2007/01/25 - 2007/01/25
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ぶうちゃんさん
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鹿児島出張2日目、仕事を朝一番に済ませて知覧へ。ここ知覧は陸軍航空隊の基地があり、太平洋戦争末期、沖縄戦の最前戦基地として自爆攻撃(いわゆる特別攻撃)に1000名以上の人たちが飛び立った。今、この知覧には「特攻平和会館」があり10代後半から20代前半にして命令で死を迎えることになった多くの人たちの生の姿がこの会館にはあった。
知覧は「鹿児島駅」から「特攻観音」行きの路線バスで1時間半。鹿児島南端にあり海岸から山の中に入ったところに位置する。薩摩京都と呼ばれる昔からの城下町。街は山の中にあるが知覧基地があったところはシラス台地の頂部で平坦な土地が広がっている。訪問した日は1月だというのにポカポカ陽気でまるで春のようだった。1945年62年前のこの日はまだこの基地から飛び発つ攻撃は始まっていなかったと思うが、会館に入ると平和そのものの気候が嘘のように。まさに62年前の世界にタイムスリップ。会館に入ってすぐにあるピアノ。出撃を前に音楽学校出身の隊員、それを聞いた心ある人々そのエピソードを読み目頭が熱くなる。中に入ると遺影、遺書・絶筆、遺品。遺書を読み、遺影を見て、遺品の勲章をみると、この人の命はこういうものでしか国は表現できないんだなと悲しい気持ちになった。遺書の多くは残した家族に心配を掛けまいと「元気に行ってきます」「国のためです」なんて言葉や「忠」「義」「報」などといった文字が多いが中には、戦死した兄の息子に宛てた隊員の遺書は涙無しでは読めなかった。孤児になってしまう甥に宛てた手紙は最後まで読むのが辛かった。
そして時代遅れの戦闘機に搭乗して、物の無い時代だから飛行服といってもなにか貧弱な素材でできた服、そして隊員が最後に生活をした馬小屋のような三角兵舎。物資の満ち溢れる現在の日本に生きる私には考えられない中での人生の最後。贅沢をしたら生きてきたことに納得が出来るというわけでもないが、展示してあった遺書を見ていると命令と言うもので最後を迎えることになった人たちが自分の人生の意味を見出そうと悶々とした日々を努めて冷静に送った姿が見えて来るような気がした。
ここ知覧平和会館は広島、長崎の原爆資料館同様戦争の悲惨さや愚かさ、恒久平和を訴える場所。多くの人たちに足を運んで頂きたいと思った。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス ANAグループ
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「特攻平和会館」白い建物が蒼い空に映える。安らかな建物の中は62年前で時間が止まっている。
内部は撮影禁止。
特攻平和会館
http://www.town.chiran.kagoshima.jp/cgi-bin/hpViewContents.cgi?pID=20041215091804 -
「特攻観音堂」
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知覧基地の門柱を復元している。
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会館入り口
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特攻勇士の像
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復元された三角兵舎。
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三角兵舎内部。
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三角兵舎の解説
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会館の中庭
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