2007/05/04 - 2007/05/04
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pianoさん
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維新の志士への高ぶりか、夕餉に喰った瀬アジの旨さからか、寝酒に幾分多めの御酒を頂き、案の定、翌朝は些か二日酔い。
ふらつく頭を抑えつつ、本日は西の小京都「津和野」を訪れることに。
知る人ぞ知る(知らない人は全く知らない)津和野名物「うずめ飯」
酒宴の最後を飾る郷土料理として有名なこの料理、昨夕の酒宴の締めとは些か時間が経ち申したが、さらりと平らげてこの旅の締めくくりといたそうとの思い。
いざ、喰らわんや「うずめ飯」!!
- 交通手段
- 自家用車
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-
「アタタタ、痛って〜。」二日酔いである。
昨夕の寝酒を些か(湯飲みに3杯のストレートのウイスキーがはたして些か甚だ疑問の残るところだが…。)多く頂いたあげくの、この体たらく、責任を転嫁するにも自分1人の悪行が招いた、天罰。
疼く頭を抑えつつ、胃薬と頭痛薬を併せて飲み干し、ウィ〜っと、唸る。
早起きのアニキは一目瞭然二日酔いである愚かな義弟の一連の儀式を眺めつつ、一言「海でも眺めに行こうか」
よろよろと、ふらつく足を引きずるようにして、菊ヶ浜へ。
おお、何やらマラソン大会でも開催されている模様、ゼッケンを背に黙々と走り去るランナー達、二日酔いで弛緩しきった顔で眺める俺。
方や健全、方や不健全の極めつけと言った光景を朝も早よからまざまざと見せつけられ、些か反省。
しかしながら、酒飲みに反省何ぞ何になろう、砂上の楼閣か、今宵になればまたも繰り返す酒宴のリプレイ。
おれァ、駄目だ〜。 -
釣り好きは早起きを厭わない、だそうだ、俺は根っからの苛ち故、釣りに向かない性格、糸を垂れてじっと待っているのが我慢できない、全くもって困った性格だ。
「釣れますか〜?」と全然気にはならないが社交辞令として訪ねてみると、
「いや〜、全然駄目、収穫無しですわ。」と言う割には嬉しそう。
釣り人とは、大漁、坊主、に関わりなく海を眺めながら糸を垂れていることに至上の幸福感を感じているものと見たり。
いやはや、羨ましい。 -
穏やかな海です。
今日は午後から天気が崩れるとのこと、早めに宿を発って津和野に行くべ〜、っとアニキに進言。
宿に戻って朝飯に与りますか。 -
一見してごく普通の民宿の朝餉、が実のところは…目玉焼きに、みりん干し等々全くもって、普通の朝ご飯でした。チャンチャン。
私に二日酔い、不思議に内臓系には至って影響がなく、今日は今日とてみそ汁啜りながらワシワシと飯をかっ込む、しっかり茶碗大盛の2杯のご飯を平らげました。
ご馳走様でした〜。ゲフ〜。 -
民宿の部屋にはそれぞれ維新の志士の写真が掲げられています、で我が部屋は「久坂玄瑞の間」(ん〜、○○の間と言うような大層な部屋じゃないけどさァ。)
萩藩医久坂良廸の二男として天保11年(1840)に生まれ、九州諸国を遊歴の後、安政3年17歳で吉田松陰の門下生となる。
翌年、松陰の妹文と結婚し、松下村塾の教育を補佐した。
安政5年には京都、江戸に遊学し、尊皇攘夷運動に力を注いだ。文久2年(1862)に公武合体開国論者の長井雅楽暗殺を計画し、また品川御殿山のイギリス公使館を焼き討ちするなど急進派の雄として成長した。
文久3年の政変により萩藩尊皇攘夷派は活動拠点であった京都から追放され、三条実美ら尊皇攘夷派公卿は長州に亡命した。
世にいう「七卿都落ち」である。
京都における政治勢力の回復に努めたが功なく、元治元年(1864)6月に武力入京し、7月18日に禁門の変で戦端が開かれた。翌19日に参戦したが、流弾を受け負傷し、鷹司邸内で自刃した。
吉田松陰一の愛弟子とも呼ばれ、もし維新を生きながらえれば、一角の人物になったであろう傑物、無念の生涯を閉じた1人の漢、静かに眠る。 -
津和野にほど近い道の駅「なごみの里」にて小休憩。
二日酔いは、無茶苦茶のどが渇く、ペットボトルのお茶を飲んでは、フ〜、飲んでは、へ〜の繰り返し、些か気分は回復したものの、のどの渇きは癒えることなくほとんど茶腹。 -
燃え立つような紅かなめ、鮮やかなサツキ、借景の竹林を一纏めにして一幅の絵画のような眺め。
薫風爽やかに、穏やかな山里の春爛漫、深く深呼吸をし胸一杯に春の息吹を吸い込めば、二日酔いは何処へやら、元気溌剌○○○○○C。(あ〜、誤解なさらないように、私、生涯一カープファンです、昨今は底辺暮らしが身に付き、セリーグのホームレスとさえ言われ(言われてね〜か)、辛酸なめ子の日々を送っている今日この頃です。) -
助手席で居眠りをすることすること小1時間(すまね〜アニキ、不肖の義弟を持った不運を許してくんなませ。)
駅前にデデ〜ンと飾られているD51です。
昭和40年代国鉄の近代化・合理化により、全国の蒸気機関車が廃止される中、昭和48年10月には、山口線からもSLが姿を消すことになりました。
その後、多くのSLファンや地元市町村を中心にSL復活への気運が高まり、当時の国鉄総裁の大英断で昭和54年8月1日、山口線にSLが復活することになりました。
現在、「貴婦人」の愛称で親しまれる「C571」は、山頭火が愛した「新山口」を出発し、「湯田温泉」、大内文化の香り漂う「山口」、四季折々の情緒を楽しめる「長門峡」、山陰の小京都「津和野」までの62.9kmを約2時間かけて、多くの人の夢を乗せて走ります。
と言うことで、本当に走っているのはC571で、D51ではありません、悪しからず。
さすがに珍しいのか子供らがワラワラと群がってきて、よじ登っては記念撮影をしていました。
おらおら、そこのガキンチョ汚ね〜足で汚すんじゃねえぞ、コラ!!(と、心の中で毒づいていました。) -
連休にしては些か、否、滅茶苦茶寂しい駅前です。
遙々とたどり着いたが侘寂の世界にどっぷり嵌り込んだ所とは…( ̄〜 ̄;)??フームのっけから、思いっきり肩透かしを喰らい、些か、困惑気味、エ〜イ、ままよ、先に進べ!! -
安野光雅美術館です。
「昔の木造教室」を再現、プラネタリウムも併設した一味変わった美術館。
のんびり椅子に腰掛けて、安野光雅さんの作品をモニターで眺めることも出来ます。
ひと休み、フ〜。 -
昔の木造教室の再現…タイムスリップです、廊下を賑やかに笑い転ぶ子供らの幻影が…。
安野さんはいつも子供らが驚く作品を作られている、視点はいつも子供の心、心底子供らが好きで仕方がないのでしょう、何故か凄く懐かしい原体験をさせてもらいました。 -
遙か古の昔を過ごした懐かしい小学生の思い出。
教科書もろくに広げず、一心不乱にに机に書き殴った落書き。
好きな女の子に、心とは裏腹に意地悪をしたあの日、誰にでもある懐かしい郷愁、友は今何をしているのやら…。
柄にもなく、センチメンタルな思いに耽り1人佇む。 -
大正15年3月20日、島根県津和野町生まれ。
子供の頃より、画家への夢を抱く。
昭和24年美術教員として上京。教員のかたわら、本の装丁などを手がける。
昭和43年、絵本「ふしぎなえ」で絵本界にデビュー。
その後、淡い色調の水彩画で、やさしい雰囲気漂う作品を数多く発表。また、美術の世界だけにとどまらず、科学・数学・文学などに造詣が深く、その好奇心と想像力の豊かさで次々と独創性に富んだ作品を発表。
その業績に対し、国際アンデルセン賞を始めとする数々の賞が贈られている。
代表作「ふしぎなえ」「ABCの本」「天動説の絵本」「旅の絵本」「繪本平家物語」司馬遼太郎の歴史紀行「街道をゆく」の装画。
津和野が生んだ偉大な画家、と言うより、大概の人なら彼の作品を小学校の図書室で、眺めているはず。
優しい風合いに、見る者を絡め取る、摩訶不思議な世界。
これも騙し画の一つ、さあどんな動物が隠れているやら…。 -
子供なら誰しも一目で吸い込まれてゆくラビリンス。
楽しくもあり、不可思議であり、彼独特の世界観、はたしてクジラ君は何処へ…。 -
脱日常的と言うか、ありえね〜よ的世界観が子供心を捕らえて放さない、見る者に不思議な魔法をかける彼の作本は上質の麻薬。
懐かしく見て回った私の心は、遙か昔の薄暗い小学校の図書室に迷い込んだみたいです、はてさて抜け出して来れるやら…。 -
原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く。
彼独特の画風です。
津和野の静かな山里が持つ特異な環境が、彼の筆をそのように導いたのでは、この町のしっとりとした雰囲気と彼の画の持つ共通点、癒やし。(ワッ、べたやな〜。) -
辺りにチラホラと観光客の姿が、( ̄〜 ̄;)??ウ〜ム、今まで何処に隠れていたのやら、と言っても数えるくらいの人出、その昔は西の小京都と褒めちぎられ、アンノン族(古ッ、ってか知らないでしょ若い人)がこぞって闊歩した町なのにこの凋落ぶり。
はたまた、( ̄〜 ̄;)??フ〜ム、如何にしてこの窮地を挽回すべきか、早急に津和野活性化プロジェクトを発動し、集客の一助といたしましょう、エ?、要らぬお世話だ?トホホ、せっかく諸肌脱いで、津和野に命を賭する覚悟を固めていたというのに、無念じゃ〜(;___;)ウルウル。 -
弥栄神社です。
津和野大橋から太皷谷稲成神社に通じる間に、大鳥居のある弥栄神社があります。
7月の祇園祭の神事として奉納される「鷺舞」の舞台として知られています。
二羽の鷺に扮し、優雅に舞う舞は国指定無形民俗無形文化財に指定されています。
また6月30日には「輪くぐり神事」が行われ津和野の夏を迎える風物詩として浴衣姿でにぎわいます。
またしても静寂の世界、かつてのアンノン族の聖地(ん〜、それは大げさか?)であったにも関わらず、この凋落ぶり、見る影もありませぬ。
おれァ、静かな中、ゆったりと神社仏閣巡りが出来、至極満足ですがねえ…。 -
弥栄神社の大欅です。
この欅は、樹高25m、幹周4.0mで、津和野町の天然記念物に指定されている。
( ̄〜 ̄;)フ〜ム、これだけの大樹となれば、神々しさもあるというもの、何やら語りかけられているような…ハ?酒はそこそこにしなさい?ハハッ〜、面目次第もありません。 -
今日もゆくゆく明日も行く、自称「神社仏閣オタク」のpianoの行脚は本日も、ここ弥栄神社より始まります。
取り敢えず、お賽銭あげて、なむなむ…家内安全、世界平和、ついでにサマージャンボが…ボカッ、ウガッ、あたたたた、えらい気性の荒い神さんやな〜、もう。 -
太鼓谷稲荷神社表参道です。
石段263段、鳥居約1000本。
御礼の為に建てられた方が約八割、祈願の為に建てられた方が約二割。
古いものより順次立て替えるので数が多少変わります。
( ̄□ ̄;)ガーン、263段とな、鮮やかな朱の鳥居がおいでおいでしてます、「寺社仏閣オタク」の名に恥じないよう、命を賭して(大げさな)参拝いたすとしましょう。 -
太鼓谷稲荷神社です。
太皷谷稲成神社は安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞公が津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するために、三本松城(津和野城)の表鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。
以来、歴代の藩主の崇敬が篤く、廃藩後は一般庶民も参拝できるようになり広く信仰を集め、その後、 御神徳は霊験と共に全国に崇敬景仰され、今では日本五大稲荷神社のひとつに数えられております。
( ̄□ ̄;)ガーン…へ?日本五大稲荷って,我が岡山の最上稲荷が入ってないじゃん,何故???
これって自薦の有りってことなの( ̄〜 ̄;)??ウ〜ム
不可思議な日本三大○○の謎,底なし沼の如き深いベールに包まれております。
何方か,明快な回答を乞う!! -
おおお、遙か下方に流れるは津和野川。
ジオラマの如く小さく建ち並ぶ津和野の町並み、お狐様の招きに応じて、263段の石段を這い上がり、やってきました本殿へ。
(○ ̄ 〜  ̄○;)フ〜ム、セブでのライセンス奪取計画から早2ヶ月余り、日頃の運動不足は否めず、足腰はヘロヘロ、フラフラ、さながらサハラ砂漠を水を求めて彷徨う旅人の如く…駄目だ〜。 -
祭られている御祭神は,
宇迦之御魂神 女神
神宮外宮に祭られている豊受大神と同一神とされています。
食物の神、五穀豊饒の神、衣食住の大祖神
伊弉冉尊女神
日本の国造りの神 伊弉諾尊
稲成大神の御神徳
稲荷大神様は衣食住の大祖神様、五穀豊穰の神様であります。
江戸時代よりは商売繁昌の神様としても信仰されました。当社は特に願望成就の神様として崇敬されています。
五穀豊穰・産業発展・商売繁昌・開運厄除・福徳円満・願望成就
「稲成の由来」
「昔、お城のお倉番が鍵を紛失し、その責任として切腹を言い渡された。お倉番は静かに稲成神社に祈願しつつ、八方手を尽くして探索したが、鍵の所在は不明のまま処刑の日は迫った。
然るに、祈念満願の日、鍵はお倉番の手に返り、処刑は免れた。
この願望成就の御神徳に人々は只感涙したと言う。
よって、願望成就の「成」をとって稲成神社となった。」
(○ ̄ 〜  ̄○;)フ〜ム,なかなか霊験あらたかな,神様のよう,例の如くお賽銭を入れ,パンパン,エ〜,家内安全,世界平和,サマージャンボ…ボカッ,ウギャ!!
お狐様の踵落としが後頭部に命中…無念じゃ,バタッ。 -
可愛い顔して先ほどは見事な踵落とし…宝くじに当たった際はしこたま油揚げを献上しようと思ってたのに、ヤ〜メタ、っと。
ちなみにお稲荷さまに仕えるお狐様と言うのは、
稲荷の祭神は宇迦之魂命で、伊勢の外宮の祭神の豊受姫大神と同神で天照大神に五穀を授けられた神であります。
狐は稲荷の神様のお使いで眷族といい、その祭神に縁故ある鳥や獣であります。
例えば、八幡宮の鳩、春日大社の鹿、諏訪神社の鷺、日吉神社の猿、熊野神社の烏などがあります。 -
殿町通り・多胡家老門です。
養老館前のあたりは殿町と呼ばれ、かつて家老屋敷が隣接していたところ。
なまこ塀と掘割りに泳ぐ鯉など、津和野のシンボル的スポットです。
多胡家は亀井氏11代にわたって家老職を務め、藩財政に大きく貢献した家柄。瓦葺きで、間口4m、長さ26mの立派な武家屋敷門が今も残っています。
同じく家老だった太岡家が隣接しており、門を入ると古いたたずまいが印象的な町役場になっています。
はいはい,皆様,津和野のメインストリートですよ〜。
 ̄〜 ̄;)ウーン・・・寂しい,特に若い女性の嬌声が聞こえないのは辛いです,詫寂の世界どっぶり頭の先まで浸かってます。ゲホゲホ…。 -
津和野名物お堀の鯉が元気よく泳いでいます。
にしても、えらくプリンプリンに太った錦鯉ではありますかいな、ん〜、美味しそう。
( ̄〜; ̄)ムシャムシャ、ん〜、ジューシーな肉汁が口の中に溢れ大変美味しゅうございます。(嘘)
よい子は勝手によそ様のお魚を食べちゃ駄目だよ〜。 -
殿町通りの掘割に植わっている花ショウブが咲き誇る時節が間近に迫っております。
清楚な紫の花が咲き誇る様は、それはもう見事の一言(見たことね〜けど、さ。)、原チャに跨り見に来ましょうか(無理無理120%無理)
そう言えば、今日出勤途上、信号待ちをしていると急にエンジンがピタと止まりました、ゲゲッ、購入半年にしてお陀仏か〜?
( ̄□ ̄;)ガーン、と汗汗と原チャを道ばたに寄せて、再びエンジンをかけると普通に可動、今のは何だったのだ〜、と冷や汗をかきつつ、職場へ向けて爆走。
無事これ名馬。 -
江戸幕府成立から明治を迎えるまでの250年余、津和野は亀井氏11代の統治下にありました。
西に毛利、東に松江、浜田という大国に挟まれた津和野藩は、産業開発と教育振興に藩の安定を求めました。
産業においては4代茲親の代に始まった和紙生産が成功し、4万3千石の小国ながらその実禄は15万石にものぼったといわれています。
教育振興の分野では、8代矩賢が1786年、藩校養老館を創設。
11代茲監の文教改革で、儒学、医学、礼学、数学、兵学、蘭医学といった学科を充実させました。
養老館は後に、西周(にし・あまね、西洋哲学者)、森鴎外(文豪、軍医)、福羽美静(ふくば・よししず、国学者)、中村吉蔵(劇作家)など数々の英才を輩出。
ここでの教育は、藩政にとどまらず、日本の近代化においても重要な役割を果たしました。
小国の安定は、和紙がもたらす豊富な財力と優れた人材によって、見事に保たれたのでした。
人材を如何に育成するかは、国の将来を担っていくのに最も大切なこと、松下村塾をはじめとする、今回の旅においても、深く感じました、で、日本と言うあまりに巨大な船は如何なる方向へ向かって進んで行くのでしょうか? -
目に鮮やかな新緑の紅葉、薫風爽やかにして、葉擦れの音心地よい朝の一時、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうや。
(○ ̄ 〜  ̄○;)フ〜ム,なかなか良い眺めではありませんか,降り注ぐイオン効果抜群にして,腹空きまくり,グ〜,今朝ほど間での二日酔いは何処へやら,おらァ,うずめ飯を食いに行くぞ〜!! -
お堀に錦鯉がはね回ると言った、極めて純日本風の津和野の町にあって、ひときわ異彩を放つ建物「津和野カトリック教会」
ゴシック様式で建てられた石造りの荘厳な教会。
その姿からは想像もできない、深く悲しい歴史がある。
明治時代、キリシタン禁止令により、隠れキリシタンたちは改宗を求められ、津和野の乙女峠に連れてこられたという。
そのなかで迫害により殉教していったものも少なくなく、その慰霊のため建てられた。
ひっそりと佇む教会に彼のような悲しむべき過去があったとは(;___;)ウルウル
日本におけるキリスト教徒の歩んできた棘の道は、安寧なものでは決してなく、幾多の血がそこに流れていった、そこまでして捨てきれなかった信仰とは何ぞや、不信心の輩pianoに答を求めるのは無意味、ただ殉教していった人達の魂に手を合わせるのみ。 -
イエス様が教壇の上からじっと眼差しを投げかけています。
実のところ、私めpianoは幼少のみぎり、近くにあったプロテスタント教会の日曜学校に足繁く通った時期がありました。
クリスマス・イブには東方の三賢者の役を頂き、あまりの嬉しさに滂沱の涙をし(嘘)、イースターには数多の玉子にペインティングを行うなど、こてこての仏教徒(それも甚だ怪しい)の家庭に育った異端児。
が、決してイエス様の教えに完全に感化して、ん〜、もう私キリスト教徒じゃなきゃ生きて行けない、ウルウル、ってなことは120%なく、単なる話し好き、イベント好きのガキであったことは間違いなく、そこの所は深〜くイエス様に反省申し上げます。 -
綺麗なステンドグラスです。
薄闇の中に差し込む光は、迷える子羊を導く道標であり、心の支えでもあります。
貧しきとき、病めるとき人は神に救いを求めます、それは仕方がないことだと自分は思います、それがきっかけに良い方向に進むことが出来るのなら、宗派を問わず門戸を叩いてみるのも一つの道だと思います、それに対し真摯な態度で手を差し伸べてくれる所があれば、それに越したことはありません。 -
聖母マリア様が優しげな眼差しを投げかけてくれます。
すべての罪を許してくださる慈愛のこもった眼差しです、彼女の前ではどの様な悪人でさえも己の罪を悔い改める摩訶不思議な力があると信じています。
幼き頃、日曜学校で牧師さんの話してくれる色々な面白い話に目を輝かせていた頃が懐かしい、今はドロンと濁った瞳で見るには余りにもマリア様は眩しすぎる。 -
昔懐かし、(ん〜、おいらが小さい頃にも無かったような…。)和紙のお面です。
鎮守の森の夏祭り、お狐様のお面をヒョイと載せ、片手に団扇の男女二人が、仲むつまじく手に手を取り合って、そぞろ歩くは屋台の行列、カラリコロリと石畳に下駄の音…。 -
おお、これはかなりレトロな種苗店。
薄暗い店先に木の箱に、花、作物の種(だろう)がちんまりと並べられています。
好対照に、店の表には洒落た鉢植えが並んでいて、好事家の目を奪います、( ̄〜 ̄;)??フ〜ム、鉢植えで客を釣ろうとはなかなかのやり手ではありませうか。(何時の時代の人間じゃお前は) -
これまたレトロなお店を発見。
渋い色合いののれんに白く酒蔵と鮮やかな文字。
いやはや、画になる店、ちょいと覗いてみましょうか。 -
畳の上に大きな杉玉。
杉玉とは、スギの葉(穂先)を集めてボール状にした造形物。
酒林とも呼ばれる。
日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たす。
「搾りを始めました」という意味である。
吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としているが、やがて枯れて茶色がかってくる。この色の変化がまた人々に、新酒の熟成の具合を物語る。
今日では、酒屋の看板のように受け取られがちであるが、元々は酒の神様に感謝を捧げるものであったとされる。
彼の杉玉黒々としており、さぞかし芳醇な酒が味わえることでは…。 -
些か早い昼飯に、お目当ての「うずめ飯」の名店を探すこと暫し、我見つけたり小さき食堂「能濃」
カウンター席に小上がりが少しのこぢんまりとした店構え、古いがこざっぱりとした感じが居心地がよい。
注文は迷わず「うずめ飯定食」
地元で採れる山菜を主材にした代表的な津和野の郷土料理です。
セリ、ワサビ、ノリが主材料で、香りをいかした風味料理といえます。
作り方は、シイタケ、ニンジン、カマボコ、豆腐をそれぞれ小さなさいの目に切り、昆布だしで煮、塩、淡口醤油で吸い物よりやや濃いめに味付けします。
この具と汁を茶碗の底に3分の1ぐらい入れ、その上にセリの小口切り、もみ海苔、オロシを置き、さらにその上に、炊きたてのご飯をよそい、蓋をしてしばらくおいたものを、よくかき混ぜて食べます。
粗末さをはばかって、ご飯の底に埋め、伏し目勝ちに供したいわれから、この名が付けられたといわれております。
古くから酒宴の後に必ず出された格調の高い縁起料理として知られています。
待つこと暫し、運ばれてきたのは丼になみなみと盛られたうずめ飯、コンニャクの酢みそ和え、山菜の小鉢と香の物。
早速丼を手に取るとワサビの香りが鼻腔をくすぐり、いやが上にも食欲をそそる、箸でもってしっかりかき回すと丼の底に潜んでいたシイタケやニンジンがが顔を出し、何にしろ香りがよい。
セリの香りとワサビの香りが渾然一体となり、気が付けばワシワシと丼をかっ込む、ムムム、美味い。
さっぱりとした味付けが二日酔いの腹にするりと落ちてゆく、やはり目当ては正解だったようだ。
二日間に亘り萩、津和野を巡る旅、何時もながらお付き合い有り難うございます。
また、旅の空の下で出会うことを楽しみに。
では、良い旅を。
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この旅行記へのコメント (10)
-
- だいちゃんさん 2007/05/21 07:43:18
- 津和野=つわの・・・なんとも良い地名ですね!
- pianoさん、おはようございます。
「お魚釣り」をする人の気持ちは、その釣り人以外にはわかりませんよ!
画像のおじさんも釣果は欲しいんでしょうが、海に釣り糸垂れる事が自然と一体になっている=海とその海に住むお魚さんとの対話の時間なんです。
SLやまぐち号「貴婦人」・・・昨年、私のタクシーで観光されたお客様に乗って頂いた事(日記にUP済み)。
私は案内人でしたが、思い出深い旅でした。
また、オジャマしますね!
by だいちゃん
- pianoさん からの返信 2007/05/25 11:49:07
- ムムムムム
- 釣りの世界は、大洋の海溝のように奥深いものなのですね。
未熟者の私如きは、魚さんとのコンタクト出来るはずも無く、ただ指をくわえて眺めるばかりです。
でも、魚を食するのは大好きなので、いつの日か釣り糸を垂れることを夢見て日々精進しましょう。
では、良い旅を。
-
- ガコさん 2007/05/20 20:04:31
- うーーむ
- 「うずめ飯」
それは一体どのようなものなのか。
謎です…
- pianoさん からの返信 2007/05/23 18:08:01
- 究極の
- 二日酔い飯かも。
ワサビとセリの香がいやが上にも、食欲をそそり、気がつけばどんぶりを抱え込んでワシワシとかき込む有様、かなりおいやしさん。
では、良い旅を。
-
- 義臣さん 2007/05/19 18:08:50
- 行った
- 行った あの道 この家 この神社
でも知らなかった「うずめ飯」
義臣
- pianoさん からの返信 2007/05/23 18:04:39
- 美味かった〜
- です。
実にシンプルなのですが、ワサビとセリの香りが実に爽やかで、二日酔いながらも気がつけばどんぶりを抱え込んでワシワシとかっ込んでました。
いやはや、浅ましいものです。
では、良い旅を。
-
- チムさん 2007/05/19 09:36:52
- 幸せ者め
- 二日酔いでござるか、幸せでござりますな。
そろそろ写真の横に説明文を、お願い出来ますかな。
津和野訪問時の参考に、宜しくお願い申し候。
- pianoさん からの返信 2007/05/23 14:43:50
- Zzz ( ̄〜 ̄) ムニャムニャ
- ハッ、ついうたた寝をばしてしまいました。
ん〜、二日酔いは辛いですよ〜、飲んでるときは超天国なのですが、明くる朝には超弩級の地獄が待ってまする。
この歳になって、二日酔いで悩むとは私もまだまだ未熟者でござります。
では、良い旅を。
-
- comevaさん 2007/05/19 01:47:17
- お久しぶりです。
- 留守をしましたが、ブログはいつの間にか維新の舞台山口の方へ移りましたか・・歴史があって落ち着いた良い町ですね。
- pianoさん からの返信 2007/05/23 10:43:49
- 武家屋敷と
- 夏みかん、端的に言い表せばそんなところでしょうか。
たらふく海の幸を頂きご機嫌のpianoでした、ハハハ、根が単純なものなのでちょこっと良いことがあればご機嫌です。
では、良い旅を。
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