2006/08/12 - 2006/08/15
248位(同エリア270件中)
松村博司さん
勧進帳の舞台となった安宅の関です。
姫路攻略で訪れた書写山で暴れ回った上に放火をしてトンずらしたという伝説の武将、武蔵坊弁慶が大活躍した場所であります。
早速ゆっくり見て回ろうと思ったのですが社務所のおばさ(失礼><)奥様に声をかけられます。
お話いいですか? って怪しい宗教みたいですがこの神社にまつわるお話をしてくれるとのこと。
私は喜んでお願いしました。
(ホームページの案内では巫女さんが話をしてくれるとなっています)
挫折禁止(松村博司の貧乏旅日記)
「北陸・中部1200キロの旅」
http://bonkuraii.blog56.fc2.com/blog-category-22.html
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
-
東尋坊を今度こそ本当に後にした私たち、次なる目的地に向けて出発です。
当初の予定では福井城跡や丸岡城を予定していたのですが出発数日前にキャンセルしました。
丸岡城はとりあえず高速から天守閣を拝むことができました。写真を撮ることはできませんでしたが;;
てな訳で別の場所へ〜。
ここからは運転は私。
てか、交代はやw
本当ならこのまま金沢まで一気に行く予定を私のわがままで途中立ち寄るため、しばらく私の運転がつづきます;;
とはいえ実はこの車、純正のSTIシートがついている助手席よりも1ピースフルバケットシートのスパルコを付けている運転席の方が乗り心地がいいというのはここだけの秘密・・・ -
来た道を微妙に変えつつ(ナビのルートに沿ってですが・・・)再び金津ICへ逆戻り。
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水まいてますね・・・
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かなり起伏のある道です。
風景も珍しく飽きません。 -
行きがけに運転を交代した場所。帰りはスルー><
私の運転続行です。 -
そろそろインターチェンジです。
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入り口はETCと一般が一緒になっていました^^;
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金沢方面に向けて加速開始!
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いきなり晴れてるよ^^;
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てかもの凄い快晴。さっきの曇りは何だったんでしょうか・・・
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そして15分ほどで小松ICに到着。
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さあ、目的地はすぐ近くです。
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てか結構細い民家の間をくぐり抜けていきます。ちと不安・・・
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海〜!
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9時40分、安宅の関に到着。
ここ、知っている人にとっては超メジャースポットでしょうが、知らない人にとっては全く知らない場所だと思います。
そのことを実感させてくれたのが百君でした^^;
ひょっとして知っている人の方が少数派? てか変? -
駐車場にインプを止め最初に目に入ったのがこれです。
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さざれ石です。
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さざれ石ってなに? なんて言ってるそこの外国人ちょっと待て!
さざれ石とはスポーツの国際試合、日本人が表彰台の頂点に立つと流れる曲の歌詞の一節です!(マテマテ^^;)
涙なしで見られないシーンですね、先日のF1ハンガリーGPは泣けました(2006年)
まあ、冗談はさておき、あの難解な歌詞の一節にあるさざれ石で当初実在しないと言われていたそうです。
ちなみに君が代って日本の象徴はいつまでも日本の象徴であるみたいな解釈でいいのかな?
わたしにゃ、難しすぎてようわかりません><
てか、こんなもの(失礼><)見るためにここに来たわけではありません! -
さっさと先に進みましょう・・・
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見えてきたのは安宅住吉神社。
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つまりここは?
先日姫路攻略で訪れた書写山で暴れ回った上に放火をしてトンずらしたという伝説の武将、武蔵坊弁慶が大活躍した場所であります。
早速ゆっくり見て回ろうと思ったのですが社務所のおばさ(失礼><)奥様に声をかけられます。
お話いいですか? って怪しい宗教みたいですがこの神社にまつわるお話をしてくれるとのこと。
私は喜んでお願いしました。
てなわけでこの奥様も語ったようにこの安宅の関で何が起きたのか、知らない人のためにちと解説させていただきます・・・
源平合戦、源氏勝利の最大の功労者、九郎義経は京に凱旋するも勝手に官位を得たということで頼朝の怒りを買うことになりました。
逆賊となった義経は吉野で静御前と別れ京に潜みそのまま北上、弁慶と四天王は山伏として義経は強力として過去世話になった平泉の藤原氏を頼り北陸ルートをたどりました。
そこでさしかかった安宅の関、ここは切れ者の富樫左衛門がいる難所中の難所。
関を通ろうとした一行は当然疑われますが、勧進僧の証明をして見せよと言われた弁慶は白紙の巻物を手に持ち、すらすらと勧進帳を読み上げます。
疑う余地なしと一行に関を通す許可を与えた富樫左衛門。
しかし最後に通りかかった強力が手配中の九郎義経にそっくりだと再び引き留めます。
怒った弁慶は義経扮する強力に対し、
「おまえのせいでまた疑われたではないか。今日という今日は許してはおけぬ」
と言い放ち、めった打ちにします。
このままでは死んでしまうとあわてて止めに入った富樫左衛門はその一行が義経や弁慶達だと知りながらも、義経を助けるために主君に手を挙げた弁慶に心打たれ関を通す許可を与えました。
関を抜けた後、四天王達は機転の利いた弁慶の行動を賞賛しますが、いかなる事情があるとはいえ主君を打った罪は死を持って償うしかないと涙ながらに訴えた弁慶。
その弁慶に義経は心より感謝をした。
と、まあざっと説明するとこんな感じの話です。
猛将として知られた弁慶の実は武だけではなく文にも長けていた、知将だったというエピソード。
そして主君を思う弁慶。そして自分の死を覚悟してでも主君を守り通すためにその主君を打つ、という美談ですね。
このお話は歌舞伎の定番中の定番、勧進帳で語られるもので実際には創作といわれています。
この勧進帳の記述が最初にあったのはたしか義経記だっけかな?
わすれちまった><
まあ、義経を題材にした物語では必ず出てくる名シーンですね。
とまあ、奥様にはこんな話を熱く語ってもらいました。 -
お礼の代わりにお守りをどれか購入することに。
-
とりあえず、突破したい難関があるわけでもないのですが通行手形をゲット。
お礼を言って振り向くとすでに百君いないし^^;
やれやれ、つまらんやつだ・・・
と、祭殿を見ると巫女さんが舞をしていました。
とりあえず先ほど語っていただいた奥様に撮影許可を取りカメラを構えた瞬間・・・
舞は終わってしまった;;
仕方がないので百君捜索。 -
とりあえず携帯を取りだし百君にTEL。
奥にいるとのことでとぼとぼ歩いていくと、 -
安宅の関址発見。
-
ついでに百君も発見。
-
そして勧進帳の名シーンを再現した銅像発見。
-
興味があったものの相方興味もなく、スルー;;
で、ここを抜けると海水浴場になっていました。
海水浴客が結構いたのでデジカメは片付けることに。いらぬ誤解は悲しいので・・・
風がとっても涼しかったです。
泳ぐには少々寒いのでは? というくらい。
ちなみに安宅住吉神社は安宅の関が作られた遙か前よりあったとの事。
ネットで調べてみると奈良時代天応二年(782年)鎮座。
とっても由緒ある神社でした。(もうちょっと写真撮りたかった;;)
もう一つおまけ、安宅住吉神社ホームページに行くと巫女ガイドによる安宅の関についての説明(無料)となっていますが、巫女さん?
袴(っていうのか?)赤じゃなく青色でしたが巫女さん? 語りはおもしろく迫力ありましたが・・・
あのおばさ(失礼><)奥様が・・・
巫女さん?
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