1998/11/23 - 1998/11/26
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旅人のくまさんさん
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<1998年11月25日>
昨日、港の国内線フェリー乗り場で、Muさんが大方の時刻と船便を調べてくれました。巨済島行きは10時頃だったので、9時にホテルを出発することにしました。参加者は李先生親子、Muさん、Skさん、Szさんと我々3人組の8名となりました。
<巨済島(コチェド)へ>
李先生がフェリーの案内所で聞き出してくれたことは、
「最初に釜山から巨済島まで渡り、そこから早足で5分ほど行った所から、島巡りのフェリーが出ているので、それに乗りなさい」
と言ったことでした。また、
「ここでは島巡りの切符は発売していないが、ここで支払っておけば電話で巨済島へ連絡しておいてあげる」
とも言ってくれました。ややこしい交渉は李先生の出番です。相手は、まだ若い案内所の女性です。当方は、ハングルでの込み入った会話はとんと理解できませんが、何となく上手く事が運んだ気配は感じました。少し長い交渉の時間中、Ktさんを誘って構内のスタンドでコーヒーを飲んでいました。
フェリーポート内の店で、昨日と今日と全く同じ、例の『ケンチャナヨ』の世界を経験しました。それは、「コピーチュセヨ」と頼んだコーヒーの出し方の事である。
出してくれたコーヒーカップの中に匙も入れてあり、この匙で砂糖とクリームをすくうことになっていました。濡れているので、当然ながら、砂糖入れとクリーム入れの中では、滴で色が付いたり、固まりができたりします。それでも、こんな事はケンチャナヨの世界であるらしい。そう言えば、二昔か三昔前の日本も、そうであったような気もします。
釜山から巨済島までは100人ほど乗れるフェリーでした。目的の港までは、1時間ほどで着きました。ハングルで『ニューアルカディア』号と書いてありました。
団体客と思われる一団もいましたので、カラオケとダンスが始まるのかと思いましたが、みんな静かでした。当方は船の中の売店で缶ビールを買って飲みました。メニューには「ケンメッチュ2千ウォン」とありました。
<外島(ウェド)見学>
乗り換え時間が少なく、みんな急ぎ足で次の船乗り場まで向かいました。もし間に合わなくても、30分後に次の便があることが分かっていましたので、それなりに余裕はありました。
今度の便は先ほどより大分小型になり、乗客も半数以下になりました。巨済島の東北部から沿岸に沿って船は進み、奇岩や島や岬の特徴を、放送でガイドしてくれました。早口のハングルは全く理解できませんので、李先生にポイントを通訳して戴きました。
「今日の遊覧船観光のメインは外島(ウェド)の見学であり、この島は今は個人の所有になっているので、入島料が要ります。所有者はイチャンホさんと言います」
「島にはこの人が南国の植物などを移植して観光地にしてあります」
「見晴しのいい日には、遠く日本の対馬を見ることができます」
と言ったことや、途中の海岸では
「この島には韓国全土の2ヶ月分ほどの石油が貯蔵してあります」
と言った内容でした。李先生は
「イチャンホさんは北の出身なので、今頃は金剛山ツアーに参加しているかも知れません。さっき、数日は島にいないとガイドしていました」
とも説明してくれました。
操舵は2人でやっていて、出入港、岩の裂け目に入って観光する時など、船長とおぼしき人が操舵し、簡単そうなときには別の人に任せていました。船長は背広にネクタイ姿であり、年の頃は30代半ばといったところでした。
外島の小さな浮き桟橋に降り立ち、入島料を払って島の坂を上りました。出発までは大分時間があり、ここで食事をすることにしました。
しかし、気の利いたレストランはなく、仕方なく小さな店でウドンとオデンを頼みました。食事はこれ以外のメニューはなく、しかもインスタントでした。ウドンが薄味だったので、別にコチジャンを貰って味付けをしました。それでも、お腹が空いていたので、美味しく戴けました。
外島は、去年訪れた済州島と同じような雰囲気でした。近くを暖流が流れているのか、南斜面は十分に暖かかった。予めガイドで聞いていたように、植物は棕櫚、竜舌蘭、ソテツ、フェニックス、ビロウジュ、ユッカなど南国を思わせる木々や草花類が植え込んでありました。サボテンや多肉植物、花キリンは温室の中で育てられていました。
一行の中のある人は、坂道から振り返って
「長崎のグラバー邸に似ている」
とも評されていました。確かに見下ろした庭園は西欧風の異国情緒を持っていました。
八つ手、石蕗などが花を咲かせ、ピラカンサが赤い実を一杯付けていました。椿の花には、昔渡ったことがある伊豆大島の記憶を重ねて見入りました。
<外島で昼食、釜山へ>
レストランらしき店には客は僅かでした。最初は私たちのグループだけでした。ほかに食事できるらしい所はなかったので、どうやら皆さんは、弁当持参であったようです。
島巡り観光を終えて帰港する時、例の歌えや踊れの喧噪が始まりました。昼食の時に焼酎が入ったようです。船の中でも、焼酎瓶をぶら下げている人を見かけました。
釜山までの帰路は、そのままフェリーで引き返すのではなく、陸路にしました。巨済島の北西には立派な橋が架かっています。海底トンネルは旧日本帝国時代にできた古いものらしいですが、今は通行制限をしているそうです。
コソンへ向かうバスでは、憲兵による検問を2回受けました。板門店のような国境に近いところは別として、3、4年ほど前、春川から束草へ向かったとき以来の経験です。
コソンへ着いた時は少し薄暗くなっていました。李先生の故郷とお聞きしました。残念ながら、市内見学はそこそこに、釜山行きのバスに乗りました。2時間はたっぷりとかかる距離です。釜山市付近は、まだ渋滞がひどい時間帯でもあります。
<夕食は焼肉店で>
夕食は、Skさん、Muさんと我々3人組の5名で焼肉店に行きました。釜山ホテルから、歩いて5分程度の近場です。2階もある大衆店で、サラリーマン風が多いように感じました。
店主はまだ若い人で、30代か40代前半に見えました。日本の上野、埼玉で同じ焼き肉店の経験を持っていると教えてくれました。埼玉の店はまだ所有されているようで、そのうち顔を出すつもりと言っていました。若い頃は、名古屋でも仕事をしていたことがあり、それは東新町の広小路通りの南側と聞いて、奇遇に驚きました。
ひょっとしたら、名古屋当時、顔を合わせていたかも知れません。彼の日本語は全く申し分なく、いつも控えめの笑顔をたたえていました。感じのいい、中肉中背の店主でした。
他に大勢客が入っていましたが、彼はつきっきりで世話をしてくれ、
「釜山のキムチはあまり美味しくありません。これは家族で食べているソウルキムチです」
と言って、美味しいキムチをサービスしてくれました。結構たくさん飲んで、1人当たり2千円程度でした。値段も十分に安かった。今度釜山へ来た時には、是非立ち寄りたい店です。
外島(ウェド)にて
冬鳥や餌探しおり棕櫚の幹
石蕗日和息を切らして南斜面
花八つ手葉を落としたる外の島
虫の来て最後の支度花八つ手
曲がりたる枝の白さよ寒椿
山の陰藪の椿か詫助か
ゆび指して教えて貰う藪柑子
晴し日は対馬の見ゆる島の端
巨済島遊覧フェリーの中で
冬凪や奇岩の島の海に生ゆ
暖流や小春日和の殊更に
仙人の岩折り返す冬の海
眼を閉じて揺れに任せる冬の凪
微睡みの小春日和や昼餉後
コソンにて
練炭の燃え殻積みし裏通り
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー
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巨済島は島全体が巨済市になっています。釜山、ウルサン等を含めて、慶尚南道です
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海上交通を示した現地のパンフレットです。巨済島のパンフレットは、日本国内では入手し難いかも知れません。
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個人所有の島、外島の船着き場付近の地図です。
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すべて現地で入手したパンフレットからの紹介です。奇岩の間を行く観光フェリーです。
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パンフレットを読み解いていませんので、島の名前は分かりません。蒲鉾山とでも表現しておきましょうか。
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海に浮かんだ島です。島と言うより海に生えた歯のような険しさです。勝手に犬歯岩とか海歯岩とでも名付けたくなります。
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巨済島の船着き場から登る途中の門です。何となく
ヨーロッパを思わせる館や空気、スペインか、エーゲ海と言った雰囲気です。 -
島には海鳥や渡り鳥が多く訪れるようです。どの島かは、はっきりとしません。
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海鳥と沖を行く観光船です。海鳥も賑やかですが、お酒が入ると、船の中はそれ以上かも知れません。
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外島(ウェド)までのフェリーの切符です。
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外島(ウェド)巡り観光のパンフレットです。入場券を兼ねていたかも知れません。各地の名勝が記されています。
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釜山から巨済島へ向かうフェリーの中でのスナップ写真です。後ろの席が、李先生母娘です。
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李先生の故郷、コソンの役場前での記念撮影です。
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