法を守る仏像である二天像が安置されています。
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右が増長天・・・仏教における4人の守護神・四天王の一人である増長天は、 南方の守護神。
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左は、西方の守護神・広目天。
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本坊(事務所)前の石組庭園。
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不老門に続く石段の下には、左右に水屋があります。
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水盤は「唐銅蓮葉形手洗水盤」と呼ばれるもので、綱吉の母・桂昌院が寄進したものとされています。
1697年(元禄10年)に鋳造された水盤は、護国寺境内の湧水を利用した手洗水盤でした。
現在使用されているものは、改修復元された水盤です。 -
水屋の右側にある「民謡碑」・・・江差追分の研究を続けた青木好月を顕彰して昭和57年に建てられました。
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その先に「からすの赤ちゃん」の歌碑があります。
昭和7年に長野県から上京して作曲活動を始めた海沼実は、当時の護国寺貫首・佐々木教純の好意で護国寺境内に無償で教室を借り受け、子どもの情操教育を志して昭和8年に児童合唱団・「音羽ゆりかご会」を創設しました。
その後、合唱団からは、川田3姉妹(正子・孝子・美智子)をはじめ、数多くの童謡歌手が生まれています。
海沼実は「からすの赤ちゃん」「お猿のかごや」「里の秋」「みかんの花咲く丘」など3千曲余りの童謡を、その生涯の中で作曲しました。 -
更に進むと「音羽富士」と呼ばれる富士塚があります。
富士塚は富士山を模して造られた小さな丘ですが、昔の人はなかなか富士登山に行く機会がなかったため、こうして富士山に見立てた小さな丘を造って富士登山の疑似体験をしていました。
都内にはいくつかの富士塚が残っていますが、お寺の中にある富士塚は護国寺のみです。 -
一合目から十合目まで石碑が置かれており、それを辿ると、約2分ほどで頂上に登れます。
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頂上付近には溶岩があり、頂上には石祠と浅間神社の標柱があります。
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再び戻って、正面の石段を上がると見えてくるのが「不老門」。
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不老門は、昭和13年4月に三尾邦三氏の寄進により建立されたもので、護国寺境内では比較的新しい建物で、京都の鞍馬寺にある由岐神社の山門を模しているとされています。
門の正面に高く掲げられた「不老」の二字は、徳川宗家16代当主・徳川家達(いえさと)が執筆したもの。
この門をくぐれば病気にならず、長寿の願いが叶うと言われています。 -
不老門をくぐった左側にある地蔵尊と金剛力士像。
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右側には、柔和な顔をした大仏様・・・全長2.5mと、大仏様の中では比較的小ぶりながら、都区内では最も大きいと言われます。
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本堂手前の右奥に、弘法大師を祀る「大師堂」があります。
大師堂は、元禄14年(1701)に再建された旧薬師堂を、大正15年(1926)以降に修理して、現在地に移築して大師堂としたものです。 -
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大師堂の奥にある「一言地蔵尊」・・・名前の通り、願い事を一つだけ叶えてくれるというお地蔵様です。
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本堂の右側にある「鐘楼」・・・鐘楼形式のなかでも格式の高い袴腰付重層 入母屋造りという形式で造られていて、江戸時代中期に造営されました。
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鐘楼の梵鐘は、天和2年(1682)に寄進されたもの。
銘文には、徳川綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられ、護国寺が将軍家の祈願寺として、幕府の厚い庇護を受けていたことが分かります。 -
本堂の左側にある「多宝塔」と「月光殿」・・・右側の月光殿は安土桃山時代の建物で、大津・三井寺から品川・御殿山の原邸内にあったものを、昭和3年にここに移築しました。
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多宝塔は、大津・石山寺にある多宝塔をモデルとして、昭和13年に建てられた護国寺の中では比較的新しい建物です。
茶道で有名な高橋箒庵の呼びかけにより、仰木魯堂、田中親美等が塔の建築・装飾を担当し、本尊の大日如来は彫刻家長谷川栄によって作成され、昭和の最高の技術で造られました。 -
「本堂(観音堂)」は1697年(元禄10)年の建立で、五代将軍・綱吉の命により、着工から完成までわずか半年という短期間で建てられました。
本堂の屋根は当時の建築技術の粋を集めた「瓦棒銅板葺」、材木は紀伊国屋文左衛門が調達したものだそうです。
観音堂は幸いにも関東大震災や戦災を免れて、元禄時代の姿を今に留めており、昭和25年に国の重要文化財に指定されました。
広い境内では、毎月第2土曜日に骨董市が開かれます。 -
頭上の灯りは、夜に照らされます。
頭貫(かしらぬき)は柱と柱をつなぐ横木で、繊細な彫刻が残されています。 -
掛鼻にも、獅子・獏・象などの彫刻が彫られ、横から見ると、尾が伸びているかのような装飾になっています。
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本堂の内部。
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護国寺の後は、有楽町線で永田町へ。
昼食はいつもの全国町村会館で。 -
7階にある「和食処 さいかち」が、国立演芸場に行くのに便利なロケーションです。
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16名なので、準備が出来るまでロビーで待ちます。
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いつもはテーブル席ですが、今回は人数が多いので奥にある和室で。
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本日の日替り定食は、 さばみりん干し・勘八刺身と御飯・味噌・小鉢・香の物付きで930円・・・昼間のビールは、ウマい!
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昼食後、国立演芸場へ。
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1階にある演芸資料展示室。
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今回の展示は「目眩(めくら)まし 」 がテーマの「めくらます奇術と写し絵の世界」・・・近世から近代にかけて観客を驚かせた奇術と、現在では珍しい「写し絵」の世界が紹介されていました。
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これが9月番組のポスター・・・今日は9月9日なので、右側の上席が出演者の案内です。
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本日のプログラム。
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2階ロビーで開場を待つ人達。
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国立演芸場は2009年に開場30周年を迎え、葛飾北斎の版画「凱風快晴(がいふうかいせい)」の絵柄で緞帳(どんちょう)を新しくしました。
南から吹く穏やかな風「凱風」と、風にたなびく雲、朝焼けに染まった霊峰富士の姿・・・丹念に染めた糸を、職人が手仕事によってつづり合わせた「綴錦織(つづれにしきおり)」が素晴らしい! -
今日のお客さんは6分の入り。
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落語中心の演目の中で、特に楽しめたのが「北見 伸&スティファニー」のイリュージョン。
これは、人体浮揚。
(場内は撮影不可のため、以下の写真はHPより) -
クリスタルセパレーツ・・・美女の体が真っ二つに!
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落語の中で特に面白かったのは、三遊亭笑遊。
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久し振りに楽しく笑った一日でした。
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