2000/05/30 - 2000/05/31
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4nobuさん
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コブレンツから次の目的地ヴュルツブルクへ移動。途中のフランクフルトで途中下車して待望のシュテーデル美術研究所(館)へフェルメールの「地理学者」を見に行く。いつもフランクフルトを通過しながら機会が無かったのを今度こそはと。
この美術館の並び(博物館河岸)にあるほかの博物館にも行きたかったが、旅の予定が迫っているので今回もやめる。
ヴュルツブルクは今回で2回目。1回目は1991年かみさんとのドライブ旅行で、ヴュルツブルクからロマンティック街道を南下しアルプス街道を東へザルツブルクからウィーン終点の旅だった。その時ヴュルツブルクでは、マリーエンベルク城とマイン・フランケン博物館のリーメンシュナイダーの彫刻に時間を取られて市内特に世界遺産のレジデンツを見残したのを今回埋めようとしたのだ。到着日は市内の教会などをまわり、翌日満を持してレジデンツ見学、残念ながら写真撮影は禁止(しかし個人で歩けるときに例のごとくこっそりと何枚か)。その後ニュールンベルクへ移動。ここを拠点に周辺を観光することにしてホテルは駅前のインフォで3日間予約する。
ヴュルツブルクはフランケン地方の中心としてマイン河のほとりのぶどう園に囲まれた小山に築かれたマリーエンベルク司教館城砦の城下町として、亦この地方の名産のフランケンワインの集積地として栄えた。また近年の観光客にとってはロマンチック街道のスタート点としての方が有名かもしれない。
この地に城が築かれたのは古く紀元前1000年ごろとされる。13世紀からの中世の城が更に17世紀にルネッサンス風城館に改造される。
対岸の市内にある城館のレジデンツは17世紀に建てられ、丘上の城塞の代わりの司教の住居となった。
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町と城を結ぶアルテマイン橋の下流にあるアルテクレーン。かってフランケンワインをマイン河から積み出すために建立された。二十日鼠の回転輪のように人力での回転ドラムを使ったクレーンの再現
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マイン河対岸の丘上のマリーエンベルク城塞と町を結ぶアルテ・マイン橋。
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橋のたもとから城塞を望む
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アルテ・マイン橋の向こうに町中の聖キーリアン大聖堂の塔が見える。左の塔はラートハウス(市役所)。橋の欄干には聖人像12基がある。
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美しい色彩の優雅な聖母マリア礼拝堂。14〜15世紀に市民の手で建てられる。
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礼拝堂南面入口。両側に立つ像はリーメンシュナイダー作のアダムとイヴ(オリジナルは城塞の横のマイン・フラン博物館に収納)。
礼拝堂の周辺を取り巻き下屋のように密着して小さな恒久的?商店が並ぶ。このような組み合わせは初めて見る。 -
マルクプラッツに面した南側の入口。入口の両側の軒下に前述の小さな商店がある
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南面のタンパン。マリアの戴冠図
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礼拝堂前のマルクトプラッツではちょうど市が開かれて。
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この時期の一番人気の商品はアスパラ(スパーゲル)
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ここでもアスパラといちごが人気
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礼拝堂内陣の外、東側にある「鷹の家Fakkenhaus」市行政部門が入っている?
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レジデンツ前の広場。レジデンツの建物の右端の中に王宮付属の礼拝堂(ホッフキルへ)があり。本館とは別に入る。堂内はロココ調の華麗な装飾とベネティア画家ティエポロの絵がある。
レジデンツと庭園は世界遺産のバロックの代表的建築。18世紀に大司教が権力の誇示のためにノイマンに作らせた宮殿。特に有名なのがノイマンの傑作の正面階段だ。 -
王宮前の広場でカメラを向けたら大歓迎
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フランコニア(フランケン地方の守護神)の噴水の前でこれも大歓迎の学生たち。
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宮殿右翼側側面を庭から
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宮殿中央のテラスからの庭園(ホフガルテン)。個人で自由に歩けるのは右翼のみ。他はガイド付きのみ可能
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宮殿中央のテラスから
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レジデンツの窓から見たら新しいスタイルの教会の塔が見える。
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皇帝の間。騙し絵と彫刻をうまく組み合わせている。
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皇帝の間のフレスコ天井画もティエポロ作
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宮殿の東側正面を庭園(ホフガルテン)から
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庭園の正面には丘がありそこには見晴台までの階段がある。
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見晴台の階段からの宮殿正面
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見晴台にある幼児の戯れる彫刻
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花と宮殿1
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庭園の植え込み
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庭園のバラ
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花と庭園2
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新大聖堂(ノイミュンスター)。この町のメイン通りのシェーンボーン通りに面した正面。ロマネスク様式の教会に18世紀にバロック様式のファサードが付け加わった。2階になった装飾過多?な切妻。
ここのクリプト(地下納骨堂)には隣の大聖堂の名となった聖キーリアンの墓がある。アイルランド人のこの人はこの地にキリストを布教したフランケンの守護聖人であり、689年にここで殉教した。 -
新大聖堂の側壁にあるリーメンシュナイダーの像。墓碑だとする人も、それならずっと後期に改めて作ったのだろう。
リーメンシュナイダーは20歳ごろにこの地に来てここで彫刻のマイスターとして多くの宗教彫刻を手掛ける。一時市長も務めるが農民戦争で体制派から追われてさびしい晩年だった。近年にその作品が評価され、今ではフランケンの巨匠といわれる。
1991年にこの地を訪れて丘上の博物館でその作品に初めて会い、更にその旅では(旅程からそうなったのだが)クレグリンゲン、ローテンブルグなど多くの作品にお目にかかり繊細な表現、憂いを帯びながらの重厚さにすっかり気に入っていた。ここで改めてその像を拝見できた。 -
二日目の朝の散歩で寄ったユリウス・シュピタールの中庭。16世紀に領主司教ユリウス・ブッフォルツハイム・メスペルブルンが建てた救貧院で現在も病院と老人ホームの機能を続けている。
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中庭の向こうにシュピタールの本館。この近くにここの大学の教授だったレントゲンがX線の実験をしていた研究所がある。
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