2007/03/01 - 2007/03/01
133位(同エリア140件中)
WT信さん
十津川村でおいしい水を求めて駆けずり回っている途中、
偶然声をかけた女性に、お茶をご馳走するからと招かれて
付いていったところが、旅館「とのの兵衛」。
招いてくれたのはなんと「とのの兵衛」の女将。
入口で真っ先に目にしたのが「めはり寿司」の文字。
つい最近TVで見たことがあるが、実際には見たことはない。
早速今夜の夜食用にと頼んだところ、いつの間にか、頭に
しゃれた布をまとい、前垂れをした、”いけめん”ご主人登場。
「めはり寿司」を作るのはこのご主人の担当。
一方話好きで、人の良い、可愛い女将はそそくさとお茶の
準備をしながら、こちらの質問への応対担当。
ご主人が作る「めはり寿司」の調理の一部始終を見せて
貰う事にした。
さ〜て「いけめん親父の料理講座」のはじまり〜
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画面右が高菜でめばり寿司はこの浅漬けで包む。
左はからし菜で、名のとおり少々ピリリと辛い。 -
漬けてあった浅漬けの高菜の下ごしらえ。
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昔はたくあんなどのの塩辛い漬物を入れ込んだが、
最近は塩分控えめで、入れなくなった。
変わりに多少の味付けの為、鰹節に多少醤油味をつけ、
ご飯に混ぜ込む。 -
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本来はきこりの弁当。
大きさがこの倍ほどあり、食べる時に口だけでなく
目をも大きく見開いて食べた様子から「目張り寿司」
となった。 -
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いけ面親父は、さらに半分程の小周りの「めはり寿司」
を作り、我々にご馳走してくれた。 -
めはり寿司をご馳走になっている間に、夫婦してなにやら始めた様子。
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いけ面親父が次に始めたのはアユ。
おなじみとは云え、家庭ではなかなか口に入らない代物。 -
串刺しにして
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囲炉裏の周りに立てて
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しかしまだ時間が早いせいもあり、我々以外に客は見当たらない。
かといって持ち帰りようの「めばり寿司」以外注文した覚えもない。
不思議に思い、焼きあがったアユをどうするのか聞いてみると、なんと我々へのご馳走用だという。エッエッエッ〜 -
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我々はあまり時間がないと見たか、いけめん親父は
アユを囲炉裏に直接載せ、焼けたてのアユが
ほら目の前に・・・ -
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我々が焼きたてのアユをフーフーさせながらほお張っているとき、私の質問に答えて、いけめん親父は屋号の「とのの兵衛」の由来を静かに語り始めた。
以下その要約。
鎌倉時代、後醍醐天皇の皇子、後の大塔宮護良親王は幼くして比叡山に入り、大塔で過ごしたので、大塔宮と称せられた。
後に後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕に破れ、隠岐に流された際、成人して還俗していた大塔宮も逃避が免れず、当初は熊野に向った。その途中、夢枕に「吉野に向え」との天のお告げに従い、吉野を目指した。
険しい吉野の里の辻で休息を取った折、大塔宮の来訪を知った村人の依頼で、ある民家の病人を祈祷し、快癒させた。
このことに信頼を寄せ、以後大塔宮を支えたのがこの村の郷族「戸野兵衛」であった。
戸野兵衛はじめこの地の郷族の援助を受け、大塔宮は名も「護良」と改めた。
大塔村の村名は、この歴史に因んで明治22年の村政施行の際名付けられたものである。
この宿の屋号の「とのの兵衛」は旧村名の「殿野」と戸野兵衛のから「兵衛」を頂いたもの。
横の坂を少し上ると戸野兵衛の墓がある。
もっと詳しく知りたい方は是非”いけ面親父”に直接会って、アユを味わいながらお聞きになってください。
連絡先は
http://www15.ocn.ne.jp/~t-hyouei/hyousi.htm
いろり炭火焼 渓谷の山宿
「とのの兵衛」
?:0747−36−0336
義妹夫婦は早速5月の連休の予約を貰ったようです。
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