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<1998年11月24日><br /><br /><亀浦図書館へ><br /> 昨日の約束で、亀浦(クポ)図書館への訪問は、少し時間をずらして、10時半頃にしました。通勤時間帯に車を走らせても、昨日の渋滞の二の舞になると判断したからです。<br /> Tjさんとも落ち合えましたので、3名づつ4台のタクシーに分乗して9時半頃にホテルを出発しました。渋滞を予想して、それぞれに抜け道を探して走りました。李先生たちの車は、道を間違えたこともあって、30分以上遅れて図書館に到着しました。<br /> 私の乗った車は最初に到着し、李先生たちの到着を待っていたところ、歓迎会の都合などで、すぐに図書館内を案内されることになりました。館長、課長、担当者の方の部屋まで、日本語講座の全先生が、角々まで、隈無く案内してくれました。<br /> 案内して戴いたところは、それだけにとどまらず、図書館内の教室で勉強中の学生さんたちにまで及びました。<br /><br /> 「この方達は日本でハングルを学ばれていて、今回、韓国を訪問されました」<br /><br /> との紹介に、いささか参ってしまいました。『私の場合は、ハングル語講座の皆さんにくっついてきたオブザーバーです』などと断りを言う訳にもいきませんし、教室によっては、拍手で迎えてくれたところもありました。<br /> 仕方ないので、覚悟を決めて、ハングル語を勉強中のような顔をして、頭を下げて回った。『アンニョンハセヨ』と『カームサハムニダ』位か、韓国語の言葉は出てきません。<br /> <br /><図書館での交流会><br /> 日本語教室の生徒の方との交流会は、図書館に隣接した公民館のようなところで行われました。館長、前館長はじめ1回生から4回生までの30名程の方がテーブルにお菓子やミカンを並べて待ってくれていました。私たちの到着がバラバラでしたので、その度に入口で拍手の出迎えを受けました。<br /> 歓迎会の式場は、お菓子や飲み物だけでなく、日本語講座の方の勉強成果や、漢字、ハングル語の書道の展示などもありました。その意気込みに、一瞬たじろぎました。しかし、それ以上の興味がありましたので、遅れた組が到着するまでの時間を利用して、ゆっくりと鑑賞させて戴きました。<br /> この歓迎会と、その後の昼食会を取り仕切ってくれたのは、昨日、文先生のお宅で顔を合わせた全(チョン)先伊先生でした。お名前は、この歓迎会の後で頂いた、第4期日本語基礎班の卒業記念の名簿から判断しました。<br /> 全先生とは、名刺交換をしませんでしたが、弟の全徳雄さんから頂いた名刺からも間違いないと判断しました。<br /> 全先生の弟さんは、6人程の兄弟の末っ子だそうです。お姉さんは『度胸がいい事が取り柄です』と紹介してくれました。戴いた名刺には『共*商社・代表』とあり、結構大きな商売をされているようでした。<br /> 年の頃は、50代の半ばから後半と言ったところでしょうか。もし、買い物をするなら、色々と紹介しますと言ってくれましたが、今回の旅行は、あまり日程の余裕がないので、それとなくお断りしました。<br /> 大変だったのは、図書館内の挨拶回りだけではありませんでした。歓迎会の席のプレッシャーも相当なものでした。<br /> 全先生の司会で、この日本語講座が始まったいきさつ、その時に大きな役割を果たしてくれた前館長も前段で挨拶をされました。ところが挨拶はそれだけに止まらず、全員が自己紹介をする事になりました。<br /> ここで、Muさんは『ハングル語講座研修団長』としての挨拶をする羽目になりました。気楽に考えていた当方も些かとまどいました。皆さんの挨拶の中身の濃さをお聞きしている内に<br /><br /> 「今回はハングル語講座のメンバーにオブザーバーで参加しましたが、これを機会に、ちゃんと勉強したいと思います」<br /><br /> 等と、決意表明する始末となりました。<br /> ハングル語講座の中級クラスの人は、とっさにハングルで挨拶をし、日本語講座の皆さんも、その話しに聴き入ったり、発音を一緒に確認したりと、その熱心さに感心させられました。<br /> こちらのメンバーの挨拶の中で、心打たれたのが、Ogさん母娘のご挨拶でした。李先生が<br /><br /> 「お二人は親子です。今回の訪問旅行は、娘さんが申し込まれました」<br /> <br />と、予め紹介をされました。お母さんの順子さん(偶然、李先生の娘さんと同名)は、<br /><br /> 「父の仕事の関係で、小さい頃にソウルに住んでいました。その時の記憶が懐かしく、また、韓国の友達の親切が忘れられません。私が今回の研修旅行の申し込みをためらっていたところ、娘が申し込んでくれました」<br /><br /> と日本語で話をされ、<br /><br /> 「半分は韓国人友達がいたので、ハングルを学ぼうと思いました。しかし、当時は学ぼうと思っても、禁止令で学ぶことができず、今になってやっとその機会に恵まれました」<br /><br /> 『息子は今、韓国に住んでいます。考古学者で、百済の研究をしています」<br /><br /> と続けられ、<br /><br /> 「どなたか、韓国語への通訳をお願いします」<br /><br /> と話を締めくくられました。<br /> 通訳は全先生が幾人かの生徒を指名され、それぞれに部分訳や意訳をされました。日本語講座の大方の人は、Ogさんの話の大要が理解できていたらしく、通訳にもそれぞれ深くうなずいていました。<br /> 亡くなられたOgさんのお父さんは教育者です。娘のAyさんからは、お祖父さんに当たります。苦労がたたって、戦後間もなく亡くなられたようです。<br /> 今でも韓国で一番の名門小学校の校長を務められ、日本の敗戦の時は、全国校長会の会長を務められていたと言います。<br /> 敗戦の後も残務整理と引継で、暫く韓国に留まられたそうです。日本の敗戦までの韓国は、不幸にも日本の統治下にありました。<br /> それにも関わらず、教育や躾は素晴らしかったようです。Ogさんが当時を懐かしく思われるのは、父が教育者として慕われていた記憶と重なっているためかとも思えました。<br /> 全先生も女学校で日本人による教育を受けられたと言いますが、『理想的な教育』と言う点で、Ogさんと共感されていたようです。押し付けの軍国教育だけであったなら、このような感慨は湧かないはずでした。<br /> <br /><韓日友好協会の李先生と><br /> 夕方、ホテルのロビーで韓日友好協会の李先生とお会いすることになっていました。それで、適宜流れ解散をして、それぞれに予定時刻の15時半に集合することにしました。<br /> 我々3人組は、バスと地下鉄を乗り継いでホテルに向かうことにしました。焼肉店からすぐ近くにバス乗り場はありました。しかし、毎度の事ですが、バス経路が分かり難く、難儀しました。<br /> 居合わせた文先生の奥さんが、近くの人に聞いてくれたりして、目的のバスを教えてくれました。本当に親切な人達ばかりでした。<br /> 韓日友好協会の李先生とは、ホテルのロビーで落ち合いました。3時間をかけてやって来られたようです。お年が70歳と自己紹介されましたが、穏やかな風貌の、素晴らしい雰囲気を持った紳士でした。どうやら、教職に就かれていた方のようでした。<br /> 韓日友好協会の李先生とは、同行のMuさんが相当昔からのお知り合いでした。李先生と一緒に釜山タワーに登り、帰りは喫茶店でお話をして、お別れをしました。<br /> これからまた、3時間をかけて自宅に戻られるとお聞きして、申し訳ない気持ちになりました。釜山タワーは、釜山観光ホテルから直ぐのところにあります。<br /> 2年ほど前にもこのホテルに泊まった事があり、夜はこのタワーの灯りが目印になり、都合が良かったことを覚えています。タワーの上まで登ったのは、今回が初めてでした。<br /> 釜山タワーからは、南側には港が、眼下にはプサン市内、北側には山並みが見渡せまっす。かつて、朝鮮戦争の一時期には、この山の北側まで北朝鮮軍が攻め入り、南側には人が溢れたという、その山並です。<br /><br /><チャガルチ市場で夕食><br /> 夜は、みんなでチャガルチ市場で魚を食べることにしました。その前に、Tjさん、Szさん、Ntさん、Muさん、Ktさん達と、予め市場見学を兼ねて、お店の見当を付けておくことにしました。<br /> 李先生とOgさんの母娘は、別のところへ出かけられたようです。それで、約束の時間になりましたら、ホテルに迎えに行くことにしました。<br /> チャガルチ市場にあるメインの2階建ての市場は、あいにく閉店日でした。それでも、海寄りの小さな店は、いくつも開いていましたので、そのどれかに入ることとしました。落ち合う場所を、市場入口の道路向かいのロッテリアの前に決めました。<br /> 李先生たちを迎えに行くのはSzさん達に任せました。それで、私は、Ktさんと二人で屋台(ポジャマチャ)で1時間ほど飲んで待っていることにしました。待ち合わせ場所から、すぐ近くのところの屋台です。<br /> 4、5店並んだ屋台を一通り覗いて、その一つに入りました。まだ飲む時間には早く、客は私たち2人だけでした。隣の屋台は客が来ていなかったので、そのお店のアジュマも一緒になって飲みました。<br /> このお店の人は、日本語が少し通じました。カラス貝のスープや焼きウナギにビール3本と焼酎も3本、〆て6千円ほどでした。少し割高ですが、日本人相手ではこんなところです。むき身の時はウナギだとは分からなかったですが、焼いたうなぎは、塩とごま油のタレに合って、なかなか美味でした。<br /> 約束の時間に全員落ち合うことができました。みんなで、一通り店を覗いた後、間口の狭い小さな店に入りました。予め、値段交渉をした上でです。<br /> 魚はヒラメをメインに、活きタコや活きイカも注文しました。私はいつも、『ホヤをサービスで』と付け加えるのを忘れませんでした。<br /> さすがに、ハングル語講座の方でも、ホヤの刺身を食べる人は少なかったです。箸を付けた人でも、最初に少しだけつまんで、後は手が出ませんでした。<br /> 結局、大部分を一人で食べてしまいました。しかし、店先で見たとおり、あまり大きなホヤではなく、味は今一でした。<br /> ホヤのことを『モンゲ』と言うのは、今年の連休の時の旅行で、束草(ソクチョ)付近の市場で覚えました。カワハギのことを『チッチ』と言うのも、このとき覚えました。<br /> このチッチはアナゴの調理と同じです。骨を付けたまま刺身にしてくれますので、ちょっと手強い。量が多くなければ、コチジャンによく合い、なかなか美味です。<br /> ヒラメを刺身に取った後の骨身で、メウンタンを作って貰いました。魚のアラの鍋物です。酒代を合わせて、一人当たり2千円程度でした。確かにお値打ちでした。安かったのは、お酒の量が少なかったこともあります。お酒をあまり飲まれなかった女性5名の方には、少し申し訳ない気がしました。<br /><br /> <br />  釜山ホテルの近くの朝食の店で<br /> 純豆腐湯気懐しき韓の冬<br /><br />  亀浦図書館の歓迎会にて<br /> 友好の輪の広がりぬ蜜柑剥く<br /><br /> 手に取りし蜜柑に思う近き国<br /><br /> 学ぶ人輝く眼や寒の雨<br /><br /> コート来て集まり来るや丘の家<br /><br /> 蜜柑置く心尽くしの宴の席<br /><br /> 参鶏湯骨捌きつつ昼の宴<br /><br />  釜山タワーに登りて<br /> 冬枯の尾根に連なる鉄の塔<br /><br /> ビルの群攻め登りたる山の冬<br /><br /> 冬日落つ航跡沖に続きたる<br /><br /> 冬凪や日本は近き東海沖<br /><br /> 冬凪や行きつ戻りつ漁船<br /><br /> 幾度か塔を巡りて冬日落つ<br /><br />  チャガルチ市場近くのポジャマチャにて <br /> 酔うほどに月冴わたる屋台酒<br /><br />  チャガルチ市場の店にて<br /> ホヤ刺を芥子で食らう夜寒哉<br /><br /> オンドルの桟敷や冷やで韓の焼酎(さけ)

1998秋、韓国紀行5(3):11月24日:釜山・亀浦図書館、釜山タワー、チャガルチ市場

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1998/11/23 - 1998/11/26

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旅行記グループ 1998秋、韓国旅行記5

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<1998年11月24日>

<亀浦図書館へ>
 昨日の約束で、亀浦(クポ)図書館への訪問は、少し時間をずらして、10時半頃にしました。通勤時間帯に車を走らせても、昨日の渋滞の二の舞になると判断したからです。
 Tjさんとも落ち合えましたので、3名づつ4台のタクシーに分乗して9時半頃にホテルを出発しました。渋滞を予想して、それぞれに抜け道を探して走りました。李先生たちの車は、道を間違えたこともあって、30分以上遅れて図書館に到着しました。
 私の乗った車は最初に到着し、李先生たちの到着を待っていたところ、歓迎会の都合などで、すぐに図書館内を案内されることになりました。館長、課長、担当者の方の部屋まで、日本語講座の全先生が、角々まで、隈無く案内してくれました。
 案内して戴いたところは、それだけにとどまらず、図書館内の教室で勉強中の学生さんたちにまで及びました。

 「この方達は日本でハングルを学ばれていて、今回、韓国を訪問されました」

 との紹介に、いささか参ってしまいました。『私の場合は、ハングル語講座の皆さんにくっついてきたオブザーバーです』などと断りを言う訳にもいきませんし、教室によっては、拍手で迎えてくれたところもありました。
 仕方ないので、覚悟を決めて、ハングル語を勉強中のような顔をして、頭を下げて回った。『アンニョンハセヨ』と『カームサハムニダ』位か、韓国語の言葉は出てきません。

<図書館での交流会>
 日本語教室の生徒の方との交流会は、図書館に隣接した公民館のようなところで行われました。館長、前館長はじめ1回生から4回生までの30名程の方がテーブルにお菓子やミカンを並べて待ってくれていました。私たちの到着がバラバラでしたので、その度に入口で拍手の出迎えを受けました。
 歓迎会の式場は、お菓子や飲み物だけでなく、日本語講座の方の勉強成果や、漢字、ハングル語の書道の展示などもありました。その意気込みに、一瞬たじろぎました。しかし、それ以上の興味がありましたので、遅れた組が到着するまでの時間を利用して、ゆっくりと鑑賞させて戴きました。
 この歓迎会と、その後の昼食会を取り仕切ってくれたのは、昨日、文先生のお宅で顔を合わせた全(チョン)先伊先生でした。お名前は、この歓迎会の後で頂いた、第4期日本語基礎班の卒業記念の名簿から判断しました。
 全先生とは、名刺交換をしませんでしたが、弟の全徳雄さんから頂いた名刺からも間違いないと判断しました。
 全先生の弟さんは、6人程の兄弟の末っ子だそうです。お姉さんは『度胸がいい事が取り柄です』と紹介してくれました。戴いた名刺には『共*商社・代表』とあり、結構大きな商売をされているようでした。
 年の頃は、50代の半ばから後半と言ったところでしょうか。もし、買い物をするなら、色々と紹介しますと言ってくれましたが、今回の旅行は、あまり日程の余裕がないので、それとなくお断りしました。
 大変だったのは、図書館内の挨拶回りだけではありませんでした。歓迎会の席のプレッシャーも相当なものでした。
 全先生の司会で、この日本語講座が始まったいきさつ、その時に大きな役割を果たしてくれた前館長も前段で挨拶をされました。ところが挨拶はそれだけに止まらず、全員が自己紹介をする事になりました。
 ここで、Muさんは『ハングル語講座研修団長』としての挨拶をする羽目になりました。気楽に考えていた当方も些かとまどいました。皆さんの挨拶の中身の濃さをお聞きしている内に

 「今回はハングル語講座のメンバーにオブザーバーで参加しましたが、これを機会に、ちゃんと勉強したいと思います」

 等と、決意表明する始末となりました。
 ハングル語講座の中級クラスの人は、とっさにハングルで挨拶をし、日本語講座の皆さんも、その話しに聴き入ったり、発音を一緒に確認したりと、その熱心さに感心させられました。
 こちらのメンバーの挨拶の中で、心打たれたのが、Ogさん母娘のご挨拶でした。李先生が

 「お二人は親子です。今回の訪問旅行は、娘さんが申し込まれました」
 
と、予め紹介をされました。お母さんの順子さん(偶然、李先生の娘さんと同名)は、

 「父の仕事の関係で、小さい頃にソウルに住んでいました。その時の記憶が懐かしく、また、韓国の友達の親切が忘れられません。私が今回の研修旅行の申し込みをためらっていたところ、娘が申し込んでくれました」

 と日本語で話をされ、

 「半分は韓国人友達がいたので、ハングルを学ぼうと思いました。しかし、当時は学ぼうと思っても、禁止令で学ぶことができず、今になってやっとその機会に恵まれました」

 『息子は今、韓国に住んでいます。考古学者で、百済の研究をしています」

 と続けられ、

 「どなたか、韓国語への通訳をお願いします」

 と話を締めくくられました。
 通訳は全先生が幾人かの生徒を指名され、それぞれに部分訳や意訳をされました。日本語講座の大方の人は、Ogさんの話の大要が理解できていたらしく、通訳にもそれぞれ深くうなずいていました。
 亡くなられたOgさんのお父さんは教育者です。娘のAyさんからは、お祖父さんに当たります。苦労がたたって、戦後間もなく亡くなられたようです。
 今でも韓国で一番の名門小学校の校長を務められ、日本の敗戦の時は、全国校長会の会長を務められていたと言います。
 敗戦の後も残務整理と引継で、暫く韓国に留まられたそうです。日本の敗戦までの韓国は、不幸にも日本の統治下にありました。
 それにも関わらず、教育や躾は素晴らしかったようです。Ogさんが当時を懐かしく思われるのは、父が教育者として慕われていた記憶と重なっているためかとも思えました。
 全先生も女学校で日本人による教育を受けられたと言いますが、『理想的な教育』と言う点で、Ogさんと共感されていたようです。押し付けの軍国教育だけであったなら、このような感慨は湧かないはずでした。

<韓日友好協会の李先生と>
 夕方、ホテルのロビーで韓日友好協会の李先生とお会いすることになっていました。それで、適宜流れ解散をして、それぞれに予定時刻の15時半に集合することにしました。
 我々3人組は、バスと地下鉄を乗り継いでホテルに向かうことにしました。焼肉店からすぐ近くにバス乗り場はありました。しかし、毎度の事ですが、バス経路が分かり難く、難儀しました。
 居合わせた文先生の奥さんが、近くの人に聞いてくれたりして、目的のバスを教えてくれました。本当に親切な人達ばかりでした。
 韓日友好協会の李先生とは、ホテルのロビーで落ち合いました。3時間をかけてやって来られたようです。お年が70歳と自己紹介されましたが、穏やかな風貌の、素晴らしい雰囲気を持った紳士でした。どうやら、教職に就かれていた方のようでした。
 韓日友好協会の李先生とは、同行のMuさんが相当昔からのお知り合いでした。李先生と一緒に釜山タワーに登り、帰りは喫茶店でお話をして、お別れをしました。
 これからまた、3時間をかけて自宅に戻られるとお聞きして、申し訳ない気持ちになりました。釜山タワーは、釜山観光ホテルから直ぐのところにあります。
 2年ほど前にもこのホテルに泊まった事があり、夜はこのタワーの灯りが目印になり、都合が良かったことを覚えています。タワーの上まで登ったのは、今回が初めてでした。
 釜山タワーからは、南側には港が、眼下にはプサン市内、北側には山並みが見渡せまっす。かつて、朝鮮戦争の一時期には、この山の北側まで北朝鮮軍が攻め入り、南側には人が溢れたという、その山並です。

<チャガルチ市場で夕食>
 夜は、みんなでチャガルチ市場で魚を食べることにしました。その前に、Tjさん、Szさん、Ntさん、Muさん、Ktさん達と、予め市場見学を兼ねて、お店の見当を付けておくことにしました。
 李先生とOgさんの母娘は、別のところへ出かけられたようです。それで、約束の時間になりましたら、ホテルに迎えに行くことにしました。
 チャガルチ市場にあるメインの2階建ての市場は、あいにく閉店日でした。それでも、海寄りの小さな店は、いくつも開いていましたので、そのどれかに入ることとしました。落ち合う場所を、市場入口の道路向かいのロッテリアの前に決めました。
 李先生たちを迎えに行くのはSzさん達に任せました。それで、私は、Ktさんと二人で屋台(ポジャマチャ)で1時間ほど飲んで待っていることにしました。待ち合わせ場所から、すぐ近くのところの屋台です。
 4、5店並んだ屋台を一通り覗いて、その一つに入りました。まだ飲む時間には早く、客は私たち2人だけでした。隣の屋台は客が来ていなかったので、そのお店のアジュマも一緒になって飲みました。
 このお店の人は、日本語が少し通じました。カラス貝のスープや焼きウナギにビール3本と焼酎も3本、〆て6千円ほどでした。少し割高ですが、日本人相手ではこんなところです。むき身の時はウナギだとは分からなかったですが、焼いたうなぎは、塩とごま油のタレに合って、なかなか美味でした。
 約束の時間に全員落ち合うことができました。みんなで、一通り店を覗いた後、間口の狭い小さな店に入りました。予め、値段交渉をした上でです。
 魚はヒラメをメインに、活きタコや活きイカも注文しました。私はいつも、『ホヤをサービスで』と付け加えるのを忘れませんでした。
 さすがに、ハングル語講座の方でも、ホヤの刺身を食べる人は少なかったです。箸を付けた人でも、最初に少しだけつまんで、後は手が出ませんでした。
 結局、大部分を一人で食べてしまいました。しかし、店先で見たとおり、あまり大きなホヤではなく、味は今一でした。
 ホヤのことを『モンゲ』と言うのは、今年の連休の時の旅行で、束草(ソクチョ)付近の市場で覚えました。カワハギのことを『チッチ』と言うのも、このとき覚えました。
 このチッチはアナゴの調理と同じです。骨を付けたまま刺身にしてくれますので、ちょっと手強い。量が多くなければ、コチジャンによく合い、なかなか美味です。
 ヒラメを刺身に取った後の骨身で、メウンタンを作って貰いました。魚のアラの鍋物です。酒代を合わせて、一人当たり2千円程度でした。確かにお値打ちでした。安かったのは、お酒の量が少なかったこともあります。お酒をあまり飲まれなかった女性5名の方には、少し申し訳ない気がしました。


  釜山ホテルの近くの朝食の店で
 純豆腐湯気懐しき韓の冬

  亀浦図書館の歓迎会にて
 友好の輪の広がりぬ蜜柑剥く

 手に取りし蜜柑に思う近き国

 学ぶ人輝く眼や寒の雨

 コート来て集まり来るや丘の家

 蜜柑置く心尽くしの宴の席

 参鶏湯骨捌きつつ昼の宴

  釜山タワーに登りて
 冬枯の尾根に連なる鉄の塔

 ビルの群攻め登りたる山の冬

 冬日落つ航跡沖に続きたる

 冬凪や日本は近き東海沖

 冬凪や行きつ戻りつ漁船

 幾度か塔を巡りて冬日落つ

  チャガルチ市場近くのポジャマチャにて 
 酔うほどに月冴わたる屋台酒

  チャガルチ市場の店にて
 ホヤ刺を芥子で食らう夜寒哉

 オンドルの桟敷や冷やで韓の焼酎(さけ)

同行者
その他
交通手段
高速・路線バス 観光バス タクシー
  • 亀浦図書館の日本語講座4回生の方の終了記念の綴りをプレゼントして戴きました。その一部の紹介です。表紙です。

    亀浦図書館の日本語講座4回生の方の終了記念の綴りをプレゼントして戴きました。その一部の紹介です。表紙です。

  • 図書館長と全先生を囲んで、4回生の方の記念撮影です。

    図書館長と全先生を囲んで、4回生の方の記念撮影です。

  • こちらも全先生を中心に4回生の方々の記念撮影です。同じ日には全員が集合できなかったためでしょうか。

    こちらも全先生を中心に4回生の方々の記念撮影です。同じ日には全員が集合できなかったためでしょうか。

  • 挨拶の時に、どなたかから2002年ワールドカップ・サッカーの日韓共同開催の時のボランティアの話をお聞きしました。この方もボランティアを目指されています。志の高さに頭が下がりました。<br />

    挨拶の時に、どなたかから2002年ワールドカップ・サッカーの日韓共同開催の時のボランティアの話をお聞きしました。この方もボランティアを目指されています。志の高さに頭が下がりました。

  • 日記をのぞき見するようで、少し気が引けますが、お幸せそうなご家族の雰囲気が伝わってきます。

    日記をのぞき見するようで、少し気が引けますが、お幸せそうなご家族の雰囲気が伝わってきます。

  • 日記、綴り方とも、日本語とあわせハングルでも記載されていました。自分にとってのハングルの勉強に格好の素材になりそうです。お名前は、全部伏せておきました。<br />

    日記、綴り方とも、日本語とあわせハングルでも記載されていました。自分にとってのハングルの勉強に格好の素材になりそうです。お名前は、全部伏せておきました。

  • 亀浦図書館で戴いた主要業務計画書の表紙です。一般現況、97年度の実績及び98年度の計画から構成されていました。

    亀浦図書館で戴いた主要業務計画書の表紙です。一般現況、97年度の実績及び98年度の計画から構成されていました。

  • 一般現況に書かれた沿革では、1983年に創立となっていました。漢字に所々ハングルを混ぜて記述してありました。

    一般現況に書かれた沿革では、1983年に創立となっていました。漢字に所々ハングルを混ぜて記述してありました。

  • 一般現況報告の中の組織図です。館長の下に庶務課と資料奉仕課があり、23名の構成となっています。

    一般現況報告の中の組織図です。館長の下に庶務課と資料奉仕課があり、23名の構成となっています。

  • 1997年度の業務推進実績ほ、総入館者は14万人台であり、大学生と中高生で大部分を占めます。男女別では、男子がやや多くなっています。<br />

    1997年度の業務推進実績ほ、総入館者は14万人台であり、大学生と中高生で大部分を占めます。男女別では、男子がやや多くなっています。

  • 1998年度の業務計画です。21世紀へ向けての教育指標は、健康、自主的、道徳的な韓国人育成を目指しています。<br />

    1998年度の業務計画です。21世紀へ向けての教育指標は、健康、自主的、道徳的な韓国人育成を目指しています。

  • 計画の中に社会教育、文化教室の活性化をうたっています。日本語講座もその一環のようです。

    計画の中に社会教育、文化教室の活性化をうたっています。日本語講座もその一環のようです。

  • 亀浦図書館の歓迎式典でのスナップです。大勢の方が出迎えて戴きした。

    亀浦図書館の歓迎式典でのスナップです。大勢の方が出迎えて戴きした。

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