2007/05/03 - 2007/05/04
105位(同エリア942件中)
pianoさん
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連休も後半、生来の忙しない性格故、家でゆっくりとくつろぐと言うことの出来ぬpianoの救世主は我が姉貴の旦那様。
頑是ない我が儘放題の義理の弟のたっての願い(ん〜、これまで幾多のたってない頼みを押しつけたことやら)に、愛車を繰り出しての今回の旅路。
維新の傑物を世に数多送り出した松下村塾のある萩、今なお古き町並みが残り、そこかしこに維新の息吹を感じることの出来る町、吉田松陰が熱弁を奮い、高杉晋作が奇兵隊と共に駆け抜けたここ萩。
実のところは新撰組のファンの私としては些か戸惑いもありますが、同じ時代を駆け抜けた者同士、しかとこの目に焼き付けて帰りましょうぞ。
では、そろそろ幕を上げましょうか。
- 交通手段
- 自家用車
-
ゴールデン・ウィーク後半戦突入、天気明朗にして、国内雨男の異名を持つpianoにしてはこの上ない上々の滑り出し。
岡山インターから西へ西へ西へとひたすら車は走る、助手席ですることのない私はたわいもない無駄口を叩いては、時折車外の風景に目をやると言った手持ちぶさた、アニキに運転してもらっているので、爆睡するのは剰りにも不謹慎かとやたら重たい瞼を持ち上げては、眠気払いに夏の国外脱出計画の話題で暫し持ち直すが、しかし、やたらと眠い…。
途中、バイクと自動車の事故のため20分ほどの渋滞に巻き込まれたものの、約330?の行程を5時間あまりで走破、って俺は横でのたくっていただけじゃん。
おおお、やって来ました遙々と萩ですよ〜、ルンルンクルルン!!
丁度、お昼時と言うことで、先程から「何か食わせろ〜」と泣きわめく腹の虫を抑えつつ道の駅「萩しーまーと」へ腹ごしらえへと参りました。 -
「萩しーまーと」は漁港に隣接しているため、海産物がてんこ盛りに並んでいます。
魚のすり身を使った天ぷらもあり、フラフラと吸い寄せられるようにして近づくと、あな嬉しやな試食を頂き申した。
熱々の天ぷらは、一瞬にして口の中に油と魚の甘みのハーモニー、ウウウウッ、美味い〜!! -
でもって、空きっ腹を抱えたアニキと俺は、漁港から直に運ばれる捕れ捕れピチピチの魚を味わうべく海鮮料理「維新亭」へ。
折しも、お昼時、カウンター10席のみの店に長蛇の列、慌てる旅でもなし、気長に待つことにしましょう。 -
魚市場の隣とあって、場内は捕れての海鮮物で溢れてます〜。
天然マグロに、巨大なヒラメ、ノドグロの開き等々どれをとっても美味そうなことこの上ない一品、ノドグロの開きを炙って醤油を垂らして喰ったら美味いだろうな〜、ノドグロ独特の脂ののりきった甘みのある身が天日干しすことによって太陽の旨味も吸収して、これで杯を重ねることを想像すると自然と涎がダ〜ッ…ホホホ、私としたことがはしたない。 -
萩は知る人ぞ知る(当たり前か?)夏みかんの産地。
山盛りされているみかんから爽やかな香りが漂っています。
加工品も多く、羊羹、饅頭、ブランデー等々夏みかんのてんこ盛りです。 -
本日の「維新亭」での昼食は「我がまま定食」。
ハマチとタイのあら炊きに、刺身、小鉢に吸い物と言ったごくごくありふれたものですが、やはり市場と隣接しているだけあって、鮮度が違う。
刺身は、身がこりこりしていて甘く、あら炊きはホッコリと炊きあげられており、甘辛い味が何とも言えずご飯が進むことこの上なし。
あら炊きは上品に身をほぐして食べるよりも、塊を口にほおばり、上手く骨だけを吐き出す。
新鮮なあらだけあって臭みもなく、口の中には甘辛くたかれたホロホロの身がたっぷりの脂とともに広がり、この上ない美味。
最後にシジミのみそ汁でしめ、これにて1000円也とはなかなかのものです。 -
本日の萩でのお泊まりはここ「萩本陣」…と言いたいところですが、予算の都合上、民宿へ。
お泊まりなのに温泉がセットじゃないと嫌だと駄々をこねるpianoがガイドブックで探したのが「萩本陣」の「湯の丸」。
2006年12月オープンと言うこともあり、とっても綺麗。
毎分500リットルの湯量を誇る自家源泉をふんだんに使用した温泉施設、湧き出すのは、氷河期にあたる2万年前から少しずつ地底に蓄えられた地下水。悠久の時を眠り続けた古代源泉を求め2000m余りを掘削、この深さも日本有数の規模を誇ります。
へへ〜、なるなると納得して、温泉に入ります。
ここ「湯の丸」内湯以外に趣向を凝らした数々の湯があり、城壁露天、源泉の壷、寝の間、光の間、香り
の間等々、すべてゆったりと入っていたら湯当たり間違い無しと言った、バリエーション。
900円と言う手頃のお値段での立ち寄り湯楽しゅうございます。 -
城壁露天です〜。
熟成された古代の湯は、ナトリウム・塩素・カルシウムがたっぷり含まれ、 女性にはうれしい美肌や神経痛、関節痛などに効果があると言われています。
おおお、何やらお肌がツルツル、ってこれが美肌効果って言うやつ??と40男が喜々として言うことでもなのですが、おつむの大分軽いpianoにとっては楽しいことばかり、お目付役のアニキは苦労の連続。 -
美肌効果でツルツルになって有頂天のpiano一行は暫し湯冷ましをした後、今回のテーマ「維新の道」を辿ることに。
でもって、ここが松陰神社です。
吉田松陰を祭神とする神社で、明治23年(1890)に松陰の実家杉家の邸宅内に土蔵造りの小祠を建て、その中に祭神生前愛用の赤間硯を御霊代として祀ったのを始まりとする。
明治40年に萩城内にあった毛利家守護神宮崎八幡の拝殿を移築して本殿し、同時に県社に列した。
北隣にある摂社松門神社は、松陰神社創建当時の土蔵造りの本殿であり、松下村塾出身の松陰門下生を祀っている。
境内には国指定史跡の松下村塾、吉田松陰幽囚の旧宅、また処刑直前に書かれた遺書留魂録などが展示してある吉田松陰遺墨展示館などがある。
隠れ新撰組ファンにとって、長州藩はなまなか相容れるものではないのですが、吉田松陰という人物は、維新にとって多くの傑物を輩出した「松下村塾」にて門下生に熱く新しい時代の到来を説いた偉人。
しかしながら、常に時代より先を見据えていた彼に、時代は彼を時にして受け入れず、不遇のままその短い生涯を閉じました。
時代の流れに逆らって散っていった「新撰組」、方や
時代の先を走り不遇のまま命を落とした「吉田松陰」
どちらも、維新という時代に翻弄された男達なのでしょう。 -
季節はまさに新緑の侯、薫風爽やかに絶好の散策日和と言ったところでしょうか。
-
孝行竹です。
この竹は横走地下茎が発達せず、横にはびこらず、親竹周りにのみ竹の子が育つ。
したがって、親を守る竹という意味で孝行竹という。
松陰先生は親孝行であり竹を愛した記録もあり、記念として寄贈された。
なるなる、(○ ̄ 〜  ̄○;)フ〜ム、つまりのところ、pianoとは対曲線上に位置するお方だったのですね、松陰様は。 -
ここがかの有名な松下村塾です。
吉田松陰が米国の艦船に乗船を企てた罪で投獄され、1855年(安政2年)に出獄してから再び1858年に安政の大獄で投獄されるまでのおよそ2年間、萩で子弟を集めて教育した塾。
久坂玄瑞、高杉晋作、入江九一、山縣有朋、品川弥二郎、伊藤博文、吉田稔麿、前原一誠、山田顕義など、その後維新や明治政府の中心となる人物を多数輩出した。
ムムム、意外と言うか異常に短い期間だったのですね。
これだけの短い期間に彼のような傑物を数多輩出した私塾とは、松蔭本人の力量もさることながら、その頃の長州藩の学問を重んじる気風が窺えます。 -
松下村塾の講義室です。
熱き志を持った若者達がこの部屋で,膝を交え熱き思いのたけを奮ったのでしょうか,維新の世は遙か昔に過ぎ去り今は静寂の世界に佇んでいます。 -
1859年,幕府は安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令する。
松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年29。
獄中にて遺書として門弟達に向けて「留魂録」を書き残す。その冒頭に記された辞世は”身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”
巨星落つとも言える傑物の余りにも早すぎる死,志を半ばにして死出の旅路にたった松陰の無念さが辞世の句に滲み出てます。
この志を受け継いだ多くの門下生の維新での活躍は言うまでもなく,草葉の陰で彼らの活躍に嬉し涙を流されていたのでは。
-
松下村塾パワーを授かろうと数多の受験生がワラワラと全国から集まってきてます。(聞いた訳じゃないけどさ。)
何故か,受験には縁もゆかりもない私なれど,人が並ぶと自然と足がフラフラと,受験とは何の関係もない金銭関係のお願いをしっかりしてしまいました。なむなむ。
で,おみくじを引いたところ,ななな〜んと,久々の大吉,エヘ。
「公明正大な心は必ずみとめられる」…駄目だ〜。 -
久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、小野述信等松下村塾に学んだ維新の志士の写真が並んでいます。
ウ〜ム?(○ ̄ 〜  ̄○;)実のところ、これって誰よって人もいますが、ひとえにpianoが無知故のことご無礼つかまりました。 -
ところ変わって武家屋敷跡の散策、春の陽光を浴びてフラフラと彷徨い出ればそこは白壁の町。
瓦越しに見えるは、夏みかんではありますまいか。
おお、さすが特産品とあって民家(?)の庭木にもされるとは、些か驚き申した。
では、アニキに肩車をしてもらってよっこいしょっと…嘘です、してません、断じて。 -
何やら旅人らしき女性がクローバーの咲く芝生で物思いに耽っている様子。
「旅人が 維新の町で 苦労ばあ」ん〜、探せども、探せども見つからぬ四つ葉のクローバーを求める旅人の心情を捉えたなかなかの力作…ハ?とっとと失せろと、ウウウウウッ、何時の世も天才は認められぬもの、さらばじゃ!! -
萩焼は余り好きじゃないんです、フガフガ…すいません、アホの戯言故気に召されぬよう。
だって色合いドヨ〜ンとしているし…ウギャ、バタン、すいませんまだ減らず口をたたいてしまっていたようですね、簀巻きにして日本海に重しを付けて沈めておきますので。
で、可愛らしい1人地蔵様、思わず笑みがこぼれて来るような。
フガフガ…。 -
高杉晋作の生家です。
高杉晋作は1839年萩藩士の長男として生まれ、藩校明倫館に学ぶかたわら、松下村塾に入って吉田松陰に師事しました。
晋作は、中国の上海に旅行した経験を通じて、日本が当時の清朝のように植民地化されてはならないと、強く思うようになりました。
長州藩が全国に先駆けておこした攘夷戦に敗れた後、藩主から馬関海峡の防備を任された晋作は、1863年に下級武士や庶民の中から志願者を募って奇兵隊を結成しました。これは、藩の正規兵に対する「奇兵」の隊で、これを皮切りに、藩内では、遊撃隊、集義隊などの「諸隊」が続々と誕生しました。これら諸隊の結成を皮切りに、藩は西洋式の軍隊を整えて倒幕戦争の大きな力となりました。
1864年、晋作は下関の巧山寺で兵をあげ、幕府に降伏した藩内保守派政権を武力で追放し、倒幕政権を樹立しました。これが、明治維新の第一歩となりました。
その後も彼は、1866年の四境戦争で幕府軍を相手に活躍しますが、不幸にも病に倒れ、27歳にして短くも波乱に富んだ生涯を閉じました。彼の菩提は下関市の東行庵にとむらわれています。
短くも波乱に富んだ生涯、松陰先生共々維新を生きながらえていればこの世がどの様な変化をもたらしたか、すべて想像の域に過ぎません。 -
清楚にして華やかな(ん〜何を言っているのやら)居室です。
墨黒鮮やかに「玉城通天」の文字が、あああ、さすが高杉さん…って意味が???
景徳鎮の鮮やかな色合いが部屋を華やいだ雰囲気で覆っています。 -
片隅に飾られた生け花に心和みます。
「萩の地に 以心伝心 アニキ俺」ウ〜ム(○ ̄ 〜  ̄○;)、維新と以心とをかけたあたりはなかなかの力作、へ?お気に召さない?それでは失礼します〜、チャンチャン。 -
高杉家伝来の鎮守堂です。
何やらお陰がありそうなのでお願いを、え〜今度のサマージャンボ宝くじ1等が当たりますように…パコ〜ン、ウギャ!!バタ。無念。
またもや不心得者が出没、困ったものです。 -
武家屋敷を彷徨うこと暫し、道ばたに可憐な花を咲かすサツキを発見。
時代を経ても変わらぬのは花々の美しさなのでしょうか…(○ ̄ 〜  ̄○;)ウ〜ム、今回のボケボケ旅には似合わぬせりふ、照れ照れ。 -
白壁の塀越しに新緑も鮮やかな紅葉の木々。
燃え立つような秋の候の紅葉も良いですが、新緑の頃の紅葉も捨てがたい、薫風が葉を揺らします。
「白壁の 薫風そよぐ 紅葉の葉」おおお、久々の居ずまいを正した、ど真ん中ストレート(球速80キロ位のへなちょこ球)、見事場外にはじき飛ばされました。 -
見事なまでに続く白壁、不意に曲がり角を高杉晋作率いる奇兵隊が駆け抜ける姿が…「おもしろきことのなき世を面白く」を辞世の句に、享年27歳の早世,悪戯に馬齢を重ねる我が身と比ぶれば,恥じ入りたくなるような忸怩たる思い。
(○ ̄ 〜  ̄○;)フ〜ム,お前さんもたまには悩むかいな? -
旧久保田家のベンガラ格子です。
柔らかな色合いがフンワリとあたりを包み込みます。
この色の持つ独特な雰囲気なのでしょう。 -
柔らかな和の光を使ったオブジェ。
んんん〜,何やら直島の家プロジェクトの続きみたい。
幽玄の世界に暫し佇む。 -
久保田家は初代庄七が藩政時代後期に近江の国(滋賀県)から萩に入り、熊谷町の久保田家の分家となり、菊屋家の向かいで呉服商を営業していたと伝えられている。
二代庄二郎の時酒造業に転じ、造り酒屋の「あらたま酒店」を営業していた。また明治時代、しばしば名士の宿舎としても利用された。
主屋の建造年代は明確ではないが、主体部の構造手法からみて幕末頃に建てられたと思われる。
大黒柱を中心に、太い差鴨居を縦横に組んで軸部を固めた堅固な造りとなっており、桁行十一間半、梁間十一間切妻作り、桟瓦葺き、平入り一部2階で町屋であるが通り庭はない。
庭に向いた縁側の手すりなど、それぞれ意匠を凝らしており、近代和風建築の特色が良く表されている。
( ̄〜 ̄;)??ウ〜ム,さすが旧家だけあっての,重厚な造り,我が家のブーフーウーの藁の家とは格段の差,いと哀し。 -
江戸末期に作られた庭です。
さすが素封家の庭、なかなかのものです、我が家のネズミの額の如き庭とは大違い、って言うか〜、比べること自体がスゲ〜恥ずかしい。
いつの日か、宝くじでもドカ〜ンと当てて豪奢な庭のある家の縁側で猫でも抱いて茶でもすすりたいものです。ズズ〜ッ。 -
折しも、萩焼の展示会が催されていた「旧久保田家」
ベンガラ色の格子が古い町並みにとけ込んで、フンワリとしたたおやかな雰囲気を醸し出しています。
(○ ̄ 〜  ̄○;)フ〜ム、柄にもない言葉遊び、所詮俺にゃ、似合わね〜な。 -
萩博物館の中庭に飾られている由緒正しい消防車。
昔々,あるところに消防車が必要だと感じたお役人様がおられました,その人は一生懸命にその必要性を周りの方々に説いて回り,当時の財務担当の方からお金を融通してもらい購入してもらったとさ。(全部作り話です…すいません。) -
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。これ我が東行高杉君に非ずや・・・」 とある。
これは伊藤博文が高杉晋作を評した言葉である。
いかにも時代の風雲児「高杉晋作」を的確に評した言葉では…刀片手に写るその姿は眼光鋭く、ただならぬオーラを放っているような。
漢です。 -
文久3(1863)年に長州藩が関門海峡を通る外国船を砲撃しました。ところが、同年6月に報復攻撃を受けました。
この時、高杉晋作はまだ萩の家にいましたが、藩主から呼び出され、下関の白石正一郎の家に行き、早速奇兵隊を結成しました。
奇兵隊は、身分制度にとらわれない武士階級と農民や町民が混合された構成であるが、袖印による階級区別はされていた。
隊士には藩庁から給与が支給され、隊士は隊舎で起居して訓練に励んだ。
このため、いわゆる民兵組織ではなく、長州藩の正規常備軍である。奇兵隊は、総督を頂点に、銃隊や砲隊などが体系的に組織された。高杉は、泰平の世で堕落した武士よりも、志をもった彼らの方が戦力になると考えていたとされる。
隊士らは、西洋式の兵法をよく吸収して当時最新の兵器を取り扱い、戦果を上げた。
志を掲げたものの強さ,武士に虐げられていたもの達の反骨心,高杉はそこを良く心得ていたのしょう。さすが松下村塾の門下生,侮れぬもの。 -
江戸時代の萩も町のジオラマです。
なかなか精緻に作られており、双眼鏡で眺めることが出来ます。
その手のマニアには垂涎の代物だと思います。
全国○○万人のジオラマファンの皆様〜、なかなかの出物ですぜ〜、ああああ、こらこら、そこの人ガラスに顔くっつけちゃ駄目でしょ、もう、はしたないんだから。 -
錦絵も鮮やかな屋形船?
エヘヘヘヘ、解説をな〜にも見ていなかったので、皆目見当が付きません、にしてもこれだけ煌びやかに飾り付けをしているのを見ると実用的に運用されていたのかは甚だ疑問?
粗忽者のpianoのこと故お許し下さいませ。 -
萩城のジオラマです。
城郭の縄張りは梯郭式平城と山城である指月山頂の詰の丸で構成されている。江戸時代には長州藩の藩庁となった。
日本海に張り出した指月山に詰の丸と、その山麓に本丸・二の丸・三の丸を配し三重の堀を巡らした。
天守は5層5階の複合式後期望楼型である。しかし、明治7年(1874年)前年に発布された廃城令により櫓など他の建物と共にことごとく破却され、石垣のみが現存している。解体前の古写真に、天守の在りし日の秀麗な桃山様式の白亜の姿が見られる。近年では他地域に先駆けて破却された天守等を(財源の問題があるが)復元する動きがある。
現在は指月公園(しづきこうえん)として、松下村塾や武家屋敷などとともに萩の観光名所となっている。城の入り口には旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国の重要文化財)が残っている。城下町も国の史跡となっている。また、指月山には原生林が残り、国の天然記念物に指定されている。
あな、もったいなや、折角のお城を廃城令ごときで、破却するとは、維新の先駆けとなった長州藩が模範を示さざるを得なかったとは故、返す返すも惜しいことです。 -
長州ファイブです。
長州五傑とは、幕末期に長州藩から清国経由でヨーロッパに派遣され、主にロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)の5名の長州藩士を指す。
この5名はロンドン大学において長州ファイブ (Choshu-five) として顕彰碑が建てられており、その事を知った西日本国際交流推進協会が「地元にも顕彰碑を」と運動した結果、2003年に山口市に顕彰碑が建てられた。
その碑文では、井上(馨)は外交の、遠藤は造幣の、山尾は工学の、伊藤は内閣の、井上(勝)は鉄道の、それぞれ「父」とされている。
志高く,維新の時代を駆け抜けた5傑。
( ̄〜 ̄;)??フ〜ム,この時代でさえヨーロッパに赴いた5人,pianoga彼の地を踏むことは有るや無しや。 -
萩博物館には天体観測の施設も併設しており,夜は天体観測,昼間は太陽を観測することが出来ます。
特殊なフィルターを通してみると,太陽の黒点やフレアがみられるそうですが,あいにくこの日は曇天,真っ赤な点としか見えませんでした,ムムム,残念。 -
萩博物館前に延々と続く石塀。
江戸時代から現代まで連綿と時を経て今なお残る、歴史の生き証人、維新の時代に駆け抜けた男達の足音が聞こえるようです。
「先駆けの 強者どもの 駆け抜ける 石塀の町 ひとり佇む」 -
おおお、これは彼の言う「忍び返し」???
幕府の放つ隠密が暗躍する、長州の町、あああ、何やら勝手に想像たくましく興奮してきました、隠密と長州藩士との剣劇の火花…。 -
井戸の桶を花瓶代わりにしたなかなかしゃれたオブジェ。
「生け花に 桶をとられて もらい水」加賀のpiano作だよ〜ん、千代女様無礼の段お許し召され。 -
-
質素ながらも心のこもった民宿の夕餉。
特に瀬アジ唐揚げは美味い!!
カリッとした皮とホクホクと柔らかい身が油と相まって、口内に広がる旨味、カラリと良く揚げているので頭からしっぽの先までワシワシと齧り付き、中骨以外はぺろりと頂きました。
アニキが頭としっぽを残していたのでちゃっかりと頂きました。
しかし、いつもながら旅の食事が美味いのは何故何でしょうか、よほど日頃の食生活が貧弱なのか(あああ,嫁さんの冷たい視線が…。)、旅情がほどよいスパイスとなって微妙に美味しく感じるのか、( ̄〜 ̄;)??フ〜ム、両方だろうな…。
お櫃のご飯を一粒も残さず、ぺろりと平らげ、至極ご満悦のpiano、おなかも一杯になり、Zzz ( ̄〜 ̄) ムニャムニャ、おやすみなさ〜い、ZZZZZZZ…。
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この旅行記へのコメント (21)
-
- くに・クマさん 2009/07/11 07:07:58
- 100回目の訪問、ありがとうございます♪
- pianoさん、こんにちは。
いつもご訪問いただきありがとうございます。
100回目になりましたので、ご報告いたします。
プロフィール写真にだまされて(?)女性と信じてきてみたら、とっても楽しい旅行記だったのにびっくりした覚えがあります^^;
萩もいいけど、他にも見どころたくさんありますので、また山口に来てくださいね。
そうそう、萩博物館内の船は、8月初めのお祭り用の曳き船です。
今後ともよろしくお願いいたします。
旅行資金は500円貯金のくに・クマでした。
- pianoさん からの返信 2009/07/17 16:11:00
- こんちはー
- くに・クマさん始めましてー!
へなちょこダイバー兼へたれトラベラーのPianoと申しますー!!
と言うことで、Pianoはハワイのノースショアに在住する、夢見る乙女です・・・ゲー!!自分で言ってて気分が・・・夢見るおやじですー・・・それはそれで、気持ち悪りー!
山口・・・秋吉台・・・錦帯橋・・・行ったことが有りますぜ、旦那!!スゲー、太古の昔のことだけど…。
こちらこそ、嘘偽り、騙り、詐称・・・おいおい、何かスゲー劣悪な旅行記じゃん・・・だけど、見放さないでね!!
では、良い旅を。
-
- M-koku1さん 2009/05/14 07:47:47
- ご報告
- pianoさん
最近皆の流行のようなので、
一応ご報告します。
ご訪問回数が300回を超えました。
なが〜い道のりを、(!?) どうもありがとうございました。
あまりユーモアもない旅行記ですから
恐縮です。
4trを始めてすぐにpianoさんの旅行記を知ったわけで
私の「お気に入りメンバー」の中ではオリジナルグループの
お一人です。
最初の頃pianoさんが見に来てくださっていなかったら、
ここまで続かなかったかもと思って、
「感謝じょ〜う!」と読み上げて
差し上げたいぐらいです。
今後も私にはなかなかいくチャンスのない海の中などの
ユニークな旅行記アップお願いいたします。
楽しみにしていま〜す。
(^0^)V
ではまた M
- pianoさん からの返信 2009/05/14 17:22:48
- こんちはー
- 俺も同じです、4トラに参加して早3年近く、最初はおふざけ程度の感覚でアップしてたのに…ここまで続けられたのは、偏に皆さんの温かい眼差しがあったからだと思います…。
あー、今日も見に来てくれてるよー!その嬉しさが、次の旅行記へとバトンタッチされて今日まで続いてます、だからその分皆さんにお返しをの意味もあり覗かせていただいてます、感謝、感謝…。
遅筆、駄文は相変わらず、写真の腕も全然上がらないけど、腰の軽さは人一倍、あちらへフラフラこちらへフラフラと、金が無いのでご近所密着型の旅行記になちゃってるけど、これからも、よ・ろし・く!!
では、良い旅を。
-
- 浅山 (あさやん)さん 2007/06/27 08:44:52
- やまぐち
- あたいは山口生れで秋吉が近いから 小学の時 自転車でよく秋吉に行きマました。萩もよく行きました。
新撰組が好きで大人になてあまり 長州は好きではなくなりました 笑
いまの官僚基本創ったのは 藩閥ですからね でも 松蔭や晋作き好きでしたね
結局彼等が若死にしたからかもですね。笑
弟が山口市に住んでますから。。
歴史の中の人の生き様にいつも興味を覚えます。。
- pianoさん からの返信 2007/07/06 17:18:35
- 最近は
- 新撰組と北方謙三さんの水滸伝等々やたら熱くなる本を読んでいます。
登場人物が自分と対角線上に位置している所為か、殆ど憧れのような想いで読みあさっています。
読んだからと言って自分が男らしくなるわけでなく、未だ彼らの後塵を拝することさえ出来ぬ思いです、それはそれで仕方ないこと、生来のへなちょこはへなちょこ道を極めたいと思っています。(へなちょこ道とは何ぞや?)
では、良い旅を。
- 浅山 (あさやん)さん からの返信 2007/08/04 17:27:03
- 京都散策 新選組
- 新撰組と
山口うまれなのに 新選組が好きで京都市内を歩き
新選組の関係の本 昔よく読みました。。
京都駅から ひとつ目の駅前に
普通の民家を改造した 個人経営の資料館がありました
木造のいまにも倒れそうな家でした
でも中に入ると
当時の資料がたくさんあり どれもめずらしいものでした。。
なぜ京都市が購入して 資料館を作らないのか 不思議でした
個人の奇特な方で 利益度外視で見させてもらいました。
いまでもあるかな。。
-
- noriakiさん 2007/05/22 08:54:46
- お誕生日おめでとう御座います!
- pianoさん
こんにちは!
御無沙汰してました・・・
遅まきながら、お誕生日おめでとうございます・・・
萩へは、数十年前に行きました。
松蔭神社は、懐かしいですね・・・
その時丁度ロケ撮影が松蔭神社で行われていて、松坂慶子にサインを貰ったことが想いだされます・・・
- pianoさん からの返信 2007/05/28 17:42:44
- 有り難うございます
- この歳になって誕生日をうかうかと楽しんでいられませんが、祝って頂けることに関しては嬉しゅうございます、(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
この歳になって、未だフラフラと旅の空の下を彷徨い続ける日々、原チャで近所を巡礼する旅もライフスタイルとなりつつあり、楽しゅうございます。
では、良い旅を。
-
- 前日光さん 2007/05/16 23:05:34
- 遅ればせながら・・・
- お誕生日おめでとうございま〜す(^_^)v
本日は当地は爽やかな五月晴れの一日でしたよ。
そういえば5月生まれって、東大生に多いらしいですよ〜
また楽しいコメント&ご訪問をお待ち申しております。
それにしてもpianoさんが復活して本当に良かった!と、
今日改めて思いました。
写真の多さもコメントも、とってもいいなと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
- pianoさん からの返信 2007/05/21 13:54:29
- 感謝感激
- 雨霰です〜。
一時は、彼岸の向こうへ連れ去られた我が身,こうやって皆様と歓談できる幸せ、ひしひしと感じております。(;___;)ウルウル
最近は無駄に馬齢を重ねる日々、ただ偏に旅の空の下にいられることを至上の喜びとして暮らしている今日この頃です。
では、良い旅を。
-
- ベスママさん 2007/05/16 10:06:49
- 萩
- こんにちは、ベスママです。
萩は高校の修学旅行で泊まりました。
宿は「萩本陣」ではなかったと思いますが・・・部屋が海に突き出ていて、まだ新築したばかりの大きなホテルだった事だけ覚えています。
吉田松陰の塾と萩城跡のことだけは今もなんだか覚えていますヨ。
「湯の丸」良さそうですネ。是非行ってみようと思います。
- pianoさん からの返信 2007/05/18 13:32:52
- 湯の丸
- 良かったですよ〜、数多の変わった湯三昧、危うく湯あたりするところでした、なむなむ。
最近は、懐具合の関係で宿のランクが下がりっぱなし、そろそろ背中にテントを背負っての旅路になるのではと、危ぶんでます、困ったものです。トホホ。
では、良い旅を。
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- SuperHideoさん 2007/05/15 02:13:36
- おいでませ
- 萩旅行記を投稿下さり、ありがとうございます。なんせ、山口県出身な私な物で、懐かしいような嬉しいような。岡山からは少しばかり距離がありますが、是非またいらして下さい。萩以外にも素敵な所が数箇所だけありますよ。最近では安部首相関連土産も売っていて盛り上っているはずです(多分)。というわけで、おいでませ西の京、山口って事ですね。
- pianoさん からの返信 2007/05/18 13:14:10
- 久々の
- 山口の旅楽しませて頂きました。
秋芳洞、錦帯橋を訪れたのが今を去ること15年と言うことで、時の流れの速さを改めて感じました。
あの時は、湯田温泉に宿泊し、若気の至りというか、仲間でどんちゃん騒ぎをしたことが懐かしいです。
では、良い旅を。
-
- Johnnieさん 2007/05/13 23:25:27
- 萩
- 初めまして、こんにちは。
Johnnieと言います。
いつもご訪問ありがとうございます。
萩、素晴らしい所ですよね。
司馬遼太郎の『世に棲む日々』を読んで以来、高杉晋作や吉田松陰、久坂玄瑞の大ファンで、3年前に萩を訪れました。
松陰神社や江戸屋横丁が当時の雰囲気を残していて、もっとゆっくり見ていたかったのですが、日が暮れて時間切れとなってしまいました。
デジカメ所有前だったので旅行記はありませんが、pianoさんのお好きな土方歳三を訪ねて函館へ行ったこともあります(こちらも司馬遼太郎『燃えよ剣』の影響ですね・・・)。
こちらもとても良い所ですので、機会があったら行ってみて下さい。
- pianoさん からの返信 2007/05/15 13:40:38
- 歳三
- 往きてまた、読んでます。
時代の流れに抗いながら己の志を貫き、死地を求めて戦場に彷徨う土方歳三、長州
藩士には鬼のように憎まれたこの男が好きです。
五稜郭には一度行ってみたいものです、彼の傑物が散ったその地に何が見えるの
か。
では、良い旅を。
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- チムさん 2007/05/13 14:05:27
- 有難う
- 萩は一度は行かなければ思っている土地です。
一歩早く先陣を行かれてしまいました。
旅行記、今後の旅行の参考にさせていただきます。
- pianoさん からの返信 2007/05/15 09:35:07
- 勝ったぜ〜!!
- って言うほどでもないか、エヘへ。
維新の風に触れ、美味しいお魚に舌鼓を打ち、ついでに温泉にどっぷりと至極満足のいく旅路でした。
楽しんできて下さいね〜。
では、良い旅を。
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- 吉備津彦さん 2007/05/11 22:19:27
- 高杉晋作の墓は下関にあり、是非行ってみたいと思っています。
- 萩は子供が生まれる前に妻と行きました。新しい時代を切り開くために維新の礎になった若者達・・・旗本8万騎に代わって徳川幕府に殉じた新撰組・・・どちらにも熱いものを感じますね。
- pianoさん からの返信 2007/05/14 15:46:48
- 時代のうねりの
- 狭間に生き、かたや流れに逆らい武士道に命を捧げ、かたや時代の先を駆け抜けたがため時に受け入れられず短い生涯を散らしたもの達。
今の日本の礎となったもの達の息吹がこの小さな町に感じられます。
では、良い旅を。
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