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十津川村でおいしい水を求めて駆けずり回っている途中、<br />偶然声をかけた女性に、お茶をご馳走するからと招かれて<br />付いていったところが、旅館「とのの兵衛」。<br />招いてくれたのはなんと「とのの兵衛」の女将。<br /><br />入口で真っ先に目にしたのが「めはり寿司」の文字。<br />つい最近TVで見たことがあるが、実際には見たことはない。<br /><br />早速今夜の夜食用にと頼んだところ、いつの間にか、頭に<br />しゃれた布をまとい、前垂れをした、”いけめん”ご主人登場。<br /><br />「めはり寿司」を作るのはこのご主人の担当。<br /><br />一方話好きで、人の良い、可愛い女将はそそくさとお茶の<br />準備をしながら、こちらの質問への応対担当。<br /><br />ご主人が作る「めはり寿司」の調理の一部始終を見せて<br />貰う事にした。<br /><br />さ〜て「いけめん親父の料理講座」のはじまり〜

いけめん親父の料理講座:十津川村’07冬

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2007/03/01 - 2007/03/01

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WT信

WT信さん

十津川村でおいしい水を求めて駆けずり回っている途中、
偶然声をかけた女性に、お茶をご馳走するからと招かれて
付いていったところが、旅館「とのの兵衛」。
招いてくれたのはなんと「とのの兵衛」の女将。

入口で真っ先に目にしたのが「めはり寿司」の文字。
つい最近TVで見たことがあるが、実際には見たことはない。

早速今夜の夜食用にと頼んだところ、いつの間にか、頭に
しゃれた布をまとい、前垂れをした、”いけめん”ご主人登場。

「めはり寿司」を作るのはこのご主人の担当。

一方話好きで、人の良い、可愛い女将はそそくさとお茶の
準備をしながら、こちらの質問への応対担当。

ご主人が作る「めはり寿司」の調理の一部始終を見せて
貰う事にした。

さ〜て「いけめん親父の料理講座」のはじまり〜

  • 画面右が高菜でめばり寿司はこの浅漬けで包む。<br />左はからし菜で、名のとおり少々ピリリと辛い。

    画面右が高菜でめばり寿司はこの浅漬けで包む。
    左はからし菜で、名のとおり少々ピリリと辛い。

  • 漬けてあった浅漬けの高菜の下ごしらえ。

    漬けてあった浅漬けの高菜の下ごしらえ。

  • 昔はたくあんなどのの塩辛い漬物を入れ込んだが、<br />最近は塩分控えめで、入れなくなった。<br />変わりに多少の味付けの為、鰹節に多少醤油味をつけ、<br />ご飯に混ぜ込む。

    昔はたくあんなどのの塩辛い漬物を入れ込んだが、
    最近は塩分控えめで、入れなくなった。
    変わりに多少の味付けの為、鰹節に多少醤油味をつけ、
    ご飯に混ぜ込む。

  • 本来はきこりの弁当。<br />大きさがこの倍ほどあり、食べる時に口だけでなく<br />目をも大きく見開いて食べた様子から「目張り寿司」<br />となった。

    本来はきこりの弁当。
    大きさがこの倍ほどあり、食べる時に口だけでなく
    目をも大きく見開いて食べた様子から「目張り寿司」
    となった。

  • いけ面親父は、さらに半分程の小周りの「めはり寿司」<br />を作り、我々にご馳走してくれた。

    いけ面親父は、さらに半分程の小周りの「めはり寿司」
    を作り、我々にご馳走してくれた。

  • めはり寿司をご馳走になっている間に、夫婦してなにやら始めた様子。

    めはり寿司をご馳走になっている間に、夫婦してなにやら始めた様子。

  • いけ面親父が次に始めたのはアユ。<br />おなじみとは云え、家庭ではなかなか口に入らない代物。

    いけ面親父が次に始めたのはアユ。
    おなじみとは云え、家庭ではなかなか口に入らない代物。

  • 串刺しにして

    串刺しにして

  • 囲炉裏の周りに立てて

    囲炉裏の周りに立てて

  • しかしまだ時間が早いせいもあり、我々以外に客は見当たらない。<br />かといって持ち帰りようの「めばり寿司」以外注文した覚えもない。<br /><br />不思議に思い、焼きあがったアユをどうするのか聞いてみると、なんと我々へのご馳走用だという。エッエッエッ〜

    しかしまだ時間が早いせいもあり、我々以外に客は見当たらない。
    かといって持ち帰りようの「めばり寿司」以外注文した覚えもない。

    不思議に思い、焼きあがったアユをどうするのか聞いてみると、なんと我々へのご馳走用だという。エッエッエッ〜

  • 我々はあまり時間がないと見たか、いけめん親父は<br />アユを囲炉裏に直接載せ、焼けたてのアユが<br />ほら目の前に・・・

    我々はあまり時間がないと見たか、いけめん親父は
    アユを囲炉裏に直接載せ、焼けたてのアユが
    ほら目の前に・・・

  • 我々が焼きたてのアユをフーフーさせながらほお張っているとき、私の質問に答えて、いけめん親父は屋号の「とのの兵衛」の由来を静かに語り始めた。<br /><br />以下その要約。<br /><br />鎌倉時代、後醍醐天皇の皇子、後の大塔宮護良親王は幼くして比叡山に入り、大塔で過ごしたので、大塔宮と称せられた。<br /><br />後に後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕に破れ、隠岐に流された際、成人して還俗していた大塔宮も逃避が免れず、当初は熊野に向った。その途中、夢枕に「吉野に向え」との天のお告げに従い、吉野を目指した。<br />険しい吉野の里の辻で休息を取った折、大塔宮の来訪を知った村人の依頼で、ある民家の病人を祈祷し、快癒させた。<br />このことに信頼を寄せ、以後大塔宮を支えたのがこの村の郷族「戸野兵衛」であった。<br /><br />戸野兵衛はじめこの地の郷族の援助を受け、大塔宮は名も「護良」と改めた。<br /><br />大塔村の村名は、この歴史に因んで明治22年の村政施行の際名付けられたものである。<br /><br />この宿の屋号の「とのの兵衛」は旧村名の「殿野」と戸野兵衛のから「兵衛」を頂いたもの。<br /><br />横の坂を少し上ると戸野兵衛の墓がある。<br /><br /><br />もっと詳しく知りたい方は是非”いけ面親父”に直接会って、アユを味わいながらお聞きになってください。<br />連絡先は<br />http://www15.ocn.ne.jp/~t-hyouei/hyousi.htm<br />いろり炭火焼 渓谷の山宿<br />「とのの兵衛」<br />?:0747−36−0336<br /><br />義妹夫婦は早速5月の連休の予約を貰ったようです。

    我々が焼きたてのアユをフーフーさせながらほお張っているとき、私の質問に答えて、いけめん親父は屋号の「とのの兵衛」の由来を静かに語り始めた。

    以下その要約。

    鎌倉時代、後醍醐天皇の皇子、後の大塔宮護良親王は幼くして比叡山に入り、大塔で過ごしたので、大塔宮と称せられた。

    後に後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕に破れ、隠岐に流された際、成人して還俗していた大塔宮も逃避が免れず、当初は熊野に向った。その途中、夢枕に「吉野に向え」との天のお告げに従い、吉野を目指した。
    険しい吉野の里の辻で休息を取った折、大塔宮の来訪を知った村人の依頼で、ある民家の病人を祈祷し、快癒させた。
    このことに信頼を寄せ、以後大塔宮を支えたのがこの村の郷族「戸野兵衛」であった。

    戸野兵衛はじめこの地の郷族の援助を受け、大塔宮は名も「護良」と改めた。

    大塔村の村名は、この歴史に因んで明治22年の村政施行の際名付けられたものである。

    この宿の屋号の「とのの兵衛」は旧村名の「殿野」と戸野兵衛のから「兵衛」を頂いたもの。

    横の坂を少し上ると戸野兵衛の墓がある。


    もっと詳しく知りたい方は是非”いけ面親父”に直接会って、アユを味わいながらお聞きになってください。
    連絡先は
    http://www15.ocn.ne.jp/~t-hyouei/hyousi.htm
    いろり炭火焼 渓谷の山宿
    「とのの兵衛」
    ?:0747−36−0336

    義妹夫婦は早速5月の連休の予約を貰ったようです。

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