糸満・ひめゆり旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 飛行機と本島だけ宿を抑えての旅。その他は最早No Planっぷり甚だしいですが、そう言う旅の方が良いような気がしてきた俺。<br /><br /> 3日連続5時半起きで、羽田からのJAL1905便へ。JA8907、B747-446D。座席は71K(2階席)。羽田空港のタキシングウェイの混雑により、8時15分発の飛行機が離陸したのは8時55分。ANA側のタキシングウェイにはB777-281、A320-281、B747-481などが並んでいた。<br /> 空港の、それぞれの人間の旅立ちに対する思いを一気に背負った雰囲気、―それは自分のようなTravelerだけじゃなくて悲しい思いを背負った人間もいるのだろうが―、が交錯している感じが好きだ。羽田の飛行機が並んでいる様子は、まさにその象徴なんじゃないかって。<br /><br /> 順調に巡航する。離陸して上昇中には上下の雲の合間に富士山が顔を出したり、雲の造形を楽しんだりと、相変わらずの機内を満喫していた。地上から見る雲は基本的に平面的な様子を醸し出しているけれど、飛行機の中から見る雲は立体感に満ち溢れ、普段の視点だけでは一辺倒な意識しか生まれないんだなぁと思ったり。また、上空で見る雲は全く『水蒸気の集合体』には見えない。むしろ、白いコンクリート張りに固形物にも見えるのだが、飛行機はそんなことも気にせずスゥーっと突入していく。<br /><br /> 上昇気流が発生している箇所では、雲が数千メートル単位の高さを誇り、上空ではほぼ常に太陽が顔を出し、晴れているのだがその積乱雲の下では、想像も出来ないほどの大雨災害が起きていたりするのだと思うと、地上に生息している生物の存在感は微塵な物なのだなぁ、と感じてしまう。<br /><br /> 飛行機に乗るのは、普段東京にいると何か1つのものに束縛されているような感じを受けるのだが、そう言う現実からの逃避なのだろうか。<br /><br /> 那覇空港に結局11時過ぎに着き、その後の予定を空港で画策すること20分、結局この日は本島の南部へ行くことにした。<br /> 先ずバスセンターで時刻表を貰い、那覇のターミナルへ行き100系統糸満行きに乗る。ひめゆりの塔、魂魄の塔の方面へ。高嶺入口と言うバス停で、ひめゆりの塔に向かうバスとの接続があったため、そこで降りてコンビニでルートビアを買う。その時時刻は13時。次のバスは13時半だったため、ちょいと歩いて距離を稼ごうか、と思い歩く。で、3キロくらい歩いてバス停を発見し、バスの時間を見る。<br /><br />13:28<br /><br /><br />13:28!?<br /><br /><br />高峰入口で13:30だったのに…<br /><br /><br />あ、<br /><br /><br />今日って土曜だ…<br /><br /><br /> ってことでEasy Missに気付き、魂魄の塔まで約7キロ(Mapfanのルートマップにて)歩く羽目に。76リットルのカバンを背負って、灼熱の30度の中を歩くと汗がダラダラ出て来た。あれよあれよとシャツは全面汗だらけになり、足も汗が伝っていく。けれど、そんな風に汗をダラダラかきながら何か目的に向かっていく姿勢は、高校時代の部活動に似ていて、激しく体力を奪われて行くにも関わらず心地良かった。<br /><br /> 魂魄の塔には様々な県の団体による鎮魂の碑があり、戦争の心理的跡地であることをまざまざと感じ取ることが出来た。その後、ひめゆりの塔にも行ったが、何とも言えない気分になった。<br /><br /> ひめゆりの名で知られる沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校。彼女等が派遣されたのは、南風原はえばるの沖縄陸軍病院。ありの巣のように堀りめぐらされた横穴の壕に二段ベッドが置かれただけの施設でした。病院壕のジオラマと生存者の証言によって、戦場でのひめゆり学徒や、負傷兵の実態を明らかにし、40年後に発掘された医療器具や生徒が戦場に携えていった品々をエピソードとともに展示していた。<br /><br /> けれど、最初は普通に展示会場の如く歩いていたが、鎮魂の場になるとその様子は一変する。<br /><br /> 240人の遺影。その大半は、沖縄師範学校の生徒、つまり今の高校生と同じ年代なのだ。遺影の下のは死亡理由などが書いてあるが、それを読めば読む程心が痛い。<br /><br />・散弾銃を受け即死<br />・防空壕が崩れ、圧死<br />・喜屋武岬で逃げ場を逃し、教諭とともに自決<br />・避難中に消息不明、その後死亡<br /><br /> 俺が高校生の頃は、そんな戦争なんかまさに他人事のように野放図に生きていた。けれど、産まれた時代によってはこのような生活を強いられ、生きるという選択を選べなくならざるを得ない人生があると考えるとそれはまさに心痛い。また、こんな生活を強いるような戦争というものを、回避出来る限りは回避しなければ人間の心理状況は滅茶苦茶になってしまう。ちょうど23日に沖縄では慰霊祭が行われている。東京に居ては大空襲位しか実感できない戦争が、遠く離れた、―それでも日本と言う国であることには変わりない―、沖縄の地ではこれ程に人々を傷付けていたとは。日本史の勉強では文面として接触があったものの、文面だけでは何も伝えきれない。百聞は一見に如かずとはまさにこのこと。<br /><br /> そんな思い感情に襲われながらひめゆりの塔の前にいると、あるおっちゃんが話し掛けて来た。『今から何処行くの〜?』って。その時は未だ順序を決めてなかったのだが、喜屋武岬には行こうと考えていたのでそれを話す。当初はただの地元のおっちゃんだと思って話していたのだが、「じゃぁ喜屋武岬の後は玉泉洞と言う鍾乳洞に行けばいいと思うよ」って言われ、若干間を置いて『じゃそうしますわ』と言うと「こっちへ」、と。<br /><br />タクシーの運ちゃんでした。<br /><br />タクシーの運ちゃんの話は止め処無く回っていました(笑)が、要約すると<br /><br />・沖縄のタクシー運ちゃんはアル中が多い<br />・仕事があまりないから収入少ないのは仕方ない<br /><br /> ってことでした。そんなことを俺に言われてもどうしようもないのですが(苦笑) で、玉泉洞に行って鍾乳洞を見た。沖縄本島最大の鍾乳洞だと言うことだったが、確かに長かった。そして、外は既に灼熱の太陽の元だったのだが鍾乳洞の中はかなり涼しい。鍾乳洞の終わり口にて南国果物を宅配して、83系統のバスで市内に戻る。沖縄本島の道路は訳が解らない感じでうねうねしていて、方角がサッパリ解らなくなる。バスの冷房ガクッソ寒く、汗が渇いて冷えていたが何とか凌いで那覇ターミナルへ。久茂地経由のバスがサッパリ解らなかったが、最初からゆいレールで美栄橋に行けば良かったんじゃないかと思いつつ宿へ。<br /><br /> コンビニで沖縄そばの本を立ち読みして、泊港そばのソーキそば屋で食ってCityFront春海にて就寝。

6月17日『沖縄旅行1日目―戦争の悲劇」

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2006/06/17 - 2006/06/21

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kosuke-w

kosuke-wさん

 飛行機と本島だけ宿を抑えての旅。その他は最早No Planっぷり甚だしいですが、そう言う旅の方が良いような気がしてきた俺。

 3日連続5時半起きで、羽田からのJAL1905便へ。JA8907、B747-446D。座席は71K(2階席)。羽田空港のタキシングウェイの混雑により、8時15分発の飛行機が離陸したのは8時55分。ANA側のタキシングウェイにはB777-281、A320-281、B747-481などが並んでいた。
 空港の、それぞれの人間の旅立ちに対する思いを一気に背負った雰囲気、―それは自分のようなTravelerだけじゃなくて悲しい思いを背負った人間もいるのだろうが―、が交錯している感じが好きだ。羽田の飛行機が並んでいる様子は、まさにその象徴なんじゃないかって。

 順調に巡航する。離陸して上昇中には上下の雲の合間に富士山が顔を出したり、雲の造形を楽しんだりと、相変わらずの機内を満喫していた。地上から見る雲は基本的に平面的な様子を醸し出しているけれど、飛行機の中から見る雲は立体感に満ち溢れ、普段の視点だけでは一辺倒な意識しか生まれないんだなぁと思ったり。また、上空で見る雲は全く『水蒸気の集合体』には見えない。むしろ、白いコンクリート張りに固形物にも見えるのだが、飛行機はそんなことも気にせずスゥーっと突入していく。

 上昇気流が発生している箇所では、雲が数千メートル単位の高さを誇り、上空ではほぼ常に太陽が顔を出し、晴れているのだがその積乱雲の下では、想像も出来ないほどの大雨災害が起きていたりするのだと思うと、地上に生息している生物の存在感は微塵な物なのだなぁ、と感じてしまう。

 飛行機に乗るのは、普段東京にいると何か1つのものに束縛されているような感じを受けるのだが、そう言う現実からの逃避なのだろうか。

 那覇空港に結局11時過ぎに着き、その後の予定を空港で画策すること20分、結局この日は本島の南部へ行くことにした。
 先ずバスセンターで時刻表を貰い、那覇のターミナルへ行き100系統糸満行きに乗る。ひめゆりの塔、魂魄の塔の方面へ。高嶺入口と言うバス停で、ひめゆりの塔に向かうバスとの接続があったため、そこで降りてコンビニでルートビアを買う。その時時刻は13時。次のバスは13時半だったため、ちょいと歩いて距離を稼ごうか、と思い歩く。で、3キロくらい歩いてバス停を発見し、バスの時間を見る。

13:28


13:28!?


高峰入口で13:30だったのに…


あ、


今日って土曜だ…


 ってことでEasy Missに気付き、魂魄の塔まで約7キロ(Mapfanのルートマップにて)歩く羽目に。76リットルのカバンを背負って、灼熱の30度の中を歩くと汗がダラダラ出て来た。あれよあれよとシャツは全面汗だらけになり、足も汗が伝っていく。けれど、そんな風に汗をダラダラかきながら何か目的に向かっていく姿勢は、高校時代の部活動に似ていて、激しく体力を奪われて行くにも関わらず心地良かった。

 魂魄の塔には様々な県の団体による鎮魂の碑があり、戦争の心理的跡地であることをまざまざと感じ取ることが出来た。その後、ひめゆりの塔にも行ったが、何とも言えない気分になった。

 ひめゆりの名で知られる沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校。彼女等が派遣されたのは、南風原はえばるの沖縄陸軍病院。ありの巣のように堀りめぐらされた横穴の壕に二段ベッドが置かれただけの施設でした。病院壕のジオラマと生存者の証言によって、戦場でのひめゆり学徒や、負傷兵の実態を明らかにし、40年後に発掘された医療器具や生徒が戦場に携えていった品々をエピソードとともに展示していた。

 けれど、最初は普通に展示会場の如く歩いていたが、鎮魂の場になるとその様子は一変する。

 240人の遺影。その大半は、沖縄師範学校の生徒、つまり今の高校生と同じ年代なのだ。遺影の下のは死亡理由などが書いてあるが、それを読めば読む程心が痛い。

・散弾銃を受け即死
・防空壕が崩れ、圧死
・喜屋武岬で逃げ場を逃し、教諭とともに自決
・避難中に消息不明、その後死亡

 俺が高校生の頃は、そんな戦争なんかまさに他人事のように野放図に生きていた。けれど、産まれた時代によってはこのような生活を強いられ、生きるという選択を選べなくならざるを得ない人生があると考えるとそれはまさに心痛い。また、こんな生活を強いるような戦争というものを、回避出来る限りは回避しなければ人間の心理状況は滅茶苦茶になってしまう。ちょうど23日に沖縄では慰霊祭が行われている。東京に居ては大空襲位しか実感できない戦争が、遠く離れた、―それでも日本と言う国であることには変わりない―、沖縄の地ではこれ程に人々を傷付けていたとは。日本史の勉強では文面として接触があったものの、文面だけでは何も伝えきれない。百聞は一見に如かずとはまさにこのこと。

 そんな思い感情に襲われながらひめゆりの塔の前にいると、あるおっちゃんが話し掛けて来た。『今から何処行くの〜?』って。その時は未だ順序を決めてなかったのだが、喜屋武岬には行こうと考えていたのでそれを話す。当初はただの地元のおっちゃんだと思って話していたのだが、「じゃぁ喜屋武岬の後は玉泉洞と言う鍾乳洞に行けばいいと思うよ」って言われ、若干間を置いて『じゃそうしますわ』と言うと「こっちへ」、と。

タクシーの運ちゃんでした。

タクシーの運ちゃんの話は止め処無く回っていました(笑)が、要約すると

・沖縄のタクシー運ちゃんはアル中が多い
・仕事があまりないから収入少ないのは仕方ない

 ってことでした。そんなことを俺に言われてもどうしようもないのですが(苦笑) で、玉泉洞に行って鍾乳洞を見た。沖縄本島最大の鍾乳洞だと言うことだったが、確かに長かった。そして、外は既に灼熱の太陽の元だったのだが鍾乳洞の中はかなり涼しい。鍾乳洞の終わり口にて南国果物を宅配して、83系統のバスで市内に戻る。沖縄本島の道路は訳が解らない感じでうねうねしていて、方角がサッパリ解らなくなる。バスの冷房ガクッソ寒く、汗が渇いて冷えていたが何とか凌いで那覇ターミナルへ。久茂地経由のバスがサッパリ解らなかったが、最初からゆいレールで美栄橋に行けば良かったんじゃないかと思いつつ宿へ。

 コンビニで沖縄そばの本を立ち読みして、泊港そばのソーキそば屋で食ってCityFront春海にて就寝。

同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
JALグループ 徒歩
  • 自分が乗ったスカイクルーザー。

    自分が乗ったスカイクルーザー。

  • 羽田のタキシングウェイ。ANA機が並んでいる。

    羽田のタキシングウェイ。ANA機が並んでいる。

  • 顔を出す富士山。

    顔を出す富士山。

  • この空の色が、未知なる世界へのいざない。

    この空の色が、未知なる世界へのいざない。

  • 梅雨明け直後の那覇空港!<br /><br /><br />この空、見事!

    梅雨明け直後の那覇空港!


    この空、見事!

  • 玉泉洞の石筍。

    玉泉洞の石筍。

  • 鍾乳洞にいる魚は目が退化しているとのこと。

    鍾乳洞にいる魚は目が退化しているとのこと。

  • 玉泉洞の看板。ここで南国果物を買い捲った。

    玉泉洞の看板。ここで南国果物を買い捲った。

  • 泊港そばのソーキそば屋で食ったソーキそば。

    泊港そばのソーキそば屋で食ったソーキそば。

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