1957/04 - 1957/04
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ソフィさん
1937年(昭和12年)ころ 6歳
日本におけるズック靴製造の最大のインパクトは、地下足袋の製造開始だったと考える。
足袋にズック靴の技術を取り入れてしっかりしたゴム底を付けようとする動きは、1921年(大正10年)ころより日本の足袋メーカーで見られるようになる。
この試みは成功し、関東大震災での活躍やメーカー同士の競争も原因となって、爆発的に地下足袋が全国に普及する。
あるメーカーの記録では、日産2千足が4年間で2万足と、10倍になった。
現在ズック靴の王者とされるコンバース社の「オールスター」も、開発が1917年とされるから、地下足袋とほとんど同じ時代だった。
地下足袋は機能がいいだけでなく、1足が1円程度であり、1足5銭で一日しか持たない「わらぞうり」に比べて、圧倒的に経済的だった。
このように地下足袋が先導的な役割を果たし、日本におけるズック靴の生産に拍車がかかったのだろう。
1930年(昭和5年)には、日本のゴム靴輸出は12,000万足に近づき(翌1931年には34,000万足)、7,000万足のナンバーツーカナダを抑えて、世界のナンバーワンとなる。
1935年ごろの小学生への急速なズック靴普及には、このような背景があったのだった。
ズック靴のおかげで下駄や裸足から解放され、そのためにわれわれの年代の得た利益には、計り知れないものがある。
あるいは履物に対して、日本の子供は世界一恵まれていたのかも知れない。
余談だが、地下足袋のコハゼによるフィット感には、靴にはない独特の味があり、世界に向かっての将来性があると、私は考えている。
1912年金栗さんがストックホルム・オリンピックのマラソンで履き、孫さんによる1936年ベルリン・オリンピック制覇、田中さんによる1951年ボストン・マラソン制覇などは、地下足袋によってなされた。
1985年ごろロスアンゼルスの一流ホテルのショーウィンドゥに飾られていた地下足袋が、日本文化と日本人の存在を主張していたことを思い出す。
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