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 今日は愈々旅行最終日。西表島の夜間以外は梅雨に重なる時期なのに全行程晴れと言う俺の晴れ男っぷりは見事に発揮されました(笑)<br /> JALの飛行機がストライキ…って言う良からぬ噂も流れていた為それだけは少し不安になったものの、全便平常通り運行と言う話になったので全くもって安心して那覇市内観光に出発したのだった。<br /> 流石に那覇市内を観光するのにバックパックを背負って…ってのは厳しいかな(俺の体より周囲の目的に)と思いきや、ユースのロッカーがチェックアウト後でも使えることが判明し、そのままカバンを押し込んで首里城へ。<br /><br /> 首里城は復元が徐々に始まっていると言うことで、本殿等はかなり復元が済んでいた。しかし、復元の際にバリアフリーを鑑みて嵩上げし、昔の遺構を傷付けないように配慮されていたのは凄い。そこまでするか、と。流石長寿天国沖縄。 <br /> 首里城・龍潭池・玉陵・金武町の石畳道など中国文化と日本文化の折衷を間近に感じることが出来た。首里そばがかなり有名だと言うことで食べようと思ったが、平日にもかかわらず長蛇の列。その時点で11時半。後々の飛行機の時間を考えるとここで1時間近く並ぶのは得策ではないと判断、致し方なく他のソーキそばの店を探し、首里駅近くの『琉球そば すいそば』でソーキそばを食し、また国際通りへ。これでゆいレールも全線乗車(笑)<br /> おもろまち駅前に何かアウトレットっぽかったのがあったがDFSだったのであえなく退散。ブランド品は縁遠いのでね。アウトレットには行きたかったものの、あしびなーは豊見城だったので諦める。国際通りでは昨日、お土産を殆ど買わなかったのでお土産物色に走る。公設市場にも侵入していったが、何故か衣類の店多し。しかも、ちょっと時代錯誤してるようなデザインのものが。海人のTシャツや「健康のためなら死ねる」、「テニス魂」などらしいシャツが数多あったが、バックパッカーは衣類減少の定説により衣類は何も買わず。生鮮食料もあったが、家では母親くらいしか飯食わない(俺も月の半分弱くらい、父親は片手位か…)ため量の多い食料品は諦め。<br /> 酒類を全く買ってなかったので、オリオンビールとか買ってくか〜と思い、シークァーサーワインやグァバのサワー原液等を買おうとした。<br /><br /><br />『年齢確認出来る物ありますか?』<br /><br /><br /> 俺もう25なのに…。<br /><br /> どうも沖縄は厳しいらしく、かつて修学旅行生が親に送ると言って宿で飲んで問題になったよう。それ以降、未成年には家への宅配、しかも着払いオンリーと言う措置になったらしい。さすがに高校生が土産で全く何も買えないのは…ってことでしょう。ってか、修学旅行で飲むなよ高校生、学校の教師もちゃんと管理しろよ。学校の不行き届きで業者が痛い目会うのも世知辛いね。<br /> 結局5600円分、酒のほかにも菓子やインスタントラーメン類をバッコバコ箱に詰めて送ってしまった。国際通りを離れたのが14時半。ユースに荷物を取りに行って、空港へ15時15分に着。またも懲りずにA&amp;Wでルートビアをお代わりしまくってたらチェックイン時間になってしまった。。。靴が浦内川散策など過酷な状況で酷使して、そもそもオーストラリア旅行などで8年使ってたらエアは抜ける、ソールは剥がれるなど惨憺たる状況になってたので捨てようと思っていたのだが…。それどころじゃなくて乗り込むのに一杯一杯だった。あのバックパックを背負って普段張りに爆走していた姿は可笑しい。<br /> 帰りの飛行機はJAL1918便、B747-446D、JA8905(旧塗装)で89Aに着席。今回、1000円だけの上乗せでクラスJに乗れると言うことで乗ってしまった。Tシャツ・半パン・バックパックの姿の奴が出張帰りのサラリーマンと一緒なんだもんね。<br /><br /> Jクラスでは、FAに名前を呼ばれ『あ、Jクラスだと1人1人の名前を覚えてるのか、凄いなぁ』と思ってしまった。後はウォークマン聞きながら、本州付近になると景色も良くなかったので寝てた。<br />______________________________<br /><br /><br /> 東京に戻って来た。久々に夕方のラッシュに遭遇した。同じ日本にいながらにして、どうしてこれだけ人間性、郷土性が異なっているのだろう、とつくづく感じた5日間だった。東京は確かに現代生活という面では暮らしやすい。また、自分はずっと東京で生活してきたため交友関係も東京が中心となっている。だから、そういう日常生活の側面では東京と言う都市は大好きだ。<br /> だけど、東京と言う都市にいると何かしらに束縛され、“自分らしさ”を前面に出せないような気がすることもある。時間に追われ、責任が付きまとい、そして“立場”と言う目に見えない重荷が24時間、365日負荷されている。<br /> 結局、そう言う負荷にしばしの間耐えることが出来ても、時には其処から逃れたくなる、それはもしかしたら人間の本能なのかも知れない。そんな本能が、週末にレジャーで発散する人・長期間休暇を取って遠くへ旅立つ人のように様々な形態で表に現れるのかも知れない。<br /><br /> 全く馴染みのない土地に赴き新たな感受性を育み、人間としての見識を広めたいと言う欲求もそう。大自然に触れて、都市に毒された自分の身体を中和したいと言う欲求。それとも、単純に“旅”を楽しみたいと言う欲求。そのどれかは自分でも解らない。全部の欲求が混ざり合っての行動だと思うのだけど。<br /><br /> また、よく「何故1人で?」と聞かれる。そりゃ今回は予定が合わなくて…ってのもある。当然、たまにはみんなでワイワイ旅行したい。<br /> けれど、1人での旅は拘束するものが無く、自分の赴くがままに行きたい所に行き、やりたいことが出来る。それは両方に長所があると言うことを解って、敢えて両方のいい所だけを書いてみた。<br /><br /> 今年の夏は転勤とかで休みが取れないような気がする。けれど、機会があれば今度は4人くらいでみんな楽しく旅をしたい。

6月21日『沖縄旅行5日目―旅の終わり」

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2006/06/17 - 2006/06/21

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kosuke-w

kosuke-wさん

 今日は愈々旅行最終日。西表島の夜間以外は梅雨に重なる時期なのに全行程晴れと言う俺の晴れ男っぷりは見事に発揮されました(笑)
 JALの飛行機がストライキ…って言う良からぬ噂も流れていた為それだけは少し不安になったものの、全便平常通り運行と言う話になったので全くもって安心して那覇市内観光に出発したのだった。
 流石に那覇市内を観光するのにバックパックを背負って…ってのは厳しいかな(俺の体より周囲の目的に)と思いきや、ユースのロッカーがチェックアウト後でも使えることが判明し、そのままカバンを押し込んで首里城へ。

 首里城は復元が徐々に始まっていると言うことで、本殿等はかなり復元が済んでいた。しかし、復元の際にバリアフリーを鑑みて嵩上げし、昔の遺構を傷付けないように配慮されていたのは凄い。そこまでするか、と。流石長寿天国沖縄。 
 首里城・龍潭池・玉陵・金武町の石畳道など中国文化と日本文化の折衷を間近に感じることが出来た。首里そばがかなり有名だと言うことで食べようと思ったが、平日にもかかわらず長蛇の列。その時点で11時半。後々の飛行機の時間を考えるとここで1時間近く並ぶのは得策ではないと判断、致し方なく他のソーキそばの店を探し、首里駅近くの『琉球そば すいそば』でソーキそばを食し、また国際通りへ。これでゆいレールも全線乗車(笑)
 おもろまち駅前に何かアウトレットっぽかったのがあったがDFSだったのであえなく退散。ブランド品は縁遠いのでね。アウトレットには行きたかったものの、あしびなーは豊見城だったので諦める。国際通りでは昨日、お土産を殆ど買わなかったのでお土産物色に走る。公設市場にも侵入していったが、何故か衣類の店多し。しかも、ちょっと時代錯誤してるようなデザインのものが。海人のTシャツや「健康のためなら死ねる」、「テニス魂」などらしいシャツが数多あったが、バックパッカーは衣類減少の定説により衣類は何も買わず。生鮮食料もあったが、家では母親くらいしか飯食わない(俺も月の半分弱くらい、父親は片手位か…)ため量の多い食料品は諦め。
 酒類を全く買ってなかったので、オリオンビールとか買ってくか〜と思い、シークァーサーワインやグァバのサワー原液等を買おうとした。


『年齢確認出来る物ありますか?』


 俺もう25なのに…。

 どうも沖縄は厳しいらしく、かつて修学旅行生が親に送ると言って宿で飲んで問題になったよう。それ以降、未成年には家への宅配、しかも着払いオンリーと言う措置になったらしい。さすがに高校生が土産で全く何も買えないのは…ってことでしょう。ってか、修学旅行で飲むなよ高校生、学校の教師もちゃんと管理しろよ。学校の不行き届きで業者が痛い目会うのも世知辛いね。
 結局5600円分、酒のほかにも菓子やインスタントラーメン類をバッコバコ箱に詰めて送ってしまった。国際通りを離れたのが14時半。ユースに荷物を取りに行って、空港へ15時15分に着。またも懲りずにA&Wでルートビアをお代わりしまくってたらチェックイン時間になってしまった。。。靴が浦内川散策など過酷な状況で酷使して、そもそもオーストラリア旅行などで8年使ってたらエアは抜ける、ソールは剥がれるなど惨憺たる状況になってたので捨てようと思っていたのだが…。それどころじゃなくて乗り込むのに一杯一杯だった。あのバックパックを背負って普段張りに爆走していた姿は可笑しい。
 帰りの飛行機はJAL1918便、B747-446D、JA8905(旧塗装)で89Aに着席。今回、1000円だけの上乗せでクラスJに乗れると言うことで乗ってしまった。Tシャツ・半パン・バックパックの姿の奴が出張帰りのサラリーマンと一緒なんだもんね。

 Jクラスでは、FAに名前を呼ばれ『あ、Jクラスだと1人1人の名前を覚えてるのか、凄いなぁ』と思ってしまった。後はウォークマン聞きながら、本州付近になると景色も良くなかったので寝てた。
______________________________


 東京に戻って来た。久々に夕方のラッシュに遭遇した。同じ日本にいながらにして、どうしてこれだけ人間性、郷土性が異なっているのだろう、とつくづく感じた5日間だった。東京は確かに現代生活という面では暮らしやすい。また、自分はずっと東京で生活してきたため交友関係も東京が中心となっている。だから、そういう日常生活の側面では東京と言う都市は大好きだ。
 だけど、東京と言う都市にいると何かしらに束縛され、“自分らしさ”を前面に出せないような気がすることもある。時間に追われ、責任が付きまとい、そして“立場”と言う目に見えない重荷が24時間、365日負荷されている。
 結局、そう言う負荷にしばしの間耐えることが出来ても、時には其処から逃れたくなる、それはもしかしたら人間の本能なのかも知れない。そんな本能が、週末にレジャーで発散する人・長期間休暇を取って遠くへ旅立つ人のように様々な形態で表に現れるのかも知れない。

 全く馴染みのない土地に赴き新たな感受性を育み、人間としての見識を広めたいと言う欲求もそう。大自然に触れて、都市に毒された自分の身体を中和したいと言う欲求。それとも、単純に“旅”を楽しみたいと言う欲求。そのどれかは自分でも解らない。全部の欲求が混ざり合っての行動だと思うのだけど。

 また、よく「何故1人で?」と聞かれる。そりゃ今回は予定が合わなくて…ってのもある。当然、たまにはみんなでワイワイ旅行したい。
 けれど、1人での旅は拘束するものが無く、自分の赴くがままに行きたい所に行き、やりたいことが出来る。それは両方に長所があると言うことを解って、敢えて両方のいい所だけを書いてみた。

 今年の夏は転勤とかで休みが取れないような気がする。けれど、機会があれば今度は4人くらいでみんな楽しく旅をしたい。

同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
JALグループ 私鉄 徒歩

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