1998/11/23 - 1998/11/26
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旅人のくまさんさん
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<1998年11月23日>
名古屋空港からの出発は、午後の便なので、集合時間は11時40分になりました。家から空港までは1時間半とはかかりませんので、出発前にベランダの蘭の手入れをしました。
旅行中、デンドロビュウムとは、しばらくのお別れです。バルブが早く完成した早咲き種は、少し前に部屋の中に取り入れておきましたので、今日は残りの鉢のいくつかを、南向きの部屋に取り込みました。
この時期に水遣りの心配はないですが、日光には十分当てる必要があります。それで、少し不用心ですが、南側のガラス戸は、レースのカーテンだけにしておきました。
コートは着なかったものの、少し着込みましたので、さすがに地下鉄の中では暑さを感じました。地下鉄ダイヤは調べていなかったですが、偶然、犬山行きでした。乗換え無しで西春駅まで着きました。
西春駅から空港までは、いつも名鉄バスです。待時間はなく、家を出てから1時間あまりで国際線出発ロビーに到着しました。
いつも手提げ鞄ひとつの身軽な旅ですが、乗り慣れた地下鉄でも、普段とは違った気分になってしいます。車中ですぐに、『スケッチ俳句』の開始です。
頭の中では、『カームサハムニダ(ありがとうございます)』『チョウムベッケスムニダ(はじめまして)』『アンニョンハセヨ(こんにちは)』等の片言のハングルが蠢(うごめ)き始めました。今回もいい旅でありますように。
<金海空港到着>
1時間半あまりのフライトで、釜山市の北、金海(キメ)空港に到着しました。手荷物だけでなく、荷物を預けたメンバーもいましたので、入国には少し時間がかかりました。
今回の旅行は、一応旅行社の人が現地で出迎える事になっていて、マイクロバスで釜山観光ホテルまで送ってくれました。旅行社の女性ガイドさんは、若い韓国人の方でした。
一行がハングル語講座のメンバーであることを聞かれていたようでした。途中、お仕着せの土産物店に寄り道もせず、まっすぐホテルに向かってくれました。
「今日のメンバーでは、私は何もお手伝いすることがありませんね」
と、完全に観光案内などを諦めてしまっていました。
<文先生のマンション訪問>
名古屋空港から同行したのは、ハングル語講座の李順子(イ・スンジャ)先生はじめ11名です。ソウル経由で先着されていたTjさんとは、夕刻にホテルロビーで落ち合うことになっていました。
この方は、3、40回は韓国旅行をされているようでした。ハングル語講座でも中級に進まれているとお聞きしました。
しかし、時間が過ぎても姿が見えなかったので、今日は合流を諦めました。このため、大分遅れて仁済(インジェ)大学副教授の文炳鎔(ビョン・ヤンモーン)先生のマンションに向かうことになりました。
予想はしていたものの、ものすごい渋滞で、2時間あまりかかりました。約束の時間より、1時間以上も遅れてしまいました。
文先生は岡崎の国立共同機関で研究をされていたようであり、岡崎在住の李先生とはご家族ぐるみのお付き合いとお聞きしました。このことは、李先生の娘さんの金順花(キム・スンファ)さんが一行に含まれていたことでも分かりました。
文先生のお年は、40代の前半と言ったところでしょうか。中学2年と小学2年のお二人の娘さんがいます。躾がすばらしいお子さん達でした。お客への挨拶に始まって、食事の途中には、それぞれにバイオリン演奏を聴かせてくれました。
曲名はわからなかったですが、妹さんは練習曲風、お姉さんは現代曲風の選曲でした。お姉さんは、みんなのアンコールに応えて、韓国の流行歌をもう一曲弾いてくれました。明日は学校だというのに、欠伸もせずに、皆が帰る11時過ぎまで、お付き合いをしてくれました。改めて躾の良さに感心させられました。
順花さんは、小さい頃の事なので文先生の事はよく覚えていないと言われていました。文先生や奥さんは、小さかった順花さんをよく覚えていると話されていました。
順花さんはG大学の4年生です。来年が卒業で、就職も決まっているようでした。農業関係の遺伝子工学当たりが専門のようです。パソコンも使いこなされているようでした。
文先生も生物学が専門の理学博士で、順花さんは自分の専門分野と同じだと言って、喜んでいまっした。
ところで、文先生の自宅は高層マンションの13階(14階だったかも知れません)にありました。その広さと、作りの良さに感心しました。
11名の我々のメンバーと、お手伝いのお2人の13名が座っても、リビングルームは十分な広さがありました。床には温水のオンドルまで設備されていました。食事の後に見せて戴いた先生の専用の書斎も、申し分のない広さでした。お手洗いも2箇所設備されていました。
書斎では、ハングル変換のパソコンを見せて戴きました。ウィンドウズ98にも対応していて、母音と子音を続けて打ちますと、ハングル文字が表示されました。例えば、「L」と「ト」で、「な(na)」と言った具合です。表示は、もちろん母音の上に子音を乗せた文字や、色々な組み合わせができます。
韓国のマンションの間取りで特徴的なのは、ベランダ部分まで有効に利用されていることです。南側の部分はサンルームのようになっていて、リビングルームとの仕切は、二重のガラス戸で遮音と断熱の工夫がされていました。
文先生のお宅には、明日お会いする予定の釜山広域市立亀浦(クポ)図書館の日本語講座の先生と、1回生の女性の方がお手伝いに見えていました。
先生は70歳になりますと自己紹介されていましたが、お世辞ではなく、10歳から15歳は、お若く見えました。旧日本統治下の女学校か師範学校で学ばれたようです。
当時は、規則により、韓国人は日本人を教える教職に就くことはできなかったと言います。李先生が日本人を相手にハングルを教えてみえることに、時代の変化を噛み締められていました。
食事は心づくしの馳走を、時間をかけて用意されていた事が容易に判断できました。餅米と小豆で拵えられたお供え用のお菓子、ふんだんに肉を使った鍋物、等などです。心の籠もった料理の数々と歓待に、本当に感激をしました。
日本から少しだけお金を出し合って用意してきたプレゼントでは、全く申し訳ない思いがしました。素晴らしい夕食をご馳走になり、一同、感激しました。
最初の予定では、夜の10時頃には、文先生のお宅をお暇する積もりでしたが、タクシーがなかなか到着せずに、結局は11時を大幅に過ぎてしまいました。先生の二人の可愛い娘さん達には、本当に申し訳ないことになってしまいました。
<ホテルへ戻って>
ホテルに戻ったのは12時過ぎでした。隣室のMuさん、Skさん、私と同室のKtさんとウィスキーを飲みながら、一日の出来事を語り合いました。
Ktさんは、今回の私設訪問団長のMuさんの同期です。外国旅行は初めてだったようです。私にとっても旧知の人です。Skさんはまだ若く、郵便関係のお仕事をされているようでした。
旅立ちの朝
寒波来て鉢取入れし旅の朝
着膨て暖気疎しサブウェイ
正露丸バッグに入れて冬の旅
紅葉の染め残してや北の風
釜山で
半島の稔や如何に冬迫る
文先生の高層マンションで
オンドルの部屋に集うや旅の夜
箸止て演奏聴し冬の宵
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